22 ウミを抜く対価
少しだけ動けた。太陽光と同じ電灯というのはあながち間違いではないらしい。
市長、マステドウ、クレナイ、カトレアは、元々市長たちのために用意されていた宿泊施設へと戻っていった。カトレアは俺について行きたがったけど、アニキが断わった。
「兄弟二人で話したいことも、たくさんある」
夜のトウリアは、表通りの主要な建物に光が灯っている以外、暗く不気味だった。
不意に建物の屋根の上に、丸い影が浮き上がったので、身を固くする。テンタクル・クラウドか!? 今の俺はなんとか歩けるだけの図体のでかい鎧に過ぎない。
「阻塞気球だ」アニキがからかうような声。「石油機文明時代の第一次世界大戦で、爆撃機の侵入を防ぐのに使われた。テンタクル・クラウドにも効果がある」
気球の製造技術と、それを浮かべる水素ガスの発掘技術があるのは、神ナズだけだとアニキは付け加える。
「トラッシュレインの主要人物と話してみて思ったのは、みんな悲観的すぎるということだ」
アニキは、プラネタリウムに来る直前にも、市長たちと折衝を重ねたそうだ。この会議に始めて参加したクレナイを絶望し激怒させた、来年度のニューカムの殺害数を検討する内容の話し合いだ。
「たぶん、私が真実を教えたのが、ショックだったのだろう」
「真実?」
新事実の発覚が大量でただでさえ頭が痛いのに、まだアニキは俺に何かを言うつもりか?
「一万二千年前、シャイン・ラインを企画した人たちは、ただたんに人間を人炭に変えたわけではない。
一万二千年後、おそらく来るであろう氷河期の最中に、自動的に石化が解けて人間として復活するよう、炭素の経年劣化を利用した一種の〈時計〉を仕込んでおいた」
それは気の遠くなるような遠大な計画だった。
人類史上最強の氷河期の真っ只中で、今まで石化していた何十億の人炭が、いっせいに人間に戻るのだ。そうなるとどうなるとか。
それまで人炭に取り込まれていた二酸化炭素と一酸化窒素が一斉に大気中に放出され、オゾン層を程よく破壊し、温室効果を働かせるのだという。
「氷河が溶け、太陽光が地上へと吸収され、また草木や生き物が戻ってくる。――氷河期は終わり、また人類が繁栄する」
「確かに衝撃的な事実だろうな」とは言ったものの、俺は、どこが市長やマステドウを悲観主義にさせたのか今ひとつわかっていなかった。
けれど、気づいた。「とゆうことは、わざわざ人炭を燃やして、オゾン層をちまちまと破壊する必要はないんじゃないか? そのうち一斉に人間が復活するなら、殺さなくてすむ!
ああ、アニキ、あんたって人も!!」
俺はアニキ自身が人炭を、フロート・シェルで無理やり復活させようとしているのを思い出す。いずれ復活するのなら、破壊されるリスクを犯さなくても、気長に待てばいいではないか!
「もう遅いんだ」暗がりの中でサングラスまでかけるアニキの表情は、よくわからない。
「この一万二千年間、人類は人炭を小まめに破壊しすぎた。人炭一つ一つに含まれる窒素、炭素の量は大した量じゃない。中途半端な数の人炭の消費はオゾン層の破壊には遠く及ばず、しかし確実に数は減ったから、今や氷河期を跳ね返すほどの人炭も残っていない。だいたい人炭の自然復活の時期は、一万二千年プラスマイナス千年のずれがある」
仮に今から五〇〇年後、自然に戻る人炭があったとしよう。その人は、たった一人で、わけのわからないまま、寒さに凍えて死んでしまう。――復活は、たとえ犠牲を払ってでも、まだ何とか人間が生きていける今という時代に、行なわなければならない。
それが、アニキが明かした、この〈詰んだ世界〉の現状だった。
「カオスだ」俺はうめいた。「カオスの袋小路だ」
「単なる袋小路なら、引き返す、壁をよじ登る、壁を破壊する、手段の取りようは色々あるのだがな。今の世は、いわば触手に捕らわれているようなものだ。もがけばもがくほど、よくからみつく」
「アニキは」俺は前から疑問に思っていたことを口にする。「どうしてそんなにこの状況について詳しいんだ?」
「私はかつての、シャイン・ライン計画の参加者の一人だ」
俺はこの世界で人間が感じる大体のショックを経験しすぎて、もう死ぬまで驚きに驚けない性格になったと確信していた。
