9 緑の過去
アトミック様が降臨した「シャイン・ライン」。その痕跡はすぐ近くの地層にも残っている。
「ほら、ここの地層、色が変わっているでしょ?」
竜人の女先生が、塹壕のように掘り返された地面の、土の壁に伸びる黒い線を指さす。ずっと向こうまで続いている。
「ここが、シャイン・ライン。この下の地層からは石油機文明時代の遺物がたくさん発掘されて、この上の地層からは人骨や人炭がたくさん出る。」
俺が指でさわろうとすると、「あまりさわらないほうがいいわ」と注意した。
「ケガレがうつる。概念鎧を着ているとはいえ、不必要に触れるのはよくないわ」
ひどく磨耗してつるつるになった十字架をたてて、箒の残骸にしか見えないステッキを振る地鎮祭らしきイベントが行なわれた後、発掘が開始される。
時間にしたら午後三時過ぎごろだろうか? 子どもたちも動員しての発掘作業で、場所は学校跡からしばらく歩いたところにある、迷路みたいに地面が掘り返された一画だ。
「おそらくアトミック神降臨直後に海から吹き上がった大量の土砂が、この黒い地層を形作ったのだろうと、ワシら学者は考えておる」
発掘現場にはマステドウも来ていた。着物のような服の上に、釣具店で売っていそうなポケットがごてごてついたベストを羽織っている。
「この黒い線が形作られた時期、すさまじい数の動植物が絶滅した」
マステドウは語る。「そのため、この黒い線を地質学的に〈S―L大量絶滅境界線〉と呼んでおる。S―Lとはシャイン・ラインの頭文字じゃ」
S―L大量絶滅では、それまで人間の身近にいたたくさんの動植物がいなくなった。
スズメ、ハト、カラスなどの鳥は絶滅した。人間からもらうエサや残飯に頼って生活していたから、人間の数が少なくなるとエサも必然的に減ったからだ。
同じ理由でネズミも激減した。シャイン・ライン直後、人間の死体を漁ってものすごい数が増えたものの、死体が減り、また飢えた人間に逆に食糧として狙われるようになると、ネズミ算式に増える繁殖力もおよばなかった。
動物園にいた動物たちもいない。世話をする人がいなくなったし、もともと環境破壊や狩猟で数が減っていた種族が多かったから、文明崩壊後の気候の激変などとても生き残れなかった。
同じように厳重に保護されていたクジラ・イルカなどの海の哺乳類も絶滅した。シャイン・ライン後の深刻な食糧難の中、人間が食べるはずの魚を食べるクジラやイルカは「害獣」と認定され、徹底的に殺され(ついでに食べられ)、海から消えた。
人間にとってパートナーともいうべきイヌやネコもこの世界では存在しない。ネコは太陽の光が覆われて急速に寒冷化した三ヶ月と三日の間に、肉と毛皮欲しさの人類に狩りつくされた。
イヌは少し違った形で絶滅する。身近にある蛋白源として食糧になることもあったけど、ほとんどは軍用犬として死んでいった。
警備犬や地雷探知犬、最後には背中に爆弾を背負った犬爆弾として。人間に忠実で依存していたイヌは、その個性のおかげでネコよりは長生きしたものの、結局は使いつぶされた。
周りでは子どもたちが、ハンマーとノミで地面を削る音がする。
話が一区切りつくと、マステドウは俺が生きていた石油機文明時代でさえ年代ものだろうキセルに火をつけた。紫煙が俺の透明の鎧にまとわりつく。
「あの山に生える草も、おぬしの知るものはほとんどないじゃろう」
背後にある、くすんだ緑の山並みを小さなアゴでさす。
「人類にとって一番の痛手は、木々がなくなったことかのう。アトミック様降臨の折の突風でほとんどなぎ倒されてしもうたし、種子として生き延びたものも、食料難のおり若芽のときに狩りつくされてな。――今、山を覆っているのは、おぬしの時代では雑草と呼ばれていた植物が進化して巨大化したものじゃ」
