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竜の喰わぬは花ばかり  作者: 歩ノ結千鶴
前編 孤高の竜
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王子の断罪

 アイオラがいなくなってから、ヴェルミリオは埋まらない寂寞を持て余していた。

 話し相手がユグナーしかいないのはたいして変わりのないことだが、血と運命を分け合った妹の存在に代わるものがないことを思い知らされた。


 魔法伯のもとでどう暮らしているのかを思うと、安心などできない。いっそ二人で逃げ出せばよかったのではないかと、別れの時を振り返る日々が続いた。



 * * *



 そうして幾年が過ぎ、ヴェルミリオが成人を迎える頃、城にはある変化が訪れようとしていた。


 フラー四世は自身の老いと衰えを前に、焦りを覚えていた。

 どう足掻こうと、双子の誕生を最後に世継ぎが生まれることはなく、いずれその日が来るならばと、近頃ではヴェルミリオに王位を譲る決意を固め始めているところだった。


 そんなある日のこと。王城を包む霧を抜けて、見覚えのある馬車が城門に寄せられた。

 それは数年前にアイオラを乗せて去った、魔導馬車であった。


 馬車から降り立つ魔法伯の姿は、あの日から寸分と変わらず、まるで時が遡ったようだ。

 しかしこの日、馬車を降りたのは彼だけではない。


 伯爵自らに手を差し伸べられ、キャビンを滑り出たのは、見違えて美しく磨き上げられたアイオラだ。

 王女として城にいた頃よりも、伯爵夫人となった現在のほうが高潔な雰囲気を醸し出している。


 先触れもない突然の来訪な上、王への謁見を願い出る彼らに、臣下らは非難の声を浴びせる。

 すると、幼き時分には俯きがちだったアイオラが、臆することなく毅然と進み出て、腕に抱いた小さきものを掲げた。


 刹那、城門が驚愕に震え、次の瞬間には水を打ったように静まり返った。

 居合わせたものすべてが伯爵夫妻に跪き、こうべを垂れる。


 その中心にて、アイオラに抱かれた小さきものは、高らかに声を上げた。

 勝ち鬨に喉を震わすようなその声は、いつぞやのヴェルミリオの産声を思わせる旺然たるものであった。



 * * *



 神の子が現れたーー。


 報せは直ちに王の耳に入れられた。

 程なくヴェルミリオも知るところとなり、アイオラの待つ客間へと駆けつける。


 部屋には王並びに王妃ウェレネ、大神官、宰相、将軍と……国の要たる面々が揃っていて、飛び込んできたヴェルミリオに、かつてないほど胡乱な目が向けられた。

 そうして誰も彼もが、見比べるようにアイオラのほうへと視線を戻す。


「お久しゅうございます、殿下」


 いささかよそよそしい態度で、アイオラは語りかけた。


「ご覧ください」


 アイオラの腕がゆっくり傾けられると、おくるみの中でくるくると母親を追いかけていた、いとけない瞳はヴェルミリオを捉えた。


 翡翠の左目に風の紋章を宿し、真空(まそら)色の右目には水の御印がはっきりと浮かぶ。

 純心な瞳に結ばれたヴェルミリオの鏡像は、戸惑いのあまり酷い顔だ。


 フラー四世はその場で、自身亡き後の王位の行方を高らかに宣言した。

 魔法伯とアイオラの子を救国の御子と認め、次期王の座に据える、とーー。



 茫然としているうちに、気付けばヴェルミリオはアイオラと二人、室内に残されていた。


 久しぶりに妹姫に会えたなら、語らいたいことは山とあったはずなのに、一言とて言葉が出てこない。

 先に口を開いたのはアイオラの方で、その声音には以前のような弱々しさがない。そして、親しみも感じられなかった。


「お兄さま。どうやら、わたくしたちの運命は、もとより違えていたようですね」

「アイオラ……」

「ずっとずっと、言いたかった。あなたとわたくしは、同じなどではない、とーー」


 侮蔑さえ込められたアイオラの声音に、ヴェルミリオは愕然とする。


「何も持たない妹と、半分でも神の加護をいただいた兄のどこが同じだと言うの? 侍女にすら虐げられる王女と、腫れ物に触るようでも人間扱いされている王子が同じ運命だと、どの口で仰っていたの? わたくしの苦痛が、あなたにわかるはずがない。

お兄さまに守られるたび、わたくしは自分が惨めでならなかった。お兄さまがわたくしを見て、自分はまだましだと、安堵にお顔を緩めるのも、不快でした。ご自身で気付いていらっしゃらなかったでしょう」

「俺は決して、そのようにはーー」


 思っていない、とは言い切れない後ろめたさがヴェルミリオの口を塞いだ。


 万民の期待を背負って生まれながら、目を背けられ続けた王子が、アイオラの前でだけは英雄でいられたのだ。

 その瞬間、確かに気持ちが高揚していたことを、ヴェルミリオは否定できなかった。


「わたくしはもう、お兄さまの心を慰める道具ではありません」



 翌日、国は神託の御子の出現を公にしたが、それすらもヴェルミリオにとってはまるで現実味がなく、何の感慨も湧かなかった。

 紛い物だと突きつけられたことよりも、アイオラの本心と、そこに覗き見た醜い己の姿が、彼の胸を抉った。


 それからさらに数日して、ヴェルミリオに王命が下された。

 暴竜グレモス・エリミアを討伐せよ──との命である。


 その竜はガドゥール辺境伯領に現れて以来、シルミランとの国境に接する峡谷に棲みついた。

 恐ろしげな姿はシルミラン側の侵入を阻む抑止力となっているが、凶暴性と旺盛な食欲で家畜や人を襲い、ガドゥール領の被害は甚大だ。

 これまでに討伐隊が幾度も送り込まれてきたが、誰ひとり帰ってきたものはいない。


 そこへ送り込まれる理由が、簡素な書面に透けて見え、ヴェルミリオは渇いた笑みを零した。


「次は、俺の番というわけか」


 討伐を名目にした追放、あるいは処刑……。半端者は、不要になったのだ。


 もはや父王への憤りも覚えなかった。

 寧ろヴェルミリオはこれを、アイオラの心に寄り添えなかった愚かな兄に下された罰だとさえ受け止めた──。






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