牢獄町の虜囚
これは、山へマウンテンバイクに乗りに来た、ある若い男女の話。
その若い男と若い女は、学生の頃からの付き合い。
双方の両親公認の仲でそろそろ結婚を考えているところ。
そんなその男女が、
新しく買ったマウンテンバイクに乗るために山へとやってきた。
マウンテンバイクとは、山道など悪路で走るための自転車のこと。
その目的に違わず、起伏が険しく鬱蒼と茂る山の森の中を、
その男女はマウンテンバイクにまたがって走っていく。
「さすがマウンテンバイク。
こんな悪路でも自転車で走ることが出来る。
今日は天気も良いし、来てよかったな。」
「でもあなた、こんなに森の奥に入って大丈夫かしら。」
「大丈夫さ。
麓の村の人の話だと、森の奥には小さな町があるらしい。
道が分からなくなったら、そこで聞けばいい。」
「もう!
わたしはそういうことを言いたいんじゃないの。
もうすぐ夕方になるでしょう?
こんなに深い森の中で暗くなったら危ないし、心配だわ。」
その若い女の心配を他所に、
若い男は先陣を切って夢中で森の中を駆けていく。
そうしていると案の定、
その男女は深い森の中で迷子になってしまったのだった。
森の中には目印になるものもなく、ここがどこなのかもわからない。
森は奥へいくほど木々が生い茂り、
やがてマウンテンバイクでも乗るのが難しいほどの悪路になってしまった。
その男女はマウンテンバイクを降りて、自転車を押しながら森を彷徨い歩いた。
森の木々の隙間から差し込む日の光が弱々しくなって、気温がぐっと下がる。
視界が悪くなった森のどこかから、見知らぬ獣の鳴き声が聞こえてくる。
その男女が不安感に身を寄せ合うようにして歩いていると、
やがて急に森が開けて、集落が姿を現したのだった。
森の中を彷徨っていたその男女の前に、突然、集落が姿を現した。
その集落は、家などの建物が数十軒もあるだろうか。
森の中を切り抜いて、都会の閑静な住宅地が姿を現したような、
その男女にはそんな非現実的な錯覚めいた感じがした。
しかしもちろん、目の前にある建物は現実。
地面は舗装されているし、頭上には電線まで通っている。
山奥の森の中という不便な立地ながら、その規模は町と言える規模だった。
「こんなところに本当に町があるだなんて。
途中の山道に道路なんて見かけなかったのにね。」
「きっと、道路は違う方にあるのよ。
それよりも見て。
家の向こう、立派な塔があるわ。」
その若い女が指差す先、
建物が開けた場所に、真っ白な小高い塔が建っているのが見えた。
塔は5階建てのビルほどの高さはあるだろうか。
上に登ることができたなら、さぞ見晴らしがいいことだろう。
そうしてその男女が塔を見上げていると、
ふと、老婆が近くを通りがかって、
にこにこと柔和そうな笑みを浮かべてこちらへ近寄ってきた。
「おや、珍しい。
あんたたち、外からきた人かな。」
老婆の質問に、その男女が頭を下げてから返事をする。
「はい、そうです。
僕たち、山でマウンテンバイクに乗っていたら道に迷ってしまって。」
「麓へはどう行ったら良いんでしょう。」
すると、さらに通行人だろうか、
他にも老若男女数人が集まってきて、わいのわいのと賑やかになった。
「なんだなんだ、あんたたち道に迷ったのか。」
「こっちの森は道路もないのに、よくここまでこられたなぁ。」
「せっかくきたんだ。
この町を存分に堪能してくれ。」
「それよりも、お疲れでしょう。
向こうの広場のほうに休憩所があるから、そこで休むと良いわよ。」
にこにこと笑顔で人懐っこい人たちに囲まれて、
その男女は、塔がある広場へと引っ張られていった。
その男女が町の広場にあるという休憩所へ向かう途中、
町の人たちがこの町について説明してくれた。
