3 金属でできた飛行機
飛行機は、昨日見たものだった。
同じようにプロペラエンジンをとどろかせ、ゆっくりと、昨日より更に低い高度を飛んでいた。
改めて見ると、胴体と尾翼のところに、パッチワークのようなつぎはぎがあるのがわかった。船のすき間から数秒見ただけなものの、明らかにそこの部分の色が違ったから、ずいぶん雑な修復をして使っているのはまちがいなさそうだ。
「概念鎧様は、まるで飛行機がめずらしいもののように見ますね」母親がたずねてくる。「あなたの時代は、飛行機がたくさん飛んでいたのでしょう?」
「飛んでいたし、乗ったこともあるけど・・・ なんか、ずいぶんボロいなと思って」俺は正直に感想を漏らした。敵の飛行機だそうだから、別に悪口を言っても苦情はないだろう。
「概念鎧様の時代では、飛行機は金属でできていましたね」父親だ。「この時代では、飛行機は木と布でできています」
「正確に言うなら、全部が金属でできた飛行機も、あるにはあるよ」ツバメが解説する「ただ、これに狙われて生きて帰った人がいないから、くわしくはわからないけど」
「飛行機は襲ってくる前提なのか」
エンジンの音が遠ざかっていく。
「出発しよう」身を潜め、息を殺していたカトレアが立ち上がる。「人を殺さない飛行機を、アタシは見たことがないよ」
荷物を手早くまとめて、船の割れ目から砂の大地に降りる。俺が踏み出したとき足がめりこんで、そのまま転倒した。
「トラッシュレインについたら、歩く練習をしなきゃな」カトレアが俺を押し戻しながら言った。
「この地面が悪いんだ」
「環境のせいにするなよ」
俺がなんとかまっすぐ立つと、昨日と同じように、父親が右肩、ツバメが左肩に乗った。
「トラッシュレインまではどのくらいだ?」
「あと10,000キュビットぐらい」ツバメが謎の単位を言った。
「キュ・・・ それって、何キロなんだ?」
「逆に聞くけど、『キロ』って、どのぐらいの距離なんだよ」カトレアが彼方を指差す。「あの地平線までは、何キロぐらいあるんだい? アタシたちは学者じゃないんだから、そんな古い単位を言われても、わからないね」
「どのみち、今日中にはつけますよ」父親が請け負った。
地平線を目指して歩く。進路は、俺の住んでいた世界と同じく太陽が東から昇るのであれば、西に向かって進んでいる。
昨日からそうなのだけど、父親は俺の上に乗ってかなりうれしそうだ。その喜びようは、イベントで新型の旅客機のフライトシュミレーターを操縦したときのアニキみたいだ。つまりは、大人の男が童心に帰るときの落ち着きのなさだ。
「いやあ、伝説の概念鎧様の肩に乗れるなんて、この子たちの子どもにも、聞かせられる話ですよ!」
彼はどう見積もっても小学校低学年にしか見えない二人の子どもを見る。その視線は優しい父親そのものだったけど――
「この子たちの子どもって、気が早すぎだろう」
「いえいえ、人生はあっという間ですよ」
丘を一つ登ると、新たな人工物が目についた。
それは巨大な鳥居だった。ビルほどの高さがある、朱色の鳥居が、白い大地の上にそびえたっている。紅き巨人、と呼んでまったく遜色のない威厳だった。
「コウソクの大鳥居だよ」ツバメが特に違和感なく言った。「トラッシュレインへの入り口」
たしかにその向こうには、四角い台地に乗った町らしきものがある。山のふもとまでごちゃごちゃと人工物がつらなっていて、規模の大きさを物語っている。
「あれをくぐると、街はすぐだよ」
そのとき、飛行機の音がした。
「つけられたのか?」カトレアがうなるような声。飛行機はまだ見えない。「まさかアタシらがくたびれたところを見計らって・・・」
「ううん、違う」ツバメが長い耳に小さな手を当てる。「さっきの飛行機は一〇〇〇馬力級のエンジンだったもの。・・・これは、二〇〇〇馬力はある」
「だけど、敵であることには変わりないよ」
現れた飛行機は遠くを横切るように飛んでいた。さきほどのものとは形も速さも違う。プロペラ機であることに変わりないが、まちがいなく軍用機だ。
身を固まらせ、固唾をのんで見守る中、南の方に向かっていた飛行機が急に、こちらに向きを変えた。旋回するとき、きらりと銀色に光った。飛行機は正面を向くと空の丸のように見える。
なぜ? と思う前に、父親が斜め上でわめいた。
「あんただ、あんたが原因だ! あんたの鎧、光を反射して光ってる! 上から見ると、よくわかる!」
飛行機は急上昇する。翼がきらりと光を弾いて、ここからでも一瞬目がくらんだ。そしてこちらにつっこむ動きで急降下を始める。翼の付け根付近から閃光。音も届く。
ガガガン、と鎧に何かがぶつかる音がして、父親が地面に転がった。自分がよろめいたので、そのおかげで肩から落ちたのだと思った。けど塩の地面には飛び散った血。彼はぴくぴくと痙攣。直後、飛行機が通過する影。
少し離れたところに変なものがあって、目をこらした。逃げなければいけないことはわかっていたけど、凝らさずに入られなかった。――髪の毛がへばりついた、父の頭の一部だった。
「逃げろぉ!」カトレアが叫ぶ。「襲撃機だ!」
ツバメが機敏に、するりと俺の腕をつたってを地面に転がる。俺自身は頭で判っていても、反応が遅れている。
飛行機は旋回しつつ、またこちらへ。ゼロ戦に飯をたらふく食わせて、太らせたような胴体で、主翼に機関砲を仕込んでいるらしい。
「平気だぞ、こっちは!」胸の三つのクモの巣状のヒビを見ながら叫んだ。ミサイルさえ防ぐのだ。飛行機の豆鉄砲なんか、百発受けても大丈夫だ!
