第1話 国境近くの塔、罠と土地つき
◆帝国853年 六竜帝国元老院 面会の広間◆
ユスティリニアが現れてルークに決闘を申し込んだことにより、ルークがウル家の当主を継承する権利を放棄するという話は据え置かれることになった。
元老院の長老たちも、選帝侯家の中から皇帝を選ぶという立場にあるものの、ユスティリニアの力は強大すぎ、皇帝となる前から彼女の専横を許さざるを得ない状態にあった。
「ルーク=ウル殿。済まぬが、貴族の間の決闘に我らが干渉することはできぬ。ウル家の当主の件についても、ルーク殿がもし生き残られたのであれば、状況は変わってこよう。闇竜ファーヴニルと渡り合った者は、誰から見ても選帝侯家の当主にふさわしい」
白いひげを蓄えた壮年の長老は、最初だけルークを憐れむように見たが、彼が負けると限ったことではないと、形式的であれ中立の立場を取った。
「……弟が決闘の日を迎えるまで、私が補助することについては、問題ありませんか?」
「シャルム殿が代理で決闘を行うということは許可できないが、補助であれば問題ない。しかし、ブラウンドラゴンは進化のために必要な竜素が明らかになっていない。自らが持たぬ種類の竜素を取り入れるには、『他者を服従させる』か、あるいは『他者を倒し、喰らう』ことが必要になる。ルーク殿には難しかろうな」
竜が進化するには、いくつかの条件を満たさなくてはならない。赤、青、火、水などの『竜素』を体の中に取り入れると、それぞれの個体が持つ『進化の紋様』が完成してゆき、完全な紋様とすることが第一条件である。
そしてもう一つの条件は、生命の危機に追い込まれた際などに感情が大きく動くことで、進化の引き金になる。
戦闘中に進化して強くなることを狙って、それが成らずに命を落とす竜もいるというので、簡単に試せることではない。シャルムはウル家の領内に侵入する他種族を撃退する際などに前線に出ており、その際に進化の機会を得ていた。
(僕は実戦の経験がほとんどない。弱い魔物と戦ってみてわかったことは、僕の攻撃能力がとても低いっていうことだ)
ブラウンドラゴンの持つ攻撃能力は、『弱毒』である。じわじわと相手の体力を削るが、死に至らしめるほどの強さはない。そのため、戦闘で相手を倒して竜素を得ることは今まで不可能と見なされてきた。
『竜素』といっても竜だけでなく、人間と魔物も体内に持つものである。そのため、貴重な種類の竜素を持つ個体を見つけると、竜人は確保を最優先とする――戦闘の結果、殺してしまうことも少なくはないのだが。
優れた竜人とは、最終段階まで進化し、子孫たちに竜素を与えるためのしもべを多く持つ者だ。しかし、ルークに必要な竜素をしもべは、ウル家には一体もいなかった。
だが、見つけるしかない。進化しなくては、ファーヴニルの闇の息を受けて死ぬだけなのだから。
「ご心配、いたみいります。しかし、私は必ず彼が進化し、皆様にもう一度お目にかかるときには、見違えていると確信しています」
「うむ、期待している。ルーク殿、武運を祈るぞ。ユスティリニア殿の手前、どちらかに肩入れすることもできぬのだがな……」
「承知しております。彼女は六竜帝国の領土をより大きくするだけの力を持っています。僕では及ばないかもしれませんが、彼女との決闘を汚さぬように精進します」
ルークは決意を述べる。長老たちはかすかに目を見張るが、やはり最後には、あどけない少年のルークが強大な相手に挑むことへの憐れみが勝った。
(今の僕では、憐れまれて当然だ。僕は進化する……数百年前のご先祖さまみたいに、一生を進化しないままで終えたりしない。必ず……)
◆帝国歴853年 ウル選帝侯領 東部国境付近◆
ルークたちは迎賓館で宿泊する予定を取りやめ、元老院への報告を終えると、その足でウル家の領地に戻った。
ウル家は帝城から東にある領地を治めている。そのさらに東端まで、空送竜のサラはルークたちを乗せて飛んだ。飛竜といえど疲労はするので、途中で休憩と補給を挟みながらである。
そして、六竜帝国と、東に隣接する人間の国、スピアラン王国の境目が見えてきた。
