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竜の喰わぬは花ばかり  作者: 歩ノ結千鶴
前編 孤高の竜
3/19

腫れ物王子といらない王女

 水と風の加護を受けたアクアフレールの王都は、どこからともなく湧き出で、降り注ぐ清らかな水に周囲を包まれ、外敵の侵入を阻んでいる。


 王城に至っては霧に隠され、都に住まう者もその佇まいを目にしたことはない。

 出入りを許された者のみが、霧の中に正しい道を見つけられるという。


 霧が晴れた先に佇む白亜の城の(きざはし)にて、十二歳の王子ヴェルミリオは、窓辺に身を寄せた。

 眼下には、年中なにかしらの花が盛衰を競う庭園が広がっている。


「霧の中に閉じ込めるには、惜しい光景だとは思わんか。これほど美しい花々を見たら、民の塞いだ心も慰められるだろうに」


 鮮やかすぎるほどに赤い薔薇を眺め、まだ幼さの残る王子は嘆く。その髪もまた、燃える紅だ。父王譲りの金茶の髪は、三つになる頃には今の色に変わっていた。


 そばに控えた近侍のユグナーは頷きこそしないが、穏やかな声音で応える。


「お優しい殿下。そんなにお心を痛めずとも、野には野の美しき花がございますよ」


 かつて大神官を務めたフュージャーを大伯父に持つ青年を振り返り、ヴェルミリオは肩をすくめた。


「そうであろうか。近頃は、路傍の雑草さえ勢いがないように見えるがな」


 魔導具に魔力(リュージュ)を介すことで、魔法使いと同等の力を得られるようになった今、人々の生活は豊かになったといわれている。


 しかし一方で、魔力を吸い上げられ続けた大地は痩せ、土から枯れつつあるのは、魔導技術がもたらす恩恵と表裏一体の問題である。


 民の密集する王都は特に、大地の枯渇が深刻だ。それでいながら、城の庭園が豊かに維持されている現状をヴェルミリオは揶揄したつもりだが、ユグナーは曖昧に微笑むのみだ。


「シルミランとて状況は大きく変わらないのであろう? 先日は、リュージュの泉に、鼠が入り込んでいたそうではないか」


 隣国の間者を魔法伯が捕え、根城まで突き止めたと宰相らが語っていたのは、つい一昨日のことだ。


「このままではいずれ我々は、互いの国同士に止まらず、世界ごと食い潰してしまうのではなかろうか。魔導技術を手放すのも、和平の道とわたしは見るがな」

「それは殿下が魔法を使えるから、仰れるのですよ。我々のように無力な上で贅沢を知ってしまった人間は今更、原始の生活に戻る気概はないのでございます」

「そうは言っても近い将来、大地の魔力は尽き、魔導は滅びる。その時に人の住める地が残っていないようでは、笑えぬではないか」


 王子の鋭い視線に射抜かれ、ユグナーは自然とこうべが下がる。


 ちょうどその時、文官たちが角を曲がってやってきた。

 ヴェルミリオに気付いた彼らは、一瞬でも道を譲るような素振りすら見せず、歩みを止めない。

 すれ違いざまに深く下げられた頭は、敬意とも拒絶とも取れる曖昧な仕草であった。


 これが、この国におけるヴェルミリオの立ち位置である。


 フラー四世はヴェルミリオの誕生以来、次こそ正当なる神託の御子を授からんとして、世継ぎをもうけることに躍起になっているが、十人いる妃の一人とて懐妊の兆しは見られないまま現在に至る。


 それでヴェルミリオは、ぞんざいにこそ扱われないが、どうしたらいいか答えが出ぬまま、まるで腫れ物のように目を逸らされているのだ。


 フュージャーは、天寿を全うし最期の時を迎えるその瀬戸際まで、数奇な運命を背負った王の子らを案じていた。

 自らの縁者であるユグナーを仕えさせたのも、ヴェルミリオを思ってのことだ。


 実際にもう六年もそばにいるユグナーにすれば、贔屓目を取っ払っても、ヴェルミリオは王の後継に相応しい器であると胸を張って言える。

 誰も彼も神託に振り回されすぎなのだと、呆れる思いだった。


 しかし、ヴェルミリオには彼がついているだけ、まだ()()な方だ。



『────!!』



 突然、悲鳴と笑い声が重なった、女たちの甲高い声が庭園の方で上がった。


 ヴェルミリオは窓を開けると、侍女たちのせせら笑いの在処を、目ざとく仕留めた。


 庭園の一角で、数人の侍女が円陣を作るように集まっている。

 彼女らの足元には、空の手桶が放られていて、さらにそのそばには金茶の巻き毛から泥水を滴らせ、小さくなっている少女の姿があった。

 

