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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

転生英雄ゆーしゃくん

作者:

投稿用に作成した短編を手直ししたものなので文章が少し硬めです

   ◇ 1 ◇ ゆーしゃくんとまおーさん


 平日午後四時少し前の、人通りは多少あるが車はあまり通らない住宅地のど真ん中。


 走り回る子供の笑い声が響くこの場所で、一見して微笑ましく、当事者にとっては生死を賭けた戦いが繰り広げられていた。


「出たなまおー! 今日こそせーせーどーどー、全力でしょーぶしろ!」


 びしぃっ! と人差し指を突き付けて宣言するのは、黒いランドセルと黄色いゴム付き帽子、光り輝く膝小僧をさらけ出す短パン装備の金髪青眼男子小学生。

 むん、と唇を引き結んで、意志の強さを感じさせるくりくりとした目に精一杯力を込めて、なんなら発育途上の胸筋をぐんと反らしているこの小学生。膝小僧に絆創膏装備というヤンチャなダンスィ丸出しな格好をしているが、その見てくれだけを評価すればかなり完成度の高い「イケショタ」である。


「断る!」


 そして、そんなイケショタに全力で人差し指を向けられているのは、ちょっと目付きの悪い、どこにでもいそうな学ラン姿の男子中学生である。学校帰りらしく、校章の刺繍された、パンパンに膨らんで見るからに重そうなスポーツバッグを邪魔くさそうに肩から吊り下げていた。


「なに!? まおーめ、ゆーしゃからのしんけんしょーぶを断る気か?!」

「当たり前だちんちくりん!! 俺は魔王じゃないし、お前と遊んでたら命がいくつあったって足りねぇんだよ!!」


 言いながら、ジリジリとイケショタから距離を取る中学生。表情は真剣そのものである。


「遊びじゃない!! しんけんしょーぶだ! くっ、こうなったらもんどーむよーだ!」

「お前それ意味もわからず言ってるだろ?!」


 さて、ここで「ゆーしゃ」を自称するイケショタが取り出したるは、そのへんに落ちていた「技名とかを叫びながら振り回したくなるようなイイカンジの木の枝」。何の変哲もない木の枝は、イケショタが「ハァッ!」と気合を込めるとあら不思議。


 パァッと光り輝いたかと思うと、次の瞬間にはきらめく白銀の剣へと変化していた。


「あああああやめろゆーしゃぁあ!! ここは日本だ銃刀法守れッ!!」

「いざじんじょーにぃ!」

「テメェコノヤロウッ、覚えたての日本語使いたいだけか!!」


 そうして、今ここに鬼ごっこ(ガチ)が開始されたのである。







 天宮あまみや正鷹まさたか。それが、つい先程まで「ゆーしゃ」を自称する銃刀法ガン無視小学生男子(金髪青眼イケショタ)から全力逃走していた、哀れな男子中学生の名である。


 たかが小学生と侮るなかれ。正鷹は重い鞄を引っさげていたし、イケショタは疲れを知らないかのように元気溌剌だし、なによりあからさまな超常現象によって生み出された輝く剣は、どう好意的に解釈しようと殺傷性が天元突破していた。

 そんな異常事態から命からがら逃げ続けていた正鷹は現在、なんとかたどり着いた安息の地「自宅」にて、自称勇者より2つ3つ年上の少年から、ガチ土下座を受けていた。


「このたびはうちの愚弟がご迷惑をおかけしまして大変申し訳ございませんでしたッ!!」

「おぅ・・・」


 返事をする気力もなくへばっている最中の正鷹。これまた金髪青眼の、ショタと言うには少々育ちすぎた少年のガチ謝罪を止める気力もないらしい。


「ほら悠希(ゆうき)! お前も謝りなさい!」

「えー」

「ゆ、う、き?」

「まーくんが嫌がってるのに追いかけまわしてごめんなさいでした」


 兄から笑顔と拳で説得され、「悠希」と呼ばれた自称ゆーしゃは光の速さで土下座した。これ以上たんこぶが増えるのは嫌だったのだ。なら始めから怒られるようなことをするな、という苦言は、残念ながら純然たるダンスィである悠希には理解できないのである。


「あー、・・・はぁ、もういいよ。ゆーしゃがアレなのは今に始まったことじゃねぇし、ケンちゃんが責任感じることもねぇよ」

「ケンちゃんって呼ぶのやめてください」


 やっと呼吸と心拍数がおちついた正鷹が、転がっていたフローリングから身体を起こす。今に始まったことじゃない、という言葉からも察せられる通り、若干諦めの滲んだ表情で頭を掻いていた。怒る気も失せているらしい。


「なんだケンちゃん、照れてんのか?」

天宮(あまみや)先輩、温厚なオレだって怒る時は怒るんですよ」

「オーケイ、俺が悪かった。だからその拳を解くんだ賢司クン」


 さわやかな笑顔でグッと拳を握りしめるケンちゃんこと賢司(けんじ)。つい先程暴走する弟を説得(物理)していた姿は「温厚」とは程遠かったが、それを指摘する勇気を正鷹は持ち合わせていない。骨身どころか魂まで響くんじゃないかというほどの痛みを味わうのは御免被るのだ。アレを食らって尚行動を改めないゆーしゃはある意味大物なんじゃないかと常々思っている。今のところ最有力候補は「学習能力のないただのアホ」説だが。


「ねーねー、もうお話終わったの? なら遊びに行こー?」

「オメーはフリでもいいから反省した素振り見せよ? な? 悪いこと言わねぇから」


 そしてこの態度である。こいつワザとやらかしてるんじゃないだろうな、と正鷹が邪推してしまう程度には、ゆーしゃに反省の色が見えない。


「なんで? 鬼ごっこ楽しかったよ?」


 心底理解できないとでも言いたげにコテンと小首を傾げるゆーしゃ。幼女がやればあざとさ満開で思わず笑顔になるような仕草だが、イケショタとは言え10歳のダンスィがやったところで殺意がマッハで芽生えるだけだ。正鷹は死ぬ思いをしたのだから尚更だ。


「鬼ごっこする時に聖剣(笑)は出しちゃいけませんってまーくんいつも言ってるだろ」

「まーくん(笑)」

「よっし殴る、いっぺんと言わず泣くまで殴る」


 さっき賢司にゲンコツくらったばかりだから少しは優しくしてやろう、と、湧き上がる苛立ちを抑え目線を合わせてしゃがんだ正鷹に、その優しさのようなものを全力でぶん投げて踏みにじる筋金入りのダンスィ。先にゆーしゃの聖剣(?)を馬鹿にしたのは正鷹であるため、ゆーしゃの態度が軟化しないのは当たり前といえば当たり前である。


「悠希、いいかげんにしなさい。先輩も大人げないですよ」

「やーい、コーハイに怒られてやんの」

「おん?? やるんか小学生。中学生に勝てると思ってんのか?? あん??」

「先輩・・・」


 争いは同レベルの間でしか起こらない。つまりそういうことである。賢司はとてもとても疲れた顔でため息をついていた。さもありなん。


「でも悠希。先輩が言ってた通り、聖剣は無闇に出しちゃダメだよ。いくら他の人には見えないからって、やっていいことと悪いことがある」


 自分の背中に隠れて正鷹へ「イーッ!」と威嚇行為を行っているゆーしゃの頭にぽふと手を置いて、賢司は可愛い弟を諭すために声をかける。対するゆーしゃは、若干不満気な顔をしながらも、お行儀よく「はぁい」と返事をした。


