第一八話 嵐闘Ⅱ
――勝利――
この二文字が少しずつだが近づいているのが分かる。
勝利の女神が俺に微笑み始めたのがはっきりと分かる。
確実に俺が圧しているのも感じる。
だが、まだ足りない。
俺ができるのは勝機を作ることだけだ。そこから先の一手がない。欠けている。
今だって、確実に俺の拳の連打によって相手のリズムを崩せているのに倒す事させ、地面に背を付けさせる事させできない状況だ。
あと一歩、あと一手が足りない。
ここで圧し切れば勝てる――そんな場面が幾度となく続く。
そんな状況が俺を焦らせ冷静さを欠かせる。
「くッ!」
戦況は俺が圧していることは現時点では確かだ。
だが勝てるか勝てないかと言ったら別だ。
現にこうしてカウンターをされて、それが決まり体制を崩されている。だが俺もすんでのところで踏み止まっている。
そうしなければ流れを一気に持っていかれる。
そうなれば戦況は一気に翻り終わってしまう。
そんなことは許されない。
だからこうやって汗を流して神経すり減らして踏ん張っている。
相手が殴りかかってきたらよけカウンターを狙う。
相手が蹴りかかってきたらよけカウンターを狙う。
俺が殴りかかるとよけられカウンターを狙われる。
俺が蹴りかかるとよけられカウンターを狙われる。
一進一退の攻防が繰り広げられる。
それが望ましい事とは思えない。相手が本気を出しているかは俺には分からない、だから今の結果が正しいものなのかは俺には分からない。
それでも分かる事がある。それはこの戦闘は全体に負けられない事だ。
負けてしまえば昨夜誓った事が否定される。それだけは嫌だ・・・・・・まだ素面だけど。
そう。
俺はまだ素面だ。ゾーンになっていない。いつゾーンになれるかが鍵になる。早めになれれば越したことは無いがやはり相手は弱くない。強い、強すぎる。
それと一進一退な攻防を繰り広げているのが不気味で仕方ない。
何か裏があるのではないか、そんなことが頭の隅でちらついてしまう。
今はそんな事どうでも良い。戦闘に集中しなければ相手にも失礼だ。
それに集中しなければ負けてしまう。
野球のグローブで速球なボールを取った時のように――
パァン!!
――と快音が発する。
眼前に来た拳を掌で受け止めた音だ。
体重は俺よりも軽いのにそれに匹敵する。
いや。
それよりも重たい拳だった。
少しでも気を緩めればこの左手ごと俺の体が吹っ飛ばされる気がする。
拳を受け止めた左の掌がヒリヒリする。
それを誤魔化すように右手で拳を作り殴りかかる。
が。
「ガハーーーーッ!!」
その拳は相手に届くことは無く、背中を床に強く打ち付けられて肺が圧迫され空気が圧し出される。
一本背負い投げをされた。
前に出した俺の右手をとられそのまま床に叩きつけられた。
そして隙も作ってしまった。
終わってしまう! 負ける!
が、相手の追撃は無かった。
相手との距離を作るため横に転がり立ち上がる。
相手の追撃が無かったのは何故だかは分からない。
考えている時間も無い。
相手が近寄ってきた、走り寄ってきた。
一気に畳み掛けるつもりか!?
だがそれなら投げた時に終わらせる事もできたはずだ。
何を考えているんだ!?
――相手の右足の横蹴りを紙一重のところで後ろへ下がりよける。
だが、左足の後ろ蹴りによる追撃がとんできた。
それもなんとか後ろへ下がりよける。
が、背中に固い感触が伝わってくる。
壁だ。
もう下がることは許されない。
壁があるのにまるで崖に立っている気分だ。
だがそんな事は相手にとっては関係ない事だ。
それを表すように相手は追撃をしてくる。
俺の横腹を刈ろうと右足によるローキックが迫る。
これ以上後ろに下がることはできない。
残された退路は横だけだが当たることは必須。
当たるなら敢えて当たる。
左腕に力を入れ衝撃に耐える。当たると衝撃を活かして横に大きく跳ぶ。
相手との距離がまた開く。
俺から距離を作っているという事は俺が徐々に圧され始めた証拠だ。
蹴りを受けた左腕が骨の隋から痛む。当たると同時に少し横に跳ぶ事で衝撃をやわらげたつもりだったが違ったみたいだ。いや、違う。衝撃をやわらげる事は授業で習った通りにできた。それなのに痛みがあるという事はそれだけ威力があったという事だ。
れに蹴りだけではない。あの一本背負いは予想もしていなかった。完全に虚をつかれた。
予想だにしない一撃は戦況を翻すには充分すぎる。ましてやその一撃で終わることもあり得る。
さっきの一本背負い投げがそれにあたる。
直接的に勝敗までには繋がる一撃ではなかったが相手が何故か追撃をしてこなっかたからこその結果だ。もしあそこで追撃をされたら俺はどうする事もできなかったはずだ。つまり負けになっていた。
正直に言うともう身体中が痛い。勝敗に直接的に繋がらなくてもじわじわと体に痛みが溜まっていく。
あと1発や2発まともに喰らっても大丈夫だが、それ以上喰らうと動けなくなる可能性がゼロではない。できるだけ受けに回らず避けるか攻撃される前に攻撃する方が勝機も見えてくるかもしれない。
相手は俺がカウンターを狙って距離を詰めてこないと思って自分から俺との距離を詰めてくるはずだ。そこを逆手にとって俺は相手が踏み出したタイミングで距離を詰める。読みが外れた相手は焦るはず、そこを一気に畳み掛ける。形勢逆転の一手を狙う。
じりじり、と聞こえてくる気がした。
それが幻聴なのかは分からない。
じりじり、という音が消えた――と同時に相手が脚に力を入れた。
それを感じとった俺はほとんどノーモーションで大きく1歩踏み出し相手との距離を詰める。
「――――ッ!!」
相手は俺が距離を詰めてきた事を計算通り焦ってくれた。
が、それもほんの一瞬。相手は大きく一歩を踏み出すために力を入れた脚を大きく振り俺がそれ以上距離を詰めるのを阻止しようとする。
――そんなもの気にしない!! 1発ならまだ耐えられる!! ここを逃せばもうない!!