「あの者ども、またアイオラを──!」


 かっと頭に血を昇らせたヴェルミリオは、臆すことなく窓枠をひらりと飛び越える。庭園は三階下だ。


 急降下する体が空気を裂く。にわかに翡翠の左目が輝いて、それに呼応するかのように、裂かれた空気は、ヴェルミリオの四肢に風の翼を纏わせた。


 そうして彼は、文字通り侍女たちのもとへ飛んでいった。



「貴様ら! 一の姫であるアイオラに、これはどういった仕打ちか!」

「で、殿下……っ。わたくしどもは、つまずいて桶の水をかぶってしまった王女様を、助け起こそうとしていたところでございます」


 一人が口を開くと、残る女たちも頷いて返す。


「ええい、白々しい! 先の件でも、貴様らは同じように言い訳をしたな。その腐った性根、今ここで燃やし尽くしてやろうか!」


 紅の右目が炎の刻印を輝かせて、燃える。掌には業火が産み出され、王子の怒りに応えて烈しく火の粉を散らした。


 蹲っていたアイオラは這うように進み出て、兄に縋り付く。


「おやめください、お兄さま。わたくしは本当に、自分で転んでしまっただけなの。だからもう、お怒りを鎮めて」

「しかし、アイオラ──!」

「……お願い、お兄さま」


 しがみついたアイオラは指先まで震えている。

 これ以上、騒ぎを大きくしたくない弱々しい姫の性格は承知していたが、そのせいで侍女らの横暴が苛烈になっているのをヴェルミリオは放ってはおけなかった。


 苦々しい顔で炎を収め、侍女らに言い放つ。


「アイオラの体が冷えている。すぐに湯を用意しろ。それがそなたらの務めであろう!」

「はっ、はい……! では、アイオラ様をこちらに……」

「ならん! わたしが連れて行く。そなたらは先に行き、場を調えておくがいい」


 任せたら何をされるか分からない、と牽制を込めて右目を怒りで輝かせながら、睨みつけた。


 アイオラの侍女たちは、逃げるように庭園を去った。


「大丈夫か、アイオラ。すまない、俺がもう少し早く気付いていたなら」


 ヴェルミリオは泥水の滴る頬を撫で、アイオラに上着を着せかけた。


 身長に対して身丈の足りないドレスはツギだらけ、袖も足らずに肘から下が露わだ。

 細すぎる手首には、薄桃色に引き攣れた火傷の痕が見える。数ヶ月前、侍女らに熱い茶をかけられた時の傷だ。


 あの時もヴェルミリオは事が起きてからしか気付けなかった。

 おまけに、水の魔法が使えないため、熱傷をすぐに冷やしてやることもできず、こうして痕が残ってしまったのだ。


 アイオラを一度、地に下ろして、ヴェルミリオは跪く。


「なあ、アイオラ。以前にも話したが、お前は俺とともにいた方がいいと思うのだ。住まいを移すつもりはないか?」


 ユグナーの妹がアイオラのそばにいるうちは、まだよかった。しかし彼女に子ができて職を辞した途端、それまでアイオラに仕えていた侍女たちは掌を返した。


 神託を違えて生まれたヴェルミリオの上を行く()()()()()()()()などと呼ばれ、王女とは思えぬ扱いを受けているのだ。

 国王夫妻が見て見ぬふりを貫いているのがまた、同等の意識であることの表れでもあり、アイオラへの非道な扱いを助長している。


「俺とて何の権限も持たない王族の爪弾きだが、せめてそばでお前を守りたい。今度こそ考えてはくれないか」

「わたくしと一緒にいて……、お兄さまに何の得があるというの」


 すっかり卑屈に育った少女は、ぼそぼそとした受け答えで視線を逸らした。


「むしろ損をするだけではありませんか」

「損得ではない。俺とアイオラは同じ運命のもとに生まれた、この世で唯一、手を取り合える片割れ同士ではないか」

「同じ、運命──? お兄さまとわたくしが?」


 眉をしかめたアイオラに、それ以上後ろ向きな言葉を紡がせないよう、ヴェルミリオは再び抱き上げる。


「そうさ。お前の苦悩も屈辱も、本当に理解してやれるのは、ともに生まれた俺だけだ。せめて俺には、もっと心を許して甘えてくれ、アイオラ」

「……わたくしに甘えていたいのは、お兄さまでは?」


 小さく呟いたアイオラの皮肉を、頼もしく受け取ったヴェルミリオはおとがいを解いて揚々と歩き出した。


 この先なにがあろうとも、アイオラを必ず守り抜いてみせると心に誓い、ヴェルミリオは改めて居室の改修を王に申し出たのだが──。

 色良い返事は返ってこなかったばかりか、近く、アイオラが城を出ていくと告げられた。


 アイオラの降嫁が、突如として決まったのだ。





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