17 トウキョウヘ
やってきた海によって洗われた、天空の台地チバ。その崖っぷちに、俺はいた。
一人だった。斜め前にある太陽がまぶしい。
消えろと言われて消えたものの、この島には行くべき場所がない。帰り道はあの概念鎧の畑のところにあったリフトだが、あそこに戻ると「消えろ」と言った人々と鉢合わせしそうだ。
「いっそのこと、飛び降りちまおうか・・・」
なんて冗談を七十メートルほどの高さからつぶやいてみる。生憎まだ死ぬ気はない。
しかし、飛び降りたらどうなるのだろうか? この鎧、いくら丈夫で機動性に優れているとはいっても、まさか泳げる機能まではないだろう。
手足の稼動範囲から考えて、バタ足ぐらいは何とかなるだろうが、クロールは無理だろうし、背泳ぎなんて不可能に違いない。腕を回すどころか、腕を真上に上げる動作さえ、さしつかえある。
腰を降ろすと、嫌でも自分の中に溜まりゆくウミが見える。
さっきまでひざまでの水位だったのに、今はひざ頭がすっぽり隠れてしまっている。
生きているかぎり、水かさは増し続けるとデミオは言った。ならば、俺にはあと何日の猶予があるのだろうか?
「のど、かわいてないか?」背後から声がした。
カトレアが水筒を持っていた。
概念鎧について、色々話した。
トラッシュレインの人々は、概念鎧の中の人の名前を読んではいけない習慣があること。概念鎧は植物の光合成と同じ原理で、水がないとうまくその機能が働かないことなどだ。
彼女は、自責の念がある人間がよくするように、かいがいしかった。嫌われる理由が自分にあることはわかっているけど、どうにかして仲良くしたいと思う心情が、ひしひしと伝わった。
「なあ」カトレアは、俺がそれほど怒っていないとわかったとき、本題を切り出した。ちょうど俺の上にのって、水をかけているときだ。
「アタシとか、ツバメとか、トラッシュレインのみんなとかは、別に嫌いになってくれてもいいけどさ、――ニューカム全体を憎むことだけは、やめてくれ。アタシはアカギからこっちに来るまで、概念鎧なんて名前も知らなかった。ニューカムだからおまえを利用しようなんて発想をするとか、そんなのないから」
「心配するなよ」俺は素直にすごいと思う。
この状況でも自分のことではなく、仲間のことを気づかっている。
「同じく『共犯者』のクレナイや市長は純粋な人間だろ? それに、俺が仮にトラッシュレインの人間だったら、やっぱり口をつぐんでいると思うから――」
「古代人って、偉大だよな」カトレアが感心しつつ安心した声。「少なくとも、そうゆう想像力が働く人間がいる」
俺はその想像力を働かせて、ちょっと陰鬱な気分になっていた。今かけられた水の何パーセントが、〈ウミ〉になるのだろう?
水筒を完全に逆さにし、全部水をかけきると、カトレアは俺から下りて海を見る。
「そろそろ飛び降りれるかな?」
「飛び降りる?」
「そうだよ。その鎧はさすがに泳げないけど、波に負けないで歩くぐらいならできる。それで夕方になると、この辺は干潮になって、水深が浅くなる」
ぐ、と拳をにぎり、気合を入れるように叫ぶ。風船で膨らむがごとく翼が大きくなり――
「ほら、どうだい?」
ちょっとしたハンググライダーぐらいはありそうな翼をピンと伸ばす。翼の右端から左端まで、七、八メートルほどか。
せっかく決めていたが、翼の重みで、少しよろけた。
「それで飛ぶのか?」俺は驚いて言った。
「まさか。古代人なら、生きた鳥を見たことあるだろ? こんなんで飛べないよ」カトレアは笑う。「でも、滑空ならこれでできる。あんたがアタシをつかんで翼代わりにして飛び降りれば、無事着地、って作戦さ」
「無理だな」カトレアは俺の現在体重が五百キロあることを忘れているのか?「朝使ったリフトを使おう」
「あれさ」少し顔を赤らめて、舌を出した。「あんまりにも腹が立ってたんで、みんなが帰ったあと壊しちまった」
俺らは海へと飛び降りた。
バンザイする形でカトレアの両腕をつかんで、彼女は頭の上で翼を広げて。
俺は少し破れかぶれになっていた。積極的に死ぬ気はもちろんなかったけど、別に死んでもいいと思っていた。寿命の少ない人間が抱く投げ槍な気持ちを、俺は抱いていた。
やはり翼は小さすぎた。ぜんぜんグライダーみたいにならないし、落ちて数秒後、いよいよ加速がついたとき「手を離してちぎれそう!」とカトレアがわめいた。案の定、翼が受ける空気抵抗は強く、俺の重さを支える手が耐えられなかった。
俺は離した。ちょうど海面まで残り半分ぐらいのところだった。
もちろんそのまま、海に激突した。母なる海原は俺を優しくーー受け止めてはくれなかった。水は勢いよくぶつかればぶつかるほど硬くなるものだし、そもそも水深が浅かった。
海底にめり込んで、目の前にゆがんだ砂がいっぱいに広がる。背後に首を向けると、海から背中部分が露出して、波が渦巻いていた。――つまりはそれぐらいの浅さだった。
俺はゆっくりと立ち上がる。着地の衝撃で体全体がゆすぶられ、固定された腕が痛い。カトレアがかたわらに降り立ち駆け寄る。
「お、おい、大丈夫か?」
「・・・」
「ほら、ほら、これ、何本に見える」指を三つ立てて、素早くふってくる。バカめ、ふったらまともでも何本かわかりにくいだろうが。
「なあ、」俺は少しためる。「今度からおまえのこと、バカトレアって呼んでいい?」
「な、なんでだよ!?」
「胸に手を当てて考えてみろ」
本当にそうした。あれ、本当にカトレアって、少し頭が弱い子なのか?