山に目を凝らしてみると、確かに見慣れない感じがする。・・・あれは、俺の感覚では山じゃない。でっかい丘だ。それも、自分が小人になって丘を見たら感じるであろう、草の生え方だ。
「森を守る、という発想はなかったんですか?」俺は訊いた。
「あるわけがない」年を重ねたものにしかできない笑みを浮かべる。「食うに困っておったのじゃ。自然保護というものは、満ち足りて始めてできる趣味の一種じゃ」
「トヨタが見つかったぞ!」向こうで声がした。「白いヤツだ。人を集めてきてくれ!」
「出番じゃ、鎧どの」マステドウが鎧をつつく。「お主は絶滅動物の講義を聞くためにここにおるわけじゃないぞ? あくまで力仕事担当じゃ」
発掘作業に参加したせいで、泥だらけになった竜の腕を振り上げて、カトレアがよってくる。自分に何をしてほしいのか、察せられた。
「トヨタ」という言葉は、この世界では自動車全般のことを意味する。
もともとはちゃんと「車」という単語があったのだが、トヨタ製の車がたくさん発掘されるため、いつのまにか車=トヨタになってしまったのだそうだ。
そういえばかつて旅行好きのアニキに、アフリカの一部で「四駆=トヨタ」と呼ぶ現象が起こっていると聞いたことがある。それと似たことが、はるか未来でも起こっているようだ。
今回発掘されたのは「ニッサンのトヨタ」で、まだお尻の部分しか発掘されていないからなんともいえないが、バンに似た乗用車のようだ。
「そっち持って、こっち持つから」カトレアが荒縄を差し出す。
俺もニッサンのトヨタにくくりつけられた荒縄を持つ。頭から田んぼに落ちてめり込んだような状態で埋まっているのだが、そこを上から一気に引っぱり、掘り出す手間を省く作戦だ。
俺の前にはカトレアとツバメが、後ろには俺が授業を施したクラス中の子どもたちが、同じように縄を持って待機している。
気分は童話の「おおきなかぶ」だ。
車が埋まっている辺りに水がかけられて、土をやわらかくする。カトレアの「せーの」の声で、一気に引き始める。「いちに、いちに」と、運動会のような掛け声。
事実、発掘は一種のイベントなのだろう。ツバメはもちろん、カトレアのような上級生も含めて、みんな楽しそうだ。
泥が盛り上がり、車体が少しずつ出てくる。まもなく泥をまき散らせて、引きずりだされた。
「あんたがいると、でかいトヨタもあっという間だな」カトレアがうれしそうに俺をこぶしでたたく。俺は発掘された車を凝視する。
・・・このシルエット、見たことある。白い車体はだいぶくすんでいるし、赤色灯は割れてなくなっているものの――
「ほお~、めずらしい」マステドウが感嘆の声。「完全な形の救急車は、ワシも初めてじゃ。デミオが大喜びするじゃろうな」
発掘された救急車に、つぎはぎだらけのプラスチックのバケツで水がかけられる。ゴミ掃除に使うというよりゴミそのものにしか見えない箒やデッキブラシで、泥が落とされてゆく。
「ぼろい道具、と思うとるじゃろ?」
マステドウが俺に観察眼を発揮する。「先祖のお古を新品のように大事に使う。これが今のワシらの生活じゃ」
救急車は、赤色灯と前後ろのライトが割れ、サイドミラーとナンバープレートがない以外は、ほぼ完全な状態だった。傷だらけになって曇りガラスのようになっているものの、フロントと左右のガラスもヒビ一つない。
「中、のぞいてみようよ」ツバメが救急車の後部ドアにふれる。黒い色ガラスで中は見えない。「医薬品が残ってるかも!」
「じゃあ、処女車を開く栄誉はMVP様に」カトレアが俺に会釈しながら身を引いた。「石油機文明時代では、MVPって言い方をするんだよな? その日一番に活躍した人を」
「うん。いい考え」ツバメも同意する。「あなたがいなければ、引き上げるのに夜までかかってたよ。――あなたが、最初」
