第4話 竜素の転写
◆誘いの塔 4階 牢獄◆
誘いの塔は5階建てとなっており、3階までは侵入者を撃退するためのものとして想定されていたが、ルークが予想した通りにほぼ手つかずとなっていた。
(1階で試せなかった罠の組み合わせを、2階で導入してもいいかもしれないな。一階ごとを隔てる天井が厚いし、2階、3階から落とし穴で一階の一か所に落とすようにすれば、拾得物の回収に苦労しなさそうだ……でも3階から落ちたら死んじゃうな)
ルークとしては、竜素を持たないしもべはそこまで必要としていないので、山賊たちから一通り反応を調べたあと、処断を行うつもりでいた。
頭領に襲われた女性は肋骨にヒビが入っていたので、シャルムに頼んで治療してもらうことにした。シャルムは女性がいる牢獄の中に入ると、傍らで見ているルークを見やって尋ねた。
「ルー君、本当に手当てをしていいの? 仲間割れで痛めつけられたっていうけど、彼女はこの塔に侵入してきた山賊なのよ。人間は私たちを捕まえたら、情けなんてかけないわ。奴隷として売ろうとするに決まっているもの」
「……彼女が山賊に加わっていたことには、何か理由があるような気がするんです。そういう考えは、やはり甘いですよね」
「その理由を聞いてみて、どうするか考えたいということね……分かったわ」
敵に対して甘くすれば、シャルムは自分に失望するだろうか――そう思ったが、ルークは人を喰らう気にはなれなかった。
竜と他種族が永遠に争いあうことを避けるために、六竜帝国の開祖は、竜が進化するための竜素を得る手段を、喰らう以外に作り出そうと考え――一つの魔法として完成させた。それこそが、『竜素転写』である。
他の生物が持つ竜素を自らの体内にコピーし、進化の条件を満たす。喰らうことで得るのではなく、転写を行うだけなので、相手を殺害する必要はない。
だが、竜素転写を行うには『相手が自分が進化に必要としている竜素を持っていること』『相手が自分に臣従する意志を示すこと』が条件として必要となる。
(だから僕は、自分に従ってくれるしもべを増やさなくちゃいけない。必要な竜素を見つけることが、まず先決だけど……)
「……ルー君、これから彼女の鎧を外して治療をするけど、見学したいの?」
「あっ……い、いえ。わかりました、僕は向こうで待ってます」
「見たい……っていう顔を一瞬したわよ。ルー君、こういう女性に興味があるのかしら? お姉ちゃんとは全然違うタイプね……ふふっ……」
シャルムの周囲に冷たいオーラを感じて、ルークは硬直する。
姉の機嫌をとらなければ、彼女の治療が成功するどころか――と考え、ルークは必死で頭を回転させて、起死回生の答えを導き出そうとする。
「ぼ、僕は……姉上のような、お淑やかで優しい女性に憧れます」
「……本当に? ルー君、お世辞を言っているわけじゃなくて?」
(いつもなら喜んでくれるのに、疑い深くなってる……どうしよう、僕の浅い考えじゃこの窮地は突破できない……ええい、ここは勢いだ!)
