13 空のクラゲ
起こされたのは突然だった。
数十分も眠っていなかったのではないかと思うほどすぐだった。
「起きて、起きて」と鎧をたたかれて、バンバンと頭に余韻を頭に残したまま目覚めた。
「おぞましいものが来たの!」ツバメが必死に訴えた。「みんな、食べられちゃう!」
辺りが騒がしい。カンカンカンと半鐘の鳴る音がして、暗闇の中を駆けてゆく子どもの姿がよぎった。
「もしかして、『アトミック様のケガレを受けたもの』とか、そんな類いのやつか?」
「ううん。もっと怖い」長耳の少女は頭をふる。「テン・クルだよ!」
乾燥した海原を、ひときわ暗い影が覆ったのは、その時だった。
そいつは、雲に擬態していた。
雲にしてはおかしいのは、ばかげた低さを浮かんでいることだ。
大きさは二〇メートルほどで、今の俺が背伸びすれば届きそうな低い高度を、ゆっくり進んでいく。幼稚園児がお絵かきで描くような幼稚な造形で、綿あめの化け物にも見える。
綿あめでは絶対にないのは、それこそ子どもの絵に描かれる雨のように、地面に向かって無数の触手が伸びていることだ。
今思い出した。
テンタクルとは、英語で「触手」の意味だ。
底引き網のようにゆっくりと、しかし触手が地面に触れない絶妙な高さで、雲の化け物は進んでゆく。明らかに意思を持ったいる。
自転車ほどのスピードで、逃げ惑う人々を追いかけている。
狙われたのは、夜でもよく見える園児服を着た子ども兵士だ。
必死に逃げ、つまずいてこけ、その瞬間にさらわれた。少女の悲痛な叫び声があがり、それが空へと遠ざかってゆく。
雲の化け物が急速に上昇して行くのだ。
「お、おい、待てよ」と俺はうめいたが、どうすることもできなかった。
朝日はまだ遠い。
あちこちで同じように、人々がさらわれてゆく。そのほとんどが子どもで、たまに大人の悲鳴も混じる。――雲魔物は予想以上にたくさんいる。
次々と悲鳴が、空に昇ってゆく。
「くそ、動けよ、俺の鎧!」
念じていると、鎧が動く。しめた、思念が通じた! と思ったのは一瞬。
動くはずのない方向である、上へ上へと、浮かび上がって行くのだ。
胴体やわきに、薄透明の触手がからまっている。顔を見上げると、ねばねばした雲から巨大な糸ミミズみたいな触手がうごめいている。
「持ち上げるのか? 何百キロもあるこの俺を!」
悲鳴のような気炎を上げて、ツバメが踊りかかった。手にはどこから持ってきたのか、プラスチック製のナタ。
俺は無意味に思えた訓練の成果を見た。
確かにツバメは、訓練と同じように獲物をあやつり、触手をことごとく断ち切った。一瞬の自由落下の跡、地面にめり込む衝撃と音。直後にツバメも、俺の胸の上に落ちる。か細い背中が打ちつけられて震えた。
「大丈夫? 痛いところない?」痛みでしかめた顔を必死にとりつくろって、鎧に鼻先をくっつけてくる。俺よりツバメのほうが、痛いはずなのに。
「あの触手、引っぱる力は強いけど、横から切られるのには弱い。わたしみたいな小娘でも、なんとかなるときはなんとあ・・・」
ふいに舌がもつれて、くたり、と俺にもたれかかった。か細い息が、鎧をくもらせる。脂汗をかいて、足も指先もほほも引きつって、半開きの口からひきつる舌が見えた。
「ツバメ、ツバメ!」鎧に頭突きしてまでして安否を確かめる。本当は肩をつかんでゆすぶりたいところだ。
「毒が回ったんだよ!」テントの影からカトレアが飛び出す。鱗化した腕に触手をつかんでいる――触手はまだうねっている。
「この触手には痺れる毒がある! あいつらはクラゲが進化したヤツだからな。ああやって魚みたいに、あわれな獲物を仕留めるんだ」
「クラゲ? あれがクラゲなのか?」
世も末だ。波に任せて漂うクラゲが、雲のふりして空を飛び、ヒトを襲うなどとは!