「処女車」妙な言葉に引っかかりながらも、お言葉に甘えることにする。救急車は今の俺の身長よりずっと低いので、扉に手をかけるのにしゃがまなければならない。
実際、救急車って外から見かけたことはあっても中はほぼ見たことないから、結構楽しみだ。
たぶんツバメやカトレアも、こうゆう古代の遺物を発見したとき、宝箱を開けるような喜びがあるのだろう。
それを譲ってくれたからには、ちゃんと小さな取っ手に指をかけ、慎重に、でも周りで見ている人たちをあまりじらさないように、あけるのがベターだろう。
ドアは固く、一瞬救急車が車体ごと持ち上がる。それでも力を入れたり緩めたりしていると、ドアがミシリとすきまをつくった。そのままあける。砂ぼこりを落として、ドアが上がる。
そこにはタンカに縛り付けられた、ミイラが鎮座していた。
一万二千年ぶりに日の光を浴びたらしいそれは、解放の瞬間を待ちわびていたようだった。光を反射した土ぼこりの中、亡くなるその瞬間の苦痛を長い時をかけて醸成して、最初にあけたものに襲いかからんと、一万年にわたって待っていたようだった。
そんな「気」が、鎧ごしにも感じられた。
指先を見てみると、タンカに無数のひっかき傷があった。・・・しばらくは生きていたのだ。
ツバメが口をおさえ、カトレアが目を閉じて合掌をしていた。
俺も、目を閉じて黙祷した。誰も何も言えなかった。
「ほれ、お祈りもほどほどに」最初に口を開いたのはマステドウ。「早く遺体を収容して、救急車を調べるぞ。優れた医療機器が、あるかもしれん」
急にサイレンが鳴ったので、度肝を抜かれた。古代の救急車が眠りから覚めたのかと思った。
だが他の人には、違う意味での戦慄だった。
「空襲警報だ!」カトレアが叫ぶ。「子どもたちを廃墟の中に!」
カトレアの叫びは、ほとんど間に合わなかった。
まず目についたのは、迫りくる二本の土柱だった。
まるで魔法のようだった。数メートル先であがった土柱が、一糸乱れぬ間隔と速さで次々と生えて、綱を持っていた子どもたちを覆ってしまう。
これが機銃掃射というやつかと気づいたのは、上空を飛行機の陰が横切ったからだ。
直後、違う場所で火柱が上がった。爆弾が落とされたか、放たれた弾丸が何かに引火したか、そこはわからない。飛行機は複数いる。
カトレアが何かをわめいている。竜人の先生がどこからか弓を取り出して引き絞っているのを見て、俺は我に帰った。
いかにプロペラ機といっても、弓で撃墜は無理だ。
「やらないよりマシでしょ!」構えられる弓を手で覆ったとき、キッとにらまれる。
あらゆる声が、轟音でほとんど届かない。誰もが身振り手振りで、物陰に伏せるように促している。あの先生がまた、弓をつがえているのが見えた。
そうかと言って、無力なのは俺も変わりない。飛び道具を持っておらず、隠れる場所も知らない。ツバメやカトレアがやっているように子どもらを安全なくぼみに誘導することも無理だ。この図体は小回りが利かないし、だいたい、この鎧は中で声がくぐもって、遠くに呼びかけるのが容易ではないのだ。
飛行機のうち一機が俺に来る。他の誰でもなくて、この俺を狙っている!
近づいてくるとわかる。昨日、家族を、女の子を、ひき肉にしたヤツだ! 主翼の部分に火花が走った。
ガンガンガン、そして、飛行機の通過する音。衝撃で固定された全身が揺れるものの、俺はすぐに気づく、鎧は確かに進化している!
昨日はひどいヒビが入ったのに、今日はちょっと黒ずんでへこんでいるだけだ。鎧はただたんに厚みが増しただけじゃない。確実に打たれ強くなっている。
俺は自信が少し湧き、自分のやるべきことに思い至る。いわば直撃が気付け薬になったのだ。この鎧は盾に使える。ネズミのように動いて、すき間に逃げ込む必要はない!
