第九話 消燈
「・・・・・・」
「聞いてる」
いつもきりっとした髪型から打って変わって後ろ髪を緩く結び右肩から垂らした、ゆったりとした香奈がパジャマを着て机を挟んだ反対側のソファに座っている。ちなみに千夜は自室に居る。
どうして風呂上がりの女性はこうも良い匂いがするんだ。ちょっとだけ気になって会話に集中できない。ちょっとだけだぞ、ちょっとだけ。
「コホン」
「いや、聞いてる、聞いてるから」
俺は現状叱られている。その原因は俺が帰宅後にやらかしたことだ。入浴時、千夜が香奈に漏らしたな。悪いとは思っている。その時の番組タイトルを見た限り、現在千夜に好きな男が居ることぐらい俺にも分かる。女性がそういうのをからかわれるのが嫌いなのも知ってる。でもな・・・・・・
「妹さんをからかうのはほどほどにしないと嫌われるよ」
「う~ん、それは困る」
「えっ!」
「もちろん冗談だぞ」
そこまでドン引きするか。ていうか一瞬信じたよな。そんな風に見えてるの俺。不安になったぞ、俺の人間関係が。まさか、皆俺が妹好きだと思ってるのか。
「千夜ちゃんの年頃は繊細だから接し方には気を付けた方が良いよ」
「そんなこと言われてもなぁ」
俺に理解できる女心は氷山の一角に過ぎない。それが何年も暮らした兄妹でもな。女性の心情なんてものは天候のように変化する。長い時もあれば短い時もある、さらにいつ変わるかさえ分からない。
「まあ、そうだな。気を付けるようには心掛ける。・・・・・・それ以外にも聞いたんじゃないのか」
香奈が俺を叱る時は的確に突いてくるので早めに話を切るのがコツだ。
香奈は俺の強引過ぎた切り方に「もう」みたいな顔をしたが、この話はそれ以上続かなかった。
「そうだね、千夜ちゃんの将来の夢や希望とか・・・・・・後は恋愛話とか、かな・・・・・・興味がありそうですね」
香奈が笑顔で俺を見据える。ニヤニヤ顏と言った方が正しいか。少しバカにしてるよな、確実に。
ここは少し驚かせてやるか。
「ああ、気になる。千夜のより香奈の方のが」
香奈はあからさまにドキッとした表情をして頬を紅潮させた。その表情は仕掛けた方の俺がドキッとするほどの可愛らしさがあった。
「効果抜群だね」
そんな事を香奈はいつもの笑顔で言った。つまり俺は逆に嵌められたことになる。香奈にはほとんどの事で勝てないと思い知らされる。まあ、今回は完全に俺のミスだな。しかも社長代理に選ばれるほどだからな、人との駆け引きはお得意ということか。
「そんな事より、本当に興味あるの」
「まあ、妹だしな」
妹が好意を抱く相手を知るのは兄にとって当たり前だろう。それ次第では、千夜の将来も変わってくるかもしれないからな。
「そっちじゃないのに」
香奈は少し落胆した様子で呟いた。
『そっち』ってなんだ。しかも落胆される理由も分からん。
「そういうところが桜君らしいかな」
次は『そういうところ』か。どこのことを言ってるのか全然分かんねぇ。
ピー
浴槽の水が溜まったことを知らせる電子音が鳴った。
千夜の言葉を借りるなら美少女が2人も入った残り湯のまま入るわけにはいかないから、湯を入れ替えた。
「桜君。時間も時間だからそろそろ入浴したほうが」
香奈が時刻を確認して促してくる。
「そうだな、時間も時間だしな」
俺は香奈の意見に同意して、腰を浮かせ風呂場に向かう。
はあ、香奈の説教はキツイんだよなぁ。
「ふう」
良い風呂だった、体の芯から温められ疲れが吹き飛んだ。
リビングに戻るとソファに座って机と睨めっこしている香奈がいた。
「何見てんだ」
俺は香奈の斜め後ろに立つ。
「次回の会議の内容をまとめた書類」
机の上にはいくつかの書類が置かれていた。
香奈は一枚の紙を俺に渡してくる。
「えーと、それぞれの会社の商品の売り上げ。今後の会社の方針・・・・・・」
俺は書いてある項目に目を通す。
『枝木澤工業』それが、香奈の会社の名前だ。至ってシンプルな社名だが海外にも進出している。国内、国外からもとても信頼されている。それの本社がこの付近にあり、社長令嬢が現在家に泊まっていることを考えると凄いことだ。
「この今後の会社の方針ってどうするんだ。社長に聞かなくていいのか」
会社の方針を勝手に変えるのはやばいと思ったので心配になって聞いてみた。
