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天国に通じるドア

作者: 雉白書屋

 旅行が趣味の、とある男。ヨーロッパの田舎町を訪れ、ひっそりと建つ古びた教会を見つけた。

 石造りの外壁はところどころ崩れ、ひび割れには苔がびっしりとこびりついている。木製の扉は半ば朽ち、微かに軋む音を立てながら開いた。

 内部には埃が漂い、天井の隙間から斜めに差し込む光が、舞う塵を銀色に浮かび上がらせていた。床には風や鳥が運んだのか、小さな草花がひっそりと咲いている。

 神父の姿も巡礼者もおらず、完全に廃墟となっていた。だが男は、むしろその荒れ果てた静けさに、妙な神聖さを感じた。

 目を閉じて深く息を吸い、静かに耳を澄ませる。どこからか聖歌が響いてくる気がした。


「……聖歌? 空耳……いや、確かに聞こえる」


 気のせいではない。意識を集中させなければ聞き逃してしまいそうなど微かだったが、確かに旋律を成していた。

 男が音のする方向を辿り、教会の奥へ進むと、地下へと続く階段を見つけた。

 慎重に、足音を立てないよう一歩ずつ降りていく。

 その先にあったのは、錆びついた鉄のドア。音の出所はどうやらここらしい。誰かがスピーカーで流しているのだろうか。

 男は唾を飲み込み、そっとドアに手をかけた。


「な、なんだここは……」


 目の前に広がった光景に、思わず声を漏らした。

 信じられないほど美しい世界――澄み渡る青空、花の香りを含んだそよ風、鳥のさえずりと、まるで天使のように透き通った歌声が混ざり合って、あたりは幻想的な静けさに包まれていた。

 柔らかな陽光が、ふかふかとした雲のような白い地面を照らしている。その雲の大地にはところどころ膨らみがあり、その上で人々が寝そべっていた。ゆったりと体を沈め、まるで羽毛のベッドにくるまれるように穏やかな顔で微笑み、眠っている。

 先ほどは思わず『なんだここは』と呟いたが、男は一目でわかっていた。ここは天国だ。あのドアは天国に通じていたのだ!

 振り返ると、ドアはいつの間にか消えていた。それがまた、この場所が天国であることを裏付けている。

 男の頭を一瞬不安がよぎったが、すぐに思い直した。ここは天国なのだ。帰りの手段がなくなったが、事情を話せば地上へ戻してもらえるだろう。それくらいの寛大さはあるはずだ。

 そう考えた男は、軽やかな足取りで歩き出した。

 だが、すぐに異変に気づいて立ち止まった。周囲の人々が、男のほうをちらちらと見て、ひそひそと何かを話し合っているのだ。

 その理由はすぐにわかった。服装だ。彼らは皆、真っ白な服をまとい、頭上には淡く光る輪――いわゆる『天使の輪』が浮かんでいた。

 一方の男は、汗染みのあるシャツに、土汚れのついたジーンズという旅人らしい恰好。場違いも甚だしい。

 男が困ったように笑い、誰にどう弁解したものかと頬を掻いていると、制服姿の男たちがまっすぐに近づいてきた。

 白い衣の上に、ベルトや肩章を備えたいかにも役人風の出で立ちだった。


「すみません、そこの方」

「入場券はお持ちですか?」


「え、入場券?」


「この光の輪のことです」

「先輩、この人、やっぱり……」


「あ、いや、違うんですよ」


 怪訝な顔をした二人に、男は慌てて両手を振って否定した。「たまたま迷い込んじゃったというか……いやあ、素晴らしいところですね! ははは、あの、すぐに戻りますから」


「戻る?」


「え、戻してもらえますよね……?」


「あー、いや、残念ですが、不法侵入者への処置は決まっているので」


「え、処置……?」


「さあ、これをつけてください」


 差し出されたのは、伸縮性のある黒い目隠しだった。


「え、なんで目隠し……? あの、処置ってなんですか!?」


「さあ、行きましょう」


「行くって、まさか……地獄!? いやいや、待ってくださいよ。そんなのおかしいだろ――やめろ、触るな! 離せ!」


 男は必死に抵抗したが、首筋に冷たい金属のようなものを押し当てられた瞬間、体から力が抜け、砂浜に打ち上げられたクラゲのようにぐったりと崩れ落ちた。


「確保、と」


 一人が息をつき、軽く咳払いをして、周囲に向かって軽く頭を下げた。


「皆さん、大変お騒がせしました。どうぞ、引き続き天国をお楽しみください……。おい、運ぶぞ」

「はい。それで先輩、この人もまた……ですかね?」


「たぶんな。まったく、厄介だ」

「やっぱり、隣の館に展示されているタイムマシンの試作機の影響でしょうか?」


「わからん。だが、この万博が終わるまでは問題はすべて隠せと、お偉いさんの指示だ。ほら、行くぞ」

「はい……でも、なんでこの『天国館』ばかりに、過去の人間が迷い込むんでしょう? 『地獄館』もあるのに」


「さあな。『自分は地獄になんか落ちるわけない』って、本気で信じてるんじゃないのか?」

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