6 点滴、鉄をも穿(うが)つ
長い冬の間に降った雪は、短い夏の間に急速に溶けて雪解け水になる。地下水の多くが石油機文明時代の最終戦争のおかげで汚染されている中、北から来る雪雲の雪はきれいで安全な水として特別扱いされている。
水道ははるか昔に壊滅したものの、今でもシャワーはある。単純に重力を利用したものだ。
俺は巨大なタンクの前に立ち、「いいぞ」と叫ぶ。タンクは石油機文明時代には天然ガスを入れていたもので、土台の部分もなくなって球体が直接地面に転がされている。
きれいに磨き上げられたそいつは鏡のように、にぶく空を映している。
「いくよ!」その上にのっていたツバメが、大きな鍵を穴に差し込んだ。バルブひねる。
パイプから一気に水が落ちてくる。洗われているのは外の鎧なものの、――陳腐な表現だが、心まで気分が晴れる。
ははあ、文字通りこれが「命の洗濯」なわけだな、と感慨深くなる。
正面の鎧にたれる水はカーテンのようでいて、たまにすっと流れの間に切れ目ができる。きれいだった。
「落ちるなよ!」カトレアがツバメに呼びかける。「あんた、どんくさいんだから」
「落ちないよぉ」そう言う声もどこか頼りない。俺はさりげなく、いつ落ちても受け止められるよう身構える。
「水の量、大丈夫?」
ツバメが身を乗り出して聞いてくる。「体が溺れる感じ、しない?」
「ああ、体が吸収する水の量を調節する『コツ』みたいなのを、つかんだ」
水がかかると鎧は勝手に吸収し、ついでに「赤い線」を通じて俺の体にもしみこむのだが、その水を防ぐ『コツ』みたいなのを、体得しつつあった。
まぶたを閉じるみたいに全身に微妙に力を入れて、水をシャットダウンするイメージを持つのだ。イメージだけでいい。そうすると、水は体に入ってこない。
まあ、わかりやすいが、本当の意味では本人にしかわからない表現だが。
そんなことを、水を見ながら考えてると、カトレアが寄ってきた。
「アタシも水、浴びていいかい?」
「いいけど、今ここで?」
カトレアはさっと上着を脱いだ。翼を器用に折りたたんだ、巧みな脱ぎ方だった。――縦長の形のよいへそをしている。胸は何枚かの破れたシャツや端切れをつなぎあわせて、さらしとして巻いている。スカートもはずした。
「せっかくの貴重な水を、あんただけが使うのはモッタイナイからね」
この重力シャワーは長い間使われているらしく、水のあたる部分の地面が深さ40センチほど穿たれている。そこに「よっ」とカトレアは降りてきた。
こめかみのところから角が生えているから、上からかぶる水が人間とは違う独特のしたたりかたをする。その水が縦長のへそにしたたって足の間を伝い、ホットパンツのようなパンツをぬらし、腰のシルエットを透けさせる。やがては肌もうっすら見えるようになる。――男の前で服を脱いだり、肌が見えたりするのは、あまり気にしないらしい。
野生児か?
