約束の話
「もう、ずっと昔のこと。ぼくは、まっていたんだ。
だからね、リン。しらない人がこの家にきて、ここはきけんだからにげて、と言われても、ぼくはいけなかった。まっていたから」
ハルは、まっていたんだ。
リンは、にゃーにゃー、と泣いた。
ハルの優しい手が、なんども自分のからだをなでてくれる。
きもちがよくて、幸せがいっぱいになる。
「ぼくは、約束をしていたんだ。それはとても大切な約束。
冬が終わって、これからあたたかい春がやってくるきせつにかわした約束。
学校でした約束だったような気もするし、工場でした約束だったような気もするけど、それは覚えていないんだよ。
だって、ずっと昔のことだから」
おじいさんは、リンをなでる優しい手を、ゆっくりと動かします。
「ぼくはもうおじいさんになってしまったけど……君はいつまでも若くてきれいだね」
リンは、そんなことはない、と恥ずかしくなる。
ハルの髪が真っ白なように、自分の髪も真っ白になっていたし、それにもうテーブルの上から、床へジャンプするのが怖くてたまらない。
「お世辞なんて言わないよ。いつまでも、きれいだよ」
ハルの優しい声が大好きで、リンは、それなら……そうなのかも、と納得してみることにしました。
「長い間、ずっとまっていたんだ。あきらめてしまいそうになったこともある。
でも……来てくれて、ありがとう。リン」
どうしてお礼を言われたかわからずに、リンは不思議そうにハルを見つめます。
暗闇の中でも、はっきりとわかる二つの眼差しに見つめられ、おじいさんはとても幸せそうです。
「もう、ずっと昔のことだけど……君に恋したきもちは昔も今も、なにもかわらない。不思議だね」
リンは、おじいさんに寄り添いながら、今夜はたくさん話すおじいさんがちょっとだけ心配になりました。
みんな、いなくなってしまった。
学校も工場も、なくなってしまった。
だけど、二人で過ごそうと約束した家と、君を驚かそうと買った車は、今もここにある。
おじいさんは、「幸せだな……」と深い息をはいて、目を閉じました。
今夜は、何度ハルの「もう、ずっと昔のこと」をきかされるんだろうと、リンも目を閉じました。
だけど、その夜を最期に、リンは、もう二度と「もう、ずっと昔のこと」という声を聞くことはできませんでした。
リンは、またハルを待たせてはかわいそうだ……と動かなくなったおじいさんの隣で一人おもうのです。
もう、ずっと昔のこと。
おわり
2013 12 18
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