「ああ、テントが!」
めきめきと音を立て、叫んだカトレアが今の今まで寝ていたテントが横転する。冗談みたいな雲の魔物の触手が殺到し、ゾウの鼻みたいに動いて、何か丸いものをからめとった。
その丸いものは、大声で泣き始める。
「赤ん坊だ!」俺は戦慄した。「カトレア、カトレア! あんたしかいない!」
触手が浮き上がり始める。カトレアは跳ね、翼を広げ、触手につかみかかる。
つかんだものの、もう一方のひときわ太い触手でたたき落とされた。
「カトレア、飛べないのか!」
「無茶言うな!」すばやく起き上がったものの、涙目。
「翼をつけただけの人間が、飛べるわけはないだろ!」
雲魔物は手を離された風船のように急上昇、同じように上昇中のお仲間にまぎれる。
ツバメが、「赤ちゃん、返してよぉ・・・」とうめいた。
「この子は絶対守ってあげてよ!」カトレアは悲痛の表情で、ツバメをたくす。「アタシは近くのテントを助けに行かなきゃいけない。竜人の鱗は、やつらの刺胞を弾くんだ!」
「待ってくれ、俺は動けないんだ!」切実な問題。「本当に、光がないと指一本動かない! 自分自身さえ守れない!」
「やつらが来ないようお祈りして、もし来たら力のかぎりアタシを呼べ。そのぐらいはできるでしょ!」
カトレアは返事を待たずに掛けていった。途中一度だけ、こちらを振り向いた。
彼女のほうも不安でたまらないに違いない。本当はツバメに張りついて守りたいはずだ。
だけどそれは彼女の戦士としての誇りが許さないのだろう。
知り合いに似ているだけで、しかも未来人の俺でさえも守ろうとするのだ。同じ時代の仲間を助けるのは、当然なのだ。
今の俺は、彼女を太い腕で覆って守ってやることもできない。
ずっとツバメの弱々しい鼓動と、空のあちこちから聞こえる苦悶の声を聞き続けた。
不幸にして、つい先日から俺は耳がよかった。空の絶望が闇に響いて地を満たす。
頭の真上についている小さな頭を恨めしくにらむ。そこには誰が頼んだわけでもない、しかし俺の無意識の産物らしい、小さな耳がくっついている。
「テンタクル・クラウドはさ、かつてアトミック様の影響で海の土砂が空に上がったとき、いっしょに巻き上げられたクラゲが、空で適応して生まれたって言われてる」
カトレアが俺のクリスタルの腕をつかんで話す。彼女の服はところどころ溶けたように破れ、手足には虫さされに似た赤い腫れが広がっている。戦いの激しさがわかる。
「空にはエサの魚がいない。もう海の中にも戻れない。だから空と海の間、地上にたくさんいたヒトを襲い始めたんだ」
徹夜で戦ったはずなのに、いや徹夜で戦った後だからこそ、カトレアは疲れなんかまったくないようなぎらぎらした表情をしていた。朝、俺がようやく腕が動かせるまでになったと同時にやってきて、「何人もの仲間を助けたよ!」と子どものように報告して、それからずっとしゃべり続けている。
アドレナリンがまだ出っ放しで、仲間を救った満足感も手伝って「もうなんでもかかって来い!」状態だった。もし俺が「そんなことよりプロレスごっこしようぜ」と呼びかけたら、二つ返事でOKしただろう。そして俺ぐらいの概念鎧の一つや二つ、簡単にねじふせるだろう。
「なあ、アタシはいっぱいヒトを助けたんだよ」不意に悲しげな声になった。「だから、赤ん坊の罪滅ぼし、できたかなぁ?」
「あんたはよくがんばったよ」俺はとにかく彼女をなだめたいと、カトレアの頭をなでようとする。でも、自分の手が大きすぎて、むずかしい。
ツバメはここから見える屋根のみの臨時のテントで手当てを受けている。命に別状はないそうで、俺がトラッシュレインに来た初日に見かけた法服姿のナースが忙しく動き回っている。
雲魔物は、幸いにしてあれ以後来なかった。
