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【アップ✨】2025年10月5日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(星のカケラ)

https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪




【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=ZW7_PhX39p4


聖書

『ヨハネによる福音書』(第一四章一〜七節)

『ゼカリヤ書』(第二章一四〜一七節)


讃美歌〜♫


讃美歌312番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=HYtju3yW9Jg&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yT77yR77yS55Wq


讃美歌352番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=rpSGzYlt54E&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yT77yV77yS55Wq0gcJCfwJAYcqIYzv



2025年10月5日 礼拝説教 聖書箇所


「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。」

ヨハネによる福音書14章2節


 わたしは来てあなたのただ中に住まう、と主は言われる。その日、多くの国々は主に帰依してわたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住まう。

ゼカリア書2章14節


はじめに

歓迎礼拝の恵みを感謝し、主の待降節に向かう今日、聖なる僕イエスの声に聞く。

「あなたがたの心が、かき乱されないように、神を信じ、また、わたしを信じなさい。」主イエスは、イスカリオテのユダの裏切りにより、一隊の兵士と千人隊長、ユダヤ人の下役たちによって、捕らえられて大祭司のもとに連行される(18章12節)直前、弟子たちに多くのことを話された(14~17章)。弟子たちの足を洗われ、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛しなさい」(13章34節)と命じられた。そして、シモン・ペトロが「主よ、どこへ行かれるのですか」と言うと、主イエスは、「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる」と言われた。ペトロは「主よ、なぜ今ついて行くことができないのですか。あなたのためには、自分の命も捨てます」。イエスは答えられた。「わたしのために自分の命を捨てると言うのか。アーメン、アーメン、あなたに言う。あなたが三度わたしのことを否むまで、鶏は決して鳴かない」(同13章36~38節)。主イエスの警告は、弟子たちの心がかき乱されることなく、一つの信仰に向かうこと。しかし、弟子たちは、イエスを見捨て、復活の日における主との再会を待たねばならなかった。神と人間イエスを信じるとは、当時の宗教からすれば、あり得ない冒涜。しかし、人となられ、十字架の死に至る苦しみを担われたイエスにこそ、神の真実が示された。「彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎とためであった」(イザヤ53章5節)。

「わたしの父の家の中には多くの居場所がある。もしなかったならば、あなたがたのために場所を準備しに行こうとしていると、あなたがたに言ったでしょうか。」永遠の御子が準備される居場所は、御自身の贖いにおいて確保される場所。そうでなければ、神の栄光をたたえる永遠の住まいとは成り得ない。実に、イエスは御自身の復活体をもって、神殿(永遠の住まい)を建て直された。「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、自分たちにこう言われたことを思い出して、聖書とイエスが言われた言葉を信じた」(2章22節)。「そして、行ってあなたがたのために場所の準備をしたら、再び来て、あなたがたをわたし自身のそばに受け入れる。わたしが居る所に、あなたがたも居る為に」。ヨハネ黙示録の描く天上の姿は、神とキリストの栄光と永遠の統治を明らかにする。「もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するから」(22章3-5節)。

主の言葉は、真の預言者をとおして「娘シオンよ、声をあげて喜べ」「わたしは来て あなたのただ中に住まう」と告げる。実に、永遠の御子(言であるお方)は、「わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ1章14節)。主イエスの約束される天上の住まいは、永遠の御父と御子の臨在を示す。「その日、多くの国々は主に結び合わされ、わたしの民となる。わたしはあなたの真ん中に居る。」主を捨てた地エルサレムは、今や、主の準備された天の聖所において、永遠の回復を見る。それは、ただ、御子の召命と贖いのゆえ清めれた聖徒たちの永遠の居場所。

おわりに

「すべて肉なる者よ、主の御前に黙せ。主はその聖なる住まいから立ち上がられる。」復活・着座の大祭司イエス・キリストの統治と執り成しの中で、忍耐と希望を、共に。



(Mynote)


二〇二五年一〇月五日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守る事が出来、神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「聖徒の交わりはどこにあるのですか。」

「自分達のかしらキリストと一つに結び合わされて居る事の中に、またお互いの間にあります。」

ブドウの木の例えが引用された。イエス様と結ばれる者は、天の父である神様と結ばれる事。イエス様に繋がる事の大切が語られた。イエス様はブドウの木、聖徒はその枝である。イエス様に繋がって居なければ、聖徒・人は何も出来ないのである。何かする・出来るその心と体は、神様が初めにその人に与えたからである。

(公同礼拝)

『ヨハネによる福音書』(第一四章一〜七節)

『ゼカリヤ書』(第二章一四〜一七節)

この『ヨハネによる福音書』では、天国へ行く道、イエス様を通し、信仰の道へ歩まされ、人が神様に喜ばれる姿・内実を以て生かされる事の大事が説かれる。

「私は道であり、真理であり、命である。誰でも私に依らないでは、父のみもとに行く事は出来ない。もしあなた方が私を知って居たならば、私の父をも知ったであろう。しかし、今は父を知って居り、また既に父を見たのである」