 それを見ていた正鷹は「兄の言うことだから聞くのか、ゲンコツが怖いから言うことを聞くのかどっちだ」とどうでもいいことを考えていた。彼の中では後者の論が優勢だった。


「でもまーくんはまおーだから聖剣で突き刺しても大丈夫だよ」

「いや仮に俺が魔王だとしたら、聖剣とか弱点の象徴だろ何言ってんだお前」


 一欠片の躊躇いもなく「大丈夫だ」と言い放ったゆーしゃに、思わずと言った様子でツッコミを入れる正鷹。眉間には盛大にシワが寄っている。


「まおーは一回やられても、あと二回変身を残してるから大丈夫なんだよ」


 ドヤ顔で言い放ったダンスィに、正鷹の鉄拳制裁が飛んだのは言うまでもない。







 痛いひどい鬼アクマ、と己を罵倒しまくるゆーしゃを引きずって、なんなら玄関を出る時に「お邪魔しました」と一礼して去っていった賢司に、自分にはない「オトナの余裕」を垣間見た正鷹が「なるほどこれが兄の余裕か」とどこかズレた感想を持ってから数分。


「あれ、まーくん、お友達が来てたんじゃなかったんね」

「んぁ? あ、ばーちゃん」


 座敷で宿題を広げていた正鷹の元に、お盆にコップを三つ乗せた祖母が現れた。どうやら玄関先でわちゃわちゃしていたのを聞きつけて用意してくれていたらしい。


「来てたけどすぐ帰ったよ」

「あらそう。声が聞こえたからお菓子持ってきたんだけど、遅かったかねぇ。せっかく持ってきたし、まーくん、食べん?」

「食べる」

「はいはい、じーじ呼んでくるからこれ並べとって」


 テーブルの上に広げていた宿題をぱたぱたと端に寄せて、祖母から麦茶の入ったガラスコップと栗の入った饅頭を受け取った。ガラスコップと言えば聞こえはいいが、その正体はラベルを剥がされたカップ酒の一合瓶である。なお正鷹はこれの正体を知らない。


「おうマー坊、さっきお父ちゃんから電話あったで。近い内に戻ってくるらしい」


 正鷹が自分の分の饅頭を手にとったところで、乱雑に襖を開けて祖父がやってきた。その後ろから、おかわりのお茶を持った祖母が部屋に入ってきて、静かに襖を閉める。


「へー。兄貴達もいるし、別に無理して帰ってこなくていいのに」

「そう言うてやるな。お父ちゃんも歳いってできたマー坊が心配で仕方ないんだろう」


 どっこいせ、と口にしながら座る祖父を横目に見ながら、栗饅頭に口をつける。中身はしっとり目のこし餡だった。うまい。


「おう、じーじのも食べてええぞ。後でお兄らの分も食べとけ」


 投げ寄越された饅頭を受け止めて、目だけで礼を言う。まだ口の中に饅頭が残っているのだ。口に物を入れたまま喋ると祖母の叱責が飛ぶのである。


 そのまま、現在海外出張している両親と、独り立ちして家を出て行った歳の離れた兄達の話題にシフトしていった祖父母の話に耳を傾けながら、正鷹はふと嘆息する。


 ああ、何故ここ最近、自分の日常は異常事態に溢れているのだろうか、と。







 コトの始まりは、仕事の忙しくなった両親が、苦肉の策で祖父母宅に正鷹を預けることにした、五年前まで遡る。


 当時小学校三年生だった正鷹は、急激な環境の変化に戸惑う——なんてことはなく、これでようやく慣れるほど繰り返していた転校をしなくてよくなるとルンルン気分だった。

 歳の離れた兄達は寮に入っていたり独り立ちしていたりしていて離れて暮らしていたため、正鷹は心配されながらも一人で祖父母の家に向かっていたのだが。


『まっ、まぉぁあああよぁぁぁああちゃんとい×△□#%$*△@』

『えっなにっ日本語しゃべって!?』


 道中ばったり出会った幼児に、出会い頭で縋り付かれギャン泣きされたのである。

 しかも金髪青眼の美幼児だったため、はじめは日本語を喋っていることに気が付かなかった。祖父母宅まであと三分の地点でのそれが、ゆーしゃこと伊森いもり悠希ゆうきとの出会いだ。


 ゆーしゃのガン泣きは兄賢司が弟を探しに来るまで続き、ついでに賢司も正鷹を見た瞬間に泣いた。驚いた正鷹の涙は止まった。どうすればいいかわからず半泣きだったのだ。


『ぐすっ、まおー、ぼくのことおぼえてないの?』

『覚えてるも何も初対面だけど・・・あと俺まおーとかじゃないし・・・』


 涙と鼻水とついでによだれでぐっちゃぐちゃな顔をしたゆーしゃに腰を掴まれたまま、どうすればいいのかわからなくてとりあえず汗で湿った頭を撫でてみる。ギュッと抱きついてきて服に顔を擦り付けられた。きちゃない。


『うぅう、まおー、ぜんせでぼくとたたかったの、ほんとにおぼえてないの?』

『えっ前世? なに?』

『だめだよゆーき、ムリに思い出させようとしちゃ。それに、あんな記憶、覚えてないほうがいいのかもしれない』

『ねえ待って?? 俺にもわかる話して?? 二人の世界作らないで??』


 引き剥がしたゆーしゃの顔と正鷹のシャツがきらめく透明な糸でつながっている。冷たいと思ったらやっぱり鼻水を擦り付けられていたらしい。きちゃない。


『記憶はなくても、まおーはまおーだよ。ゆうしゃ、今はそれでいいじゃないか』

『・・・わかった』

『待って、俺抜きで完結しないで。お願いだから説明して』


 残念ながら説明はなかった。


 そうして正鷹を未曾有の大混乱に陥れた二人は、困惑する正鷹の心境など無視して当たり前のように懐いた。末っ子だった正鷹も弟ができたようだと受け入れ、賢司が同じ小学校に通うひとつ下の学年の生徒だったことも手伝い、毎日のように遊んでいたのだが。


「こんな劇的ビフォーアフターはいらなかったよなぁ・・・」


 五年という歳月はヒトを変えるには充分すぎた。あんなに可愛かったゆーしゃが、今では立派なダンスィ。何故か他の人には見えない聖剣(?)を持って正鷹に突進してくるようになってしまったのだ。アレが何なのか正鷹は未だにわからない。


 だが、まぁ、ゆーしゃが「聖剣」だと言うのなら、アレは「聖剣」なのだろう。前世がどうこうという話を信じたワケではないのだが、ゆーしゃが【勇者】だと認めざるをえないのも、この「謎のチカラ」が原因だ。でなければ「早すぎる厨二病の到来」だとハナッから無視していただろう。自分が【魔王】だとは断固認めない。認められるわけがない。


「まーくんどうしたの?」


 はぁ、と深い深いため息をつけば、当たり前のようにやって来ていたゆーしゃが下から顔を覗き込んできた。幼い瞳が心配そうに揺れている。【勇者】と【魔王】は敵対しているのが常だと思っていたのだが、この「ゆーしゃ」にとってはそうではないらしい。


「なんでもねえよ」


 細い金糸の髪をさらさらと撫でてやれば、自称ゆーしゃは気持ちよさそうに目を細めた。


「ならいいや! まーくん、あーそーぼ!」

「宿題終わったらな」


 ぐりぐりと強めに頭を押さえつけてやれば、「ぅきゃー」と楽しそうな歓声を上げてぱたぱたと手を振るゆーしゃ。見つめる正鷹の目尻も思わず下がる。大人しくしていれば可愛げがあるのだ、大人しくしていれば。


「大人しくしてろよー。暴れたら出禁な」

「はーい。あ、虫だ」


 ばしゅっ。文字にすればそんな感じの音が聞こえて、正鷹は思わず問題集を解いていた手の動きを止めた。そうして、ぎ、ぎ、ぎ、と音がしそうなほどゆっくりとした動きで音のした方に視線を向ける。


