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竜の喰わぬは花ばかり  作者: 歩ノ結千鶴
後編 一輪の花
7/19

野の花

 ――竜公爵の住まう谷に近付いてはならない。


 暇を持て余した公爵が、男は腕試しに、女は慰みものにして、飽きたら竜の餌にしてしまうから……と、まことしやかに囁かれるようになって、はや十年が経った。


 何物にも縛られない名ばかりの公爵は、確かに娯楽に飢えてはいたが、峡谷での暮らしはそれほど退屈でも暇でもなかった。

 心地よい居住空間を保つために、日々の天候を見ながら洞の中を調える必要があったし、一人と巨大な一頭分の食糧を確保するのはなかなか骨が折れた。


 加えて、魔獣もまだちらほらと生まれては、荒れ地をうろついているので、山野の巡回が欠かせない。

 おかげで足腰が萎えることもなく、峡谷に引き篭もっているとの噂に反して、日に焼けた肌は健康的だ。


 公爵は断崖に腰掛けて、傍らの竜に語りかける。

 親しみを込めて、グレモス・エリミアには新しい名を付けた。


「見よ、友人(フィロス)。馬が駆けてくるぞ。あれは野良か?」


 くつくつとヴェルミリオは喉を鳴らす。

 栗毛の馬に騎乗した人物は、竜に気付くと断崖を仰いで、ぺこりと頭を下げた。



 * * *



「このたびはだいぶ間が空いてしまい、申し訳ございません。お変わりございませんか」


 すっかりこめかみに白いものが目立つようになったユグナーは、肩から背嚢を下ろして、切らした息を整えた。


 彼は折を見て、ヴェルミリオの様子を伺いにやってきては、衣類などを差し入れてくれる。

 誰も進んで竜公爵のもとに通いたがるものはおらず、従者であったユグナーがお目付け役に当てがわれたわけだが、むしろお互いそれで都合がよかった。


 誰に気兼ねすることもなく、存分に言葉を交わせるのは、思わぬ儲け物であった。


「都ではとうとう作物が育たなくなりました。……御子のお力により、水は枯れることなく潤っているので、一見すると何も変わりないようですが……。花はこれからが盛りというのに、こちらへ向かう道中、蕾さえ見かけない土地が随分と増えました」


 世俗と縁を切ったヴェルミリオではあるが、国の行く末が気にならぬわけではない。物だけでなく、情報をもたらしてくれるユグナーの存在は非常にありがたかった。


魔力(リュージュ)の枯渇は深刻だな」

「それに比べますと、こちらは緑が蘇りつつありますね」


 ヴェルミリオが追放された時、岩肌が剥き出しだった荒れ地には柔らかな若芽が萌えている。


「噛まれるのを承知で、竜公爵の地に手をつける怖いもの知らずはおらんからな。……いや、いたな」


 小さく笑みを零し、公爵は国境線を指差す。

 かつて小さな泉程度だった隣国シルミランの花畑は、石積みを越えてアクアフレール側にもその繁茂を広げていた。


「奴らは密かに、しかし確実に領土を侵している」

「ふふふ。まあ、なんと愛らしい侵略者でしょうか。指揮官はどちらに?」

「そうだな……。あの娘か?」


 冗談混じりにヴェルミリオが指差すシルミラン側の花畑に、ユグナーも目を凝らす。


「どこでしょうか?」

「あの、星型の花々が咲き乱れている辺りにおるだろう。亜麻色の髪を垂らした娘が」


 竜と暮らすようになってから、ヴェルミリオは時々フィロスの眼を借りている節がある。

 遠く離れた岩の間を這う蜘蛛の子まで見つけられるくらいだ。ユグナーには、どう頑張っても石積みの辺りまでしか判然としなかった。


「申し訳ございません。わたしには花の形も見分けられず――どのような娘でございますか?」

「村娘といったていの、これといってぱっとせぬ風貌だ。何をしているのか。このひと月ほど、毎日ああして花の中に佇んでいる」

「ひと月、毎日……。よく、ご観察されていらっしゃるのですね」


 ユグナーは含み笑いを隠そうともしない。昔よりずっと気安いところも不快には思わず、ヴェルミリオも冗談で応じた。


「村娘に扮した間諜を監視しているのだ。竜公爵もたまには、お国のために働かねば、わずかばかりの領地を取り上げられてしまうやもしれぬからな」

「そうなれば、宿無し公爵でございますか」

「はっ、言ってくれる!」


 笑い声が、峡谷に木霊する。

 ユグナーが来た時にだけ味わえる空気の振動に、フィロスは心地よさそうに翼を広げた。


 ヴェルミリオは花畑の娘に、改めて目をやる。

 断崖で目立つ動きをしていれば当然気付くはずだが、娘は微動だにせず、視線が動く様子さえ見られない。

 間諜と疑っているのは冗談にしろ、娘が普段からその調子でぼうっと佇んでいるので、ヴェルミリオは妙に不自然に感じ、眺めてしまうのだった。



 次の日も、そのまた次の日も――。

 娘は花畑に現れた。


 花畑の後ろには木立が並び、その奥にやや大きめの屋敷の屋根が覗く。

 娘はそこから通ってくるのか、ヴェルミリオが朝陽を浴びにフィロスと断崖に登る頃には、すでに起き出して花を眺めているのだ。

 そうして日がな一日、何をするでもなく花の中で過ごす。


 ヴェルミリオも娘に倣い、何もせず断崖に佇むということをしてみたのだが、半日ともたず飽きた。

 うたた寝している間に日が暮れて、気付けば娘も姿を消していた。


「おかしな娘だ。それこそ、国境を守っているというのでもなければ、酔狂なものだ」


 同じ姿勢でいたために、すっかり凝ってしまった体をほぐしながら、ヴェルミリオは立ち上がる。


「――その酔狂を眺める俺も、似たようなものかもしれんがな」


 フィロスは首を傾げた。何でもないと言うように喉元を撫で、ヴェルミリオは峡谷へと戻る。

 洞窟の奥で、フィロスにもたれるように転がって、深い闇に包まれる夜を迎えた。


 やがて昏い波が引き、汀に光が満ちる頃、花たちは一斉に顔を上げる。

 断崖から射す朝陽に顔を向ける花々の中、亜麻色の髪の娘はぽつん――と佇んでいた。





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