「男の前でその・・・ 半裸になっても平気なのか?」俺はどぎまぎを押さえつつ、たずねてみることにした。
「服脱ぐぐらい、どうってことないね。別に今からエッチするわけじゃないんだから」
いきなりなもの言いで俺は面食らった。そりゃ、俺の住んでいた世界でも「減るものじゃないし」って言い方があったが・・・
「ねえさっき、あんた鎧を脱ぎたいって言ったけど――」ひっきりなしの水の音の中、内緒話をするような声になった。
「もし本当に脱げたら、脱いじまうのかい?」
「もちろんそのつもりだ」俺に迷いはない。「この鎧は強すぎる。人を簡単に殺してしまう。あの兵士たち、今夜絶対に夢に出る」
「それでもさ、うらやましいんだよ」カトレアの腕が竜になる。俺の鎧にささった銃弾を、取り除いていく。
「この鎧があれば、ほとんど無敵じゃないか。――もしアタシがあんたの立場なら、夢でまで人を殺そうが、鎧は決して脱がない」
「敵を、殺したいからか?」そう予想した。しかし、「殺す」という言葉は、言いにくい。
「違う。生きたいからだ」毅然とした声と瞳。「生きてもう一度、あいつらに奪われた故郷を取りもどすんだ」
「カトレア!」ツバメが上から。「なに話してるの?」
「鎧は強いな、って話さ!」そして声をひそめた。「鎧があれば、あの子も守ってやれる。力を、みすみす手放しちゃいけないと思うよ」
戦闘の返り血は雪解け水ですっかり洗い流され、鎧に突き刺さっていた銃弾や砲弾の破片もカトレアは丁寧に取り除いてくれた。ヒビもすでに小さくなっていて、ウミを垂らしつつも修復が急速に進むことが見えてわかった。
水を止めたツバメが降りようと横のはしごに足をかける。カトレアがもう一度「落ちるなよ!」と声をかけ、「落ちないよ!」と返したとき、足を滑らせた。
図体のでかい俺より、カトレアの方がはるかに早い。翼で滑空するように移動して、抱きとめる。
「落ちるなよ、と言ったら落ちる。なんだ、古代の芸人みたいに『受け』を狙ってるのか?」
「そ、そんなことないよ」
カトレアはツバメを壊れ物のように降ろした。
「まったく、ツバメにはやっぱり、アタシみたいな姉貴役がいないとダメだな」
緑の髪に長い耳の少女と、二対の角と翼の生えた少女、普通の人間とは違う二人が、人間の女の子とまったく同じようにじゃれあっている。
「ん、なんだ、見世物じゃないぞ?」カトレアがぼうっと突っ立っている俺に気づいた。
ツバメのほうは俺に近づいてくる。
「体、異常ない?」
「ああ」今しがた自分が大怪我しそうになったのに、気づかってくれるのだから、優しい性格だ。
「気分が悪かったりしたら、すぐに言ってね」カトレアに抱きとめられたとき濡れた部分が透けて、肌が見えている。
「わたし、あなたを守りたいから!」
かわいらしいな、と俺は思う。
だけど、どうしてここまで尽くしてくれるんだろうと、少し疑問も抱く。
穿たれた地面から出ると、金属の大きな箱があることに気がついた。
上の部分に、すり鉢上の凹みがある。そこに、ぽつ、ぽつ、としずくが当たっている。――水タンクのバルブの横に、小さな樋のようなものが取り付けてあって、そこから水が落ちているのだ。
「昔の金庫って、今のわたしたちの技術じゃなかなかあけられないから――」
ツバメは、横で寝かしつけておいた赤ん坊を抱き上げつつ説明する。「こうやって、何年もかけて水で『打って』、それでこじ開けるの」
「点滴、鉄をも穿つってわけか」
そのとき、遠くで砂ぼこりが舞い上がっているのを見た。
久しぶりに見た、壊れていない動く車で、なんでもない動きなのに懐かしかった。
黒い色で、一昔前の日本車に見える。その車体のやや後ろ、屋根の上辺りが、黄昏どきの夕日を浴びてきらりと金色に光った。――荷台に黄金色の何かを積んでいる。
近くに来るとわかる。――霊柩車だ。新車みたいにピカピカに磨き上げられた霊柩車が、俺たちの傍らに止まった。
中から、顔つきでお偉いさんとわかる初老の男が、助手席から降りてくる。
パーティに出るようなスーツ姿で、ふさふさの白髪が夕日の光を浴びてつやつやした。吊られたサーベルの柄につく宝石はまぶしい。俺は思わず、今の自分の格好に気を使った。
「市長さんだ」ツバメが頭を下げた。エルフに似た姿なものの、会釈の動作は完全に日本人だった。
「はじめまして」俺に握手を求める手を差しのべる。「私はホシ・ツガル。ここトラッシュレインの市長と守備隊長を、おおせつかっている」
「市長室で待つ、と聞いていましたが」カトレアが敬語だ。
「待ちきれなくてね。ミーハーなんだよ、私は」