生き残った人たちが、俺の周りに集結していた。「ご神仏」たる俺を頼って、誰の指示もなしに、自然に集まる。
夜の中では役立たずであったにもかかわらず、みんなの視線に悪意はない。
それがかえって良心を責めさいなんだ。
「とにかく、もう休んだ方がいい」俺は罪滅ぼしの意識も手伝って、カトレアを気づかう。「昼間は、俺が戦えるから」
「戦うのは嫌だとか、昨日は言ってたけど」それでも、気づかわれたことでスイッチが切れたのか、急にトロンとまぶたが落ちた。「まかせていいのか? 心変わりしたのか?」
「やるよ。みんなを助けるためだったら、ちゃんと戦う」
俺は、しばらくはこの鎧を脱がなくてもいいと考えるようになっていた。もちろん最終的には脱ぎたいけれど、それはもう少しだけ世の中が平和になってからだ。
「安心したよ」しばらく俺の顔を無言で見つめていたカトレアは、不意にすべるように座っている俺のお腹の部分にもたれかかった。
「アタシのうろこも、あいつらの消化液には、敵わないからさ。――ほんと、ひどい生物だよ。さらった人を触手でくるんで、ゆっくり消化するんだ。あんな死に方をするなら、翼切られたほうがマシ・・・」
彼女はゆっくりと目を閉じる。
人が眠る瞬間を初めて見たなと、俺はぼんやり考えた。
空には地平線までうろこ雲が広がっている。風は乾いた海底の砂をそよぐほどの穏やかさだ。
あの雲のいったいどのぐらいが生き物で、とらえた人間をいくつぐらい引っ掛けているのだろうと、漠然と考えた。
「まったく、なんてざまだ!」
クレナイが悪態をついて近づいてくる。腰のサーベルが揺れないように手で押さえた、せかせかした歩き方だ。
「今回の襲撃は最悪だった。普段は多くとも十数人かそこらの犠牲ですむのに、ちょうど一〇〇人さらわれた!」
目の前まで歩いきて止まった。動かないカトレアと俺を交互に見た。
「なんだよ」俺は言った。「文句あるのか?」
「文句はない。ただ、昨日充分な防御を施した野営ができなかったのは、夕方遅くまで誰かさんが発見したコンビニの発掘にかまけていたからだ」
「俺が悪いって言うのかよ!」
「勘違いするなよ」冷静を通りこした、あきらめたような口調だった。
「文句はない、と最初に前置きしただろう。この発掘隊を指揮しているのはこの僕だ。――責任は僕にある」
クレナイはもう用は済んだと言わんばかりに回れ右。
しかしすぐに、首だけふりむいてた。
「今回のことにショックを受けず、今後もコンビニやスーパーの場所を予測できたら、すぐ報告するように。我々は掘り続けなければならんのだからな。そして願わくば夜も動けるようになって――」
俺に自分の背中と肩を見てみるよう、手で示した。両肩から背中にかけて、鋭利な刃物のようなトゲが何本も生えている。
「その新しい進化で、テンタクル・クラウドを切り裂いて欲しいものだ」
それだけ言い残して、遠くで銀色に光っている愛車に戻っていった。
「しかし、なんなんだよ、あいつは・・・」
俺は改めて自分のトゲを確認する。ほぼまちがいなく、昨日触手にからみつかれたところにトゲが生えているのだ。
「そういうやつなんだよ」目を開けたカトレアがつぶやいた。起きていたようだ。
「小さい頃はね、むしろ弱虫だったんだけど、責任感が強すぎてね。たまにあんな風に、怒りながら懺悔しにくるんだよ」
「単なるやつあたりじゃねえか・・・」
「だな。でも、誰かが聴いてやらないと、あいつ古代人みたいにストレス死しちゃうよ」
二人で少しだけ、笑いあった。
「怒っている人の話を聞くのも、竜人の掟か?」
「それは、掟以前の、アタシのスタンス」また目を閉じた。「おやすみ。今度は深く眠るよ」
俺の上半身にもたれかかって、穏やかな寝息を立て始めた。
「さて」俺はどうしようか?