 直視する勇気が出なくて落としていた視線をゆっくりと上げれば、ゆーしゃのまん丸い後頭部と、すっと伸ばされた腕と、何かを示すようにピンと反らされた指が見えて。


 そのさらに先、障子を開け放った庭の、コンクリートブロックを積み重ねた塀の側面。


 そこに、何かを叩きつけたような、ともすれば焼け焦げたような跡を見つけて。


「・・・暴れるなよ」

「うん」


 何も見なかったことにして、再び問題集に視線を落とした。

 だから、その時のゆーしゃの表情を、正鷹は知らないのである。












   ◇ 2 ◇ ゆーしゃくんと聖剣さん


「ねーねーまーくん、なんで聖剣で刺されるの嫌なの?」

「逆になんで刺されてもいいと思えると思ったの?」


 心底不思議そうに訊いてくるゆーしゃに、心底不思議そうに訊き返す正鷹。


 季節は初夏、場所は昼間の公園。聖剣(注:傍目には木の棒に見える)を構えてじりじりと前進するゆーしゃと、いつでも走り出せるように腰を落としてじりじりとあとずさる正鷹の姿は、控えめに言ってちょっとした事件性があった。配役が逆なら通報案件である。


「なんで? ちょっとチクっとするだけだよ?」

「どう考えても『チクッ』で済むような形状じゃねえんだよなぁ!」


 じりじり。なんとなく両手をゆーしゃに向けて構えている正鷹は、ゆーしゃの一挙一動を逃さないよう目を皿のようにしていた。


「でもそのだだ漏れてるオーラ的なもの封印しないと、まーくんもヤバいよ?」

「えっ何、俺オーラとか出てんの?」

「隙アリッ!」

「うおっひょぃ?!」


 思わず素で反応する正鷹。その隙を逃さず切り込んでくるゆーしゃ。間一髪で身体をよじって避ける正鷹。避けられて舌打ちでもしそうな顔をしているゆーしゃ。


「・・・何してるんですか先輩」

「これが遊んでるように見えるか?」

「ええ、とても」


 通りすがりの賢司、真顔である。正鷹はとても悲しそうな顔をした。芝生の上に倒れたままで。聖剣は身をよじった正鷹の脇あたりに刺さっていた。ゆーしゃはふてくされたように頬を膨らませていた。兄は無言で弟のほっぺたを潰した。


「へんきゅんいひゃいお」

「だまらっしゃい。あれだけ言ったのにまだ強引に切りかかろうとしたのは誰かな?」

「ぼくです! 反省してます! なので拳はやめてほしいですッ!!」


 ぐっと拳を握りしめてにっこり笑った兄に対し、弟の変わり身は早かった。シュバッと音が出そうな速度で正鷹から距離をとる。賢司は「よろしい」と拳を収めた。


「何もよろしくないよ??」


 命の危険にさらされた正鷹は、弟に甘すぎる兄に苦言を呈する。それがなんの意味も持たないことは、自身の兄達で既に学習済みだったが。


「ねぇ、ケンくんなんでこんなとこいるの?」


 このままこの話題を続けるのはヤバいと悟ったゆーしゃが半ば強引に話題転換を図る。なおゆーしゃの手を離れた聖剣は既に木の棒に戻っていた。正鷹は無言で己の小脇に突き刺さる木の枝を引き抜いた。芝生に穴が空いていたが努めて無視した。管理人に怒られるのは御免なのだ。謎現象は今に始まった事ではないのでもうつっこまない。


「図書館に行こうと思って。家にいてもチビ共がうるさいし」


 そう言って、肩にかけたトートバッグを示す賢司。ずっしりとしたそれの中には結構な冊数の本が入っていることが見て取れる。


「ちびども?」

「あれ、言ってませんでしたっけ。うち、四人兄弟なんですよ。オレが長男、悠希が次男、その下に妹と弟が一人ずついますよ」

「えっ」


 マジかよ、と視線で語りながらゆーしゃを見る正鷹。視線を向けられたゆーしゃは思い当たる節がなかったのでとりあえず小首を傾げておいた。


 マジかぁ、こいつもお兄ちゃんだったのかぁ、ぜんっぜん見えねえなぁ、ととても失礼なことを考えながらまじまじとゆーしゃを見つめる。なんとなく正鷹の視線の意味を察した賢司が渇いた笑みを浮かべた。ゆーしゃは相変わらず首を傾げていた。


「先輩も一緒にどうです?」

「へ?」

「図書館」


 まだ芝生に寝転がっていた正鷹に手を差し出しながら問う賢司。その手を借りて起き上がりながら、正鷹は束の間考える。


「いいや。借りるもんもねえし」


 服についた芝生を払いながら首をふる正鷹。賢司も「そうですか」とそれ以上の言及はなかった。ゆーしゃはまだ首を傾げていた。


「悠希も行かないの?」

「うん。まーくんと遊んでる」

「そ、わかった。先輩、今日暑いですから、こまめに水分取らせてくださいね」

「はいよ」


 トートバッグから水筒を取り出して正鷹に手渡す賢司。正鷹は「お母さんかな?」と思ったが表情には出さなかった。賢明な判断である。ゆーしゃは早速正鷹から水筒を取り上げてお茶を飲んでいた。自己管理のできる小学生。正鷹の出番はないかもしれない。







 時は流れて数十分後。正鷹が暑さに根負けし、それにゆーしゃも便乗して正鷹宅へ。正鷹の祖母が出してくれたお菓子も食べ終わり、やることもなく駄弁っていたのだが。

 ふと気になっていたことを思い出し、正鷹はむくりと身を起こした。


「なあゆーしゃ」

「んー?」

「さっき言ってた『オーラ的なもの』って、何? そんなヤバいもんなの?」

「んー」


 ごろんごろんと畳の上を転がって、やる気の欠片も見受けられないゆーしゃがコトリと首を傾げる。どうやら眠いらしい。今日暑いもんな、なんて思いながら、少し汗ばんだゆーしゃの頭をぐりぐりとかいぐりする正鷹。撫でられるのが心地いいのか、ゆーしゃの目が更にとろりととろけた。静かにしてると可愛げあるのになあ、と正鷹は思った。


「オーラというか、よじょうまりょく? まーくんはまおーだから、ほかのまぞくよりまりょくせいせいのうりょくがたかいんだよ」

「なんて?」


 うつらうつらと夢現を漂っているらしいゆーしゃがおぼつかない口調で何かを説明してくれているのだが、生憎厨二病は専門外なのである。


「んとね、いままではまえのぼくがやった封印がのこってたからだいじょーぶだったんだけど、さいきんなんでか封印が解けてきててね、まりょくせいせいがはじまっちゃったの。ここはまそがうすいから、まーくんの作るまりょくをねらってくるやつがいるんだよ」

「は? 封印? 魔力? 狙う?? ちょ、ゆーしゃ、それどういう・・・」


 ちょっと聞き捨てならない単語の羅列に、脳内を疑問で埋め尽くされた正鷹が慌ててゆーしゃの身体を揺すったのだけれど。


「すぴー」

「寝やがった・・・」


 秒速で寝てしまったゆーしゃが起きる気配はなかった。


 安心しきった顔をして気持ちよさ気に眠る子供を強引に起こすのは忍びなくて、正鷹は気の抜けた表情で無意識に力んでいた身体を弛緩させる。眠るゆーしゃに罪はない。そう自分に言い聞かせて、正鷹はそっとゆーしゃの頭の下に座布団を差し込んだ。


「封印に、魔力に、魔族、ね。なんかファンタジーじみてきたなあ・・・」


 ひしひしと、「今」のまま、平和な日常のままではいられない気配を感じて、「それは嫌だなあ」と風の吹き抜ける部屋でひとりごちる正鷹であった。







「結局あの『聖剣』って何なんだ」

「えっ」


 ゆーしゃを迎えに来た賢司に、出会い頭にふっかけたらビシッと音を立てて固まった。


 こいつ応用力ねえよな、とワリと失礼なことを考えながら、正鷹は賢司が再起動するまで静かに待つ。たっぷり3回は深呼吸が出来る時間を置いて、賢司が「はっ?!」と意識を回復させた。とりあえず「おかえり」と言っておいた。


「・・・今まで訊いてこなかったのに、どういう心境の変化ですか?」

「いやね、さっきゆーしゃが寝惚けてイロイロとしゃべってくれちゃってさあ。そろそろ見て見ぬふりもできなさそうだなって」

「・・・」


 眉間に盛大にシワを寄せて「頭痛が痛い」とでも言いたそうな顔をする賢司。ついでとばかりに額を片手で覆ってため息を吐き出した。口の中で小さく「愚弟が・・・」と言ったのを正鷹は聞き逃さなかったが、藪蛇になりたくなかったので口を噤むことにする。