特に天空の台地チバで自分が死ぬと聞かされたとき、ショックだけど、これで俺はあらゆる事態に平静でいられる強い心を持てたな、と自負さえしていた。
アニキはいつも、俺の世界観を打ち破ってくれる。
「人類を現代の苦しみから救い上げ、はるか先にある未開の未来に投げ込んで更生させる計画に、私は賛同した。氷河期という敵があるのなら、もう人類は、互いに互いを殺しあう必要はない」
アニキは、静かに、無限の自信があるような声で言った。「私自身、自分で人炭化を志望した。そしてこの世界に普通の体で降り立ち、皆を導くつもりだった」
俺がかつて通っていた高校の前にたどりついた。
「第三高校」は、「第三号学校遺跡」と名前を変え、そこにたたずんでいた。ここだけ地面が掘り返されているので、一メートルほど下がったくぼ地になっている。
衛兵が右手を上げて挨拶をしてくる。
「ひとまず私の話は置いといて、〈ウミ〉の抜き方を教えよう。マモル、おまえはこの世界で、十二分に鍛えられたことだと思う」
ヒトはヒトの犠牲なしには何かをなしえない生き物なのだ、との言葉を残して、奥へと入っていった。青っぽい鎧が幽霊のように見えた。
着いた場所は、フロート・シェルの前だった。
「この装置は元々、人間を人炭に変える機械だった。人炭から概念鎧に変化させるのは、後の魔教導文明時代の人々が蛮族やテンタクル・クラウドに対抗するために付け加えた機能だ」
「アニキもこれを使って人炭になったのか?」
「そうだ。試作一号機でな」
機械を馴れた手つきで操作する。
魔方陣の少し手前にあったフロート・シェルが、向かって右に動く。小さな窓を並べてとりつけたようなパネルが点滅して、ずっと点きっぱなしになった。
「魔教導文明時代の人々は、せっかく作り出せた概念鎧に〈ウミ〉がたまって使い物にならなくなるのが、悩みのタネだった」
アニキが歩く。装置の前を横切る。俺よりはるかに引き締まった脚に〈ウミ〉がわずかながら溜まっているのが見て取れた。
彼は、いったん廊下の向こうに消えた。
フロート・シェルはだいたい教室の半分ぐらいの大きさで、かつて俺が勉強した教室の向かいにあった、なんの部屋か忘れてしまった教室に置いてある。
教室の廊下側の壁がほとんど崩壊しているので、大きな一つの部屋のようになっていて、プラネタリウムにあったのとよく似たタイプの照明が、天井で揺れている。
戻ってきたアニキのわきには、猫人の少年が抱えられていた。目はうつろで、しっぽはうなだれている。口からよだれがたれていて、それを気に留める様子もない。
「この少年は目の前で両親が死に、自信も暴行を受け、心が壊れてしまった。――この世界には、カウンセラーも精神科医もいない。彼はもはやヒトには戻れない」
フロート・シェルの中に押し込んだ。
がしゃん、と貝が閉じられる音がする。
「魔教導文明時代の人々は我々と同じく、概念鎧がどうゆう原理でできているのか詳しくはわからなかったが、とにかく〈ソソ〉が関係しているらしいとはおぼろげながら理解していた」
アニキが魔方陣の中央へ。ずしり、とあぐらをかいた。概念鎧の制限された稼動範囲で、どうゆう脚さばきでそうしたのか、目の前の俺でさえよくわからなかった。
「〈ソソ〉については聞いたことぐらいはあるな? 人の〈想い〉に反応する、原子と中性子の中間の物質だ。全ての〈魔法〉の、原動力だ」
アニキは、まるで座禅のような姿勢で、師匠が弟子に教えを施すような声だった。
「そしてニューカムは体の中に〈ソソ〉をためやすい。竜人の竜化や、猫人の勘のよさは、体内のソソのささやかな作用だ」
貝が、雑巾が絞られるようにうねり、つんざく悲鳴が辺りに響いた。目の前で起こった断末魔だった。
貝の合わせ目から、血が滴り落ちてくる。
アニキの脚にたまった〈ウミ〉が、急速に干上がるようになくなった。
足先にわずかばかりの水滴だけ残して、ウミは消滅した。
「気絶するなよ!」気絶しそうになっていた俺の意識を、アニキが制止する。「液体が気体になることを相転移と呼ぶが、このフロート・シェルは、貝の中に取り込んだニューカムを押しつぶし、そのときに拡散するソソをエネルギーに、鎧の中のウミを気体へと相転移させる」
アニキはヒトじゃないと思った。少なくとも真っ当な人間じゃない。人の死をこれほどまでに冷静に、科学の授業みたいに説明するなんて、正気じゃない。