改めて気づいてみれば、指示してくれる人がいないと、俺はこの世界ではどうすごせばいいのかわからない。
動こうにもカトレアが寝ているし、ツバメも同じように触手を受けた人たちとともに横たえられているから、身近に話し相手もいない。
生き残った子どもも元々数の少ない大人も、明らかに手持ち無沙汰で、あちこちに座って日なたぼっこをしている。発掘作業しようにも人手が足らず、かといって体勢を立て直すためトラッシュレインに帰るという選択も、命令がないため実行できない、そんな感じだ。
足元で昨日も見たカブトガニが走り回っている。とても臆病な生物で、人の影を感じるとすぐ遠くに逃げるのだが、動かない人間は認識しないようだ。
もしかしたらこのまま、今日一日はほとんど動かないですごすことになるかもしれない。もう朝の九時ごろだろうけど、俺自身、昨日の夜の座った体勢からずっと動いてない。明け方には興奮したカトレアのおしゃべりにずっと付き合ったし、そのまま彼女はこの眠った状態だ。
「しかし、俺なんかにもたれかかって、首が痛くならないのか?」
竜人の少女は眠ったまま。
「こんな風に信頼してくれるのは悪い気はしないけど、もし俺がマジックとかセロテープとか持ってたらどうするんだよ? 退屈に耐えかねて、イタズラするぜ」
もちろんそんな便利アイテムはなく、額に「肉」と書いたり、まぶたを固定して起きたのに目が開けられない状況を作ったりするのは、夢物語なわけだか。
「俺は本当に、ツバメの兄に似てるんだろうな。だからこうして、安心して身を預けてくれる」
独り言は硬い鎧に反射して、俺自身に返ってくる。
ヒマだ。そしてちょっとむなしい。
クレナイでもいいから誰か来ないかな、と思っていると、かしましい声がした。
「カートレアー!」
ネコ娘の声だ。
「むむ、君はマオのカトレアに何をしたのですな!」
よりにもよってこいつか。これならまだ、デミオあたりのほうがマシだ。少なくともあいつの話は、知識が増えないこともない。
「まさか一服を持って身動き取れないようにして、今まさにイタズラしようという現行犯を、マオは発見したのですな!?」ネコの思い込みは確信へと変わる。
「やい鎧、ひざまずけ、命乞いをしろ。『許してくださいお代官様』と、古代の時代劇みたいに嘆願するのな!」
「古代の時代劇って、江戸時代がテーマで、桜吹雪とか印籠とか出すあれか」
「マオの人相見の技術を舐めるなよ」彼女のつんと立った鼻先が目の前に。「その顔は、女の子にイタズラをたくらんでいる時の顔! 神妙にお縄につくな!」
イタズラについて考えてたことは事実なので、これには言葉がつまった。でも絶対、俺が考えるイタズラとおまえが妄想してるイタズラは、大人と子どもぐらいの違いがあるぜ?
「着衣の乱れ確認!」
そんな名目で、服をべたべたとさわり始める。やばい、こいつのことだ。自分で乱した着衣を俺がやったと言いかねない。
「おい、カトレアが起きるだろ。それが、昨日夜通しで戦った戦士に対する、あんたの流儀か?」
「まさか!」キンキンとした声に反して、目はすっと精密機械のように細められる。目の動きは、ネコのそれだ。
「その戦士に昨日命を助けられたから、こうしてお礼にきたのな!」
よく見たらミーアの腕や脚にもカトレアと同じような赤い腫れと、クスリを塗ったようなテカリがある。彼女も戦ったのだ。
「カトレア、カトレア、起きてマオのお礼を受けるのです!」
「やめろって」
ほおをたたいて起こそうとしたミーアの胴体を、巨人が人間にするみたいにつかむ。胸が、ぐにゅり、とゆがむ感触が親指と人差し指の間で起こって、あわてて離す。やっべ、セクハラとパワハラを同時にやっちまったか? パワハラは文字通りの腕力だけど。
「もう!」指からすり抜けたミーアは胸を抱くように押えたけど、特に取り乱したり恥ずかしがったりはしない。俺と半裸で水浴びをしたカトレアといい、未来じゃ性に大らかだな。
「助けられたんだって?」俺は親指と人差し指の間の感触をふり払うような早口。「昨日の、テンタクル・クラウドか?」
「そうな。あいつらは音もなく忍び寄るから、猫人の耳でも発見が遅れがちな」
「どんなお礼を、するつもりな?」ああしまった、俺もこいつの変な語尾がうつった!