「・・・それを聞いて、あなたはどうなさるおつもりですか?」


 躊躇いがちに口を開いた賢司の口調は、いつもの「先輩・後輩」の仲から生じる気安さの欠片もないもので。なるほど「前」はこんな感じで対峙してたんだなとなんとなく察した。いたいけな子供が浮かべるには物騒過ぎる表情である。似合わなさすぎていっそ笑えるレベルだ。


「別にどうにも? ただ、まあ、そうだな。必要なら、切られてもいいとは思ってる」

「・・・・・・」


 そう言えば、賢司は中学生には不釣り合いな、痛ましさを耐えるような、何かに安堵するような、それでいて泣きたいのを我慢するような、形容しがたい顔をして。


「・・・あなたは何も変わりませんね、【×××】」


 正鷹の知らない単語を口にした。


「あのなあ、俺は、お前らの言う【魔王】じゃない。それは、お前もわかってんだろうが」


 懺悔するように俯く賢司の頭に手を置いて、少しだけ力を込める。まだ成長しきっていない、線の細い華奢な肉体。ただの中学生の身体だ。


「俺は俺で、お前はお前で、それはお前らの言う【前世】とやらの延長にあるもんじゃない。俺はそう思ってんだがな、ケンちゃん?」


「・・・ケンちゃんって呼ぶのやめてもらえませんか、天宮先輩」


 賢司が、中学生に似つかわしくない、幼気な顔で泣きそうに笑うから、正鷹は「生意気な後輩め」と乱雑に金糸の髪を掻き回してやった。


「それで、聖剣の話だが」


 ぐず、と鼻を啜る音に気付かないフリをしながら、正鷹は賢司を見据えて腕を組む。前世とやらを覚えてるならもうちょっと精神年齢高めでも不思議じゃないんだけどなあ、とは思ったが表情には出さなかった。懸命な判断である。


「あ、先輩。そう言えば悠希は?」

「寝てる。まだ十五分位だから問題無い」

「わかりました。ならあいつが寝てる間にある程度説明してしまいましょう」

「おう、上がれ上がれ」


 言いながら踵を返す正鷹の背に続いて、賢司は慣れた様子で「お邪魔します」と頭を下げるのであった。







「聖剣は、端的に言えは『対魔王用特殊封印具』です」

「封印具?」


 余っていた饅頭と冷茶を台所からくすねて、テーブルの上に置く。そのまま賢司の対面に座り込めば、思ってなかった言葉を聞いて思わず首を傾げた。


「はい。勇者専用の、封印具です」

「・・・ふぅん?」


 封印具、と言うには、文字通りなかなかに「尖った」見た目をしている。正鷹自身、ゆーしゃが構える聖剣から物騒な気配を感じ取っているため、賢司の言葉を素直に受け止めることは難しかった。


「・・・聖剣について詳しく話そうとすれば、必然的に『前の世界』の話もしなきゃいけないんですけど・・・」

「長くなるのはパスで」

「ですよねー」


 ひらひらと手を閃かせる正鷹に、賢司は「先輩、聞き下手ですもんね」と苦笑して、ガラスコップに淹れられた冷茶を手にとった。澄んだ緑が目に美しい。さり気なく後輩にディスられた正鷹だが、幸いというか当人がそれに気付いていないのでノーカンである。


「んー、そうですねぇ。とりあえず、聖剣は『魔王の魔力を封印するための道具』だと思ってもらえれば大丈夫です。そのために、『前』のオレが作った物なんで」

「お前が? 聖剣を?」

「はい。『勇者』に頼まれて。あと、オレ自身も、『魔王』を殺したくなかった。だから聖剣の殺傷能力はそんなに高くないですよ」

「・・・アレで?」

「あれで。先輩がアレを恐ろしく感じるのはたぶん、封印がめっちゃくちゃしんどいからでしょうね。なにせ基礎代謝を無理矢理押さえ込むようなもんですから。記憶になくても魂が覚えてるんですよ」

「あー・・・」


 いろんなトンデモ話が間髪入れずに展開された気がしたが、正鷹的には「聖剣はゆーしゃ専用の封印具で、封印されると滅茶苦茶しんどい」ことがわかればそれで充分だった。魔力とか魔王とかはよくわからないが、「滅茶苦茶しんどい」のはいただけない。

 正鷹が何やら葛藤しているのを横目に、賢司はお茶受けの饅頭に手を伸ばす。中身は栗の入ったしっとり目のこし餡。賢司は「粒餡がよかった」と思ったが口には出さなかった。


「・・・ちなみに、封印方法は?」

「先輩が思ってる通りですよ」


 饅頭を一口大に分割しながら食べていた賢司が視線で「わかってるくせに」と正鷹をなじる。粒餡の方が好きでもこの饅頭はおいしかったらしい。


「・・・要するに、対象にぶっ刺す、と」

「ご明察です」


 おめでとーございまーす、と棒読み甚だしい口調で褒め称えてくれたが何も嬉しくない。むしろ外れてくれた方がよかったなあ、とぱちぱち拍手している賢司を見ながら思う。


「・・・なあ、前言撤回していい?」

「オレは別にいいですけど。ただ、今のオレには感じられませんが、悠希が言うなら封印が解けてきてるのは事実ですよ。それで先輩に不都合がなければお好きにどうぞ」

「ぐぬぬ」


 正直、正鷹にはまだ封印がどんなものか理解できていない。それが解けるのがいいのか悪いのかも判断がつかない。


 ああ見えてゆーしゃは正鷹を害するものには容赦がないため、ゆーしゃが半ば強硬手段に出ている現状、封印はした方がいいのだろうとも思う。

 が、それとこれとは話が別だ。誰が好き好んで刃物にぶっ刺されたいと思うだろうか。


「・・・し」

「し?」

「・・・しばらくの間は保留でオネガイシマス」


 正鷹が選択したのは「先延ばし」だった。心の準備が出来るまで待って、と心の中で弁明していたが、はたしてこの先、正鷹の心の準備が整うことはあるのだろうか。


 少なくとも、現在は誰も知らないのである。











   ◇ 3 ◇ ゆーしゃくんと来訪者さん


「そういや先輩って、なんで悠希のこと『ゆーしゃ』って呼ぶんですか?」

「へ?」

「痛い痛い痛い!! ギブ! まーくんギブだって!!」


 正鷹が出会いざまに聖剣でカンチョーを仕掛けてきやがったゆーしゃにヘッドロックをキメていると、丁度帰宅途中だった賢司が弟の心配をする素振りなくそんなことを訊いた。


「なんでってお前、ゆーしゃはゆーしゃだろうが。本人もそう言ってたし」

「いだだだだだだ!? ちょ、まーくん小学生相手に容赦なさすぎない?!」


 流れるようにスリーパーホールドをキメながら首を傾げる正鷹。一応オトさないように気を付けてはいるようで、ゆーしゃは顔を真っ赤にして正鷹の腕をバシバシ叩いている。


「理由になってませんよそれ。まぁ弟の呼び方なんてどうでもいいんですけど」

「ねえケンくん?? 賢司兄さん?? かわいい弟がオトされる一歩手前なんだよ?? 助けようとか、せめて注意しようとかないの??」

「先輩、こいつ何やらかしたんですか」

「出会い頭にケツを狙われた」

「おまえが悪い」


 けんじはぜったいれいどのしせんをつかった! こうかはばつぐんだ!