国境といっても壁が築かれていたりはせず、交戦区域となっている部分が荒廃して荒れ地になり、二つの国の曖昧な境界を形成しているのみだった。
――その境界の内側に、大きな塔が建っている。
かなり離れた上空からも視認できるその塔は、国境の近くにあることから砦のようにも見えた。しかし、ウル家の軍は駐留していない。国境を超えて敵が侵入したときに対応する軍の砦は、ここから北方に離れた位置にある。
「姉上、あの塔が僕の修行する場所なんでしょうか?」
「ええ、そうよ。ルー君が隠居するって言うから、ウル家の中で管理している建物を、ルー君の居留地にしようと思って選んでいたの。あの塔は国境の近くだから、本当は候補から外していたのだけど、ルー君を育てるにはうってつけの場所なのよ」
「あの塔が……?」
『シャルム様、≪誘いの塔≫の屋上に降りられますか? それとも下から上がられますか』
サラがシャルムの判断を仰ぐ。竜の姿では喉を鳴らしたり、鳴き声を出すことしかできないが、それが竜人同士では意味を持った言葉として伝わる。
「どうしようかしら……そうね、暗くなる前に、塔の使い方を説明してしまいましょうか。そのあと、ゆっくり上階の居住区で休みましょう」
シャルムが指示を出すと、サラは急降下ではなく、なだらかに滑空して塔の周りを旋回しつつ、高度を下げていく。
あの塔は、一体何の目的で作られた場所なのか。そこで行う修練とは、いかなるものか――期待を抱くルークを、シャルムは微笑みながら見つめていた。
◆◇◆
地上が近づくにつれ、ルークは塔の周囲に起きている異変に気が付いた。
何者かが落としていった装備が散乱している。何人もの人間が罠にかかったようで、塔の近くにある草むらには、人や獣が踏むと足を挟む金属バサミが、いくつもこじ開けられて放置されていた。
サラが着陸すると、ルークは先に降り、姉をエスコートする。ルークに手を引かれて降りてきたシャルムは、周囲の光景の異様さを見ても落ち着いていた。
「姉上、これはいったい……? 誰かが、塔に入ろうとしたみたいですが」
「さすがルー君、鋭いわね。いっぱい罠があるでしょう? この塔は国境向こうからも見えていて、人間たちからはこんなふうに言われているの。『宝の塔』って」
「宝の塔……落ちてる装備からすると、罠にかかったのは軍隊の兵士じゃないみたいですね」
「おそらくは、山賊でしょうね。一番侵入者としては数が多いのだけど……この鋼鉄バサミを外して逃げても、しばらくは負傷で動けなくなっているはずよ」
シャルムは壊された罠に触れ、どのように動くのかを再現して見せる。草むらに隠されたスイッチの部分を踏むと、広げて設置されていた金属の輪が引き起こされて、足を挟む。刃こそついていないが、人間がまともに受ければ、革の防具の上からでも足を砕かれるだろう。
「人間は怪我の再生が遅いし、治療術師に支払うお布施も高いみたいで、この罠にかかると無力化する期間が長いのよ。けれど一度存在を知られると、この罠単体では避けられてしまうわ」
「誘いの塔……これが宝の塔だという情報を流して、侵入者を呼び寄せる。そして、罠などを使って撃退する……侵入者は捕獲して、彼らの装備などはお金に換えて、塔での生活に使ったりする。そういうこと……わぁっ!」
ルークが推論を言い終えた途端に、シャルムに捕まえられた。
聖女と呼ばれるゆえんの一つである、女僧正のような服。その胸の部分を大きく張りつめさせた山々が、ルークの顔を惜しみなく受け止める。
「偉いわルー君、お姉ちゃんが説明しなくても全部わかっちゃうなんて……ああ、こんな可愛いルー君を食べちゃおうなんて、リニアったら絶対に許せないわ……お姉ちゃんが代わりにやっつけてあげたいくらい」
「ぷはっ……あ、姉上。『リニア』って……」
「ユスティリニアのことよ。彼女のことを、私はそう呼んでいるの。私は光で、彼女は闇……相反しているけれど、純粋に強いという意味では敬意も抱いているわ」
(姉上と、ユスティリニアさんは友達……なのかな。僕のことがなかったら、本当はもう少し話せる関係なんだろうか)
「でも、リニアがそれだけ思い詰めているのは……」
「……姉上?」