「もちろん、誰もが喜ぶこと間違いなしの『マオを一日抱っこできる権利』な!」
「なんだ、その微妙なお礼は!?」男の俺ならともかく、カトレアにはむしろ迷惑じゃ・・・ いや、男の俺もこんな小うるさいの遠慮したいが。
「ネコを抱いて顔がほころばない人間は、この世にいないな!」
俺は少なくともほころばない人間をひとり知っている。
アネキは猫アレルギーで、俺が小さい頃に自分の通学路にいる猫をかたっぱしから蹴っ飛ばして、自宅~学校間から猫を一掃した。
「ふかふかな、ふかふかな」ミーアがうっとりした表情で自分のしっぽの先をなでている。俺が今年見たもっとも自己愛の強いヒトの顔だ。
「自己陶酔中悪いけど、毛が落ちてカトレアの服についてるぞ?」
「むむ、そんな言いがかりをつけるなんて、さては君、マオの抱き心地を知らないな?」
「いや、言いがかりじゃなくて、下見ろ。橙色の毛が落ちてるだろ?」
「警官が質問したんだから、答え以外を言っちゃダメな!」
獣耳の間にのる帽子を指さす。俺にはその帽子、警備員のそれとまったく見分けがつかないんだけど?
「さあ、質問に答えるな!」
俺はこいつの語尾を脳内で「にゃ」に変換することにした。でないと否定形に聞き違える。
「マオの抱き心地を、知っているか否か?」改めての質問。
「知るわけがない。昨日会ったばかりだ」
「ネコを継ぐものとして、人間にうまく抱かれる角度、仕草、体位は本能レベルで知ってるな!」
胸を張る。「くやしかったら君もいっぱしに活躍して、マオの寵愛を受ければいいのな!」
もう、どこからつっこんでいいかわからない。話の趣旨はどこ行った? そしていつ俺が悔しがった?
「おや、病人の声がするな」カトレアの目覚めの第一声に俺はふいた。「今回は重症のようだ。殴る蹴るの荒療治が必要かな」
「ななな、ひどいなー!」
「ひどいのはミーアだ」目をぱちりと開ける。「少しは眠らせてくれ。昨日はいっしょにあんなに戦ったのに、ミーアは眠くないのか?」
「マオは古代のネコたちと同じように、毎日一日十五時間睡眠を実施してるから、いざとなったら元気ハツラツ状態な!」
とゆうことは、普段はほとんど仕事してないってことだな。
「ほら、これあげるから」カトレアは腰の、ビニール袋を溶接して作ったポーチから缶詰めを取り出す。ふちが錆びているものの、かなりいい保存状態だ。
ミーアのオッド・アイがきらりと光る。
「ツツツ、」口を釣られた魚みたいにぱくつかせた。「ツナ缶にゃ! どこでそんな貴重品を?」
「昨日のコンビニ跡で見つけた。これあげるから、抱っこをさせてくれるお礼はまた今度で」
ネズミを狩るネコみたいな手つきでひったくると、ミーアはそのまま走っていった。彼女を本物のネコにして動画に撮って、キャットフードのコマーシャルに組み込んだら、ぴったりの映像になりそうな勢いだった。
「猫人仲間に自慢しに行ったんだよ」カトレア。「この世界じゃ缶詰めは自慢になる。食糧だけじゃなくて、金属資源だし、インテリアになるし、貨幣の代わりにさえなる。古代の缶詰め工場を発掘して億万長者になった男のおとぎ話は、世界中にあるんだ」
ま、そんなこと関係なしにアイツはとっとと食うだろうがね、とカトレアは付け加えた。
「そういえば、失礼な質問になるかもしれないけど――」俺はさほど知的好奇心旺盛というわけじゃないけど、この世界で疑問に思うことは質問しておく習慣が身についていた。
「猫人のごちそうって、やっぱキャットフードなのか?」
「確かに失礼な質問だな」特に気分を害したわけでもなさそうだが、そっけなく答える。
「それは、アタシたち竜人をトカゲと見なして『蛾を食べるのか?』と聞くようなもんだ。人間のごちそうが、ニューカムにとってもごちそうなんだ。同じ『ヒト』なんだから。
もっとも、この時代のヒトはキャットフードでも喜んで食べるけど」
「食事、あんまり取れてないみたいだな」
「ああ、忌々しい氷河期のせいで、年々温度が下がって、作物が取れなくなってきてる。――このままじゃ近い将来、本当に飢饉でもないのに蛾を食べなきゃならなくなるよ」