「その翼」両胸に手のひらを当てて、じっとうつむく竜人の少女の黙考をやめさせにかかる。
「小さくならないのか? そのままだと、歩きにくいと思うんだけど」
「ああ、しばらくしたら小さくなるよ」俺の股間のところを、無遠慮に指さす。「あんたのここと同じ原理さ」
俺は吹き出した。本当に久しぶりに、不意打ちで笑った。
「カトレアって、実は下ネタ好き?」
「ああ、結構イケル口だよ」
「てゆうか、マジでいっしょなのか?」
「この翼はほとんど海綿体でできてるんだ」しゃべっていると、翼が徐々にしぼんでゆく。「大きくなるのは血流と、あと〈ソソ〉を流し込むためだね。ニューカムはソソを体に帯びやすいから」
「ソソ?」
「人炭が発する『緑の思い出』、見たことあるだろう? あれはソソでできてるんだ。――まあ、アタシも詳しいことは知らないのだけど」
とりあえず今は母なる海から脱出を図ろう。俺は濡れないがカトレアは濡れる。
海の上を歩み始める。俺は「濡れるから」という理由でカトレアを右肩に乗せた。本人は気兼ねからか非常に嫌がったが、半ば強引につかんで座らせた。
座ってもらったとき、足首が少し腫れているのがわかった。本人は「着地のときに少しぐねった、なんでもない」と答えていたものの、不必要に歩いて悪化させるのはバカらしかった。
「カトレアはトラッシュレインに戻るのか?」俺は斜め上にたずねる。ツバメと違ってスカートは長いものの、腰周りや脚の形は濡れてすけていることもあってわかる。
「いいや、もうあそこには戻らない。みんなとケンカしちゃったし、ツバメにはひどいことを言っちゃったしさ」
「どうするんだ?」
「マモルについてくよ」とんでもないことを言ってくれた。「あの言葉はね、ツバメ一人だけじゃない、ニューカム全員の信用をなくす言葉なんだ。ニューカムがニューカムの差別語を言うなんて、アタシの村じゃ村八分にあう重罪さ。自分で自分を罰するよ」
「カトレアは罰のために、俺についていくのか?」
「一番の理由は、あんたの鎧をどうにかしたいからさ。本当にいよいよダメになったら、アタシが両腕をダメにしてでもウミを抜く。なんなら、証拠のため手形をとるかい? 爪だけど」
カトレアはおもむろに片方の腕を竜化させて、器用に薬指だけを立てた。
「爪は竜人の契約の証。傭兵なんかは、これを雇い主に渡すんだ。もし、信義に反する行動をとったら、雇い主はこの爪を公にさらしてアタシを誹謗中傷していい」
「俺は雇い主じゃないし、誹謗中傷する気もない」
「こうゆうのは気持ちだよ、それとも――こんな翼と角のついた女との二人旅は嫌なのかな?」
これは少し卑怯な言い方だった。カトレアもそれには重々気づいているようで、肩をすくめて目をそらした。
「お願いだよ」と彼女は小さくつぶやいた。
俺は、申し出を受けたときから、もう考えは決まっていた。
騙されたことには腹が立つ。
俺は一週間も立たないうちに溺れ死んでしまうかもしれない。
でも、だけど、あの砂漠で感じた孤独を、また感じるのはゴメンだった。それに、死への恐怖を、一人でやり過ごすのは無理そうだった。
「握手しよう」
俺は手を差し出した。
「握手って、初対面でするものじゃないのか?」カトレアは妙な顔をした。俺は気づいて、教えてやる。
「古代では、仲直りのときも、握手するんだ」
俺たちは手をとりあった。それは、罰と孤独が結びついた、ちょっぴり打算的な、関係だった。
「ただ、爪は受け取らないからな。俺らは友だち同士であって、雇い主雇われ主じゃないんだから」
それに、不安が一つある。
彼女が今からの俺の行き先に素直に同意するとは、到底思えないのだ。――そこはまちがいなく危険な場所だ。
「ずっと鎧の手を握ってると、だんだんマモルそのものの温度も伝わってくるな」
カトレアが口を開く。
「いくら鎧われても、同じ人間なんだよな。自分たちの都合で、利用しちゃいけないよな」
ま、大丈夫だろう。いざとなったらカトレアを説得して、トラッシュレインに帰ってもらえばいいのだ。