シャルムはルークをじっと見つめる。彼女は何か言いたげにしているが、言葉を飲み込むと、弟の茶色の髪を撫でた。
「何でもないわ。ルー君、この塔はルー君の考えている通り、わざと他の国の目につく、ウル家の軍がすぐに対応できない位置に建てられているの。竜人の作った塔なら、悪い人たちは他の種族に対して攻撃することを躊躇しないから、宝があると思い込んで潜り込んでくるのよ。私たちがわざと情報を流しているとも知らずにね」
「大胆なことを考えますね……そのために、塔一つを作ってしまうなんて」
「ええ、お金はすごくかかったけれど、運用の仕方によっては、かけた資金を取り返せる施設だと思うわ。でも問題があるとしたら、仕掛ける罠や、塔の中の構造を作り変えるための資材が不足してくることかしら。鋼鉄バサミは、あと十個くらいしか倉庫に入ってないと思うわ」
ここまで姉がこの塔のことに詳しいということは――と考えて、ルークは思い当たる。
「この≪誘いの塔≫は、姉上が作られたものなのですか?」
「ええ、そうよ。ルー君が私に当主を譲って田舎に移りたいって言っているのを、侍女のみんなから聞いていたから。その時はここに来て、私とルー君で暮らしたいと思っていたの。ここでも水晶を使って連絡すれば、家の人たちへの指示は出せるから」
「……姉上……」
ルークは当主の継承権を捨てればシャルムと離れて暮らすことになるのが当然だと思っていたが、シャルムはまるで違うことを考えていた。
弟を育てる環境を用意し、彼自身が諦めかけていた進化の可能性を与えようとしていたのだ。それが今、ルークの窮地を救う希望となっている。
遠隔地同士の連絡に用いられる水晶も、扱いに慣れが必要だ。シャルムが水晶を買い入れ、使用法を学んでいたことも、ルークは彼女が有能であるがゆえに、多くのことを学びたいのだとばかり思っていた。
「僕は、姉上のことを近くで見ていたつもりで、何も知らなかった。どうして姉上は僕を甘やかすんだろうって、不思議に思うだけで……」
「お姉ちゃんもこう見えていろいろ考えているのよ。それはね、ルー君が何もしなくても、お姉ちゃんがお世話をしてあげたいって気持ちもあるわ。でもルー君は、滅多に人に甘えようとしない強い子だもの。その気持ちは、尊重したいと思っているのよ」
「……ありがとう」
「ふふっ……そういうときは、『ありがとうお姉ちゃん』って言ってくれないと」
「はい。ありがとう、お姉ちゃん」
正直な姉の言葉に、ルークも素直に応じた。シャルムは嬉しそうに笑い、和やかな空気が流れる。
たとえどこで生きていくとしても、姉と一緒なら寂しくはないのかもしれない。しかしルークは、そうやって逃げたとしたら、リニアは自分を許しはしないと分かっていた。そして、ルーク自身も自分の弱さから逃げたということになる。
「シャルム様、お話し中のところ申し訳ありません。どうやら罠で撤退した山賊たちは、残党を呼んでいたようです。あちらの森から、十人あまりの気配が近づいています」
「そう……今日はゆっくりしたかったけれど、仕方ないわね。ルー君、塔の周囲の罠を仕掛けなおすには時間がないから、塔の一階に引き込んで、侵入者を撃退するわよ」
「一階にも、迎撃するための仕掛けがあるんですね。わかりました、姉上」
ルークは怯えることなく、姉よりも先に塔に入って行こうとする。しかし扉の鍵が閉まっていることに気づくと、助けを呼ぶように姉を振り返った。
「あ、姉上……すみません、鍵がかかって……」
「ええ、鍵ならサラが持っているわ。開けてあげて」
「かしこまりました」
(こんなに勇気があるのに、ちょっと抜けているところもあって……ああ、可愛い。私の可愛いルー君……必ずあなたが自分を肯定できるまで、お姉ちゃんが育ててあげる)
シャルムが戦えば、山賊など相手にならない。しかし戦闘力を持たないルークでも、仕掛けを使えば山賊を倒し、捕獲できる可能性がある。竜素を手に入れるには、ルークがどのような手段を使っても、自分の手で侵入者を倒さなくてはならない。
求める竜素を持つ山賊をしもべにできれば、進化の時はぐっと近づく。ルークは日中に見たリニアの姿を思い出しながら、開かれた塔の中へと足を踏み入れた。