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「ということは、だ。つまり、いくらこの道を進んでも意味は無いのかしら?」
腕を組んで思案に小首を傾げる。
風が吹き込んでいる、と言うことは、上には風が通じる――外と繋がっているということだ。
洞窟に入って迷った時は、風の流れてくる方向に進む。それが鉄則だと、大人から教えてもらったことがある。
勿論、クミが洞窟に入ることはなかったのが、今の状況と洞窟の中は似ている。
だから風を目印にするのは間違っていない……と思うのだが、
「さすがに……鳥じゃないからね、私」
首を上げて見れば、やはりどこまでも続く側壁と所々で陽光を反射させる光たち。
いくら風が流れてくるとは言え、上に向かって進むことはできそうにない。
「せめて、壁に何か引っ掛かる物があれば、頑張ってみたのだけど……ね」
木登りは、得意とは言えないが経験はある。その要領で登ることができるのなら、クミは実行しただろう。だが、今目の前に広がる壁面はそのような突起も窪みも何もない。
「うーん、どうしたものかしら」
腕組をして、天を見上げながらクミは歩き出した。
呼吸は既に整った。ただ、膝や足首、脹脛に太腿も、先刻の全力疾走のせいで本調子ではない。
だから、ゆっくりとした足取りなのだが、立ち止まって思案するのはクミの性に合わないのだ。
どうせ進める方向は一つしかない。ならば――
そんな考えから、自然と体が動いていたのである。
ぺたぺたと水晶の回廊にクミの足音が鳴る中に、スン…スンッ、と鼻をすする音が混じり始めたのは、それから少ししてからだった。
次第に大きくなるその音が、誰かのすすり泣く声だと気付いたのは、周囲の壁の形が変わった時だった。
それまで平面だった壁に、何やら柱のような凹凸ができており、何本目かのそれの向こう側から、丸い影が伸びている。
「誰か、居るの……?」
恐る恐る、クミは声を掛けてみた。
突き出た壁の陰に、何者かがぴくりと動く気配がある。
嗚咽交じりの泣き声から察するとその人物は女性だろう。
自分と同じようにこの地へ来たのかもしれない。
少々複雑だが、同じ境遇ならば困っている気持ちも分かる。
事実、クミは自分以外の存在に驚きながらも安堵したのだから。
このような場所でも独りでなければ気持ちは浮上するだろうと考えながら、クミは相手を探るように壁の陰に顔を覗かせ、そして驚いた。
其処に蹲っていた人物が、正確に言うとその髪色が、見たことのない色だったからだ。
「…だ、だぁれ…?」
振り向いたその人物は、涙を一杯に溜めた目でクミを見た。
滑らかな白い肌に紅潮した頬と、少し腫れているが丸くて大きな若葉色の瞳に愛らしさを感じさせる目鼻立ち。そして、ゆるく波打つ稲穂のような黄金色の髪は、まるで天の遣いのように神々しさを放っている。
これまで見てきた村人たちは黒髪が殆どで年老いた人の中には白髪の者もいたけれど、黄金色の髪の者はいなかった。それに緑の瞳も初めて目にする。しかも間近で。
自分の姉も村で一番の美人だと言われていたから、美しさには慣れている筈だが、彼女に感じるのはふたりの美しさとは別のものだった。その人物は、物陰に居てもきらきらと輝いて見えるのだ。
彼女の姿に圧倒されたクミは、ぽかんと口を開けて見入ってしまった。
そんなクミの凝視に耐えかねたのか、彼女は震える身体を更に小さく丸めてもう一度クミに訊ねた。
「あなたは、だれ?」
怯えた色を滲ませる若葉色の瞳に、クミは慌てて笑顔を浮かべながら名を名乗る。
「私はクミ。嘉生の娘のクミよ」
「…クミ…? ……知らない」
それはそうだ。むしろ知っていると言われた方が驚きだ。初対面なのだから。
瞬きを数回繰り返す彼女に、クミは呆れた様子で息を吐いた。
初めて目にする外見に驚きはしたが、言葉は通じるし、彼女が自分に危害を加えようとしている様子もない。
見たところ、自分と同じような前合わせの衣服を着ているし、何より人である。
神仏の中には人と違う形をしている存在もあると聞いていたが、それでも自分と似通った形であるに越したことはない。
親近感の度合いは、そのまま安心感に繋がるものだ。
「ふふ、そうね。私も、あなたのことを何も知らなかいわ」
小さく笑みを零して、クミはその場に腰を下ろした。
視線の高さを合わせると、彼女はまた瞬きながら見返して来る。
その瞳から怯えが少しだけ引いたことに、クミは口元を緩めた。
「私、目が覚めたらこの奥に居たの。あなたはどうして此処にいるのか、聞いてもいいかしら?」