「ほ、本当です! この目を見て疑われるのですか!」
「っ……なんてきれいな瞳……ごめんなさい、疑り深い私を許してね」
シャルムのまとった不穏な空気がすっと消える。ルークは九死に一生を得た思いで、治療が始まる前に一度その場を離れた。
◆◇◆
ルークはサラとリザードマンが捕らえた者たち、そして他の山賊たちが自分の求める竜素を持っていないか調べていったが、該当する者はいなかった。
暴れていた頭領は毒によって体力をじわじわと消耗し、自分に起きている異変を悟ると嘘のように大人しくなり、自分たちのアジトと今までに奪った物資の隠し場所を話した。ルークはその場所が嘘でないと確かめるまでは、完全に毒を消すことはせずにおいた。その措置を目にした捕虜たちは、自分も毒責めを受けるのではないかと怯え、もはや誰も逆らわなくなった。
(僕の毒が、こんなふうに役に立つなんて。即効性がないから無意味だって、ずっと言われてきたのにな)
小さな爪でも、使い方次第で役に立つ。ルークは生まれて初めて、自分に少しだけ自信を持つことができていた。
「ルー君、治療が終わったわよ」
「あ……ありがとうございます、姉上。お疲れさまでした」
「いえ、いいのよ。治癒は光竜の得意分野だもの。私は五階の私室にいるから、あまり遅くならないうちに上がってくるようにね。そろそろお風呂にも入らないと」
「は、はい。姉上、でも僕はもう大きいので……」
「大きくなっても、背中までしっかり洗うのは難しいものよ。お姉ちゃんはいつも、侍女に洗ってもらっていたけれどね」
シャルムの長い銀髪は夜になっても艶やかに保たれていて、その肌は燭台の明かりで照らされると輝きをまとって見える。しかし治療に熱が入ったのか、シャルムの髪の一筋が、首筋に濡れて張り付いていた。
(……だ、だめだ。変なことを考えちゃ……姉上は、僕を子供扱いしてるだけなんだ。だから、お風呂に入っても気にしないんだ……きっとそうだ)
「じゃあ、上で待っているわね。サラと一緒に夕食の準備もしておくわ」
シャルムは小さく手を振ると、控えていたサラと共に上階に上がっていく。残されたルークは牢に入り、床に敷かれた毛布の上に寝かされている女性に歩み寄った。
治療の際に上半身の服は脱がされていて、包帯がしっかりと巻かれている。姉と比べると大きくはないが、ふっくらとした膨らみも、シャルムの技術で立体的に包帯が巻かれ、その形の良さが見て取れた。
怪我の具合を見るつもりが違う方向に関心を引かれ、ルークの頭に血が上ってくる。周囲の侍女からは何かと子供扱いされ、ユスティリニアには脅迫に近い求婚をされ、女性に対して苦手意識を持ちつつあった彼だが、年相応に異性への感心は強かった。
(僕らの人の姿と、人間はやっぱりほとんど変わらない。僕らは竜の角としっぽがあるけど、隠すこともできるし……)
山賊の女性――マリナは長い赤髪をしており、後ろで一つに縛っている。山賊をしていたにしてはあまり肌は焼けておらず、白い肌をしていた。
やはり、長年山賊をやっていたわけではない。そう考えつつ、ルークはマリナが起きるのを待つ。
「ん……んん……」
「目が覚めた?」
「……あなたは……さっきの、竜人の男の子……?」
「僕はルーク。この塔を建てた人の弟だよ。君が入り込んだ、六竜帝国の領地を預かる一族でもある」
ルークが身分を明かすと、マリナの表情が曇る。助けられたわけではない、命を留めおかれただけだと考えたからだ。
「……私の名前は、マリナ。私を奴隷にするの? それとも……」
「人間たちの思ってる竜人とは違うだろうと思うけど、僕は人間を食べないし、六竜帝国ではそういうことはほとんどないよ。それは、荒れ狂った竜と敵対したら、何をされてもおかしくないけど」
「奴隷にするくらいなら、ここで殺して。もう、私の目的は、あなたが達してくれたから……思い残すことは……」
「いや……あるはずだよ。なぜ、山賊団の頭領は怒っていたのか。そして、僕が君の目的を達したっていう意味を考えれば、自ずと答えは出てくる」
侵入者である自分に、なぜ優しくするのか。マリナは疑問に思わずにいられなかった。
この塔を、復讐のために利用した。それが成らず、殺されかけた――ただの自業自得であるのに、目の前の少年はマリナを助けた。
「どうして……私を助けたりしたの……?」
「……助けたわけじゃないよ。僕にも目的があって、君には生きていて欲しかった。もし君が『竜素』を持っていたら、僕のしもべになってほしいから」
