表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/27

プロローグ・2 金の髪持つ闇竜姫

 ◆帝国暦853年 3月 六竜帝国 帝城近郊の上空◆


 六竜帝国の中心には、広い湖がある。帝城はこの湖に浮かぶ島の上に作られており、元老院と皇帝の居城、外部から訪れた人々の滞在する迎賓館など、首都としての機能が一通り集約されている。


 貴族は移動の際に、空送竜カーゴドラゴンという大型の飛竜の姿を取ることができる家来に変身させ、その広く安定した背中に輿こしを積み、乗り込んで移動する。シャルムは独力で飛ぶことができるが、ルークは飛ぶことができないので、姉と共に空送竜で帝城へと赴いた。


 城の周りでは、水竜たちが優雅に泳いでいる。湖の透明度が保たれているのは、水竜が水を浄化する力を持っているからだ。


「わあ……姉上、やっぱり帝城はきれいですね。見ているだけでわくわくします」

「ふふっ……ルー君、そんなにはしゃいで。二月前にも年始のご挨拶に伺ったじゃない」

「何度見ても綺麗だと思います。水竜の人たちも、ウル家にはいないので珍しいですよね」

「……身体が大きいけれど、みんな女性よ。ルー君は水竜の女性が好きなの?」

「あっ……そ、そういうわけじゃないです。遠くからだと、女の人だと分からなかったんです」


 ルークはシャルムが不穏な空気をまとうと、生存本能に従ってすぐにフォローを入れる。シャルムは嬉しそうに微笑むと、簾をめくって外を見ていたルークを引き寄せ、膝の上に乗せた。


「ルー君のお嫁さんは、ゆっくり時間をかけて探さないと。おしとやかで、ルー君に優しくて、年上の女性がいいわね」


(全て姉上に当てはまるんだけど……膝が柔らかい……)


 ウル家の現当主――ルークとシャルムの父親は、二人の妻を持っている。シャルムは第二夫人の子であり、ルークは第一夫人が、シャルムの誕生から何年もかけて授かった子であった。


 竜人は『竜素』の発現の影響で普通の兄弟ですら全く違う容姿になることがあるというのに、母親が違えばほぼ意識としては他人に近くなる。そのため、近親婚を禁じる法が六竜帝国には定められていなかった。だからといって、姉を意識してはならないとルークは思っているのだが。


『シャルム様、ルーク様、帝城の着竜所に降下いたします』


「ええ、お願い。ルー君、しっかりお姉ちゃんに捕まっているのよ」

「捕まえられているのは、僕なんですけど……」


 ギュォォ、と空送竜が減速しながら降下していく。ルークは後ろに重心をかけざるを得なくなり、シャルムの柔らかい体に受け止められ、その感触に身もだえする。


「……ルー君の髪、いい匂い……」


 姉も適齢期で求婚者もあまただというのに、結婚する気配がまったくない理由は、自分の存在が影響しているのではないか。耳元での甘い囁きに、ルークはそう思わざるを得なかった。


 ◆◇◆


 着竜所に降りると、空送竜の女性――サラは人間の姿に戻った。彼女はウル家の家臣であり、シャルムの護衛を務めている。二人は年が近く、主人と家来というよりは友人のような関係性だった。


「お二人とも、お疲れ様でした。乗り心地はいかがでしたでしょうか」

「ええ、とても快適だったわ。ルー君はどうだった?」

「は、はい。ありがとうございます、サラさん」


(姉上の膝の上に座ってたから乗り心地が良かったなんて言ったら、僕はまた坊や扱いをされてしまう……でも、本当に快適だったな)


「身に余るお言葉です。それでは、元老院まで参りましょう」


 サラはルークの胸中を気取ることなく、二人の後ろに控えてついてくる。着竜所には各国から飛んできた竜がいて、これから飛び立つ竜もいれば、帝城に赴く一行もいた。


 ――その時ルークはぞくりと背中に冷たいものを感じて、思わず立ち止まった。


「ルー君……いえ。どうしたの? ルーク」


 シャルムは公衆の面前であることを意識して、弟を正式な名前で呼ぶ。ルークは震えていたが、姉の声に我に返り、辛うじて答えた。


「……何か、重々しい気配みたいなものを感じます」

「そう……彼女も、この帝城に来ているのかもしれないわね。この威圧感、間違いなく近くに来ているわ」


 シャルムが言う『彼女』にルークは心当たりがない。


 しかし、本能が恐怖している。この威圧感を、前にも一度経験している――。


「ここに滞在する間、何もないといいのだけど……私の傍を離れてはだめよ」

「は、はい。すみません、うろたえたりして」

「無理もないわ。ルークだけじゃなくて、ここにいる誰もが彼女を畏怖せずにいられない。私でも、存在を感じるだけで緊張するもの」


 あの強い姉が、名前すら口にすることを遠慮するような存在。それは『彼女』が光竜に匹敵する種であるということを示していた。


 ブラウンドラゴンのルークでは、及びもつかない存在。そんな相手が自分を歯牙にかけることなどないはずで、視線を感じたのは気のせいかもしれない。ルークはそう言い聞かせると、元老院に繋がる通路に向かった。