「今の言い方には語弊があると思います!!」

「おー、お前よくそんな難しい言葉知ってたな」


 それに免じて開放してしんぜよう、とやっとこゆーしゃにかけていた締め技を解く正鷹。大地に両手をついて息も絶え絶えなゆーしゃは「ひどい」と思ったが、よくよく考えれば原因を作ったのは自分なのを思い出して口をつぐんだ。賢明な判断である。


「まおーとゆーしゃはお互いを固有名詞で呼べないから、しかたないんだよ」

「いや意味わからんし」


 代わりに兄の素朴な疑問に答えることにしたらしい。ゆーしゃ的にはこれ以上ない端的な回答をしたつもりだったが、正鷹にバッサリ切り捨てられてしまった。


「そーとしか言えないんだもん。記憶になくても、魂にインプットされてるんだよ」

「その理屈でいくと、ゆーしゃは俺のこと魔王って呼ばなきゃおかしいだろ」

「まーくんの『ま』は『まおー』の『ま』だから問題ないんだよ」

「そーゆーもんか?」

「そーゆーもんなの」


 えらくキリッとした表情で断言するゆーしゃ。残念ながら地面に寝転んだまま言われても説得力の欠片もない。正鷹はビミョーそうな顔をしていた。


「まぁお前のマイルールには興味ねえけど。俺は俺の好きなようにするだけだし」

「それでいいと思うよ」

「・・・・・・」

「痛っ?! ナンデ!? ぼく何もしてなくない?!」


 がっしがっしと頭を掻きながら言い捨てれば、ゆーしゃが妙に慈愛に満ちた顔で正鷹を見上げてくるので。それがなんとなく気に入らなくて、無言でアイアンクローを仕掛けた。手のひらに収まるゆーしゃの顔が小さくて余計にイラっとした。イケメンは敵なのだ。


「・・・ふぅん、なるほどね。舞台装置に名前は要らないってことか」

「そーゆーことだろーねー」

「?」


 また何やら兄弟同士で通じ合っている様子の二人に首を傾げる正鷹。夏頃、ゆーしゃがやらかしてくれたおかげで自分を取り巻く事象の一端を知ったのだが、正鷹自身がさほど興味がなかったため、それ以上深く訊かなかったのだ。おかげで未だに二人の会話が三分の二以上わからない。だからと言って別に困っていないので、これ以上厨二病を発病させたような説明を聞く気はないのだが。


 しかし、聖剣の件もあるし、もう少し気にした方がいいんだろうか。封印がうんたら言う話を先延ばしに延ばして、結局数ヶ月経ってしまったわけだし。


「先輩、思い悩んでるところ悪いんですが、そろそろ手を離してください。弟が死にます」

「あ、悪ぃ」


 ゆーしゃをアイアンクローから解放するのを忘れていた。ゆーしゃは白目をむいていた。ちょっとだけ罪悪感が湧いた。ちょっとだけ。








 図らずしもオトしてしまったゆーしゃを賢司に預け、正鷹は一人帰路についていた。


「ゆーしゃ、ゆーしゃ、・・・勇者ねえ」


 道すがら、なんとなく賢司に問われたことを思い出す。


 何故、と言われても、正鷹の中にその答えはない。いくら探しても見当たらない上、ゆーしゃの厨二妄想としか思えない説明を聞いても「何故」と疑問にすら思わないのだ。

 疑問に思わないことを疑問に思うし、言いようのない気持ち悪さも感じているのだが、どうしてか勇者や魔王、そして【前世】に関連する事柄に対して積極的になれない。


 否、「積極的になれない」と言うよりも、むしろ。


「必要以上に詮索できないようにされてる、のか? これは」


 思い至った答えを口に出してみれば、なるほどすとんと腑に落ちる。元来正鷹は面倒くさがりで、物事をあまり深く考えない性質ではあるが、こと「ゆーしゃとそれに関わる事象」については度が過ぎている。以前賢司に聞いた「聖剣と封印」の件にしても、あまり悩まず即決することが多い正鷹にしては、結論を出すのに時間をかけすぎていた。

 しかし、だとすれば、一体誰が——いや、『何』がそんなことを。


「――は」


 そう考えた瞬間、正鷹の脳裏で何かが弾けた。

 ぱちん、と音がしそうなほど唐突に、正鷹の思考が停止し、今まで考えていたことの一切が、何処かへと流されてしまう。


「――あー・・・。これは、思いの外、厄介な」


 思わず、眉間にしわが寄る。不可解な事象に対して苛立ちすら起こらない自分が、何か未知なるものに変質してしまったようで気味が悪い。正鷹は意識して深く息を吐きだした。


 記憶を失った訳ではない。今まで自分が何を考えていて、どうしようとしていたのかも覚えている。ただ、どうしても、それ以上思考が続かない。疑問が、興味が、思考が、目に見えない何かに拒まれて凝るのだ。


「んー、どうすっかなあ・・・あいつらに相談――するのもダメか。はぁ」


 一度気付いてしまえば、二度目以降は意識するまでもない。不自然な思考停止は、けれど記憶に穴が空く訳でもないため、他者からは気付かれ難いだろう。となると、現状自分から行動を起こせない正鷹に為す術はない。やる気が起きない、と言ってしまえばそれまでだが、無理をすれば何が起こるかわからない気持ち悪さもある。

 なるほど上手くできている。ブツブツと唐突に停止する思考では大したことは思いつかないが、自分にこの術をかけた存在がかなりやり手であることは察せられた。いっそマインドコントロールされていないだけ御の字だと言える。


 そこまで考えてふと、正鷹は自分の現状に気付けた原因に思い当たった。


 封印。賢司曰く、今の正鷹は封印が解けかけた状態にあるらしい。ゆーしゃが正鷹を聖剣で狙い始めて、そろそろ一年が経とうとしている。


 ならば、もし。このまま封印が完全に解けてしまったら?


「——っ」


 ずきり、と脳味噌の奥の方が傷んで、正鷹は思わず足を止める。

 痛んだのは一瞬。まるで何かを無理矢理引きずり出そうとしたような痛みが治まった時、正鷹が抱いていた疑問は、綺麗サッパリ忘れてしまっていた。







「だからってこの展開はないと思うんですよ俺はッ!!」


 正鷹は走っていた。どうしてこうなってしまったのか全く全然これっぽっちもわからなかったが、止まれば死ぬと確信して、死ぬ気で走っていた。


 ズザザザ、と運動靴の底をアスファルトに擦り付け、人気のない道へと直角に曲がる。

 直後、T字路の壁に、程よく水分を含んだ太い丸太がぶち当たったような音が轟いた。


「俺が! 何を! したってんだ!! 大人しく聖剣とやらにぶっ刺されときゃこの展開はなかったってのか!? どうなんだよおい!!」


 叫んだところで答えが返ってくるわけもなく。

 いや、背後から追ってくる「よくわからないもの」が、擬音できない声で何か叫んでいた。声と言うか、ざらついた硬いものをこすりあわせたような音だったが。


 お察しの通り、正鷹は現在、よくわからないものに追いかけられていた。

 理由は正鷹にはわからない。わかるのは、いつも通りの下校途中、何やらゾッと悪寒に襲われたと思ったら、急に湧いて出てきた、文字通り「湧いて出てきた」バケモノに、問答無用で追いかけられたことだけ。


 バケモノの正体など正鷹に分かるはずもなく、ただの中学生にバケモノと戦う方法がある訳でもなく、ともすれば命の危機に瀕して秘められたチカラが覚醒するかもしれないと一瞬だけ夢見たがそんな奇跡が起こることもなく。

 他称魔王な中学生にできることは、唯一対抗できそうな知り合いが駆けつけてくれるまで逃げることだけだった。ちなみに、手に持っていたクソ重い鞄は、かなり早い段階でバケモノの鼻面にくれてやったため、既に正鷹の手元にはない。


「くひっ、ひひっ、ああクソッ、一周回って笑えてきたぞおいっ!」


 もう一度道を鋭角に曲がった時、ちらっと見たカーブミラーにバケモノの姿が写っており、それが数分前自分が見た時より形が崩れていることに気が付いてしまい、気持ち悪さと意味の分からなさと息苦しさにキャパオーバーした脳味噌が腹膜を引きつらせた。


 なんかもう意味がわからなさすぎて涙出てきた。涙で霞む視界を拭い拭い、正鷹はひた走る。泣きながら引き笑いして全力疾走している姿は、傍目に見ると思わず全力で視線を逸らしてしまいそうないたたまれなさに包まれていた。


