彼に触れることが出来るのなら、囚われてしまってもいい。それが私の願いだから
彼に触れていると心が落ち着く。それは昔からだ。昔から彼に触れていると心が落ち着いた。
だから今日も私は彼に触れる。彼はそんな私を許してくれる。そんな彼が私は大好きなのだ。
私の両親は昔から仲が悪い。それに子どもである私に感心を持たない。
父は私のことをいないように扱うし、母は私のことを邪魔だと言って殴る。そんな家庭で産まれ育った私は段々と人が嫌いになる。
人に触れられるのが駄目なんだ。正確には駄目になってしまったんだ。
でも、幼馴染である彼だけは大丈夫だった。
彼は昔からいつも私の側にいてくれた。両親に邪魔者扱いされても彼だけは私を助けてくれた。
いつの間にか、私は彼しか触れれなくなる。彼しかいらなくなってしまう。
私には彼しかいらないんだ。彼さえいればいいんだ。
彼に触れることで心が落ち着いて救われるのならば、私はどんなことでもしよう。悪者になっても構わない。
「ねぇ、もっと触れて?」
学校帰りに彼の部屋に行き、彼に自分自身の身体を擦り付ける。それに嫌な顔をせずに彼はいつも通りに私の言う通りに触れてくれた。
もっと、と言う私の希望を叶えるように彼はもう触れるところがないというように触れた。
幸せなんだ。この時間が私の中で一番の幸せだ。
このまま世界が滅んで私が死んでもいいと思うほど幸せ。いや、どうせ死ぬならこの時間に死にたい。幸せを噛み締めながら死にたい。
私の思考を読んだのだろうか。彼は嬉しそうに微笑む。甘く蕩けそうなほどの笑みだ。
「今日も僕以外の人と話さなかったね」
「うん。だって私には貴方しかいないのでしょう?」
「そうだよ。君には僕しかいないんだ」
現に君に触れられるのは僕だけだろう?と耳元で囁く声すら甘美な味わいだ。
彼は昔からずっと私に同じことを囁いていた。「君は僕にしか触れられない」や「僕以外、君の味方はいない」と私に甘く囁いていたのだ。
子どもの時は子どもながらの独占欲だと思う。だが、今はもう高校生だ。
だから、私は思う。これは昔から彼が私のことを好きだという独占欲だということを。
「君はいい子だね。僕の言い付けをちゃんと守っているんだから」
よしよしと頭を撫でる彼の手に自分の手を重ねる。温かいぬくもりがスッと心を軽くしてくれる。
嬉しくて微笑むと彼も笑ってくれる。この時間が何よりも幸せだ。
「学校なんて、友達なんて私にはいらないもの。貴方しかいらない私にとっては貴方の言い付けは絶対なの」
学校なんてつまらなくて苦痛なものに過ぎない。なにせ、彼は異性からモテるからだ。
女子に囲まれている彼を見るだけで気分が悪くなる。私だけを見て、と叫びたくなる。
苦しくて苦しくて、何度も吐きそうになったり頭が痛くなったりしていた。実際に何度かは倒れたことがある。目が覚めたら病院だったということもある。
同級生は私のことを嫌な女だと悪口を言っているのを聞いたことがある。病弱だから幼馴染だからと彼に構ってもらう私のことを悪者のように言う。
私はそれでもいい。悪者でもいい。悪者なんて私にピッタリだと笑った。悪女だろうと彼の側にいられるのは私なんだからと。
だから、本当は不安だらけなのだということを気付かないふりをした。
この世の中に「永遠」とか「ずっと」とかは存在しないんだ。
それに私は彼から一度も「好き」という言葉を聞いたことがない。私が彼に「好き」というと彼は微笑むだけだ。
それがどんなに辛いことなんて彼は知らないだろう。
それでも私は彼からの愛の言葉を聞きたいから今日も囁く。
「好き」
そう言っても今日も彼は微笑むだけ。何も言わずに微笑むだけだ。
だから今日も私は両親が帰ってこない家に帰るのだ。また明日ね、と約束を取り付けて今日も家に帰る。