「それで、これからどこに行くんだい? 西か? 南か? 南は暖かいけどテンタクル・クラウドの巣があって、西には何があるかわからないけど、前人未到の地で探検しがいがある」
「もう決まってるんだ」カトレアの目をまっすぐ見つめる。真面目な話は目を見てする。自分のポリシーだ。
息を少し吸い込んでから、言った。
「俺、神ナズ軍に投降するよ。彼らなら、〈ウミ〉を抜く方法を、何か知っているかもしれない」
少し歩けば海は終わっていた。
あとは、干上がった東京湾が広がっている。
目指すは神ナズ軍の駐留するトウ共和国の首都トウリア。俺が発掘された都市であり、――かつての東京だ。
カトレアはずっと押し黙って、俺に揺られていた。何か心の中にある葛藤と戦っているのに、それを悟られまいとしている表情だった。
「よければ、トラッシュレインまで送っていくぞ」俺は提案する。彼女が神ナズを憎んでいることは、百も承知だ。
「無理してついてくる必要はないんだ。俺は自分の命を助けるため、どうしてもあいつらの元に行くけど、カトレアにはつらいだろう」
「いやいい」強情に言い張る。「これはツバメ(いもうと)とアンタをおとしめた罰なんだ。どこへでも付き合う」
こうゆう動機で旅に同行するのはどうかと思うけど、本人がいいと言うなら、仕方がない。
俺はつくづく実感する。
多少おかしくても他人の決定をあくまで尊重するのは、まちがいなくアニキの影響だ。俺はアニキの背中を見て、育ったと。
それからは、今日のうちに出来る限りの距離を稼ごうと、黙々と歩き続ける。
あいかわらずの砂の大地だった。
全ての方向が、とても見通しがよい。
砂が舞い上がる竜巻、雷をきらめかせる黒雲、昼間でもなお見える人口の月、みんなずっと眺めることが出来た。
「そういえば俺の時代に、『東京砂漠』って歌があってな――」
俺は口を開く。
「東京という都市のよそよそしさとか、ドライな感じを、『砂漠』に例えて歌ったんだよ。俺が生まれるはるか前に流行った歌だから、くわしい歌詞はわからないんだけど」
「その当時の人も、まさか本当に砂漠になるとは思わなかっただろうな」カトレアが口を開く。「古代の人は、そうゆう創造力はあるのに、本当に砂漠になるかもしれないなんていう想像力は、ないんだよな」
やがて、その当時の人が住んでいた都市の残骸が、左手に見えてきた。
横倒しになって、崩れ果てたビルが、ずっとずっと地平線の奥まで続いている。全ての建物は長い長い年月を風雨にさらされて、あるものは崩れた城壁のように、またあるものは喰い散らかされたカステラのように果てていた。
ところどころに、ツル植物の森があって、風でうごめいている。
奇妙なのは、その土に還りつつある廃墟の群れの中で、一際高くて輝く構築物があることだ。
塔の上に、きのこ雲を象ったと思われる金属の板があって、日の光を弾いている。
「アトミック教のシンボルだよ」カトレアが説明する。
「アタシらニューカムは、アトミックの光で産まれたと言われているから、アトミックを信仰している人がほとんどだ。アタシも一応アトミックの信徒ってことになってる。――神ナズと同じ神をあがめるなんて、シャクだけどね」
やがて夜になる。
見覚えのある廃船の中で休んだ。以前ここを通ったとき、飛んできた飛行機から身を隠した場所だ。
その翌日に空襲を受けて、同行していた家族がみんな死んでしまったのだった。
「なあ、あの家族を覚えてるよな? 少し戻ることになるけど、遺体を回収しに行かないか? ちゃんと埋めてやらないと・・・」
「マモル、あんたはこの世界にまだ馴染んでみたいだね」カトレアは片膝を立てて、火を枝でつついている。この船は度々旅人の宿になっているらしく、あちこちに焚き火の跡がある。
「遺体なんて食糧を、ドブウサギや蛮族共が見過ごすわけはないだろう? 一昼夜で、骨までなくなっちまうよ。それに・・・ ――ああ、聞こえてきたね」
俺にも聞こえる。
どこからか、野太い金切り声としかいいようのない声する。それはまちがいなく蛮族の声だったけど、誰かを襲っているのではなく、襲われた末の断末魔だ。
