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龍の顎門  作者: 智郷樹華
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 村の斎場から少し先に行った広場で壱の演舞を行い、続いて一行は村を後にする。

 クミが巫女としての役目を果たす場所まで、山を登るのだ。

 土が乾いているため、風が吹くたびに埃っぽい空気が肌を撫でて咳き込みそうになるが、ガサガサと音を立てる木々の様子が物々しさを感じさせ、一行を緊張させた。

 そんな中、どれくらい山を登ったのか、ようやく先頭の神官が立ち止まった。目的地に着いたらしい。

 崖の手前に設けられた祭壇には、どうやって掻き集めたのか、果物と穀物、そして酒の入った瓶が並んでいる。

――あれって、どうするのかしら。

……私と一緒に谷底行きだなんて言われたら投げ返したくなるわね。

 食糧がどれだけ大切か分かるために、クミは的外れなことを考えながら周囲を見回した。

 谷から吹き上げる風は強く、祭壇の白布がバタバタとはためいている。荒々しく冷たいそれは石の飛礫のように肌に当たり、クミは微かに眉を潜めた。

 声が、聞こえた気がしたからだ。

 とても苦しげなその声は、何かを求めて彷徨う悲痛な響きを纏い、風に溶け込んでいた。

 言葉にならない感情に振り回されているようで、あちこちにぶつかって弾けてはまた暴れるのを繰り返す。そんな印象を受けたクミは、思わず手を差し出していた。

「どうしたの?」

 突然、宙に掌を差し伸べるように動く妹に、ふたりの姉巫女が声を掛けた。

 しかしクミはそれに答えることなく、両腕と両の掌で風を絡めるように振って胸の前で交差させる。まるで風を抱き締めるようなその仕種に、神官達も目を留めた。

 すると、それまで吹き荒んでいた強風がぴたりと止んだ。

 激情が整うのではなく、正に抱き留められたかのようにその動きが止まったのだ。どこからともなくどよめきの声が微かに漏れ、続いて驚嘆の声が上がる。

「流石は糸を持つ巫女()だ」

 誰かが呟いたその言葉に、クミは閉じていた目を開いた。


 糸を持つ娘。

 それはクミの二つ名と言える。由来は簡単で、言葉通りクミが【糸】を持っていたからだ。


 母の腹から産まれた時、クミは右手に糸を握っていたという。

 青いその糸は【クミの糸】と呼ばれる神聖な糸で、村に伝わる神話に登場するものの一つだ。そのため、クミは生まれた瞬間にその名を与えられた。

 だが何かしら人とは異なる外見や超能力を持っていた訳ではなく、クミは至って普通の娘だった。多少なりとも周囲の人と違った感性を持ってはいたが、それも特筆するほどのものではない。そのため、村人の多くはクミを奇異の眼で見ることもなく、他の子ども達と同じに扱ってきた。神官達を除いて。

 彼らは、クミが七つの歳に「水の声が聞こえる」と言ったのを【クミの糸】を持つためだと信じていたのだ。

 実際にクミがその声を聞いた日は雨が降る。

 まるで雨雲がクミにおとないを告げているように。

 そのことから、神官達はクミの言葉を子どもの戯言ではなく、水の声を聞いて雨を予測しているのだとした。

 けれど歳を重ねるごとにその【声】を聞き取れなくなっていくクミに、神官達もその考えを改め始める。むしろクミの姉たちの方が神事の覚えもめでたく、舞手としても有能であるためにその存在は霞んでいったのである。


――久し振りに聞いたわね……。皮肉じゃないところが、なんだか痛々しいわ。

 クミは神官の言葉にハッとしたのも一瞬で、息を吐きながらそんなことを考えていた。

 薄れ掛けた噂を思い出す程に、彼らも追い詰められている。

 そう思うと、自分に頭を下げる神官達を直視することが憚られた。彼らはクミよりもずっと高い地位も素質も持ち合わせている。村人の信望だって篤い。そんな彼らの自信を削ぐほどに、今は困窮しているのだと目の当たりにした気分だった。

「風が静まったのなら、演目を始めましょう」

 沈み掛けたクミを引き上げるように、左隣から声が発せられた。

 祝詞を紡ぐその声は天上の鳥と謳われる、上の姉の声だ。どうやらクミの様子に気付いて、場の空気を払拭してくれたらしい。ちらりと視線を投げれば、姉は目を潤ませながらも微かに口角を上げて返してくれた。

「それじゃあ、私たちは行くわね」

 右隣から声を掛けてクミの手にそっと触れたのは二人目の姉だ。

 舞う姿は勇壮美を備えた春告げの鳥にたとえられ、見る者を魅了する。普段は明るく、物事をはきはきと捌くその姉が昨夜はずっと泣いていたのを、クミは知っていた。だから、姉がちらりと浮かべたいつもの悪戯っぽい笑みを見ることができて、嬉しくなった。


――大丈夫、私は進めるわ。


 心の中で呟いて、ふたりの姉の背中を見送った。


 舞の始まりは、クミの役目が果たされる時を告げる鐘だ。

 弐の演舞が参の演舞に繋がる刻、クミはその足を谷に向けて踏み出した。

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