人間ぎらいの僕と、人間大好きな雪女★(6,242文字、イラストあり)
連載作品『友達になってくれた雪女のあおいさんが僕の大好きな怪異をバンバン引き寄せてくれます』の原型です。ストーリーはまったく違います。6242文字。
書店の前に、汗だくの女の子が立っていた。
今は一月。ここはもちろん日本だ。
確かに真冬にしてはあったかく、太陽もそろそろ真上に差しかかる時間だったが、それにしても他の通行人はきっちりと防寒着を羽織っている。僕だって着ているダウンジャケットを脱ぎたい気持ちにはとてもならない。
それなのにその女の子は、白いTシャツにジーンズという夏の装いで、その娘の周りだけ真夏なのかというように、顔と腋の下を汗でびしょびしょにしているのだった。
気分が悪いのかな? 声をかけようかな? とは思ったが、他の誰かがやってくれるだろうと思い、書店の中へ入った。
「あった、あった」
今日発売のオカルト雑誌『モー』が棚にさしてあるのを抜き出すと、僕はレジへ向かった。
幽霊、宇宙人、UMA、妖怪──僕がこの世で興味があるのはこれらだけだ。
さっきの汗だくの女の子は女優さんみたいに綺麗だったけど、僕は女の子に興味がない。っていうか、人間に興味がないのだ。むしろ、人間が、きらいだ。
さぁ、今日は休日。すぐにアパートの部屋に帰ってこれを読んで楽しく過ごそう。
そう思いながら書店を出て、僕はびっくりした。
さっきの女の子がまだそこにいた。
溶けかけの雪だるまみたいに、ちっちゃくなってた。
目はほとんど黒い線みたいになってて、表情はもう力が抜けきっていて、地熱に吸われるようにじわじわと、今にもアスファルトの上の染みになりそうだった。
「だ、大丈夫か!?」
僕は思わず声をかけていた。
「君……、雪女なのか!?」
「た……、助けてくだひゃい……」
雪に空いた穴みたいにちいさくなっている口を動かし、彼女は言った。
「暑いです……。人間界って、なぜ、こんなに暑いのでしょう……」
意識が朦朧としているようだ。
通行人たちは遠巻きにチラッと見て通り過ぎていくだけだ。どうやら気味悪がっているらしい。
「僕の部屋へおいで!」
てのひらに乗るぐらいちいさくなっている彼女を持ち上げると、太陽の光から守りながら、駆け足で僕はじぶんのアパートへ持って帰った。
△ △ △
帰るとまず、彼女を冷蔵庫の中へ入れた。
クーラーをつける。
冷凍庫から氷を取り出し、洗面器に張った水に浮かべる。
冷蔵庫を開けて確認すると彼女が少し大きさを取り戻していたので、取り出して洗面器に移す。
じわじわと彼女が人間大まで戻り、生気を吹き返した。
「はあ〜……」
温泉にでも浸かっているような、うっとりとした声を彼女が漏らす。
そして、ちょっとドキッとするような色っぽい目をこちらに向けると、真紅の唇を動かして、言った。
「ありがとうございます。助かりました」
僕はドキドキしていた。ワクワクしていた。
興奮気味の声で、彼女に聞いた。
「君……、人間じゃないよね?」
「あっ……。はい!」
もじもじとうつむきながら、彼女が答える。
「ほんとうは……明かしてはいけないんですけど……。そうです、わたしは人間ではありません」
「雪女?」
「はい」
僕は思わずガッツポーズをキメていた。
夢だった。人間ではない未知の存在と出会う夢が、今叶った。
冷たいオレンジジュースをふるまうと、彼女は嬉しそうに小さな口をコップにつけて、美味しそうに飲む。
「なんで人間界にやって来たの?」
ワクワクしながら僕は聞いた。
「あっ、見ます?」
そう言って彼女がてのひらを広げると、そこに霜が生まれ、スマートフォンの形になった。
画面に光が灯り、一枚の写真を表示する。
それはとても豪華なパフェの写真だった。
「……これは?」
「ベリーベリー・パフェですよ。くすっ」
そんなことも知らないの? と言いたげに、彼女が説明する。