 ◆◇◆


 元老院には、皇帝を補佐する執政官が詰めている。執政官の中でも最も位が高い長老たちは、選帝侯家からの皇帝の選出においても、ある程度の影響力を持つ。


 次期皇帝は、クリューヌ家の当主が最も有力であるとされている。皇帝が決まれば、他の選帝侯家の当主は皇帝に属する家臣として、皇帝のものである領地を封じられて統治するという体裁となる。


 皇帝には竜としての強さも求められるため、ルークがウル家の当主となっても、皇帝になる可能性は万に一つもない。シャルムならばあるいはと言われていたが、クリューヌ家の当主は光竜と対になり、より強力ともいわれる闇竜として生まれ、幼少から最強の名を欲しいままにしてきた。


 ルークは幼いころ、帝城を訪問した際に、クリューヌ家ともわずかながら交流を持った。しかし、その時の記憶が曖昧になっている。


(僕はこの目で、今のクリューヌ家の当主を見たはずだということになっている。でも、覚えていない)


 何が起きたのか、シャルムも知っているはずだが、ルークに教えることはなかった。


 一つだけ心当たりがあるとすれば、ルークの背中の、鏡を使わないと見えないところにある傷だ。しかしその傷がほとんど薄くなり、見えなくなる頃には、ルークは抜け落ちた記憶のことを疑問に思わなくなった。


 ――なぜ、そのようなことを今になって思い出すのか。ルークは思考を振り払い、前を見る。姉に選帝侯を譲る、そのためにここに来たというのに、怯えているわけにはいかない。


 しかし、ルークたちの行く先にある、長老たちが待つ面会の広間から、煌びやかなドレスをまとった女性が姿を見せたとき。再びルークは足を止め、目を見開き、ただその姿を見つめる。


 流れるような、背に届くほどの金色の髪。氷のように冷たく、見るものすべてを射抜くほど鋭い瞳。


 長い睫毛に縁どられた瞳は、ともすれば憂いを帯びているようにも見える――しかし、ルークは悟っていた。その瞳にあるものは、炎。燃え盛るような感情の炎だ。


 怒りしか持たないかのように苛烈で、けれど生を謳歌するように美しい。シャルムとは全く異なる種類のものでも、彼女が美しいことは疑いようもなかった。


「……ユスティリニア。久しぶりね、しばらく会わなかったけれど、元気にしていた?」


 ユスティリニアと呼ばれた女性が歩いてくる。通路を行きかう人々に緊張が走り、ルークは思わず一歩後ずさった。


 この場にいるシャルム以外の誰もが、ユスティリニアを恐れ、畏怖を覚えていた。少し後ろから追従していたサラも、微動だにすることができなくなっている。


「あなたこそ元気そうね……シャルム。ルークも連れてきてくれるなんて、会いに行く手間が省けて嬉しいわ」

「っ……」


 ルークは思わず息を飲む。ユスティリニアに見られただけで、身体が固まる――上位種に威嚇され、身体が本能的に従属させられている。


 竜は、下位の竜を捕食することがある。太古の昔には、あらゆる物を喰らい暴虐の限りを尽くした竜が跋扈したが、六竜帝国の始祖によって排除され、弱い竜でも強い竜に従うことで生きられる国が作られた。


 以来、六竜帝国では同族の捕食を禁忌としている。しかしユスティリニアがルークを見る目は、その禁忌に触れると思わせるものだった。


「あ……ああ……っ」

「ユスティリニア、弟をこれ以上怖がらせないで。それ以上は、視線を向けるだけでも乱心と見なすわよ」


 シャルムがルークの前に出て、ユスティリニアの視線を遮る。それを見たユスティリニアは、さも愉快であるというように微笑んだ。


「怖がる……怖がるですって? 同じ選帝侯家の者同士で、何を怯えることがあるの? 私は、その子に見込みがあると思っただけ。ルーク=ウル、私はあなたに価値を感じているわ。そう、私の糧になるという価値をね」