直後に閃光、発射音が重なって一つになった音が響き、そのまま影は頭上をよぎる。
俺に被弾はない。
次に血祭りに上げられたのは母親だった。夫と違い、ヒトの形をとどめなかった。服が引っかかった破片が地面に転がったとき、目立つ赤っぽい服を着ていたのが災いしたのかもしれないな、と、冷静な分析をしてしまっていた。俺は冷酷なのか? と俯いたとき、まだ湯気を立てている薬莢を見つけた。タバスコの瓶ほどの大きさだった。戦闘はまだ終わっていない。
飛行機をにらむ。胴体に描かれた青い星が目に焼きついた。また来るのか? と身構えるが、今度は十歩ほど離れたくぼみを掃射した。地面がうがたれる白い煙が上がり、千切れた腕が宙を舞った。――男の子の腕だ。
「石油機文明時代の、本物の火薬を使ってるんだ!」カトレアが叫ぶ。「威力が桁違いだよ、鎧といえども、いくつもくらっちゃ耐えられない! 力の限り逃げろ!」
俺は違うことを考えていた。追い詰められると逆に冷静になる、そんな天邪鬼な性格をこの土壇場で自覚していた。
さっき思った「百発受けても大丈夫」、これは訂正するべきだろう。しかし、確かに数発ならこの鎧は防いでくれるのだ。なら、この特性を活かさない手はない。正面にはもう攻撃でヒビが入っているが、背中ならまだ・・・
固まってその場を動かない女の子へ走った。自分にこんな果敢さがあるなんて、思っても見なかった。足を何歩か踏み出したとき、またこけそうになる。
これが終わったら、歩く練習をしよう。走る猛特訓もやろう。俺は女の子を抱きかかえた。子どもをつかむような、繊細微妙な指づかいはのうまくできないので、まるでフォークですくいあげるようにした。
羽衣を持つようでいて、しっかり温かみのある感覚は、今でも鮮明に覚えている。ガラスの腕は熱をほんのりとだが伝える。
彼女はくしゃくしゃに泣いた顔のまま固まっていた。大きく潤んだ瞳があった。
もしも自分が頑丈ならば、是が非にでも守りたい!
飛行機を見すえる。相手も俺につっこむ。まだ点のように見えるコクピットの、パイロットと目があった気がした。俺は背中を向ける。来るなら来い!
ひゅーん、という音のコンマ数秒後、すさまじい衝撃で視界がゆすぶられた。否、視界も聴覚も前後不覚になった。背に熱さが走り、塩の大地に高速でつんのめる。一瞬気絶した。
瞬間の気絶から覚醒したとき、俺は爆弾をぶつけられたと直感した。
ぐわんぐわんという耳鳴りが少し収まった頃、「お、おい、大丈夫か!?」カトレアがすべりこむ。俺をたたく衝撃があった瞬間「あっつ!」と叫び声。
全身から湯気が立っているのが、朦朧とする視界の中でもわかった。爆風による熱をおびている?
「女の子は?」俺は叫ぶ。耳鳴りはなお、自分の声を打ち消しているし、目もまだかすんでいるので、大声を出さないと不安だった。
あの瞬間、俺は正面から地面にぶつかった。女の子はつぶれていないのか? ・・・いや、抱くように腕をうまく交差させてある。爆弾の直撃も防いだし、うまく助けた!