とイエス様は弟子達を始め、全ての人に教えた。

「場者の用意」とは、人の信仰の成長を指して居るのか。信仰に依り成長する事は、その場所が天に用意される事。この事を、イエス様が天に上られる事(十字架に付けられ葬られ甦られた事)に依り叶えられる。

またこの箇所では、愛が語られ、教えられる。隣人を愛する事。この愛は、人の世では本当に移ろい易いもの。昨日まで「愛してる」と言いながら、翌日には我が身を優先し、その相手を簡単に見捨てる。また愛してると言いながら心が別にある。イエス様の人への愛は絶対であり、永遠である。イエス様の愛と、人の愛との違いを思い知る。あれだけイエス様を救い主と認め、愛したペテロでさえ、鶏が鳴く前にイエス様を見捨て、知らないと言い、挙句は呪う言葉まで吐いた。他の弟子達もイエス様がゲッセマネで捕らえられた時(その後)、イエス様を見捨てて逃げた。

人間の言葉は全然信用出来ない。

だから唯一誠のキリストに於ける神様への信仰、イエス様を通して人に与えられた悔い改めに依る信仰の内実と姿勢が大事になる。人が自力で愛を貫く事は不可能である。人は生まれながらの罪人である為。だからこそイエス様に繋がって居なければ成らない。信仰が成らないのである。

人の世間に於ける利益・利便に注目し、信仰を勘定する事も人の言動にはある。特に心の中の動きにもその習性は見られる。

神様は、イエス様を人として遣わされた。人としての救い主として、イエス様を人の間に遣わされた。イエス様の事を得てして人は「人になられた神様」と言う人がある。そうでなく、神様は天に居られる誠の父であり、その子がイエス様である。イエス様は神様の子であり、その子が人の世界で人として苦しみを受け、十字架に付けられ、三日目に天に甦られた。これは、神様がイエス様を人の救い主として、イエス様を人として地上に遣わす事を良しとされた為である。神様とイエス様は別である。「イエス様は神様である」ではない。しかし人にとっては、イエス様も神様と同じ救い主であり、絶対の存在であり、その救い主と言う点で同じに見える。神様は、全ての人(罪人)をその罪の内から救う為に、ご自分の子であるイエス様を唯一の救い主として遣わした。

全ては人の信仰の為である。正しい信仰に依り、全ての人がイエス様を通して救われ、神様の側に立ち返る事。この事が、神様が人に課した最大の御計画に在ろうか。神様とイエス様と信仰に従いなさい。この教えは、全て一つに在る。聖書に記される事、これのみである。人が作る邪教の様に複数ではない。複雑でもない。キリストの真実は「神様とイエス様と信仰に従いなさい」この事を人に教える。全ての人は神様に創られ、命を吹き込まれた息子・娘として、この正しい信仰に立ち返ねば成らない。

イエス様が用意する場所だからこそ、そのものに価値があり、恵みがある。敢えて人の観点から「価値」と言ったが、人の世間で常識が教える様に、その場所がどんなオプションを持って居るから「価値がある・恵まれて居る」ではない。イエス様が用意する場所だからこそ、そのものに価値がある。この価値と恵みは、神様の愛から生まれて居る。イエス様も、神様が人を愛されたからこそ遣わされた。そしてイエス様自身も、全ての人に「隣人を愛せよ」と掟として教えた(『ヨハネによる福音書』第一三章三四〜三五節参照)。

「私は、新しい戒めをあなた方に与える、互いに愛し合いなさい。私があなた方を愛した様に、あなた方も互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによって、あなた方が私の弟子である事を、全ての者が認めるであろう」。

イエス様は全ての人の為に、天に新しい場所を用意して下さって居る。信仰に生かされるなら、もはや呪われるものは何一つ無い。神様はイエス様を通し、信仰に生かされる全ての人を天国に招いて下さる。…人の世には様々な「光」がある。それには人工により用意されるものも多く、時に暗闇に在る時、その「光」が惑わしに成る事もある。キリストが人に教える光は信仰であり、それが光である。複数の光は初めから無い。人が惑うのは、人の罪が作り上げた「光」による。罪を悔い改めて、イエス様に繋がり、正しい信仰に於いて全ての人が救われる様に。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教5 「山があり 谷があろうとも」

https://www.youtube.com/watch?v=CpUW1JZZU4Y


「鷲の翼に載せて」THE DAILY with Arthur Hollands 2025/03/14

https://www.youtube.com/watch?v=wRw9GCynniU


イエス・キリストの生涯をたどる旅 II (1)

https://www.youtube.com/watch?v=vPB9SBXalPA


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin


星のカケラ

https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬

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