見舞いの後
美州穂のいる病室を出た僕は、歩きながらこれからの事を考えていた。
いつ起きるか分からない人を待つのは辛い。そんな事を続ける事が出来るのか、なんて事を。
自分は美州穂の為にそこまでしてやれるのか・・・?
考える事は重い事ばかり。陰鬱としていて、嫌になる。けれど頭から離れない。
病室からの帰りはいつもこんな感じで終わっていく。辛い現実と向き合わされて、僕は簡単に挫けそうになる。そして、来なきゃ良かったと後悔する。それでも日が経つと自然と足は病院へ向かってしまう。それの繰り返し。
重い足取りのままエレベーターに乗る。一階のボタンを押して、壁に寄りかかって目を瞑る。
多分、自分が病院に通うのは確認の為なんだろう。自分はこの人が好きです、という意思表示の。そうでもしないといけないくらい、今の自分は思いが揺らいでいる。
こんなにも気持ちが動きそうになってしまうなんて思わなかった。
目の前には美州穂の見ている景色が広がっている。闇。ただ何も無い闇。
彼女がこんな所にいるのに・・・。
どうして僕は・・・。
「あの〜・・・降りないんですか?」
急に後ろで声がした。振り返ると、そこには自分より少し背の小さい男子がいた。たぶん高校生くらい。
おかしい。僕がエレベーターに乗ったとき、そこには誰もいなかったはずだ。ぼーっとしていたから分からなかったのか?いくらなんでもそれは・・・。
「あの〜・・・」男子が繰り返す。
「あ・・・。すいません。降ります。」
二歩でエレベーターから飛び出る。またさっきと同じ事を繰り返してしまった。嫌になる。どうしてもこの癖は直らない。考え始めると止まらない。
僕は考えすぎなのかもしれないなぁ、と思う。ぼんやり病・・・そんな感じのを患っているんだろうか、とかそんな事を思う。
少し、気分が楽になった。
外に出ると静香がタクシー乗り場の前で待っているのを見つけた。正直、気まずいと感じる。今、一番会いたくなくて、今、一番身を任せてしまいたい人だから。
向こうも僕に気づいたのだろう。ゆっくりとした足取りでこちらに歩いてきた。
なんと話しかければいいのだろう、そんな事が気にかかる。普通でいいのに。
けれど、普通の状態でなんかいられない。相手は初恋の人だ。静香が近づいてくるにつれて呼吸が乱れ、心は落ち着きを無くし、目の前はぼやけてくる。
このまま話さずにやり過ごしたい。けれど、それは嫌だとも思っている。なんて矛盾。なんて馬鹿らしい。ほら、そんな事を考えてる間にもう目の前に彼女がいる。
こちらから声をかけてくるのを待っているのだろう。彼女はこちらを見つめて黙っている。こういうときに限って良い言葉が浮かんでこない。
「・・・行こうか。」
「うん。」
・・・それで会話は終了した。歩き出す二人。こちらとしては気まずいと感じてしまう。何か声をかければいいんだろうけど、話題が。
結局、口火を切ったのは彼女だった。
「お見舞い、行ってきたんだ?」
なんでもないような口調で彼女は聞いてきた。本当になんでもないのかもしれない。けれど、静香と美州穂が喧嘩をしたことがあるという事実をしっている自分としては、なんというか。かんというか。
「あ、ああ。行ってきた。なんていうか、日常の一部だから。」
なんでもないことのように僕は答えた。。
「そうだね。ここ最近ずっと行ってるもんね。」
彼女の言い方に多少の刺を感じたのは気のせいだろう。多分。いや絶対。
「ずっとって、そんなに多いかなぁ。毎日行ってるわけじゃないし。」
極力、抑揚を抑えて僕は答えた。
「特別な関係じゃない限り、そんなに行かないものだよ。例えば夫婦とか、恋人とか。」
微妙に標準語には無いアクセントで、「夫婦」と「恋人」を言う静香を見ながら、僕は思った。
本当に僕と美州穂は付き合っていたんだろうか。彼女との関係。それは本当に恋人と言えるものだったのか?
今思えば、彼女との付き合い方は、恋人づきあいとは少し違うものだった感じがする。勿論、僕自身の恋愛経験なんて、2桁にも届かない。中途半端なものだ。けれど、あれは恋人というか、どちらかと言えば、夫婦に近い関係だった気がする。
それはおかしい。夫婦の方が愛し合ってるって言えるじゃないか。そう言う人もいるだろう。でも、それは本当に事実だろうか?自分たちの親を見て欲しい。その関わり合いから愛を感じることはあるだろうか?確かに、二人とも愛し合ってはいるのかもしれない。けれど、二人の日常の関係の中から見出せるのはどちらかといえば、信頼だ。
信頼。それが愛ゆえの信頼か、それとも長年の付き合いによる信頼なのかでその属性は多少異なってくる。前者は「絆」で、後者は「惰性」だ。
そして、僕たちの関係は後者にあたる。知り合ってから、まだ一年も経っていないにもかかわらずだ。
理由は分からない。ただ、始まった当初から僕たちの関係はそんな感じだった。必要の無い会話。必要の無い触れ合いというものが思い返せるくらいの数しかない。
だから、今、こうやって静香の刺のある言葉を聞いている今のほうが、愛情のようなものを感じてしまう。
「そうなの?だったら静香が入院したときは毎日来なきゃいけないな。」
少しだけくさいせりふを言ってみる。
「エ?ああ、そうだね。うん。そうしてくれると嬉しい。」
日頃、こういうせりふを言ってないせいだろう。彼女は面白いくらいの慌てぶり見せたを後、すたすたと歩いて一時停止、くるっと振り返った後、
「早く行こう!お腹すいたからどこか食べに行こうよ!」
なんて、綺麗な笑顔を見せて笑った。
それを見て、思わずこちらも笑顔になる。
「ああ!でも今日は金ないから、静香のおごりで〜!」
僕は言い返した。
「だったら、どこでもいいからおごれ〜!」
彼女も負けじと対抗してくる。なんだか嬉しくなって、少し走って静香のとこまで行くと、さっと彼女の右手をつかんだ。彼女を引っ張って歩いていく。静香は少しだけ驚いたようっだったけど、それを顔にはださずに、今度は彼女から引っ張ってきた。
少し、早歩きで病院を出て行く。けれど、その途中で一度、病院を振り返った。心の中で問う。
美州穂。僕は君とこうありたかった。君は僕とどうありたかったんだ?
そして、もう一度振り返る様な事はせずに、ほとんど駆け足な静香と、まだぎりぎり早足の僕は病院を後にした。