転がる子どもたちの中から、必死に救うべき相手を探す。
風きり音が鳴ったのは、目をこらしたのと同時だった。
空気を裂く音は一瞬で、目の前が爆裂した。ドアが自分にぶちあたったから、救急車がこっぱみじんになったことはわかった。そこまでだった。
この鎧は飛んできた弾や破片なんかは防いでくれるが、ぶつかったショックを完全にやわらげてはくれない。当たり所が悪いと、それだけでブラック・アウトに一直線だ。
「あんたが石油機時代について教えた子どもたち、ほとんどダメだった」カトレアが言った。
「密集してたのがまずかった。最初の機銃掃射でほとんどが犠牲になって、あんたも気絶した第二波の空襲で、一掃された。今はちょうど、バラバラになった遺体を集めている」
すぐ向こうでは、生き残った人たちが広げられた毛布で遺体を運んでいる。ツバメが赤ん坊を背負ったまま、腕に腕をかかえて小走りで進み、そのすぐそばでは竜人の女先生が泣きくれていた。横でマステドウがついて、何かを言っている。――鎧越しでは聞きとれない。
「幸い、もう夜だから空襲はないだろう」救急車発見の連絡を受け呼び出されたのに、思わぬ悲劇に遭遇したデミオはしかし、慣れた感じで冷静な分析をした。「夜間飛行の技術は、失われて久しい」
「なあ」俺は今思いつき、どうしても聞かずに入られない質問を口に。「あんたら、どうして戦争してるんだ?」
「私にも正確な理由はわからない」
「わからない?」
マステドウも俺の質問に気がついて寄ってくる。「何百年も前から断続的に戦は続いておるよ」
「今はおしゃべりのヒマはないよ」通りかかったカトレアがうながす。「何のために、急いで遺体を集めてると思ってるんだ? 夜にはドブウサギが出るんだよ」
ドブウサギ。昨日も聞いた単語だ。
「ドブウサギは、でっかい肉食のウサギじゃ」マステドウ。「夜行性で、人も食う。この動物のおかげで、ワシらは夜は地上で眠れん生活じゃ」
俺は、とりあえずは彼らに従うことにする。この何も知らない世界で生きるには、幼児の意見でさえ従うべきだ。
死体を背負って欲しいと頼まれたものの、俺にはとてもできなかった。
自分が殺したゴキブリもようさわれん男なのだ。
急ぐ帰り道。ボロボロの布ややぶれかけたスーパーの袋に小分けにされた遺体を、カトレアやツバメ、マステドウまでがかついでいるのに、俺は手ぶらだった。
スパイクのついた足が地面にめり込む音を、静かに聴きながら、廃墟の中心部を目指す。
罪悪感は一歩ごとに増す。
神社には戻れなかった。
日が暮れたのだ。
「今夜は、ここの三階に泊まるよ」
カトレアが指さしたのは、昨日本を発掘したセンター街の一画だった。カトレアやツバメはともかく、俺の進入できる大きさの出入り口を探すのに苦労した。
半地下の駐車場から建物の内部に入り、業務用エレベーターの跡を利用して取りつけた即席の階段を使った。
三階に出ると、すでに天井がなくなっていた。空には砂金を散らせたみたいに星が輝いていた。この世界で生まれなおして、唯一、いいと思う光景だ。
正面、北の方向には山脈が広がっていて、そのふもとの右にずれたところには俺のいた神社がある。学校はそこから左、少し標高が下がったところだ。まだ何とか立っている廃ビル同士にはつり橋がかけられていて、自由に行き来きできるようになっている。
暗くなってよく見えない地上に、ひょこひょこと列をなして跳ねるものを見た。あれが、ドブウサギだろうと、すぐにわかった。かなり俊敏なものの、跳ね方はウサギのそれだ。
「今夜はあいつらにとってパーティだな」カトレアがにがにがしげにつぶやいた「回収しきれなかった死体がたくさんある」
回収した遺体は、俺らの泊まる部屋の向かいにある大きめの部屋に安置してある。かつては献血ルームがあったと、マステドウが説明した。
「この部屋を見ると、いつも悲しい気分になる。昔は血がただでやりとりされるほど、豊かじゃったんじゃな、とな」
そのマステドウもデミオも、今日一日の出来事の事後処理があると言って、つり橋を渡って向こうのビルに消えている。
ここには俺とツバメとカトレア、それに赤ん坊の四人しか残っていない。
傾き、半分埋まった廃ビルの群れに風が吹き当たり、怨霊のような音が鳴っている。同時に町のあちこちから、氷がきしむような音がたち、それは夜が進むに連れて増してゆく。
「建物の鉄骨が、寒さできしむ音だよ」カトレアが説明する。「昼は温まってふくらんで、夜は冷やされ縮こまる。そうやって、どんどん鉄がダメになっていく。――もうこの町も、あと100年ぐらいしかもたないらしい」
部屋に入った俺は、不恰好に腰を下ろす。床が嫌な音を立てる。足の稼動範囲に制限があるし、もう日も落ちているので、体が夢の中にいるように思うままにならない。
座るのに苦労する存在とか、つくづく俺は何になってしまったんだ?