 こんな状態であるからか、数日前から正鷹の頭を悩ませていた「思考停止」は起こっていない。代わりに鈍い頭痛がしているのだが、現在アドレナリンがフルスロットルで分泌されている正鷹が些細な痛みに気付くはずもなく。

 正鷹の変化は、静かに、しかし確かに起こっていた。


「チィッ、いっつも無駄にまとわり付いてくるくせに肝心な時に役に立たねえ!!」

「誰が役に立たないって?」

「!!」


 体力の限界が来そうな状態で思わず悪態をついた正鷹の耳が、救世主の声を捉える。

 直後。


   ドゴンッ


「————————————ァッ!!!」


 絶叫。耳をつん裂くような、ひどく耳障りな声がした。遅れて、ズズン、と巨大なものが倒れ伏す音。


「はぁっ、はぁ、はひ、ひぅ」


 地響きを立てて揺れる地面を感じながら、背後のバケモノが止まった気配を感じて足を止める。遠のいていた心臓の音が、まるで耳の中で脈打っているかのように暴れまわっていた。心臓がぐぅっと押さえつけられるように痛んで、それ以上に肺が悲鳴を上げている。コンディションはお世辞にもいいとは言えなくて、砂煙が立ち込めて視界も悪いが、今の正鷹が不安になることはなかった。


 とた、と足音がする。ゆっくりと薄くなる砂塵の向こうで、バケモノが震えながら地に伏しているのが見えた。本来ならこの隙に逃げた方がいいのだろうが、もう正鷹には逃げるという選択肢がなくなっていた。


 だって、もう逃げる必要はない。あいつが来たから。来てくれたから!


「おまたせおまたせおまたせ! 急に魔物の気配がするんだもん、びっくりしちゃった」


 それは、文字通り空から降ってきた勇者だ。


 黄金の髪を風に遊ばせ、空色の瞳を好戦的にきらめかせ、光り輝く聖なる剣を携えて。


「ゆーしゃ!! お前っ――・・・なんか・・・ごめん」


 輝いている(物理)ゆーしゃを認めた正鷹の半分死んでいた目が一瞬輝いたが、現在のゆーしゃの姿を把握してそっと視線を逸らす。今まで触れれば切れそうなほど張り詰めていた緊張感やら切迫感は物の見事に霧散した。


「えっそこで謝られるとぼくの立場がないんだけど」

「いや・・・うん・・・ちゃうねん・・・事実を再確認しただけやねん・・・俺が悪かったねん・・・」

「なぜエセ関西弁」


 正鷹は、状況を忘れて思わず顔を手で覆った。


 だっていたたまれなかったのだ。

 ゆーしゃが、輝く聖剣を右手に持ち、黄色い通学帽を左手に持ち、縦笛がハミ出た黒いランドセルを背負って、スイムバッグを斜めがけにしていたから。


「ごめん・・・ごめんな・・・お前小学生だったんだよな・・・俺小学生頼りにしてたんだよな・・・勇者自称してるけど所詮自称だもんな・・・俺何でこのちんちくりんアテにしてたんだろ・・・バカかよ・・・どっちかってーと俺が守る側だろ・・・」

「あ、あの、まーくん?」

「待っていま自己嫌悪で忙しい」

「お、おう」


 様子のおかしい自分を気遣うゆーしゃを片手で制して、バケモノがまだダメージから回復していないのをいいことに、正鷹は心置きなく自己嫌悪に耽っている。放置されたゆーしゃはどうしていいかわからずにただおろおろしていた。


「・・・水泳の授業楽しかったか?」

「えっ、うん。あ! そうだまーくん聞いて聞いて! あのね、ぼく今日初めて25メートル泳げたんだよ!」

「ンッッ」


 ゆーしゃにより(無意識に)トドメを刺された正鷹は死んだ。最期の言葉は「だんししょうがくせいとうとい」だった。悔いばかり残る人生だった。


「待って待って待って!! ノッたぼくも悪かったけど!! まーくん起きて!!」

「へんじがないただのしかばねのようだ・・・」

「もう! 遊んでないで起きてってば!! マジで死ぬぞ!!」

「えっ」


 両手で顔を覆って縮こまるように地面に寝転がっていた正鷹は、不意にガチトーンになったゆーしゃに襟首を掴まれた。


   ガゴンッ


「うぁっ?!」


 間一髪。首筋に風圧を感じたと思った瞬間、正鷹の身体を掠めて巨大な質量を持ったモノがアスファルトに激突した。


「ゆーしゃ?!」

「ぼくは大丈夫だからまーくんは逃げることに集中して!!」


 その細い腕のどこにそんな力があったのか。ゆーしゃは正鷹の襟首を掴んだままその場から飛び退ると、その勢いのまま正鷹の身体を後方にぶん投げる。

 ふわっ、と内臓を掬い上げられるような浮遊感。ただの中学生が咄嗟に態勢を立て直せるはずもなく、正鷹は首を突き出すような形で放物線を描いた。


 地面に叩きつけられる! と、ギュッと身を硬くして衝撃に備えて。


「うーわ。オレにもわかるくらいだから相当ですよ先輩」

「へ?」


 ぽすん。予想外にやわらかな音を立てて、正鷹は誰かの腕に抱え込まれた。


「け、賢司? ナンデ?」

「細かいこたぁいいじゃないですか」


 正鷹の着地点に待ち構えていたのは、いつも通りすました顔をした賢司だった。


「それより先輩、移動しますよ。そんなにだだ漏らしてたら、逆に悠希の邪魔になります」


 顔はすましているが余裕がある訳ではないらしい。走ってきたのか、近くで見ると汗をかいている上かなり息が荒い。


「俺お前もフツーに空から降ってくんのかと思ってたわ・・・」

「なんでそうなるんですか。オレをあの人外スペックと一緒にしないでください」


 さりげなく弟をディスりながら、未だ放心状態の正鷹を引きずるようにしてその場から離れる賢司。それを追おうとバケモノが身を捩るが。


「おっと。行かせないよ」


 ゆーしゃがそれを許さない。


「ゆっ」

「まーくん、いいから行って。ケンくんの言う通り、ここに居られるとジャマ」

「っ、」


 その背にフライハイの衝撃から立ち直った正鷹が手を伸ばすが、いつになく真剣な顔をしたゆーしゃにすげなくあしらわれてしまう。


 邪魔。ゆーしゃから告げられたその言葉がどうしてか心に突き刺さる。わかっていたことなのに、俺にもできることがあったはずだと、心の奥底で叫んでいる自分がいた。

 記憶にないその悲痛な叫びを耳元で聞きながら、正鷹は歯を食いしばって踵を返す。この叫びは俺のものじゃない。そんな確信があった。


「っ、いいかゆーしゃ! 怪我しやがったら今後俺ん家出入り禁止にするからな!」

「えっやだ! わかったから早く行って!!」


 バケモノから伸びた触手のようなものの攻撃をいなしながら叫ぶゆーしゃ。その姿を振り切るように、正鷹は先を走る賢司の背を追うのだった。


「さてさてさて。まーくんも行ったし、これでやっとお前の相手ができるね」


 ぺろ、と好戦的に唇を舐める勇者。ゴム付きの黄色い帽子を背中に垂らして、縦笛の突き出たランドセルを背負って、スイムバッグを斜めがけにしていても、その小さな体躯から発せられる覇気は猛獣の王者を思わせるそれだ。


 ぐるる、と、バケモノが——異世界の魔物が、魔素のない世界で焼け爛れた喉を震わせる。勇者のまとう覇気を警戒しているらしく、考えなしに飛び出す愚行は犯さなかった。


「へぇ、尾長鬼猿獣、ってとこかな? 見たことないやつだけどかなりの大物だね。これは契約違反って言ってもいいんじゃないかなぁ?」

「GYUROOOOOOO!」


 正鷹は気付かなかったが、この短い間で魔物はその姿を大きく変えている。

 黒いモヤに覆われて全貌が見えなかった体はあちこちが醜く膨れ上がり焼け爛れていたが、黄土色の体毛に覆われた体躯は二メートルに届くかと思われる。特徴は、体長より長く太い尾と、額に生えた一本角。だが角の方は半ば辺りからポッキリと折れており、体には幾つか刀傷のようなものが見えた。既に手負いであるらしい。