「これを食べるのが私、夢だったんです。母が北方領土へ長い出張に出かけたので、これを好機と人間界へ出てきたんですが……」
「暑くて溶けそうになってたんだね?」
「まさか、人間界がこんなに暑いとは……。冬は私たちの季節ですのに、死にそうになってしまいました」
「写真撮ってもいい?」
僕がスマホのカメラを向けると、彼女がサッとポーズを作り、無言でアイドルのように笑顔になる。
やったぞ! 雪女の写真を収めた! そう思ったけど、撮影したものを見ると、それはふつうの綺麗な女の子でしかない。雪女らしさがちっともなかった。
「なんか妖力使ってるところの写真撮らせてよ」
「あっ……。それはダメです。雪女は人間に存在を明かしてはいけないものなので……」
「もう僕にバレてるじゃん?」
「あっ、そうですね。……くすっ」
綺麗な笑顔がほんとうに芸能人みたいだ。
「不思議です。命の恩人とはいえ、あなたにはなんでも話せてしまえます」
そう言ってもらえる僕のほうこそ不思議だった。
僕はコミュ障だ。他人と会話なんてまともにできたためしがない。
それなのに、彼女とはスラスラと話ができてしまうのだった。緊張もしないし、逃げたくもならない。
きっと彼女が人間ではないからなんだろうと思っていた。
「私、蒼井ふぶきっていいます」
彼女に名乗られて、僕も名乗らないわけにいかなかった。
「僕は……末代良ケンです」
ずっとこの名前を笑われてきた。
陰キャにこんなサンバの似合う名前、相当似合わないとじぶんでもわかってる。中学の時はいじめの原因にもなった。
いつも自己紹介するのが苦痛だ。親を恨んでる。そのうち改名しようと思ってる。
しかし蒼井さんは、面白がるようにではなく、爽やかに微笑んでくれた。
「いいお名前ですね」
心からのように、そう言ってくれた。
きっと松平健を知らないのだろう。
元々どんくさかった。
他の子がふつうにできることが、僕にはできなかった。
言葉も遅く、同い年の子との会話もままならず、高校二年生の今に至るまで、友達といえるようなやつは一人もできなかった。
いや、一度、いたことはあった。
世話好きの女の子で、やたら僕の姉みたいな顔をして、事あるごとに僕の面倒を見てくれた。
給食をこぼせば片付けてくれ、僕の箸の持ち方がおかしいと矯正してくれ、勉強も一緒にしてくれた。
彼女は僕の親友みたいな顔をして、いつも僕と一緒にいた。
小学校を卒業する時、全員が先生から『中学校での抱負』を聞かれ、僕は正直に答えた。
「中学生になったら、友達を作りたいです。小学校ではできなかったので」
クラスの全員から白い目で見られた。
僕の親友のつもりだったあの女の子は泣いていた。
僕は人間の気持ちがわからないのだ。
小さな頃から人間よりも非現実的な存在のほうが好きだった。
べつに人類を滅ぼしたいとか、そういうのはないけれど、人間はきらいだ。僕の面白がるものを一緒に面白がってくれない。それでいて、僕が面白いと思わないものを面白がる。
会話をしてもすぐに止まる。
そんな僕が蒼井ふぶきさんとスラスラ会話ができるのは、やはり彼女が人間じゃないからなのだろうか。
△ △ △
ベリーベリー・パフェの食べられるカフェは、結構僕のアパートから近いところにあった。
僕は店の前まで彼女を案内すると、ふと不安になって聞いてみた。
「ところでお金は……持ってるの?」
「ありますよ」
にっこり笑って、何かを取り出した。
「いくらでも作れますから」
それは10円玉大の雪の結晶だった。
不安が的中して僕は頭を抱えた。
あまりお金は持っていない。
でも彼女の目的を果たさせてあげたかったので、仕方なく僕は奢ることを決意した。
店内にはうっすらと暖房がきいていた。
しかしTシャツの下に大量の冷えぴたシートを貼りつけたのが効果てきめんだったようだ、彼女は涼しげな顔をしている。
僕のコーヒーの後に、彼女のベリーベリー・パフェが運ばれてきた。