「月明かりがあれば、少しは動けるんだけど――」ツバメがあいた壁をのぞきこむ。「今日は新月だから」
泊まる部屋は、かつてはゲームセンターだったようだ。使えそうな部品ははずされているものの、アーケードゲームの筐体がたくさん残っている。
ひさしぶりに日本語を見た。アニキとよく対戦して、いつも負かされいたゲームだ。
「なつかしい?」ツバメが聞いてきた。白い息が広がった。
「いや、むしろ、・・・なんともいえない。『一万二千年後に人炭から復活した男が抱く感慨』としか、表現のしようがない気持ちだと思う」
「そう・・・」
ツバメは俺のすぐ横に腰を下ろす。赤ん坊を守るように腕を胸の前で交差させ、口の端から白いものが漏れる。長い耳は真っ赤だ。冷え込んできたのが見てわかる。
「ちゃんと温めてる?」カトレアが気づかうように、ツバメの耳に触れる。「長耳族は、凍傷になりやすいんだから」
ここで俺は、ツバメが夜に少しだけ、淡く輝くのに気がついた。
肌全体が、薄い蛍光色に近い色になり、服越しにもそれがわかって体のラインがわかる。
そのことを指摘すると「昔、長耳族が魔法を使えた名残」と答えた。
「昔、戦争で〈魔法〉を使ったのよ」
「エルフみたいにか」日本のゲームとかでは、魔法を使うのはエルフと相場が決まっている。
「またエルフって言った!」声を荒げたもののすぐにしゅんとなる。他に気がかりがあるみたいだった。
「ねえ」ツバメが声音を変える。「今日は、早く寝たほうがいいと思うよ。コワイモノ、見ちゃうから」
そう言って、静かに目を閉じた。
「なに?」
そのとき竜の手をしたカトレアが、それぞれの手に何かを抱え、崩れた壁をまたいで戻ってきた。
一つは小さな石油ストーブで、アウトドアとかで使うコンセントがいらないタイプだ。俺とツバメの足元に置く。
もう一つは、小学生ぐらいの男の子の人炭だ。
俺は目を疑った。
カトレアは竜の腕を振り上げて、ぽきりと頭をたたき落とした。まるでニワトリみたいに。
それから胴体を傾けて、首の部分からとくとくと、ストーブの燃料口に中の液体を注ぐ。
タンクに液体がたまり、音が小さくなったとき、俺ははたと我にかえって声を上げた。自分でも驚くほど大きな声だった。
「何をしてるんだ!」
びくりと、カトレアが身を震わせた。
「なんでって・・・」目をぱちくりさせている。「寒いじゃんか」
「それは何か? 燃料の代わりになるのか?」
「代わりじゃなくて、燃料なんだよ」
カトレアは「一個じゃ足りないな」と言ってきびすを返す。俺はそのとき、壁の裏にたくさんの人炭が薪のように積まれていることを見つけた。いずれも、ゲームセンターに出入りしそうな年代の、子どもたちだ。
「待てよ!」鎧はもう完全に動かないが、俺自身の声は出せる。「それは・・・人殺しじゃないか」
ピタリと止まり、くるりと振り返った。顔はけわしい。
「今なんて言った?」首と、ほおの部分まで、竜の鱗におおわれる。
「人殺しだと言ったんだ」足元でツバメがおびえている。
「人じゃなくて、『人炭』ね。炭とゆう文字がつく」
「それは、『俺』なんだよ!」
「はあ?」
赤ん坊がぐずりだしたので、ツバメが必死になだめている。
「その人炭、俺みたいに装置にかければ、復活するかもしれないんだろ? だから、『俺』と同じなんだ」
「そうゆう理屈かい」怒りの中に優越を見つけた、そうゆう笑みだ。
「いいかい。人炭があんたみたいに概念鎧になるのは万分の一の確立だ。そしてこの近くにフロート・シェルはない。けど今夜は間違いなく寒い。人炭を燃料にしないと、凍えちゃうよ」
「それでも、フロート・シェルのある場所まで運べば・・・」