「ね、苦しいでしょう? この世界は魔素が極端に少ない上に、ぼくの聖剣は魔素を吸収するからね。まーくんが生成する魔素を狙ってきたみたいだけど、ご愁傷様?」


 ギャリ、と鬼猿の鋭い爪がアスファルトを抉る。対峙する勇者はと言えば、特に構えをとることなく、自然体でいた。


 ぐおう、と鬼猿が飛ぶ。


 牽制するようにしなる尾を、聖剣で払い、往なし、時に突き斬り払い、勇者は鬼猿の間合いへと突き進む。

 勇者の言う通り、鬼猿は魔素の薄いこの世界で存在できるほど矮小な存在ではなく、かといって強大な存在でもなかった。魔素を生み出す魔王を手中に収めない限り、鬼猿は消滅するまでの時間を、ただただ焼け爛れていく肉体を持て余して過ごすしかない。それでも、鬼猿はチカラが欲しかった。だから、この世界にあの麗しき魂があると知った時、迷わず世界の狭間に飛び込んだのだから。


「残念だったねぇ、あの人は、もう、【魔王】にはならないよ」


 だが鬼猿の心情など勇者は知ったこっちゃない。


 決着は一瞬だった。


 迫り来る尾を弾いた勇者が、小さな体躯を生かし鬼猿の目の前で斜めに沈み込むように踏み抜け、鬼猿が自分を見失ったところで背後から核を一突きにしたのだ。


「GYYYYYYYYYYY!!」


 魔獣にとって、魔素の貯蔵庫である核を壊されることは死を意味する。しかも、今己に突き立てられている剣は魔素喰らいだ。肉体から急激に魔素を吸い取られる苦痛に喘ぎながら、鬼猿はせめて一矢報いようと勇者の持つ聖剣にその強靭な爪を振り下ろした。


 が。


「ざーんねん。今のコレに実体はないよ」


 鬼猿の爪は虚しく虚空を引き裂くだけだった。愕然とする鬼猿の目の前で、勇者が手にしていた聖剣が光の粒子に分解されていく。いつもは適当な木の棒などを媒体にしているが、今回はそれすら存在しなかった。


「ごめんよ、哀れな来訪者さん。これは僕のエゴだってわかってる。けど、どうしても、あの人を放っておけなかったんだ」


 恨めしげな眼差しを己に向ける魔獣に、ゆーしゃは懺悔するように言葉を紡ぐ。苦しそうに喘いで胸元をぎゅうっと握りしめる姿は、今し方の戦闘シーンを見ていなければただの不安げな小学生に見えただろう。

 だが、そんな姿を見せたのも一瞬だけ。


「ゆーしゃ!!」

「あ、まーくん! よかったー、怪我とかない?」

「お前が守ってくれたんだからあるわけねえだろこんの馬鹿!! 大丈夫だってわかってても心配したんだぞ!」


 鬼猿の断末魔を聞きつけた正鷹達が戻ってきたのだ。途端にゆーしゃは今までの儚げな様子を一転させ、元気いっぱいににぱっと笑った。


「ケンくんもごめんねぇ、嫌な役割押し付けちゃった」

「いいよ。弟の頼みを聞くのも兄貴の役目でしょ」


 走り回ったせいで息の荒い兄に乱雑に髪をかき混ぜられ、ゆーしゃは「やめて」と言いながら照れたように目尻を赤くする。


「ところでゆーしゃ。俺、お前にぶん投げられたのとジャマって言われたの、許してねえんだけど?」

「エッ」


 にっこり。そんな擬音語が聞こえそうな顔で正鷹がわらっている。


「あ、あの、えと、あああれはふかこうりょくってやつで・・・」


 しどろもどろになりながらゆーしゃが一歩二歩と後退る。正鷹はにっこにっこと追い詰めていく。賢司は「またやってら」と呆れ顔である。


「おう難しい言葉よく知ってるな」

「じゃあ!」

「だが許さぬ!」

「あああああああああ!!」


 徐々に風化していく魔獣の傍で、それはそれは見事なサソリ固めが決まったのだった。













  ◇ 4 ◇ ゆーしゃくんと女神さま


「おいどうすんだこれ」


 一頻りゆーしゃを労ったのち、改めて周りを見渡して、正鷹はさっと顔色を悪くした。

 なにせ、アスファルトは何箇所かひび割れているし、ブロック塀には猛獣がつけたのかと言いたくなるような爪痕が残っているし、他にも細々と器物破損の跡がある。


「なんとかなるんじゃない?」

「ならないんじゃないかな??」


 だがゆーしゃに気にした素振りはない。


「だって考えてみてよ。あれだけ大きな音がしてたのに、誰も来ないんだよ。これはもう何らかの不思議なチカラが働いてると言っても過言じゃないよ」

「いやそうかもし——・・・」


 と。


「・・・まーくん?」

「先輩? どうしたんですか?」


 唐突に、正鷹の動きが止まった。心配するゆーしゃと賢司にも反応を示さない。


「・・・」

「まーくん!?」


 表情が抜け落ちたようだった。見る者をぞっとさせるような、虚無のような目をしていた。正鷹の様子に尋常ではない事態を感じ取ったゆーしゃが、慌ててその腕を掴んで揺さぶろうとした、その時。


「・・・ゆうしゃ・・・?」

「「っ?!」」


 ぽつり、と正鷹がこぼした言葉に、ゆーしゃと賢司はおもわず正鷹から飛び退って距離をとった。


「――勇者、アレはなんですか」

「ぼくが知る訳ないでしょうが」


 つ、と背筋を冷や汗が流れていく。賢司はこの世に生まれて初めて、身の毛がよだつ様を体感していた。できれば今生では一生体験したくない感覚だった。


「――あら、わすれてしまわれたのですか? わたしとあなたのなかじゃないですか」


 虚ろな瞳をしたまま、正鷹が——否、正鷹に憑いた『ナニカ』がうっそりと微笑む。

 一瞬虚をつかれた顔をした勇者は、しかし思い至ったものにただ愕然とした。


「まさか、女神?!」

「はぁ!?」


 はく、と浅い息を吐き出す勇者に、思いもよらない名を聞いた賢司は素っ頓狂な声を上げるしかない。女神、と呼ばれたソレは、ただただ嬉しそうにわらっていた。


「ああ、おもいだしてくださいましたか。このうつわがおもいのほかていこうしまして、こうしてこえをとどけるのがせいいっぱいなのがくちおしいです」

「今すぐまーくんの身体から出て行け」


 ドン、と、その場の圧が増した気がした。たらり、と賢司の背に先ほどとは種類の違う冷や汗が流れる。あまりのプレッシャーに、耐性のない今生では動くことすらできない。


 それは、鋭利な刃物のような殺気。


 だが、それを真正面から向けられているはずの、勇者に【女神】と呼ばれたモノは、まるで降り注ぐ陽射しの元にいるかのように微笑んだままだ。


「あいかわらずですね、ゆうしゃ。そんなにわたしのことがきらいですか?」

「むしろ好かれてると思ってた方にびっくりだね。あんたがぼくに、ぼく達にしたこと、忘れたとは言わせないよ」


 感情に形があるなら、きっとオレは幾百の刃物に貫かれている。賢司は本気でそう思っていた。それほどまでに、勇者の発する殺気は鋭利なのだ。それが自分に向けられたものではないとわかっていても、無意識に、自分の得物だった杖を探してしまうほどに。


 トゲトゲしい勇者に、女神はただ悲しそうな顔をする。それは、普段の正鷹を知っているものが見れば、嫌悪を抱くほど情念にまみれていて。


「――まーくんの顔で、そーゆーことするのやめてくれない?」


 普段から正鷹に懐いているゆーしゃが噛み付かんばかりに拒絶するのも理解できた。


「何をしに来た、【女神】。おまえがまーくんに、・・・いや、【魔王】にしてきたこと、ぼくは許した覚えなんてないよ。それに、今のこの状況、契約違反だと思うんだけど?」


 契約。その言葉に、賢司は内心で首を傾げる。勇者と女神が知己であるのはゆーしゃから聞いて知っていた。だが、何か契約を交わしているとは、聞いたことがなかったのだ。


 別に、何も知らされていなかったことを嘆いている訳ではない。勇者も魔王も、【前】の世界ではあまりに異質な存在だった。賢司が知ることで、賢司が危険にさらされる可能性もある。


 と、そこまで考えた賢司の背筋を冷や汗が滑り落ちた。

 まさか、女神との契約がそうだった、と?


