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その8

(どうしてこうなったのかしら……)


 フェリシアは戸惑いと共に、なぜだか知らないが、アーサー殿下の膝の上にいた。


 先刻、ルーカスと共に執務室を訪ね、『これ最近拾ったんだけどかわいいネコチャン』という説明になっているのかいないのか分からない言葉と共に、猫になったフェリシアはアーサーに引き合わされた。


 もしかしたら、自分がいない所で……と思わないことも無かった。

 だけれど、目の前にいるアーサーはいつも整っている黒髪も少し乱れて、なによりも目の下の隈が凄まじい。


 猫から見た世界ではあるが、机の上には書類が山盛りになっていて、彼がちっとも休めていないことが窺えた。


 フェリシアを連れて下がろうとしたルーカスを引き留めたのは殿下だ。

 『その猫ともう少し共にいたい』と切実な声でルーカスに頼みこんでいた。


 フェリシアといえば、すぐに去るつもりだったからどうしたらいいか分からず、アーサーとルーカスの間でキョロキョロと焦るほかない。


 しばらく考える様子を見せたルーカスだったが、『うーん……じゃあ、夕方また迎えに来る時まで預かってください』と言って、去ってしまったのだ。


 戸惑うフェリシア猫に近づき、『そういうことだから。大丈夫、まだ魔法の効果は切れないよ』と言ってひと撫でし、ルーカスは部屋を出ていった。


 それから、これである。


「この美しい銀の毛並みに、愛らしく吸い込まれるような青い瞳。まるでフェリシアのように美しい猫だな……」


 物憂げな表情のアーサーは、そう言いながらフェリシアの背中を撫でる。

 撫でられる感覚など始めてで、びっくりして「みゃ!」と鳴いてしまうと、「愛らしい声だ」と愛おしげに微笑まれる。


(ど、どうやらアーサー殿下は猫派だったようですね)


 フェリシアはそう結論づけた。

 こんな甘やかな表情のアーサーを見たことがない。目尻が下がり、口角にはずっと笑みを湛えている。


(とりあえず、元気そうで安心しました)


 猫を撫でることで、彼の仕事の癒しになれるのであれば幸いだ。少しだけ、猫の姿の自分自身に対して嫉妬のような気持ちが芽生えたけれど……競っても意味が無い。


 それに、大きな手でふわふわと撫でられて行く内に、猫としての感覚なのかもしれないが、フェリシアはうとうとと眠くなってくる。


「おや、眠いのか。それにしても、こんなに毛並みのいい猫を拾うだなんて……飼い主が探しているだろうに。人懐っこいから飼い猫だろうし」

「みゃあ……」

「ははっ。そのまま眠りなさい。よしよし、きっとすぐに見つかる」


 アーサーの声は、絹布の肌触りのように静かで優しい。とろりとろりとフェリシアの意識もとろけてゆく。


《本当に愛らしい猫だ。フェリシアと同じ色を持つだなんて。飼い主が見つからなければ、ルーカスに頼んで私が飼い主になりたいものだ》


 不意に、そんな声が聞こえた。

 アーサーのものと同じ声。だけれど、どこか脳に直接伝わるような明瞭な響き。


 フェリシアは耳を立て、蕩けそうになっていた身体をピンと起き上がらせてアーサーを見上げた。


「おや。どうしたんだ?」

《耳が立った姿もかわいいな、ネコチャン》


 するとどうだろう。アーサーの口の動きと、全く違う声が聞こえた。


《フェリシアのことも、こうして撫でられたら幸せだろうな》


 今度は、目の前のアーサーが口を開いていないというのに、そんな声が降って聞こえてきた。アーサーの手は、フェリシアの喉元をふわふわと撫でている。


(アーサー殿下の声が二重に聞こえるわ。どういう事なのかしら)


 まるで分からない。分からないが、ひとつ確かなことは、アーサーに撫でられるとどうしようもなく眠くなってしまう。


「おやすみ。良い夢を」

《ねんねだよ、ネコチャン》


 また聞こえた……そう思ったけれど、フェリシアの瞼はどんどんと重くなってきた。「みゃ……」と短く鳴いたフェリシアは、アーサーの膝の上で身体を丸くする。


 どちらかというと、アーサーの口から聞こえない声の方が、とびきり甘やかした声だ。

 そんなことを思いながら、フェリシアはゆっくりと眠りについた。


 *


 フェリシアが目を覚ますと、そこはアーサーの膝の上ではなかった。

 あたりを見渡せば、大きな天蓋付きのベッドの中央で、ふかふかの布の上にいるようだ。


 きっと、この部屋に移動させられてしまったのだろう。耳をそばだてるが、部屋に人の気配がしない。


 むくりと起き上がった猫のフェリシアは、そっとベッドから降りると執務室の方へと足を進める。

 フェリシアがいることを考慮してか、部屋を繋ぐ扉は開け放たれたままだった。


(アーサー殿下、いらっしゃらないわ)


 やはり執務室には誰もいない。

 先程までアーサーがいた椅子は空席だ。


 急な用務で呼ばれて、フェリシアをベッドに寝かしつけてから移動したのだろう。


(もしかしたら……何かあるかもしれない)


 誰もいないアーサーの執務室。

 フェリシアに悪魔がそう囁く。


 金髪の令嬢に繋がる手がかりが、何か見つかるかもしれない。


 そっと椅子に登って、机の上を一瞥する。


 そこには仕事関係の書類が変わらず積まれている。

 アーサーは仕事が早い方だと思うのに、それでも捌ききれないほどの書類があるというのはどういう事だろう。

 必要以上に働きすぎてはいないだろうか。


(――やっぱり良くないわ。わたくしはアーサー殿下の顔を見に来ただけだもの)


 不在にかこつけて家探しをしているようで気が引けたフェリシアは、書類を眺めるのを止めて床に降りようとした。


「にゃ!」


 猫の身体使いが難しく、フェリシアは書類の一部に身体が触れてしまった。

 バサバサと書類が床に広がる。真っ青になったフェリシアが慌てて床に降り立った時、封筒から用紙が飛び出しているのを見つけた。


(これは……!)


 それは、婚約の申し込みなどに用いられる、釣り書と言われる絵画だった。自らの姿絵を精巧に描いてもらって、婚約先に見てもらうためのもの。


 そこに映っている女性は金髪。そして釣り書の一番下には、彼女が隣国の王女である旨が記されている。


(アーサー殿下には、隣国から縁談が来ていたの……!?)


 フェリシアは驚き慄いた。そんなことは知らなかった。父である侯爵にも伝えられたことはない。


 もしかして、アーサーはフェリシアとの婚約を破棄して、王女と結婚するのかもしれない。

 そのための準備で、遠ざけられたとしたら。


 先程までの猫のフェリシアに対する甘やかな態度を思い出しつつ、フェリシアは意気消沈するのだった。

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