第二一話 嵐過Ⅱ
俺はいつからここにいたんだろうか・・・・・・
まず俺は俺なのだろうか・・・・・・
眼前に広がる光景が俺の脳細胞のどこを探しても見つからない。
肌は透き通るように白く神秘的、目鼻立ちが整った可愛らしい童顔の中にも大人の気品を感じる―――まるでお偉いさんとこのお嬢様のようだ。
そして髪は汚れを知らない白髪、だがその一番端に行くにつれ水色を帯びていく。その水色は空よりも明るく涼しかった。
そのすべてが美しい、ただの人間だ。風に流される髪によって見え隠れするその耳―――先が少し尖っている耳が人外であると語っている。だがその人外の奇妙な耳さえ美しいと思うのは間違いだろうか・・・・・・
その耳は御伽噺に出てくるような『森人』の耳に酷似している。違いは耳の長さが御伽噺ほど長くはないことだ。
艶やかで張りのある小さな唇が小さく動くのが見える、のに何も聞こえない。その口から発せられる音の波が俺の耳には届いてこない。
彼女も言いたいことはある。俺も言いたいことはある、っていうより聞きたいことがある。
彼女の髪を見たとき俺は思い出した。俺は彼女と一度会っている、いや、一度見かけている。夢の中で・・・・・・
その時にも訊きたかったことを今―――
「お前は誰だ、ッ―――!!」
「香奈だよ、枝木澤香奈」
夢を見ていたらしい。だがその内容は既におぼろげだ。覚えていることは白い美しいものが眼前にあった? 咲いていた? 忘れた。
顎の痛みで目が覚めた俺の眼前には光り輝く金髪に覆われた美しい顔があった。その顔はキョトンとしていた。
それもそのはず、俺が意味も分からない言葉を発したからだ。
「あっ! もしかして、記憶喪失・・・・・・」
香奈は一瞬にしてキョトン顔を変貌させた。その栗色の瞳は潤み始め今にも零れ落ちそうな雫が今か今かと待っていた。今にも泣きそうだ。
「大丈夫だ、少し夢を見ただけだ」
「そうだよね・・・・・・安心した、桜君がもし記憶喪失になったら私・・・・・・、でも本当に良かったぁ」
これだけ不安がってる様子を見るに俺の最後は相当すごいものだったらしいな。俺が記憶喪失だと思わせるほどに、まあ俺の一言のせいでもあるが・・・・・・それでもだ。
あぁ、俺どうやって負けたんだっけ。顎が痛いっていうことは顎に何らかの衝撃を受けたことになる。それが原因で脳震盪を起こしたって事か。それなら決着の瞬間を覚えていないことも頷ける。
「香奈はどこから知ってるんだ」
「最初からだよ」
「・・・・・・ん?」
「だから最初から、っていうより私が入ったら始まった・・・・・・のかな」
俺と先生の戦闘のスタートのホイッスル役は香奈だったわけだ。
「はぁ・・・・・・」
溜息が出ちゃうよ。
「どうしたの」
「なんでもないです」
「・・・・・・?」
「あれ、もう目を覚ましたの」
この部屋―――救護科の一室―――の出入り口付近にだぼだぼの白衣を着たおきはる、もとい、『尾紀遥華』がいた。
ここが救護科だということが分かったのは、まずベッドがあること、次に消毒液くさいこと、最後にハルがいることだ。
「目とかチカチカしない? 頭が痛いとか」
「平気。それよりも先生なんか言ってなかったか」
見た目だけだと女子だと言われても納得してしまうハルが近寄ってきて覗き込むように、ベッドの上に足を伸ばして座っている俺を見てきたので俺はハルの質問には短く答え視線を逸らすように話題を変えた。それに気になっていたしな。
もちろんハルはかぶりを振る。
「ぼくは聞いてない以前に会ってない」
「香奈は・・・・・・」
「うん、聞いた」
そうだろうな、一番最適な人に言わせようって事か。それに先生直々に言うほど時間に余裕もないだろうな。
「よく分かんないけど・・・・・・」
「別に良いから」
俺だけ理解できれば十分だ。
「う~~ん、最優先に言うことは慣れる? ことだって」
「慣れる?」
「うん」
慣れるか、これは『自我の領域』を日頃から使えばどうにかなる。
「あとは、容赦しないことだって」
「はい?」
「容赦しない事、相手が傷付く事をだって」
「やっぱり先生には筒抜けか」
どうしても相手の急所にダメージを与える時、無意識に抵抗してしまう。
『自我の領域』状態になっている時はそれでも良いほうだ。
正直それをどうにかしないと誰かを守ることなんてできるはずがない。どうしたものか。