マステドウが、なんだろう、とてもうきうきした足取りでこっちに向かってきている。まるで中学生になりたての女の子が、親にねだって買ってもらった新しい化粧品をつけてプリクラを撮りにいくみたいな足取りだ。
「学者先生、短い夏で暑気あたりを起こしたのかな?」カトレアが口笛を吹くように言った。また眠れそうにないので、ちょっと機嫌が悪い。
「勝負じゃ、古代人」やってきた先生の手には、裏側が茶色い渦巻き模様になっているカードの束が収まっていた。――俺はこのカードを知っている。
石油機文明時代には、大都市ならゲームショップやアニメグッズの店が集まっている地区があるものだけど、かつてのトラッシュレインにもそういった「濃い」場所があったそうだ。
「ワシの学位論文はな」マステドウが語りかける。「石油機文明時代のオタグッズのパッケージに描かれた萌えイラストの目の大きさの比較じゃった」
「へえ」その研究をする意義はまったくわからないけど、ちょっと興味はある。「結局、どうゆう結論が?」
「うむ。何事もほどほどが一番だということじゃ。乳の大きさと同じでな、中庸のキャラが一番人気が出やすい」
それでマステドウ先生は、そういった場所を発掘していく中、かなり保存状態のいいトレーディングカードゲームのパックをよく見つけた。
このパックはポテトチップスの袋に似た材質で、水や湿気をよく防ぐから、長い年月がたったあとも中のカードは無事だった。
先生はカードゲーム関係の記事を集め、不完全ながらもルールを復元する。そして独学で遊び方を研究した。
そして今回、またコンビニ跡でトレーディングカードが見つかって、しかも俺がそのカードを知っているとわかったので、勝負を挑むことになったのだった。
「みな気落ちしておるし、催し物にはちょうどよいじゃろう」
俺はわたされたデッキ(山札)を手のひらの上で広げて確認する。今からやるカードゲームはカードの種類が膨大で、自分の知っているカードじゃないとうまく扱えない。これは――大丈夫だ。懐かしいイラストがたくさんある。
「大丈夫だ。このデッキ、扱える」
マステドウは賭博師のような笑み。「これでようやく、一人対戦から卒業できる」
周りの目ざとい子どもたちが、何か楽しそうなことが始まるとかぎつけてもう集まってきた。
強く、はしっこい子どもたちだと感心させられる。昨日の今日であんなことがあったのに、ぜんぜんめげていない。
「さて、古代の格言で、『生き物は親を越えるもの』という言葉があったそうじゃが・・・」
マステドウが言うその格言は知らないが、ありそうな言い回しではある。
「『未来人』であるワシが、古代人に負けると思うなよ?」
「古代じゃな、人と対戦せず、自分の頭の中だけでプレイして強くなった気でいるやつを、エアプレイヤー、略してエアプって蔑んでたんだぜ?」
対戦に関して、困ったことが一つ。現在の俺の指は、カードみたいな薄っぺらなものを扱うのがまったく不可能だということだ。
結局、俺の足の間にカトレアが座って、彼女の手札を俺が見つつ、プレイングを指示することにする。カトレアはもちろん古代文字なんぞまったく読めないし、それどころかカードの上下もよくわかっていなかったので、一苦労したが。
「なあ」対戦を始めてからニターン目のカトレアの文句。「もうちょっとゆっくりやさしくやってくれよ。あたしにはあんたが、客にばれないよう手品をしているとしか思えない」
「このカードゲーム、ルールがややこしいんだよ。カードに書いてある説明だけじゃ不十分だから、有志がネット上に詳しい説明を書いて、そのホームページを参考にしながらゲームしてたぐらいなんだぜ?」
「しかしワシが思うに」先生は分析する人特有の思案顔。「そうやって自然に物を調べる機会があったから、古代人は頭がよかったのだと思うぞ」