あのとっさの瞬間に、打ち倒されながらも、腕をうまく交差させ、女の子をつかんで放さなかった自分をほめてやりたい気分だった。
俺は腕を広げた。お姫様抱っこをするような体勢を取った。
女の子は、黒ずんでいた。こげていた。大きな木炭のようになっていた。わなわなと腕が震えたとき、頭と胴体がちぎれ、炭を散らして地に落ちた。
血さえ出なかった。
「泣くなよ」カトレアが慎重に、俺をたたいた。「おまえはがんばった。この世界じゃ、よくある死だ」
飛行機の遠ざかる音がする。
音がなくなったとき、難を逃れたツバメが心配そうによってくる。手には血まみれの赤ん坊。大きな声で泣いている。――血は母親のものだ、ケガはない。
これが唯一の、不幸中の幸いだった。
俺自身は、自分が泣いていると気づくのに、少し時間がかかった。
腕が固定されていて涙もぬぐえなかった。
それからの道中しばらくは、誰しも陰鬱だった。なかなか近づかない赤い鳥居を目指し、白い大地をとぼとぼ歩く。声を上げるのは、たまにぐずる赤ん坊だけだ。その時はカトレアが無言でゆすった。やり方をよく知らない、義務感から来た動作だった。
遺体は置いていくしかなかった。また飛行機の襲撃があるかもしれない中、運んでいくことは無理だった。
自分が光を反射していたから敵に見つかったのか? と俺はずっと自問していた。思いはふくらみ、耐えがたくなった。こんな鎧は要らないと、目の前が暗くなるほど腹が立ったが、この鎧がないと死んでいた、との事実が俺を引き裂きそうだった。
足音と共に、水の流れる音が鎧の中で静かにする。爆弾を受けた背中のヒビから、水が盛大に垂れているのだ。その水は流れとなって背中をつたい、空洞になっている鎧の足へと溜まってゆく。
「ヒビが修復されるとき、水がしみだすの」すでに自分で歩いていた、ツバメがぽつりと言う。「その水のことを、〈ウミ〉って呼ぶよ」それだけ言うと、足早に離れ、カトレアから無言で赤ん坊を受け取った。かわるがわる、あやすことにしたのだった。
俺が初めて鳥居を見たとき、ツバメは「コウソクの大鳥居」と紹介したけど、その名の理由がわかった。
本当に高速道路なのだ。高速道路の生き残り部分を赤く塗って、鳥居のように仕立てているのだ。
巨大な鳥居の真下まで来る。柱には枯れた蔦がはびこって、ちょうど裏側は白いコンクリがむき出しになっている。その横には、横倒しになって半分砂に埋もれている高速道路があった。
「トラッシュレインには少なくとも、隠れる場所がある」カトレアが俺の腕をつかんで話しかけてきた。「あんたみたいな、図体の大きいヤツでもね」
この概念鎧にこもっていると、耳が聞こえにくいのだが、こうして触れてくれればよく聞こえる。
「家族のことは本当に気にするなよ。光ったあんたを見つけたんじゃなくて、足跡か何かを追跡したのかもしれないし」
「そうだな・・・」俺は少し慰められ、しかしすぐに気づいてしまった。「俺の足跡は、でかくて空からでもよく見えただろうよ」
「あ・・・」カトレアはうつむいて、そしてずるずる俺の腕から腕を放した。しばらく黙って、また腕を強くつかんだ。
「とにかく! あんたがあたしら二人の命の恩人だって事実は変わらない! 首都でのロボットもそうだし、今回だって、一発しかつめない爆弾を引きつける役目を果たしてくれたんだ。本当、惚れちゃうぐらいいい男だよ、あんたは!」
「そんな! 見え透いたなぐさめ――」してくれなくていいよ、とは、口に出して言わなかった。「ありがたく受け取っておくよ。でももう、この入れ物からは脱け出したいな」
怒鳴り返されると身構えていたカトレアがきょとんとして、ついでに顔を伏せた。
「トラッシュレインはとても大きな都市の跡だから、」ツバメも口を開く。「概念鎧から出る方法、見つかるかもしれないよ」
「ツバメは、概念鎧ついてくわしい」カトレアが、友達の自慢ができる少しうれしそうな口調で言った。「何かわからないことがあれば、どんどん聞くといい。――なにしろ兵器オタクだからね」
「兵器オタクじゃないよぉ」彼女はさも心外! という声。「女の子が兵器オタクだなんて言われたら、お嫁入りにさしつかえがあるじゃない!」
カトレアはくつくつ笑う。たぶん二人はこうゆうやりとりを、何度かしたことあるのだろう。
この沈鬱な空気をどうにかしようという、二人の心遣いが感じられた。
「人炭の匂いがしてきたね」やや大げさに笑っていたカトレアが目じりを拭く。「街が近い証拠だよ」。
俺にも、あちこちから規則的な煙が出ているので、ヒトの生活が営まれていることがわかった。
「いよいよトラッシュレイン!」肩のツバメもうれしそうだ。「わたしのおうちがあるの! ぜひ遊びにきて! あ、先に市長さんに報告するのが先かな?」
やがて看板が見えてくる。
「ツバメ、読んでくれ」看板にびっしりついた砂ぼこりをカトレアが払う。竜になっていない彼女の指は、形のよい普通の女の子のものだ。
俺の読めない文章を、ツバメは読み上げた。
「ここより広がるはトラッシュレイン。もっとも西にある石油機文明時代の遺跡」
目の前の町は、すでに具体的なディテールがわかる距離だ。