「寒いから凍えるって話、聞いてなかったの?!」俺のすぐ耳元で爪をたてる。黒板を引っかいたような音を立てた。
「あんたはいいさ、その鎧の中でぬくぬくすごせるんだから。だけどアタシやツバメ、赤ちゃんはどうするんだい? 今夜は十度以下まで下がるよ。・・・なんで、万分の一の可能性でしか生き返らない人間のために、今生きているアタシらが凍死しなきゃいけないんだい!」
「もうやめて!」目を閉じ耳を斜めに下げていたツバメが叫んだ。「コワイモノ、来ちゃうよ!」
辺りがうっすら緑色に輝いていたのに、怒りすぎて気づいていなかった。
その緑は、床のタイルや壁の割れ目を一斉に伝い、壊れたところを復元し、屋根を形作り、部屋をそのものを緑の影として再生させた。ゲーム画面が再び点灯したとき、俺は「はあ?」と声を上げた。
そして、その時、人間が姿を表わした。
その人々は、かつて生きていた人々だった。
ぼんやりした緑で形作られた、石油機文明時代の人々は、かつてと同じように、談笑し、ゲームをし、自販機でジュースを買っていた。それはまちがいなく、生きていた頃の日常の風景だった。
「シャイン・ラインの直後、〈魔術士〉が実戦投入されるとき、その魔術の媒体として『ソソ』とゆう物質がばらまかれたんだけど」
カトレアが説明する。「そのソソ、人の思いを具現化する性質があったそうで、なぜだが月の弱い日の深夜、ソソがわだかまっている場所で、こんなふうに石油機文明時代の人の思い出が再生されるんだ」
俺は説明を聞くどころではなかった。・・・アニキがいたからだ。
アニキは、俺の正面で、普通にゲームに向かっていた。かつて俺を圧倒した指さばきで、一心不乱に前を見て、・・・記憶にあるアニキと、同じだった。
「動いているゲームを見るの、久しぶりなのかい?」カトレアが少し、小ばかにするように言った。悪意があるというより、直前のケンカの余波で、こうゆう口調になったみたいだった。
「カトレア・・・」ツバメがおどおどした警告をする。ぎゅっと目を閉じている。
「見ちゃダメだよ。見ると体中から生気を、抜かれちゃうよ・・・」
「それは迷信だって、マステドウ先生も言ってただろ?」カトレアが向こう、UFOキャッチャーをする男の子を指さした。
「ついでだ鎧くん、いいことを教えてやる」
歩き、人炭の山から、一つを持ってきた。・・・UFOキャッチャーの、男の子だ。
それを、さっきと同じように、頭を落とした。ごろん、とにぶい音がする。
テレビがザッピングの最中に壊れるように、その緑の男の子も消えた。
「映像と人炭はつながっている」狂暴で、でも悲しみをたたえた顔。「この緑は人炭の見る夢なのかもしれない。だからあんたの言う、人殺しの責めはあたっている」
またとくとくと、石油ヒーターに液体を注いだ。それから鱗でマッチをすり、火をともす。
温かな光があたりを包む。温度差で温められた空気がゆらめいているのがわかる。
「でも寒さには勝てない」使い終わった人炭を静かに下ろす。炎が強くなり始めると、赤ん坊がぐずるのが収まる。
ツバメの斜め向かいの壁に背をもたれかけて、足をストーブに向ける。
それは、温度を感じない鎧の俺が、暖かさを見た瞬間だった。
「それでも気に入らないっていうんなら、明日動けるようになってから、アタシを叩き潰せばいい」カトレアが凶暴な笑みを浮かべる。
「神ナズ兵みたいにね。でも、そうすると、あんたはこの氷河期に生きる全てのヒトを、敵にまわすことになるよ」
それから、すねるように体をうずくまらせた。顔を隠して、持ち込んだ毛布にくるまって。
ぼつりと小さなつぶやきをしたのを、俺は聞き逃さなかった。
「アタシだって、何も感じないわけじゃないんだ」
緑の過去はすでに消えていた。