その次の日。学校で私はとある女子生徒に呼び出されていた。
その子は彼と同じクラスで可愛い系の女子だ。誰が見ても私より彼女の方が可愛いというだろう。
そんな彼女は私に向かって言う。それはどうして彼女に言われなくてはいけないの?と言いたくなるような言葉だった。
「彼を解放してあげてほしいの。いくらあなたが幼馴染で病弱だと言っても彼を縛り付けることはないと思う」
本当に苛つく。それは彼の重みになっていると信じて疑わないような言葉で苛つく。
彼女は私の何を分かってそう言っているのか。彼の何を知ってそう言ってるのか。全く理解出来ない。
「そう、それで?」
「それでって。彼もあなたに縛り付けられて困ってるの!」
勝手に決め付けないでほしい。彼は私の側にいてくれるんだ。永遠ではないにしろ、今は私の側にいてくれる。
だけど、困ってるなんて本当に彼が彼女に言ったのだとしたら私はどうなるのだろうか。
いいや、彼から否定されてしまえば私は壊れてしまう。もう誰も側にいてくれないほど壊れて消えてしまうだろう。
「私は彼が直接言った言葉しか信じない」
直接言われたらきっと私は死んでしまうだろう。それでも彼から直接言われないと私は信じられない。
私の意思を感じ取ったのか、彼女はムッとしてどこかに行ってしまった。
しばらくそこにいるとどこからか笑い声が聞こえてきた。その声は私が好きな声である。
「もっと悲しむかと思ったよ」
急に後ろから抱き締められても私は何もしなかった。彼だと気付いていたから何もしないかった。
「あの子が私にそう言うって知ってたの?」
「うん、僕がそう言うように頼んだからね」
「……なんで」
自分の声が震えていることが分かった。本当に彼は彼女に恋をして私なんかいらなくなってしまったのだろうか。
胸がズキッと痛み出すが、彼の次の言葉でそれは私の勘違いだと気付かされる。
「君をもっと孤独したかったんだよ。他の人が君を恨めば恨むほど君は僕のものになる。鈍感な君が気付かない内に僕は作ろうと思ったんだ」
「……なにを?」
「檻を作ろうと。鈍感な君が気がつかないくらい広い檻を」
彼はゾッとするくらい美しい笑みを浮かべた。誰もが見惚れるくらい美しい笑みを。
彼は私のことを鈍感と言うが私は人の気持ちなどは鋭い方だと思っていた。だけどそれは周りに慎重になっているから気付くことなのだろう。
彼の前だと心も身体も安らいでいた。それだから気づかなかったんだ。
彼が私に「君は僕以外とは触れられない」「君には僕しか味方がいない」などは全て私を檻の中に閉じ込めるためのものだということに。
「大丈夫だよ。檻は広いのだから、君は自由に飛び回ることが出来る。それでも羽を休める時には僕のところに来てね」
可愛がってあげるから。そう囁く甘い誘惑に私は心を預ける。
だって、そんなことを知っても今更ではないか。私は彼以外に触れられないのだし、彼さえいれば他はどうでもいい。
どんなに他の人から嫌われても、彼から求められたらいい。
だから、最後に囁いてほしい。私がほしい言葉を言ってほしい。
「僕は君が好きだよ。君しかいらないと思えるほど愛してる」
これが彼が昔から作っていた私を閉じ込めるための檻への最後の準備だったとしても、私には十分だった。
私は彼から愛されている。ただそれだけでいいではないか。
「私も好き」
鎖に繋がれ、檻に閉じ込められた鳥は自由に飛べなくて不幸だと言うが私はそうは思わない。それは飼い主が鳥をどこにも出したくないから、愛しているからだ。
私はそれを幸せだと言う。幸せだと微笑むだろう。
「君はもう僕から逃げることは出来ないからね」
それは幸せだと、私は彼に向かって微笑んだ。