その先生ときたら、「カードゲーム会社がなくなった今ではこのワシがルールじゃ!」と頭の悪いことを言って、俺の時代では強すぎて試合で使用禁止になっていたカードをやたら使いまくったし、俺自身もルールを忘れているところがあって、その場合はカードのテキストの解釈について延々と先生と議論する羽目に陥る。そうするとギャラリーのお子様たちから「早くバトルを続けて!」と野次が飛び始め、しかしこのまま先生の言い分を飲んでしまうと俺が負けるのでねばって、ついでにカトレアも「手札をずっと持ってるのがしんどい」と愚痴り始める。
「あんたに見えるように掲げなきゃいけないから、腕が疲れるんだよ」
それでも、久方ぶりのカードゲームは、本当に楽しかった。
この時代に来て、あまりにも色々なことが起きすぎて、自分の神経がくたびれている感覚があったけど、いい気分転換になった。
ここ数日で耳にこびりついた音が聞こえてきたのは、もう一回対戦しようとデッキをシャッフルしていたそのときだった。
かすかな音だった。最初は俺にしか聞こえなかった。カトレアは「カードをきる」という動作がまったくできなくて地面にちらばらせたところだったし、耳のよい長耳族であるはずのマステドウ先生も、ギャラリーの子どもに石油機文明時代のうんちくを語っていた。
「飛行機だ!」俺は叫んだ。「早く避難を・・・」
『とらっしゅれいんノ皆様!』風下から飛んできて急上昇した飛行機は拡声器で呼びかける。
『コチラハ神なず軍、〈神聖なちずむ合衆国軍〉です! 皆様ノオ仲間を助ケマシタ!』
もう一機の飛行機――プロペラエンジンが二つある、この世界で見た一番大きな乗り物――が地面にぶつかるぎりぎりを飛んで、大きめの袋を胴体の下から切り離した。
その袋が風呂敷をほどくように開かれると、中から人々があらわれる。少し離れたところで見守る人々から、どよめきが起こる。
「昨日さらわれたヒトたちだ・・・」カトレアがわなわなと口を押える。地面に拾ったばかりのカードがまた散らばった。「帰ってきたんだ! テンタクル・クラウドの触手から戻ったんだ!」
カトレアが駆け寄ると、つられて何人もの人が走り出す。その上を飛行機の影がよぎった。
俺には何が起こっているのかわからなかったし、学者先生はもっと深刻に物を捉えていた。
「はて、どんな企みがあるのやら・・・」
『とらっしゅれいんノ皆様!』飛行機は飛ぶ。胴体の横にくっつけた拡声器に振り回されるように旋回し、市民病院跡の上空へ。
『人類共通ノ敵てんたくる・くらうどヨリ取リモドシタ諸君ラノ同胞ヲ、贈リ物トシマス。ナノデ、慈悲深キ我ラガ指揮官ノ声ニ耳ヲカタムケラレタイ!』
今から驚くことが三つ起こる。うち二つはこの場にいる全員に関係があって、最後の一つは俺個人的にショックを受ける事柄だ。
病院跡の、ややかたむいた屋上に、大きな影が躍り出る。その影は明らかに何十メートルも跳躍してそこに現れたのであり、日の光を浴びて光ったとき、まだ地面にはジャンプのときたった砂ぼこりが舞っていた。
「鎧様だ」近くでカードの対戦を見学していた猫人の男が口をわななかせる。「鎧様が、もう一体いらっしゃる・・・」
その鎧は俺よりはるかに洗練されていた。
卵形の胴体をした俺が、敵役かせいぜい味方の三枚目に過ぎないとしたら、躍り出た鎧は明らかに主役がまとうものだった。
長い手足に、武者鎧のような胴体。肩、腕、脚、すべてに鍛え抜かれた人間の筋肉のような盛り上がりがあり、頭も西洋の兜をかぶったような造形でちゃんとついている。俺と同じくほぼ透明だが、ちょっと青みがかっている。身長はこの位置からはわからないが、たぶん、俺より少し高いぐらいだろう。
「いったい、どんな人間なんだ・・・」俺は必死に目を細める。双眼鏡とか、あるいはスマートフォンのカメラのズーム機能とかが、欲しくなる。
否応なしに印象に残るのは、俺と同じく神経みたいなものが鎧中に通っているのだが、それがどくどくと音が聞こえそうなほどに脈打っているところだ。
「俺より新陳代謝がいいのかな?」俺は軽口をひとりつぶやく。言い知れぬ不安感があった。
周りではずっと、爆弾が近くにあるかのようなひそひそ声があちこちで起こっていた。なぜ、どうして、神ナズも鎧様を使っているというのか?