「ええ、そのけんでわたしはここにおもむいたのです」


 勇者に問われたからか、【女神】が嬉しそうに微笑んだ。勇者は見た目に似合わず豪快に舌打ちをする。賢司がよく知るそれは、【前】によく見た仕草だ。


「それにしても、このせかいはほんとうにまそがうすいですね。とてもいきぐるしい。ゆうしゃはよくこんなせかいにいられますね? わたしならいちにちだっていやだわ」


 本当に、心の底から不思議そうな顔をして女神が首を傾げている。この言い分には賢司もあからさまに嫌悪を表情に出した。


「そりゃドーモオキヅカイナク。ぼくらにはとっっっっっても過ごしやすい世界だよ」


 これだから神はいけ好かない、と、賢司にだけ聞こえる声で勇者が吐き捨てる。どうやら【前】に余程な目にあったらしく、とことん容赦なく嫌っているらしい。


「それで? 契約違反した女神様は、どんな言い訳をしてくださるのかな?」

「悠希、その姿でその表情はいけない。絵的にダメ」


 嫌味ったらしい口調と声色と表情で女神を煽る勇者に、思わず兄として制止をかける。そのツッコミに虚をつかれた勇者。そこでようやく【今】の自分を思い出したようで、なんともバツ悪そうに渋面を作る。


「そうですね、わたしはけいやくいはんをしたきはないのですけれど。ねえ、ゆうしゃ。もとのせかいへ――わたしのひごかへかえりませんか?」

「は?」

「悠希、顔」


 その言葉を聞いた瞬間、勇者の周囲の気温が氷点下に達した気がした。賢司もこの状況に慣れてきたらしく、余裕なくイライラする弟に構うだけの余裕が出てきたらしい。


「なに、契約内容忘れた? それともぼく馬鹿にされてる?」

「いいえ? だって、このせかいは、ゆうしゃにはすごしづらいでしょう? このうつわとゆうしゃがいることで、こちらとあちらもつながりやすくなっているから、こんかいみたいなことがおこりやすいですし。わたしのひごかにいたほうがあんぜんですよ?」


 どこまでも女神は悪びれない。勇者は憮然とした顔で女神を睨みつけていた。


「悠希、契約内容って何か訊いてもいい?」

「え? あ、ごめん、忘れてた。あのね、『こっち』に来る時、あの女神と不可侵契約結んだんだ。異世界に渡ったぼくと【魔王】の魂に干渉しないって。あの封印はぼくが言葉通り命がけで施したものだから千年は保つはずだったのに、おかしいと思ったんだよ」


 苦いものをかみしめたような表情の弟の説明に、思わず目を瞬かせる。なるほど、【前の自分】が勇者と別れた後に交わした契約であれば、自分が知らないのも頷ける。性悪女神に理不尽な契約を迫られたわけではなかったのだとわかり、賢司は無意識の緊張を解いた。


 だが、勇者の言う通り女神が正鷹に干渉していたのなら、それは契約違反なのではなかろうか。

 そう思って女神を見遣るが、相変わらず虚無に満ちた微笑みを湛えるばかり。


「けいやくいはんはしていませんよ。だって、コレは【魔王】ではないでしょう?」


 勝ち誇ったような声音で、女神がそう口にした瞬間。

 ぱきん、と、何かが割れる音がした。


「――は、?」


 同時に、女神の表情が歪む。賢司は何が起こったのか理解していなかったが、勇者には、女神の存在感が急速に薄れていくのを感じていた。


『こ、の、! う、つ、わ、の、ぶ、ん、ざ、い、で、!』


 今までの慈愛に満ちた表情をかなぐり捨てて叫ぶ女神。それでやっと、賢司も何が起きているのか理解した。そして、その原因となる人物も。


「――いつまでもヒトのカラダ乗っ取ってんじゃねえよ」

「まーくん!」


 まるで仮面が剥がれ落ちるように、嘘くさい表情が抜け落ちて、代わりにいつも正鷹が浮かべている、ともすれば機嫌が悪いようにも見える凶悪面が覗く。


『くっ、ゆうしゃ、ゆうしゃ! わたしのいとしご!』

「誰がテメェんだショタコンババア。じゃあな、もう二度と来んなよ」

「だから悠希、顔」


 正鷹の身体から弾き飛ばされた女神は、消える間際にゆーしゃへと手を伸ばして。

 未だかつてない粗野な口調で、ともすれば中指でも立てそうな凶悪面を披露するゆーしゃにすげなく追い払われて消えていった。


「お前、そんな顔できたんだな」


 なんのこっちゃわかっていない正鷹は、自分に向けられた(ように見える)ゆーしゃの顔を見て、なぜか感心した様子で頷いている。


「ま、まーくん?」

「おう」


 女神がいなくなったことでようやっと正気を取り戻したらしく、ゆーしゃが恐る恐る正鷹の元へと近付いていく。まるで警戒心の強い野良猫のような態度に、こいつも子供らしいところあるんだなあ、と若干見当違いなことを考えていた正鷹が、ん、と両手を広げて受け入れ態勢をとった。直後、弾丸のようなスピードでゆーしゃが飛び込んでくる。


「まーくん、まーくん、まーくんだぁ・・・!」

「おう、まーくんだぞー」

「よかったぁ・・・」


 制服の腹辺りに顔をこすりつけながら、ずび、と鼻をすするゆーしゃ。これはクリーニング行きだな、とやっぱり若干ずれたことを思いながら、正鷹はゆーしゃのやわらかな金糸の髪に指を通す。さらりとした手触りが、正鷹は嫌いではないのだ。


「なんだ、ゆーきくんはゆーしゃのくせになきむしだなあ」


 するすると、両手でゆーしゃの小さい頭を鷲掴むように撫でながらそう言えば。


「え・・・」


 なぜか、ゆーしゃが空色の瞳を零れ落ちそうなほどまん丸に見開いて正鷹の顔を見上げてきて。


「いま、ぼくの、なまえ」

「ん?」

「あ・・・そうか、さっきのあれが・・・。んーん、なんでもない」


 そうして、心底しあわせそうにふにゃりと笑いながら、大粒の涙をこぼすから。

 正鷹は、気がついたら周囲の惨状の痕跡が何もなかったかのように消えていることや、視界の端にふよふよと毛玉のような何かが飛んでいるのが見えていること、さっき自分の体を乗っ取っていたらしいアレはなんなのかということや、先ほどから賢司が自分達をなまあたたかいまなざしで見守っていることを、とりあえず不問にしてやることにした。




 正鷹はまだ知らない。


 異世界の女神が自分の身体を狙っていることも。


 勇者が命がけでかけた封印が解けてしまったことも。


 そのせいで歩く魔力生成器になっているため、魔獣に命を狙われるハメになることも。


 度重なる女神の過干渉にブチ切れたゆーしゃと共に異世界にトリップさせられることも、ゆーしゃからことのあらましを聞いた自分が女神の顔面に拳を打ち込む決意をすることも、さいわいにも今の正鷹は、何も知らないのである。


折角なのでネット小説大賞に応募してみる。

いつか長編として書き直してみたいですなぁ。

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