「枝木澤工業の方針は変わらないの、これからも」
「ふーん」
方針自体に興味はないので雑な返事になってしまった。
机の上には書類だけではなくPCも置いてあり、画面には設計図らしいものが映し出されていた。
「それって」
俺が画面を指差すと香奈もそれを見る。
「うん、桜君の新しい相棒」
やっぱり。すべてが分かる訳ではないが俺の好みの形になりそうだ。
「もう少し待っててね。どうしても今までのものより凄いのを造りたいから」
「香奈にとって納得のいくものが作れるならそれで良い」
わざわざ俺の為に一から作ってもらうので文句も言えない。すぐに必要というほどでもないしな。
「今回の会議って誰が集まるんだ」
俺は俺ぐらいのレベルの奴が警護に参加できるほど今回の会議に参加する人物達は大物ではない可能性があると思ったから香奈に聞いた。でも、香奈の会社は日本の中でも名が知れた会社である。その社長(代理)が参加するほどだから重要な会議なのだろう。だから気になる。
「これは言って良いよね」
香奈は誰かに聞いてるのではなく独り言のように呟いた。
「防衛装備庁長官、月村魔銃開発社社長・・・・・・有名どころで言うとこんなところかな」
香奈はしれっと言ったが俺は驚きを隠せない。
前者は言わずと知れた国の行政機関の頭だ。後者は近年ポッと出の会社だが魔銃使用者の中では世界的に名が知れている。社長はまだ若く高校生で有名になった。
その2人が参加する会議となると相当重要なものだろう。問題はその会議に参加する香奈を俺が警護していいのかだ。完全に場違いだと思われる。
「なあ、本当に俺で良いのか」
香奈は俺がそんなことを言ったことに驚いている。
「私は桜君が適任だと思う。私も桜君が居てくれると安心できるから。お父さんの依頼がなくても私から頼んでるよ」
香奈は笑顔で俺を安心させるように言った。正直、その笑顔だけで安心させられる。と同時に少しだけむず痒くなる。
「ありがとな」
そんなに心配することも無いか。俺以外の2人がどっちに転んでも実力者らしいからな。それにこの会議に襲撃してくる奴もいないだろうしな。
「で、今何してんだ」
香奈が書類を見ているだけなので気になってしまった。当事者なので口出しする権利は無いがいつも助けられているのでたまには力を貸してあげたいと思った。
「書類の誤字脱字のチェックと数値ミスが無いかの確認ぐらいかな」
「ふーん」
力になってやることはできないらしい。さすがに会社のデータを閲覧するのは悪い。閲覧してはいけないデータとかあるだろうしな。
俺は一度リビングに向かいコーヒーメーカーのスイッチを押す。2人分のコーヒーを作る。
「社長代理は忙しそうだな」
「慣れればそうでもないよ。私こういうの好きだから」
『こういうの』とはデータの整理などのことを言ってるんだろう。
「好きなら仕方ないな」
「うん」
香奈は嬉しそうに返事する。いつも思うけど社長令嬢は可愛くないといけないのか。やっていけないのか。まあ、『美は正義』とか言う奴もいるしな。
俺は抽出されたコーヒーをマグカップに注ぎ、ソファの方に持っていく。
「ほい」
俺はマグカップを机に置き、香奈に渡す。
「ありがとう」
「良いよ、別に。これくらいしかしてやれないしな」
香奈は感謝を告げるとき必ずと言って良いほど笑顔を向けてくる。
「よし、あと一息!」
香奈はコーヒーに口をつけ、両手で握りこぶしを作った。
「終わったー」
香奈は皆に見せる大人っぽい様子とは違い宿題が終わった小学生のように伸びをしている。肩の力が抜けたみたいだな。
「おつかれさん。疲れただろ、明日も学校だしそろそろ寝たらどうだ」
香奈が少し疲れ気味に見えたからな。明日も学校となると今日中に疲れを取っておかないとひどい目に遭うからな。特に午後の授業は。
千夜も少し前に「おやすみ」と言ってきたしな。
「うん・・・・・・おやすみ」
香奈は力が抜けたからか眠たそうにソファから立ち上がり千夜の部屋へ向かう。おいおい、大丈夫か。足取りが少しふらふらだぞ。
「ああ、おやすみ」
俺はそう言いながらリビングの照明のスイッチを切る。
今日も色々大変だったが無事に終わったな。
感想・レビューをしてくださると嬉しく思います