「っ……あなた、まさか、本当に……」


 糧になるという言葉の意味が、ルークの胸に深く恐怖を刻み込む。


 ユスティリニア・クリューヌ。最強の竜種の一つと言われる闇竜ファーヴニルとして生まれ、生まれた時から絶対者として君臨することを約束された存在。


 彼女に、目をつけられてしまった。自分の弱さを認め、過ぎた権力を手にすることを望まず、息を潜めて生きていくつもりだったルークは、甘い考えだったと痛感する。


 弱いものは、強いものの目を避けなければ、生きることすらままならない。


 ユスティリニアから目をそらすことも許されず、ルークは弱肉強食の摂理を、生まれて初めて恐怖とともに理解していた。


「心配しなくても、ここでシャルムと戦うつもりはないわ。そんなことをしたら、帝城が崩壊してしまうしね。自分の居城になる場所を壊してしまうのは愚行だわ」

「あなたは皇帝に最も近いと言われているわね。それは、誰もが認めることよ……でも、私の弟は私が護るわ。今はまだ、あなたの命令を聞く必要はないもの」


 シャルムの答えを聞いても、ユスティリニアは気分を害した様子はなかった。近い格を持つ竜同士だからこそ、対等な会話が成立する。


 しかしルークは違う。ユスティリニアが目の前に歩いてきても、姉より少し小柄ではあるが、自分より背の高い彼女を見上げるしかない。


 どこまでも冷たく、けれど美しい。残酷なまでの力の差を感じながらも、ルークは宝石のような輝きを放つ闇竜の瞳に魅入られていた。


「選帝侯家の筆頭、クリューヌ家の当主として、ウル家のルークに申し入れるわ。私を力で屈服させるか、それとも――あきらめて私に喰べられるか。選びなさい」

「待ちなさい……っ、そんな蛮行が、まかり通るわけが……!」

「シャルム、あなたも分かっているはずよ。選帝侯家の間では、力量を比べるための決闘を行うことができる。その場で何が起ころうと、勝者が非難されるいわれはない。たとえ私が闇竜に変化して、この子を食べてしまってもね」

「……それ以上言わないで。そんなことを考えているだけで、私にはあなたを許すことができない」


 ルークの心臓が締め付けられるように痛み、脈動は際限なく早まる。


 ユスティリニアが皇帝に最も近いのならば、彼女がルークに決闘を申し入れたとしても、誰も否定できるものがいない。そこで何が行われても、最強の竜である皇帝を否定できる者などこの国にはいない――闇竜ファーヴニルに匹敵する光竜シルヴァリオンを除いて。


 姉とユスティリニアが戦えば、どちらもただでは済まない。このままでは、自分を守ってくれると言った姉を、命の危険に晒すことになる。


 戦いは今ここで始まってもおかしくはない。シャルムは既に、ユスティリニアに隠すことなく殺気を向けている。光竜は、相反する系統である闇竜に本能的に敵意を持つものであり、場合によっては本人の意思に関係なく竜に変身し、争い合う危険があるのだ。


「さあ、答えなさい。いずれ来る死を待つか、抗ってその運命を逃れるか。私もシャルムも、それほど気が長くないの」

「……僕は……」


 進化する見込みのない、ブラウンドラゴン。誰もが彼に期待せず、選帝侯家にふさわしくないと見なし、侮ってきた。


 領民はルークの優しさを評価する。だが六竜帝国は隣接する国との争いが続いており、ウル家の領地にも、たびたび他種族の軍が侵入して武力衝突が起きている。


 優しければ、弱くていいということではない。誰よりも、ルーク自身がよくわかっていた。


(僕は、ずっと姉上に守られてきた。それだけの、小さな存在……なのに、ユスティリニアさんは違うという。僕に、見込みがあると言ってくれている)


 ユスティリニアの真意は、ルークには分からない。しかし彼女が、弱いものを戯れにいたぶり、喰らいたいというだけで、自分に目を付けたのだとは思わなかった。


 なぜならクリューヌ家の当主は誇り高い人物であると、六竜帝国の隅々にまで名声が届いていたからだ。


 そんな彼女が、『自分を屈服させろ』という。ルークは震えていたが、その震えがおさまり、やがて完全に鎮まる。


 例え今は絶望的であっても、ユスティリニアが自分の可能性を認めていると信じたからだ。


「……限りなくゼロに近い可能性だと、自分でも思います。でも、僕は……あなたにただ殺されるより、竜として精一杯戦いたい」


 元老院の廊下にいて、ルークたちの遣り取りを固唾を飲んで見つめていた人々が、久しぶりにざわめいた。


 勝てるわけがない、虫けらのように殺されるだけだ。すでに進化しきった闇竜であるユスティリニアが茶竜のルークを捕食しても、何の利益もない――そんな、無情な言葉が聞こえてくる。


「静かになさい。彼は、私の申し入れを受け入れた。彼を貶すことは私が許さないわ」


 ユスティリニアの声が廊下に響くと、ざわめきが消える。彼女はルークを見てかすかに微笑むと、彼らの横を通り過ぎていく。


「ユスティリニア……あなた、本当は何を考えているの?」


 シャルムがその背中に声をかけても、ユスティリニアは手を上げて応じるだけで、答えは返さなかった。


「姉上、申し訳ありません。こんなことになって……」

「……いいのよ、ルーク。よく、勇気を出したわね……彼女の威圧を一身に向けられながら声を出せただけでも、すごいことよ」


 シャルムの言葉が意味するところは、ユスティリニアの関心は、初めからルークにのみ向けられていたということだった。


 優しい姉が、殺し合いをするところを見たくはなかった。叶うのなら、自分が強い竜に生まれ、姉を守りたかったと思う。


 課せられた運命を変えることは難しく、誰もが不可能だと言うのかもしれない――それでもルークは姉に強く抱きしめられながら、心から渇望した。どんな試練を乗り越えてでも、彼女とともに生きたいと。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
★新連載のお知らせ★
「世界最強の後衛 ~迷宮国の新人探索者~」
こちらもお読みいただけましたら幸いです!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