蒼井さんのびっくりしたような笑顔を見ながら、僕はやはり人間がきらいだと思った。
確かにそれは豪華なデザートだ。でもじぶんで作れば間違いなく800円もしない。
優しい笑顔を作って丁寧な言葉遣いで、人間社会は搾取を行う。
おそらく原価は300円もしないであろうこんなもので高校生の僕から800円をぼったくる。
人間は嘘つきだ。笑顔を浮かべて嘘ばっかりだ。心の中では何を考えているかわかったもんじゃない。
誰もが自己中心的で、じぶんの得になることしか考えていない。
裏表の激しい汚らしい存在、そんな人間が僕は──
「美味しい……っ!」
テーブルのむかいで彼女が笑った。
まるで子どもみたいな純粋な笑顔に、僕ははっとなった。
「やった! 憧れだったんですよ、ベリーベリー・パフェ! 真似して雪で作ってみたことはあるんですけど、全然ちがう! 本物はやっぱり凄いなぁ!」
興奮する彼女に、僕はツッコんだ。
「そんな薬品のかたまりみたいな食べ物より、天然の雪で作ったパフェのほうが絶対美味しいと思うけどな? 雪女の世界の雪はきっと、人間界の雪とはちがって綺麗だと思うから」
目の前の彼女がムッとなった。
何か気に障ったらしいが、僕にはわからなかった。
「人間は凄いですっ!」
彼女がテーブルをどんと叩くと、パフェが少し浮いて、ちょっとぐらついたけど倒れず残った。
「私、雪女じゃなくて人間に生まれたかったんですから……。あっちにはなんにもないんです。ここには色んな楽しいものがある。いいなぁ……人間」
「隣の芝生は青く見えるだけだよ」
「ケンさんは人間が好きじゃないんですか?」
そう聞かれ、僕は心のままを口にした。
「雪女のほうが好きだ」
すると蒼井さんの白い顔が、なぜか急に発熱したように赤くなった。
慌てたような動きでパフェに戻ると、しばらく無言でスプーンを動かし、ハシュハシュとアイスクリームやフルーツを口に運ぶ。
そんな彼女を見つめながら、僕はしみじみ思っていた。
やっぱり怪奇現象って、いいな──
△ △ △
「あ……」
店を出ると、空を見上げて彼女がいった。
「雪……、降りますよ」
さっきまでよく晴れていた空は鉛色になりはじめ、彼女の言葉を信じさせた。
何より雪の精霊のいうことだ。天気予報なんかよりもずっと正確なのは決まってる。
「よかったね。これで気温も下がる」
僕は彼女が嬉しいのだと思ってそういったが、彼女の表情も空同様に曇っていた。
「どうしたの?」
「雪が降ったら、私は帰らないといけません」
寂しそうに、彼女がいう。
「雪を降らせるのが雪女の仕事。仕事をしに戻らなければ──」
「もう……お別れなの?」
僕は胸がちぎれそうになった。
「出会ったばっかりなのに……!」
「また……会いに来ます」
無理に笑うみたいに彼女が笑う。
「だって私も人間のことが……ケンさんのことが大好きですから!」
心臓を掴まれたようだった。
そして掴んだその手はとても優しく、ひんやりとしているのに温かかった。
「じゃ、帰りますね」
彼女の姿がだんだんと、目の前で透き通っていく。
「待って!」
僕は消えかける彼女を引き止めた。
「……次は、いつ会える?」
「はい、そうですね……」
半透明の彼女がにっこりと笑い、答えた。
「私もケンさんに会いたいですから。またいつか近いうちに、ちゃんと寒い、冬の晴れた日があったら……その日に。今日みたいな暑い日ではなくて─」
「じつは……!」
僕は声を張り上げた。
「冬なのにこんなにあったかいのは人間のせいなんだ! 人間が排気ガスや森林伐採で二酸化炭素を増やしたせいで、地球が温暖化してしまったんだ! ごめん! 君の生きにくいこんな世界にしてしまって!」
謝りつづける僕の言葉を理解しているのか、いないのか、彼女はずっと笑顔のまま、消えてしまった。その顔には『それでもやっぱり人間が好きです』と書いてあるような気がした。
あとに残ったのは彼女と入ったカフェの建物だけ。そして遠くに聞こえる憎たらしい町の喧騒だけだ。