「テンタクル・クラウドだよ。あいつらは大地に生けるもの全てを襲う。アトミック様が堕落した人類に送った、『罰』の一つさ」
「俺はこの世界に来て、神様を信じなくなったよ」
俺はおだやかに言った。もしかしたらケンカを売る言葉になるかもしれない。でもそれでも、言っておきたかった。
「当然、神罰も信じない。俺の生きていた時代、たくさんの宗教があったけど、一万二千年後のこの世界ではまったく残っていないみたいだ。神社はあるけど、そこにいたであろう神様は消えてなくなってしまった・・・」
「そうだよな・・・」アルミ缶を張り合わせて作ったカップを火から上げる。あまり水を沸騰させると、消えてなくなってしまう。
「少なくともアトミック様が降臨する数千年前から、人間の文明はあった。なのにあのタイミングで出てきて、そのまま新世界の神になった。それまでアトミック様は、いったいどこで何をしてたんだ? 神様なら、人間が堕落する前に何とかすべきなんじゃないか?」
カトレアが自分の言葉に、だんだんと怒り始めた。
「よし決めた! アタシはもう、アトミックを信じない」
なぜか話が大きくなって、しかもカトレアの棄教の瞬間に立ち会ってしまった。
「でもね、問題は、アタシ個人が信じるか信じないかじゃないんだよね」
顔を曇らせる。「今からいく神ナズは、アトミックの宗派の中で、一番過激なものをあがめてる。――ニューカムを殺せ、『単一人類』しかいなかった古代の栄光を取りもどせ、ってね」
カトレアは連続したため息のように話し続ける。
「さっきの話の続きだけどね、死んだ人を埋葬しようというの、あれはこの時代じゃ、実現できないことが多い」
確かに、まさに俺たちができなかった。
「だから、無理に埋葬してしまうと、次の機会で運悪く埋葬してもらえない人に対して、不公平になってしまう。だからアタシたちの時代では、基本的に葬式はしない。埋めるにしても、畑とかに埋めて、肥料になるようにするんだ」
「死んだ人で育った米や小麦を食べるなんて、気味が悪すぎて俺にはできそうにないな」
「この世界でそんなこと言うと、気が変になってると思われるよ」
すっかり気が滅入ったので、俺はすぐに目を閉じた。
夜中に一瞬目を覚ますと、カトレアがうつむいたまま、まだ起きていた。
次の日は南からの風が強かった。南風が強いと、その日の夜にはテンタクル・クラウドがたくさん出てくる。
「急いで首都に向かわなきゃな」俺は朝一番にそう決める。「首都なら建物がたくさんあって、あの雲クラゲから隠れる場所もたくさんあるだろ」
「神ナズの連中に破壊されていなければね」カトレアはそう答えつつ、足首に包帯代わりのさらしを巻いている。さらしは、ブラジャーの代わりに使っていたものを切り取った。
「足、大丈夫そうか?」腫れは引いたように見えるが、まだ痛むのかもしれない。
「お昼ぐらいまでは、肩のお世話になろうかな」
「別に一日乗せててもいいぜ」
「それは、やめておくよ」
カトレアを肩の上に抱えた。
思えば自分の腕の動かし方も、ずいぶんうまくなったものだ。
腕を足場によじ登ってもらうのではなく、直接俺の手で肩に乗せれるまで上達した。
古代の廃船を出るとき、入り口が低くて、一度カトレアに降りてもらわなければならなかった。
二人で二度手間だと笑いあった。
「アタシら、息があってないな。普通どっちかが気づくだろう」
「俺らは普通じゃないんだ」
気がかりなことに、塩の大地を歩き始めるとカトレアはほとんどしゃべらなくなった。いくらしゃべりかけても「ああ」とか「そうだな」としか答えない。
沈思黙考、という状態の人間を、俺は久しぶりに見た。以前はアニキがよくしていた。
歩みを再開して、ちょうど太陽が真上に来たとき、カトレアが不意に俺から前へと飛び降りた。
くるりと振り向き、前に立つ。
その顔には、決意。
「なあ、やっぱりアタシ、あんたを許せない」
神ナズ下るなら、アタシを倒していけ、と竜人の少女は立ちはだかった。