少なくとも、簡単に気絶しそうになる俺のほうが、はるかにまともだ。
「今のところウミを抜く方法は、これしかない」
その救命法は、死の宣告に等しかった。
「おまえにこの事実を教えたのは、受け入れられる強い心があるとふんだからだ」
「俺は・・・」声を振り絞る。音は小さい。しかし、意思は確固たるものだ。
「俺は強い心で、受け入れない、を選択させてもらう」
これまでだと思った。アニキと肩を並べるのは、少なくとも今夜で最後だ。
明日一番に、カトレアたちといっしょにトラッシュレインに戻ろう。
しかしその前に、やっておくべきことがあった。
俺は動かない体を無理に動かし、走る。身構えるアニキの横をすり抜け・・・
フロート・シェルに体当たりした。
貝の形の機械がすごい勢いで飛ぶ。教室の壁にめり込み、がたん、と床に落ちた。
夜で動きのにぶい胴体に鞭打つ。
周りの機械もめちゃくちゃに殴って、完膚なきまでに叩きのめした。
これで、無理やり起こされてそのまま死ぬ人炭や、哀れな追い撃ちを受けるニューカムが、これ以上増えない。
アニキは黙って、俺の凶行に似た義憤を眺めていた。いや、まがりなりにも自分も助かる手段を絶ったのだから、義憤に似た凶行か。
そのままの勢いでアニキに殴りかかったとき、初めて相手は動いた。腕でふりあげた腕をつかむ、ある程度訓練を積んだ人間にしかできない動きだった。
そのまま時が止まったように、二人とも動かない。
少し俺が気を抜いたとき、アニキが腕を払った。そのままお互い後ろに下がる。
俺は肩で息をする。敏感な概念鎧が、その動きをそのままトレースした。
「マモル、気が済んだか?」アニキが、何もなかったかのように声をかける。「おまえがそれを壊しても、私にはもう一台ツテがある」
俺は返事しない。きびすを返し出て行く。どうせ、遠くはなれた神ナズ本国とかにあるのだろう。
「天空の台地チバだ」アニキは言った。「あそこには、概念鎧発電の施設と共に、ここのより巨大なフロート・シェルがある。私はそれを取りにいく」
足を止める。振り返らないものの、話を続けるのを待った。
アニキは俺に、どうゆう働きかけをするつもりだろうか?
「私はその装置を使って、人炭を復活させる試みを再開するし、気の毒なニューカムを自分のために殺すことも続ける」
挑発するようなものいいだった。まるで・・・
「俺に、それを阻止してみろと言いたいみたいだな?」振り返る。
「そうだ」
「いいのか?」しばし考えるふりをした。
怒りは「止める」と決めていた。「受けて立つつもりだけど」
公式にアニキをぶっとばせる、いい機会だ。
いいかげん、五、六発殴っておきたい出来事が多すぎた。
「しかし、さんざん、そばにいて欲しいとか抜かしてたのに、どういう風の吹き回しだ?」
「いやね」不敵な笑み。「反抗期を受け止めてこそ、『保護者』の器量が上がるものだと考え直してね」
やはりアニキは天才だ。怒りから人を笑わせることができるなんて。
「ここからは軍事的な競争だ」真面目な顔になった。俺も狂ったような高笑いをやめる。
「私は今すぐ天空の台地を確保すべく出発する。知ってると思うが、こちらは飛行機が使える。
しかしおまえは徒歩で行く。急いでも三日はかかるだろう。おまえがつくまでの間に、私は気長に人炭復活を試みたりニューカムを殺したりして待ち受けるよ」
「安っぽい挑発だ」俺はせいぜい、言い返す。
「その安っぽさでも、ヒトが死ぬ」アニキの方が、一枚上手だった。
それをふり払うためにも、さっさとこの場から去る必要があった。
「方向転換――」
振り返って歩き出したとき、彼は指摘した。「うまくなったな」
俺は苦虫を噛み潰したような気がする笑みを浮かべたのを感じた。だって、そうだろ、こんなところでほめるなよ。
「絶対におまえは私の元にまた来る」背中に浴びせる声は続く。「そして力ずくでもフロート・シェルに入ってもらう。・・・大丈夫だ。一人死なせれば、あとはドミノ倒しのように人命を消費するようになる。経験者が語るのだから間違いない」
俺は学校を後にした。司令官の弟に敬礼すべきかしないでおくべきか門番が迷っているのが、妙な優越感を起こさせた。