握手をしたとき、あ、この世界でもあいさつのときは握手するんだなと、大事なのかそうでもないのか判断つかないことを考えた。
「いてて」と白い眉をしかめたので、あわてて放した。
「わざとではないらしいな」市長は白い手袋をした手をさすっている。「君は腕の力加減を、もう少し練習した方がよいぞ」
そのまま、色々話をした。概念鎧になったときの気分と、その後の戦闘での活躍。さっきこの町を襲った敵は、イリョクテイサツとやらをする部隊であり、俺の働きのおかげで撃退できたこと。
「神ナズは〈トウキョウ〉奪取したことによって、しばらくは発掘にかかりきりになるだろう。我々もその間、一息つけるというわけだ」
「戦争が、終わるんですか?」俺は期待をこめて言った。
「まさか」彼は、快活に笑った。「戦争は終わらんよ。自然界で生存競争が終わることが無いようにね」
その理屈は俺にとってショックだったけど、市長はさらに追い撃ちをかけることを言ってくれた。
「これからも君の働きに期待している。どんどん、神ナズ兵を殺してくれ」
「まだ殺さなきゃダメですか?」思わずふてぶてしさをにおわせて聞く。殺人の後悔を、思い出すたびにひしひしと感じているのだ。
「あたりまえじゃないか」彼はふてぶてしさの欠片もない、さも当然というような口調。「君は我々の首都にある、第三号学校遺跡で発掘されたのだから、我々のために尽くすのは当然だ。思うところはあるだろうが、生き返らせてもらった恩を忘れず、はげんでほしい」
俺はもう何も話をしたくなくなった。こんな言い方をされたのでは反論がしにくかった。
今の大きな身長がぐらつくように腹が立って、夕焼けに向かいつつある空が動いてもいないのにぐるぐる回る。
この人はきっと、人を殺した経験とそこから沸き起こる本能的な嫌悪を、感じたことがないに違いない。腰につっているサーベルは、きっと飾りだ。
話は続く。君はかつてどこの何という町に住んでいて、何人の家族で、お父さんの職業はなにで、年収はいくらで、石化前はどのぐらいの敷地面積の家に住んでいたか――
「ああ、そうだ」話が俺の母親の身分か何かに移っていたとき(俺はほとんど話を聞いていなかった)、唐突に胸をそらせた。
「君も、自分が身にまとっている概念鎧について多少は知りたいだろうと思う。そのための技術者を、連れてきているのだ」
霊柩車の運転席から降りてきたのは、色白でメガネをかけた、明らかに頭脳労働で飯を食っている男だ。
「あ、デミオさん、こんにちは」ツバメが言った。
「やあ」と彼は市長と同じように俺に手を差しのべる。今度はゆるくにぎった。
「市長から、君に〈概念鎧〉について説明するよう言われているマズダ・デミオだ」
どこかひょうたんを思わせる顔に、ツバメほどじゃないもののやや長い耳。人間と長耳族の中間のような大きさと形だ。
市長は用が済んだとばかりに運転席に乗り込む。エンジンのかかりが悪いようで、三回目でようやく始動した。
窓が手動で開かれる。
「それでは、次に君が活躍したときに、また話そう」
手をかざして、砂煙を立てて走り去った。荷台の黄金の神輿のような棺が、遠ざかっていく。
「あの車は古代において死体を運ぶものだったとお教え申したのだがね」デミオと名乗る男が小さなため息。そして市長の声を真似る。「『この色、このデザイン、まさに市長の公用車にふさわしい!』って聞かなくてね、古代人の君には、さぞ気味の悪い光景だっただろう」
「気味が悪いというか、まさか自家用車にする発想はなかった」
「はは。――ところで、マズダ・デミオというこの名前、何かピンと来ないか?」
俺は何も思い当たらなかった。ただ市長といい、この世界の人の名前は日本人なのか日本人離れしているのか微妙に判断に迷うな、と思っただけだ。
「車の名前!」デミオは声を上げた。大人の男にしては少し甲高い声。
「私の一族は代々、石油機文明時代の名車の名前を名乗ってるんだ! さては君、古代人のくせに車の趣味がないな?」
いきなり何を言ってんだこいつ?
たしかに俺は今でもカローラとクラウンの区別がつかないが、そんなもん知らなくてもバスとかタクシーとか、車の利用はできる。――もっとも今の鎧を来たままの俺では乗り込むことすら不可能だが。
「それで概念鎧の説明は、ここでするのか?」俺は聞く。もうすぐ日が暮れるから、立ち話なんかしたくなかった。
「移動しよう。私の事務所に来てくれ。ここから遠くない」
ツバメがもの欲しそうに俺を見上げていたので、しゃがんで、腕を伸ばす。「ありがとう」と言って、肩に乗ってきた。乗りたければ乗りたいと、口に出せばいいのに。