「一番の解決法は殴り慣れる事かな、っていうことで今から明殴ってくる」
「ダメだよ、桜くん!!」
「そうだよ、負けたからって人に当たっちゃダメ」
「いや、もちろん冗談だよ」
これ以上無駄に明を殴るのも可愛そうだしな―――それは別に良いか。
「よいしょっと」
俺は脚にかかっていたシーツを払いのけベッドから降りる。
時計を見るからに、俺と先生の戦闘時間をおおよそ計算すると俺は約30分間寝ていたらしい。
もっと長時間寝ていた気がする。夢を見たからだろうか、ちょっと変わった。
腕を伸ばしたり首を回したり体中の間接を動かすとコキコキと音が鳴る。痛みがしないのは骨に以上はないということだ。安心安心。
さて、これからどうしたものか。6時限目が終わるまでにはだいぶ時間がある。だからと言ってさぼるのも気が引ける。まるで負けたことに腹を立てているようで。
「よし、とりあえず屋上でも行くか。ありがとな、ハル」
「ううん、いいよ。これぐらいしかできないから」
「謙遜しなさんな」と心の中で呟く。
「これぐらいしかって言うけどそのこれぐらいがすでに規格外だ」
言うつもりはなかったがポロリと口から漏れ出してしまった。
その言葉を聞いて嬉しかったのか頬をうっすらと桃色に染め恥ずかしそうに微笑んでいる。
そんな女の子ぽい表情に不覚にもドキッとしてしまい視線を逸らし、心に男、男と言い聞かせる。が視線を逸らした方向がアンラッキー。香奈と眼が合ってしまう。そのまん丸眼が捕らえているのは俺。それが何か恥ずかしくて視線を逸らす。視線がさまよい行き着いた先は病室の扉の前を通り過ぎた友人の姿だった。何でここにいんの。
俺は迷いもなくそれに向かって駆け出し病室を出たところを左折しその背中を眼が捕らえる。俺は廊下に貼られていた「走るな! 危険!」と書かれていた紙を無視し今日一番速いスピードでツンツン頭のその背中に駆け寄る。
そして足音に気がついた友人は俺の方に首を回す。その顔は先日殴ったばっかの顔―――そう、明だった。
「ハイッ!!!」
「なんでぇ!!!」
思いっきり頬を殴ってやった。
「は~スッキリした」
「急にどうしたの?」
ハルが病室から出てきた。ちょうど良かった。
「急患です!!」
俺の足下でぴくぴくしているものを指差し治療してやってくれと促す。
まあ、怪我させたの俺なんですけどね。
とりあえず実習棟の屋上に来たが何をしたものか。
屋上には二つの使い方がある。一つ目は狙撃訓練場として使用する。二つ目は休憩する場所休憩する場として使用する。だが授業中にここを第二の目的で使用する強者はいない。それもそのはず、ここを使用する第一の目的が狙撃訓練―――つまり寝ている横を弾が通過すると思うと肝が冷える。だがそれとは反対に昼休みは最高のランチスポットでもある。
俺が授業中にここに来たということはやることは一つ、狙撃。辺りを見ても狙撃銃を構えているのが数人はいる。
どの狙撃銃を使用しても良いが俺にはまだ自分のがないので学校のを借りる。学校のは日本の自衛隊や米軍御用達のものが二つ置いてある。日本製とアメリカ製。日本製とアメリカ製とを比べると日本製が若干小さい。他にも色々と違うところは多々あるがそんな事はどうでも良い。どちらが撃ちやすいかだけで十分だ。
俺はどちらも使用した感じだと日本製のほうが使いやすかった。それもそのはず。日本人向けに作られているからそうなるはな、普通は。
「さてと」
屋上の入り口付近に立てかけられていた日本製の狙撃銃を手に取る。
そしてその横に置かれていたマガジンを取り付ける。これで撃つ準備は整った。
この学校の屋上は至る所に障害物があり、所々に人型の的が設置されている。
今回狙うは約600メートル先の的だ。距離はそこまでないが問題は俺が撃つところから的が見えないことだ。
脚立を置きその上に銃を置く、そしてうつ伏せになりスコープを覗き引き金に人差し指をかける。一定のリズムで優しく引き金をタップする。人差し指が引き金に触れるたび集中力が増しているのが分かる。
集中力が頂点に達した時人差し指に力が入る。
乾いた音と共に発射された銃弾。
少し離れたところから見ていた香奈が「わあ」と声を上げる。銃弾が的中したんだろう。
ここから見えない的に当てるためには技術的に必要なものがあった。
俺は跳弾を初めて成功させた。