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竜の喰わぬは花ばかり  作者: 歩ノ結千鶴
後編 一輪の花
9/19

メィヴェル

 ぐずぐずに形を失う魔獣から飛び散った火花が、花畑の湿った土の上で燻り、ぶすぶすと黒い煙を上げた。


 虚ろだった娘が、はっと目を(しばたた)いて飛び上がる。

 花に火が移るのを恐れて、懸命に火種を潰そうと土を叩く姿が、断崖からもよく見えた。

 娘がぱたぱたと手を動かすたびに、ふわりとした袖が風を孕んで膨らむ。そのさまは、さながら蝶が舞うようだ。


「フィロス」


 竜はこくりと頷くと谷川に滑空し、大きな口に水を含んで、娘のもとへと飛んだ。

 フィロスが水を矢のようにして口から撒くと、燻っていた火種は息を潜め、やがて沈黙した。


 娘はフィロスに礼を言うように頭を下げ、境の石積みまでやってくる。

 ヴェルミリオの足も、自然とそちらへ向かった。


 今日は娘から口を開いた。


「ありがとう」


 渇いた土に水が浸み込むように、耳に馴染みやすい澄んだ声だ。


「花が燃えなくてよかった」


 助けてもらったと感じているのは、どうやら自分のことではないらしい。

 ヴェルミリオはがっかりこそしなかったが、呆れるような思いで苦笑を返す。


「昨日はごめんなさい。わたしに話しかける人なんていないから、とても驚いて……どうしたらいいのか分からなかったの」


 娘はそれだけ言うと、自らをメィヴェルと名乗り、もといた場所へ戻ってしまった。

 入れ替わりにフィロスが帰ってくる。


 ヴェルミリオとフィロスが見守る前で、メィヴェルという娘は、魔獣の残骸を集め始めた。

 普通の娘――いや、誰であろうと触れるのを嫌がるおぞましさであるというのに、メィヴェルに迷いはない。

 仰天のあまり、ヴェルミリオは思わず声を掛けずにいられなかった。


「何をしておるのだ」

「お弔いを。土に還してあげるの」

「忌まわしい獣に、そこまでする必要があるか?」


 メィヴェルは手を動かしたまま、優しくも寂しい声音で答える。


「忌まわしいかどうかは、人が決めたことよ。この子たちはただ、魔獣という名前を与えられただけ。人も獣も草も花も……始まりと終わりは、みんな等しく変わらない、たったひとつの命でしょう?」


 ね――、と遠くから微笑みかけられて、ヴェルミリオはひどく心を動かされた。

 御子でも王子でもない、あるがままの存在を受け止めてくれるユグナーの姿とメィヴェルが重なり、わずかに残った警戒心さえほどけていく。


 すると妙に胸が熱くなり、澱となっていた感情が異色の双眸から零れ落ちた。温かな雫が、国境の石積みを点々と濡らす。

 ヴェルミリオは咄嗟に背を向けることで、どうにかこうにか矜持だけは保った。


 そうして気持ちを落ち着けている間も、背後では土を搔く音が続く。

 遺骸を納めるだけの満足な穴を掘るには、娘の手は小さく弱々しかった。

 見かねたヴェルミリオは、フィロスの自由な身を遣いにやって、魔獣を運ばせた。


「それはこちらで生まれたものだ。こちらで引き受けよう」


 運ばれた遺骸を埋め終わる頃、メィヴェルが再び石積みのそばにやってきた。手折った花を差し出して、彼女は小首を傾げる。


「よかったら――。余計なお世話かしら」

「いいや、荒ぶる心も慰められよう」


 柔らかく落ち着いた色合いの小さな花束に、自らが心を落ち着けながら、ヴェルミリオは塚に花を供えた。


 メィヴェルは静かに祈りを捧げる。

 爪の中まで泥に汚れているというのに、亜麻色の髪も、翻る生成色の衣も――陽の光に清らに映え、その姿はまるで神に仕える巫女のようだ。


 顔を上げたところで、ヴェルミリオは改めて問いかける。


「そなたは、ここで何をしているのだ?」


 メィヴェルは言葉を探して視線を落とし、ややあってから答えた。


「何も。誰かのために何かをするには、わたしはあまりに非力で、できることが何もないから、ただここにいるだけなの」


 要領を得ない答えに戸惑いながらも、ユグナー以外の人間と言葉を交わせることが、少なからずヴェルミリオの口を滑らかにした。


「住まいは近いのか? そなたのような娘が花と戯れるには、いささか障りがある場所だと思うが」


 ひとのことを言えた口ではないが、要らぬ疑いもかけられるだろうと、言外に含める。

 するとメィヴェルはまた、昨日と同じように視線を逸らし、黙ってしまった。


「すまない。答えにくいのならば、この話はもうよそう」


 メィヴェルは静かに首を振る。

 柔らかな仕草に、対話を拒む意志は感じられなくなっていた。


 もう少し話していたいと思ったヴェルミリオだが、フィロスと感覚を共有した耳が、遠くに馬蹄の荒ぶる音を捉えた。

 暴竜の出現以来、国境から足が遠のいたというシルミランの警備兵も、たまには勇気を振り絞るらしい。


 それこそ要らぬ火を熾すこともないと、ヴェルミリオはフィロスと共にその場から離れることにした。

 去り際に、メィヴェルに告げる。


「いつも高みから眺めているだけだったが、間近で目にする花も、ひとつひとつ違って見えて、いいものだな。今日は終いにするが、たまにこうして竜を連れて花畑に降りてもいいだろうか」


 メィヴェルは首を傾げる。花畑の主人かのように訊かれたのが、不思議そうな様子だ。

 だが褐色の瞳を穏やかに細めて頷き返した。


「自由に生きる花たちをどう愛でるかは、あなたの自由だと思うわ」

「ならば、またここに来よう」

「ええ。その時はまた、わたしとお話してくれる?」

「ああ、喜んで……そうだ、俺はヴェルミリオという。こっちはフィロスだ」


 名を名乗るなど、思えば初めてのことだった。

 むず痒いような、浮き立つような気分で、ヴェルミリオは国境線を後にした。





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