やっぱり僕は人間がきらいだ。
雪女が冬に溶けそうになる地球にしてしまった、愚かな人間どもが、きらいだ。
彼女はもう来ないかもしれない。僕はもう、彼女に会えないかもしれない。これからもっと地球が暑くなってしまったら……。
道路を走る自動車に、石をぶつけてやりたくなった。
でもできなかったのは、僕も人間だからだ。
初めて仲良くなりたいと思った彼女を知り、彼女とまた会うためならどんなことでもしたいと思うようになってしまった。
僕もじぶんの欲求のためならなんだってやらかしてしまう、愚かな人間なのだった。車に石をぶつけたって何にもならないけれど、もしそうすれば彼女がすぐに戻ってくるなら迷わずぶつける。
汚いところもあれば、綺麗なものも好きな、ふつうの人間なのだった。
また彼女に、あのパフェを食べさせたい。
値段はぼったくりだけど、雪の精霊をあんな笑顔にさせるようなものを人間は作れるんだ。
そう考えると、なんだか僕はじぶんが人間であることを誇らしくも思えるのだった。
同時に、雪女の住めない地球にしてしまう人間のことが、じぶんも含めてやはり憎らしくもある。
空からちらほらと、雪が降りはじめた。
彼女のいった通りだった。僕は雪をてのひらに受け止めると、愛しさを込めて口づけた。
酸っぱい、恋のような味がした。
△ △ △
僕は大学に進み、環境保全について学びはじめた。
卒業したら環境保護の仕事に就きたい。
一人の人間にできることなんて、たかが知れてるけれど、少しでも地球温暖化の役に立てればという気持ちで。
あれから彼女は一度も会いに来てくれない。
僕が県外の大学に進学してしまったからだろう。彼女にメッセージを伝える手段があれば、伝えたかった。なるべく気温の低い、北国の大学に僕が進学したことを。
友達ができた。
意志と目的を同じくする気のいいやつらだ。僕のおかしな名前にもすぐに慣れてくれた。
相変わらず僕は他人とズレていて、冗談を冗談とわからないようなところがあるけれど、それでも受け入れてくれる。
何よりみんなは僕のする雪女の話が好きなのだった。
僕が「雪女に会ったことがある」というと、みんな目を輝かせて興味を示してくれたのだった。
「雪女は人間が大好きでね、人間界にあるものに興味津々なんだ。中でもフルーツパフェが大好きで、子どもみたいに無邪気に喜んで口にしてた。やわらかいものばっかりで出来てるパフェが、彼女の口に入るとかき氷みたいなシャクシャクって音を立ててたな」
「また会いに来るって、いってたんだよな?」
「俺も会ってみてぇ……!」
「あたしもー!」
「ちゃんと寒い冬の晴れた日にまた会いに来るって──いってたんだ」
みんなと街を歩きながら、そんな話をする僕の後ろから、ふいに声がした。
「ケンさん!」
とても綺麗な、心の中が凛と引き締まるような、軽やかな声だった。
振り返ると、彼女がそこにいた。
あの時とまったく変わらない、17歳ぐらいの姿だった。白い着物姿で、にっこり笑って僕を見ていた。
「誰?」
みんなが僕に聞く。
「かわいい……」
「あ! もしかして!?」
「……久しぶり」
僕はまっすぐ彼女に話しかけた。
「もう……会えないかと……思ってた」
「パフェ食いに行こうぜ!」
何も説明しなくても、みんなが察してくれた。
「こんにちはー! お友達になってくれますか?」
「俺ら環境保護のために頑張ってますよ!」
「こんにちは」
蒼井さんはたくさんの人間から話しかけられて、とっても嬉しそうに微笑んだ。
「やった! 人間のお友達がたくさんできちゃいました! そして……パフェですって!? ぜひ!」
僕もみんなのことを邪魔だなんて思わなくて、みんなで彼女と仲良くなれることがただひたすらに嬉しかった。
彼女にはずっと笑っていてほしい。
彼女の笑顔をずっと見ていたい。
だから僕は、罪ほろぼしをするべき人間の代表として、彼女の側にずっといて、守ってあげるのだ。
(了)