「しもべ……あなたの、奴隷……?」
「奴隷っていうよりは自由だと思うけど……君にとっては一緒かな。ごめん」
なぜ謝るのか、とマリナは声を荒げそうになる。ルークは、自分を好きにできる立場にいるというのに、なぜ奴隷としてではなく、人として扱うのかと。
「……その……竜素……? をあなたに捧げたら、私は死ぬんじゃないの……? 竜は、ほかの種族を食べて進化するんでしょう……」
「それもできるけど、そういう時代は実を言うと、ずっと前に終わったんだ。僕は、ある人に食べられそうになってしまってるけど……それは、僕がふがいないからだから」
自分が窮地にいることを、ルークは仕方のないことだというように、マリナに明かす。
この少年は、どこまでお人よしなのか。親しげに話しかけてくるその笑顔はあどけなく、人懐っこく――泣きつきたくなるほどに優しい。
「そうだ、まず、これを聞いておかないと。どうして山賊団に入ったの? 最近入ったばかりだよね、見た限りでは」
「……私の……私の、村が……」
マリナは自分の村が山賊に襲われたこと、その復讐のために、違う町の酒場で騒いでいた山賊団に近づき、内部に入り込んだことを明かした。
そして村は全滅したわけではなく、物資を奪われて明日食べる物にも困る状況だと説明する。そのために、マリナは奪われた物資を取り返そうとしていたのだ。
「そうだったのか……じゃあ、村の人たちのことが心配だね。何とか、物資を届けてあげられるように……」
「そ、そこまでしてもらわなくても……あっ……」
その時どこからか、くー、と小動物の鳴き声のような音が聞こえた。
「お腹がすいてるんだね。村の人たちの手前、あまり食事を取らないようにしてたのかな」
「……何もできないくせに、って笑えばいいのに、どうして優しいことばかり言うの?」「さあ……僕だって、気まぐれを起こしてるだけかもしれない。こう見えても、僕も生きるために必死なんだ。君が竜素を持ってたら、絶対にしもべにしたい」
「っ……そ、そんなこと、言われても……」
マリナは言葉に詰まる。十六年の人生の中で、これほど人に必要とされたことがあっただろうか――文面こそ奴隷になれと言われているようなものだが。
しかしこの少年がいなければ、自分は命を落としていた。ここで従えば、ルークはおそらく、村の人たちに奪い返した物資を届けてくれる。
そうでなくても、彼に従う理由が、自分には十分にある。
――そう、マリナが実感した瞬間だった。
「あ……熱い……身体が……っ」
「うぁ……あ……ぼ、僕も……胸が……うぁぁっ……!」
ルークの内側に、未知の感覚が沸き起こる。それは、全身の細胞からの渇望だった。
――求めていたものが、目の前にある。これまで、どうしても見つけられなかったもの。
(この女の人が……マリナが、竜素を持ってる。僕が進化するための……)
「くぅっ……うぅ……はぁっ、はぁっ……」
マリナの全身が熱を持ち始める。怪我のことなど忘れ、マリナの頭の中を、一つの思考だけが埋め尽くしていく。
――目の前の少年に、ルークに、自分の全てを捧げたい。
ゆらりと身体を起こしたマリナは、胸を押さえているルークに正面からしなだれかかる。そうして初めて、ルークはマリナの顔を正面から見た。
村を一人で救おうとした、気丈な女性――しかし今は、その瞳は潤み、ルークに惜しみなく思慕の感情を注いでいる。
(竜素を転写するとき……どうなるのか。僕は、曖昧にしか知らなかったけど……)
ルークが竜としてマリナの体内にある竜素を欲し、それにマリナが応じることで、二人の身体に変化が起こる。文字通りの強烈な引力――転写を行うためには、触れ合うことが必要となるのだ。
「……私をしもべにしたいとおっしゃいましたが……お気持ちに変わりはありませんか? ルーク様……」
マリナの言葉は、すでに最大の敬服を示していた。彼女はルークを主として認めた――そこに竜素の引力が作用したことで、彼女の忠心を限界まで引き出したのだ。
傷の手当てをしている以上、包帯を緩めることは得策ではない。そのはずが、マリナは自ら包帯の結び目に手をかけ、解き始める。シャルムの魔法による治療が完璧で、すでに全快していることの証明でもあった。
(どうすれば……いや、迷うべきじゃない。僕は、もう子供じゃないんだから)
待っている姉に申し訳ない。そう思いながらも、ルークは差し出された竜素に手を伸ばす以外には考えられなかった。