エピローグ:世界の彩り、愛の記憶
カプセルから出た私の体を、真っ白な布が優しく包んだ。
かつての「お日様の匂い」とは違う、すこしツンとする、けれど清潔な匂い。
私を覗き込んでいた人々の中から、一人の男性が前に出た。彼は、あの数千年前の「手」と同じように、迷いのない、けれど柔らかな仕草で私の頭に手を置いた。
その瞬間、彼の声が、空気を震わせて鼓動に響いた。
それは言葉としては分からない。けれど、不思議と「大丈夫」と言われているのだと、直感で理解できた。
彼に導かれ、私は「車」と呼ばれる鉄の塊に乗り込んだ。
それは、かつて私が宇宙で感じていたような、滑らかな移動だった。
けれど、決定的な違いは、窓の外にあった。
「……ぁ……」
私は思わず、窓に顔を寄せた。
そこには、視覚を得て初めて見る、「流れる景色」があった。
夜の街を彩る、ネオンの洪水。
青、赤、黄色、緑――宇宙にあった星の瞬きよりもずっと近くで、ずっと強烈に、光が帯となって後ろへ過ぎ去っていく。
高度に発達した都市のビル群が、まるで巨大な水晶の森のようにそびえ立っている。
目眩がするほどの情報の嵐。
けれど、それは恐怖ではなく、この星がこれだけの時間をかけて紡いできた「命の輝き」のようにも見えた。
私は、そのまばゆさに、ただただ圧倒され、同時に深く感動していた。
彼のアパートに着き、ドアが開くと、そこには「帰る場所」の匂いがあった。
彼が、湯気の立つお皿を私の前に置く。
嗅いだ瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。
鼻をくすぐる、温かくて、香ばしい、あの匂い。
「……あ、あ……」
震える手でスプーンを持ち、口に運ぶ。
――甘い。そして、温かい。
数千年の時を超えて、あの時口に含んだ「美味しさ」と、今の体感が、カチリと音を立てて重なった。
これは、ただの栄養じゃない。自分を大切に思ってくれて、用意してくれた「愛」の味だ。
私の目から、熱い雫がこぼれ落ちた。それはかつて彼が流した悲しい涙ではなく、喜びの涙だった。
そのあと、彼に促されて入ったお風呂。
宇宙の真空でも、カプセルの液体でもない、肌を心地よく刺激する温かい水の感触。
それは、かつて私を撫でてくれた、あの手の温もりに似ていた。
そして、案内された扉を開くと、真っ白でふかふかのベッドがあった。
横たわった瞬間、体が吸い込まれるような柔らかさ。
重力が、私を地面に縫い付ける呪いではなく、この温かい場所に留めてくれる祝福のように感じられた。
お腹がいっぱいで、体が温かくて、ふかふかの場所にいる。
これは、かつての暗闇の中で、私が何度も、何度も夢見ていた「幸せ」そのものだった。
私は、ゆっくりと体を起こし、窓の外を見た。
先ほどまでの光り輝く街の向こう、東の空が、紫色から茜色へと、ゆっくりと染まり始めている。
初めて見る、夜明け。
それは、暗闇が終わり、新しい「一日」が始まる合図。
(……温かい……)
数千年の孤独と眠りを経て、私は今、完全な体と、世界を見る目を持って、ここに立っている。
もう、怖くはない。
あの日差し伸べられた「優しさ」は、今、私の肉体となり、私の心となり、私を未来へと導く光になっている。
私は、窓から差し込む、生まれたばかりの光を全身に浴びた。
これから始まる、彩り豊かな日々を想って、私は初めて、自分の唇を「微笑み」の形に動かしていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
ふと頭に思い浮かんだストーリーでしたが、形にできて楽しかったです。
本当に、ありがとうございました。