「く――――ッ!!」
俺は相手の大振りの一撃を横腹に喰らいながら、奥歯を噛み締め前に一歩踏み出す。
「ァァァァ――――ッ!!」
今度こそ俺の拳は相手の顔面に向かっていく。だがその拳は肌に触れることはなく布に触れる。
相手がギリギリのところで腕をクロスにして防ぐ。俺の拳はクロスの中心、腕の交わるところを殴る。
2本の腕で防がれた事によって完全に勢いも失われる。
「クッソ――――!!」
――ここで退いたらダメだ! いずれ護るものも護れない!
俺はその一心で右腕と脚に相手の防御ごと吹き飛ばすためのありったけの力をこめる。
防御ごと吹き飛ばしたところで勝ちにはならない。それでも、そこに勝機が少しでもあるなら、勝ちが一歩でも近づくならやって見ないと分からない!
相手は俺の渾身の一撃を耐えきれず後ろに大きく退く。
相手の額には水滴が見える。あの一撃を受けた片腕は重力に逆らう事が厳しそうにもう片方の腕で支えられている。拳を受けた場所を軽くさするように。
俺の一撃は相手に大きなダメージを与えたと考えて良いだろう。
ここでさらに追撃ができるともう言う事もないのだがそうはいかない。
俺も一発ーーーーキツイのを喰らってしまった。
それも後の事を考えずその場しのぎの威力重視の一発。
俺が受けたダメージは相手のダメージよりも大きいかもしれない。いや、確実に大きい。
小さいなら俺がこうやって横腹を抑える事もない。
正直な事を言うとノーダメージで相手に一発喰らわせられると思っていた。その結果がこれだ。
横腹に大きな一発を喰らい、捨て身の攻撃はギリギリのところで防がれ、劣勢なのは俺。
なにも変わっていない。
相手の腕一本を失わせるのに横腹に大きな一発。これでは割りにあわない。相手を倒すのに命を差し出せと?
馬鹿を言うな、俺にはまだ護らないといけないものがある。それをほったらかしにすることはできない。
なら、どうするか。
そんなものは最初から決まっている。勝てば良い、勝利すれば良い、勝ち名乗りをあげれば良い。
言葉にすればそれだけだ。
簡単だろ、六東桜。
それに勝てない相手ではない、俺が相手の攻撃を上手く防御しながら立ち回れば俺の攻撃は届く。
この勝負、勝ちにいくぞ!
俺が勝ちにいく覚悟を決めた時、相手は腕をダランとしていたが痛みがある程度薄れたのか支えてはいなかった。
そして腕を支えていたもう片腕は手で口を隠すかのように口元に持っていかれていた。
指同士の隙間から見えたのは白い歯だったーー笑っている?
この状況で?
何に対して?
予想より斜め下をいく俺の強さにか?
それとも自分が殴られた事にか?ーーとんだマゾだな!
勝負事に自分の性癖を持ち込むのはやめて欲しい。他所でやってくれ。
まあ、そんな事はないだろう。一番あり得るのは俺がこうやって立っている事にだろうな。
「まだ、殴れる」とでも考えてるんだろうな。
この学校の教員はそんな奴ばっかだからな。生徒の事を時たまにサンドバッグとでも思っているんだろう。
そうじゃなければあの笑みはなんだ! 私は余裕ですよって言いたいのか! こっちはギリギリだってのに!
ふー・・・・・・
落ち着け、落ち着け・・・・・・
一人で勝手に興奮して集中を乱すな。それが相手の狙いかもしれないからな。
今にその余裕なくしてやる!!
次回は6月9日に投稿します。