袋から出てきた人を介抱していたカトレアも、ぽかんともう一体の鎧を見上げている。
新たな鎧の登場。これが一つ目の驚きだ。二つ目は、新たな鎧の演説とその内容だ。
「私は、神ナズのトウ遠征軍の総指揮官を務めている男だ!」拡声器にまけない、拡大された声だった。特殊な鎧だ。
「提案があり、この場にはせ参じた!」
物議をかもすのはこの提案内容だ。
「戦いを終結させあなた方の命を救うため、あなたがたには私の奴隷になっていただきたい!」
どよめきが広がって軽い混乱になる。声は確かに聞き取れたものの、意味をちゃんと飲み込めず、周りに「どうゆう意味?」と訊ねるヒトがたくさんいた。鎧が現れただけでもショックなのに、その鎧がわけのわからないことを言っているのだ。
ただ、マステドウだけが「そう来たか・・・」とうなるように首をすくめた。
俺はあの男の第一声を聞いたとたん、心の余裕を全くなくしてしまっていた。あまりにも心が狼狽しすぎて――声の正体を確かめたくて、内容なんぞはなからシャットダウンだった。
「・・・アニキなのか?」声に聞き覚えがありすぎて、かえって現実感が微塵もなかった。
「いや、他人のそら似の可能性も・・・」
「マモル」素っ頓狂な提案をした直後とは思えない、やさしく、懐かしみのある声。
「無事でうれしい。おまえも鎧をまとう素質があったのだな。私の弟なのだから当然と言えば当然だが」
屋上からアニキが消えた。ちょっと陳腐な言い方かもしれないが、手品のようになくなった。ただ、屋上の海が干上がってできた塩がちょっと舞っていたので、もしかして飛び降りたのか? ぐらいの予測はついた。
アニキは飛び降りたのではなかった。飛んだのだった。次に見たのは、光を一瞬反射させ、自由落下中のアニキの、ひきしまったクリスタルの脚だった。
直後、瓶の中で一本だけ残ったツマヨウジのように俺はゆすぶられた。すさまじい衝撃が走って、地面をバウンドしながら転がる。視界が空と地を交互に代わり、胴体にたまっていたウミがぐるんぐるんと周り、ついでに色々なところにガタがきたのかウミがあちこちから噴き出した。
モノレールの高架の柱を三本ほど折り、ようやく止まった。
このときはもう半分気絶していた。
「聞くところによると、諸君らはこの卵型の鎧を信仰しているようだが――」
アニキのひょうひょうとした海が浮上した大地に響きわたる。
「今からこいつを倒すので、そしたら私を信仰していただきたい」
俺みたいにごてごてとしない、滑らかな足音が響く。十数メートル先で、猶予を与えるように止まったのを、俺は横向きに倒れた体勢で確認した。
「ヒトの信仰をかけて、勝負だ、弟よ」
わけがわからないものの、俺は条件反射のように腹を決めた。
選択肢は一つだった。




