戦の道具
開戦してからというもの、ヴェルミリオはユグナーの顔を見ていない。
なにしろ非常時だ――、行動を制限されているのだろうと言い聞かせ、落ち着かない心を無理にも慰める日々が続いていた。
半月前、ユグナーから最後に届いた報せには、戦況の膠着を知らせる内容が記されていた。
「新王陛下の神与の力は素晴らしいようでな。いかなる攻撃も通さぬ、鉄壁の守りを誇るらしい」
背中合わせに、隣国の娘へと語りかける。
「対して、そちらは……真昼の月が吸い上げた魔力で防壁を築き、進軍を阻んでいるとのことだ」
「真昼の月……前に見た、白いあれのこと? ここにも、来るのかしら……」
戦の足音から遠ざけられた長閑な花畑を眺め、メィヴェルの瞳が曇る。
生き生きと空に顔を上げる花々が、魔力を喰われて枯れゆくさまを見てしまったかのようだ。
「安心しろ。月を気取った無粋な輩は、撃ち落とせばよい」
紛い物でも、神から譲り受けた力は腐っていないと示すように、紅の右目に炎が灯る。
力強い瞳に安心したのか、背中に感じるメィヴェルの温もりが深まった。
ただそれだけのことで、心の隙間が埋められていくのを、ヴェルミリオは幸福という言葉以外で説きようがない。
そんな感情を抱いていられたのは、やはりまだどこか戦時下という実感に欠けていたからだ。竜ですら、崖の上で日光浴をしているのだから、無理もない。
ふと民の苦しみを省みて、己の暢気さを恥じることもあったが、それでいながら、こんな時が長く続けばいいと願わずにいられなかった。
だが、彼の願いはいつだって、生まれついた星のもとに脆くも崩れ去る──。
まるでそれを知らしめるかのように、断崖の一角が大きく音を立てて崩落した。
突然のことに驚き顔を上げた二人は、崩れた岩とともに宙に投げ出されるフィロスを見た。
うつらうつらしていたところを突然宙に投げ出されたものの、フィロスはすぐさま翼を開いて体勢を整える。そしてその場で、断崖に向けて威嚇の咆哮を上げた。
「おお、噂に違わぬ恐ろしさよ。しかし、どうです。それ以上わたしに近づくことは躊躇われるでしょう?」
崖の上から聞き慣れない声が響き、遠目にも身なりの良さが際立つ男が、顔を覗かせた。
「魔法伯がお作りになられたアミュレットは、実に素晴らしい。人外の生物の魔力を吸い弱体化させられる。おかげで、ここまで魔獣にも襲われず、辿り着けましたぞ。ご機嫌いかがですかな、竜公爵殿! 今そちらへ降りますゆえ、しばしお待ちを――」
男は、御者台とキャビンが一体となった馬車のような小型の乗り物で、崖を滑り降りた。
ヴェルミリオは咄嗟に、メィヴェルを背後へ庇う。
「石積みの後ろに伏せ、息を潜めていろ」
程なくして国境線へ乗り付けた男は、警戒するヴェルミリオに、自らをアクアフレールの王佐マコールを名乗った。
吊り上がった細い目と、薄い唇がいかにも狡猾そうな中年の男だ。ヴェルミリオの記憶にはない顔だった。
幼い王の誕生に併せて、登用されたのだろうとまでは、推測できたヴェルミリオだが、なぜそのような人物が現れたのかは皆目見当がつかない。
マコールは、疑念を募らせるヴェルミリオの背後に目をやると、下卑た笑みを口の端に浮かべた。
「暴竜に負けじと恐れられる竜公爵殿に、そのような、か弱きものを愛でる御趣味があったとは驚きですな」
舌打ちを努めてこらえ、ヴェルミリオは毅然と迎え打つ。
「断りもなく、我が領地に土足で踏み入るとは、火急の用でもなければ、その首刎ねられる覚悟があるのだろうな」
「おお、くわばらくわばら……! たいへんなご無礼は承知のうえ。本日は閣下に王命をお伝えすべく、参ったのでございます。どうぞ、ご一緒にご確認いただきますよう、お願い申し上げまする」
マコールは仰々しい巻き紙を解き広げ、書面を朗々と読み上げる。
そのあまりに非情で、ふざけた下知に、ヴェルミリオは辛抱たまらず激昂した。
「つまり……貴様らは、わたしに……前線に立って、シルミランを火の海にせよと言うのか」
男は薄く切れ上がった口角をにんまり持ち上げ、場違いな笑顔で大きく頷く。
「そうでございます。閣下の業火のお力も天与のもの。読んで字の如く、シルミランの防壁に風穴を開ける起爆剤足りうると、アイオラ様からの推挙でございます」
「アイオラが……」
「これは名誉でございますよ。神子たれず、燻っていた火種を今こそ……! 爆ぜさせる時が参ったのです!」
芝居がかった大袈裟な身振りに、心底嫌悪感を募らせ、ヴェルミリオは声を荒らげた。
「痴れ者が! かつては俺に死ねと言い、己らの始めた戦に収拾がつかなくなれば、助けてくれと泣きつくか!」
友の怒りに呼応し、地響きとともにフィロスが降り立つ。低い唸り声で凄みをきかせて、マコールにのしかかるように鼻面を突きつけた。
護身のアミュレットを振り翳すも、怒り昂るフィロスは二度と怯まない。
「貴様らに、この竜公爵を飼い馴らせるというなら、その手で枷をはめるがいい!」
マコールは姿勢だけは頭を低く、怖気づいたように見せたが、よく回る口にはまだまだ余裕があった。
「これはこれは、ご機嫌を損ねてしまったようで……。手枷などはめるつもりは毛頭ございませんので、用意がないのですが。そうそう、わたしとしたことが、手土産をお渡しするのを忘れておりましたね。たいへん失礼をいたしました」
変わった乗り物の座席の後ろをごそごそとやって、小さな箱を差し出す顔が、なんともいやらしい。
「こちらで、お心変わりくださると嬉しいのですが」
警戒を強め、ゆっくりと蓋を開いたヴェルミリオは、中から現れた悍ましい贈り物に目を瞠った。
危うく取り落としそうに震える手を押さえ付ける。
「どうぞ、お手に取ってご覧ください。あなた様がお喜びになるかと、大粒のオニキスを選んだのですよ」
箱に収められた、黒々と虚ろに開いた瞳孔と視線が絡んで、ヴェルミリオの背筋を冷たいものが這った。
「ユグナーに何をした……っ」
「ユグナー? ああ、そう。それの産出地は、そんな名前でしたな」
わざとらしくマコールは首を傾げる。
「おや? あなた様の近侍だったものもそんな名前でしたかな? 先日、何やら目が見えにくいと嘆かれていたので、眼鏡ではなくいっそ魔導義眼にしてみてはと、お勧めしたのですよ。しかし残念ながら処置に不備があって、片眼を失ったとか……」
「貴様っ……」
「近く、残されたほうの処置をされるそうですよ。次はうまくいくといいですな!」
光を失ってしまう前に、顔を見せて差し上げては――と、ぼそりと呟く口の端に、うすら寒い笑みが浮かぶ。
「明朝、改めてお伺いしますので、良いお返事をお待ちしておりますよ」