この町は、自然とともに生活する人たちが集まってできた町。
食べ物も飲料水も自給自足で、
なんと電気までもがこの町で発電されて賄われているという。
町は山の中の窪んだ盆地にあって、
縁である小高い部分には風力発電所や太陽光発電所などがあるらしい。
また、この町では太陽信仰、自然信仰のような風習があって、
独自の文化を形成しているのだそうだ。
一日を太陽の一生に見立てて、
日の出を太陽の誕生、日の入りを太陽の死没として、
毎朝晩にその方角に向かってお祈りすることを欠かさない。
日の出の方角である町の東側には、御利益にあずかる産婦人科病院。
日の入りの方角である西側には、亡くなった人たちを埋葬する墓地がある。
町の重要施設にはそうして何らかの意味が与えられているそうだ。
人は太陽と自然とともに生まれ育ち、そして死んでいく。
この町ではそんな考え方を町全体として実現しているという。
説明を聞いて、その男女は感心してため息をついた。
「すばらしいです。
僕たちも自然が好きで、こうしてよく2人で山とかに出かけてるんです。」
「風力発電とか太陽光発電とか、自然環境にやさしくていいと思うわ。」
その男女は今、
町の人たちに先導されて広場にある塔の階段を登っている。
休憩所は塔を登った展望スペースにあるそうで、
そこへ向かうためには階段を登るしかないのだそうだ。
この町へ来るのに既にくたくたになった足腰に鞭を打ち、長い階段を登る。
すると、やっと登り終わった先の展望スペースからは、
夕焼けに染まる山の景色が一望できたのだった。
「すごい。
山の木々が夕焼けに染まって、まるで紅葉みたいだ。」
「向こうを見て、日が沈む方。
遠くてわかりにくいけど、何か細々としたものが建っているわ。
あれがきっとお墓なのね。
そうすると反対側に建っている建物は病院かしら。
本当に人と自然が一体になっているのね。」
感心するその男女の様子に、案内をしてくれた町の人たちが嬉しそうに頷く。
「そうでしょう。
気に入ってもらえてよかった。
実はこの塔も日時計になっているんですよ。
塔は町に影を刻む、つまり時を刻むという意味でね。
ところで、今日はもう暗くなるから、この町に泊まっていくといい。」
「気に入ってもらえたのなら、ずっとここに住んでもいいのよ。」
町の人たちの言葉にその男女も笑顔になって応える。
それからその男女は、町の人たちと一緒に、
日が沈む方角に向かって、今日の太陽の死に祈りを捧げたのだった。
それからその若い男と若い女は、町の小さな民宿に一泊した。
この町で採れた食材で作られたという食事は、
質素ながらも満足のいくものだった。
そうして翌朝、その男女は、
民宿の人たちと一緒に朝の太陽の誕生に祈りを捧げてから、
町の観光に出かけることにした。
マウンテンバイクを走らせながら、その若い男が若い女に言う。
「ちょっとさ、気になるところがあって。
町の高台にある太陽光発電所と風力発電所に行ってみたいんだ。
風力発電所の風車は上に登れるそうだから、景色も見られると思う。」
「ええ、いいわよ。
風車の上に登って、今度は遠くから町を見るのも悪くないわね。
でも、気になることって?」
「昨日の説明だと、
日の出日の入りの場所とか、太陽や自然に由来する場所には、
特別な意味が与えられた町の重要施設があるって話だった。
だったら、
太陽光発電所と風力発電所がある場所にも、
特別な何かあるんじゃないかと思って。
ちょっと興味があるんだ。」
「それはどうかしら。
日当たりがよかったり風がつよい場所だから、
そこに発電所があるんじゃないかしら。」
その若い女のもっともな指摘に、その若い男は食い下がる。
「う~ん。
それだと、町の文化的な意味が薄いと思うんだ。
太陽光発電所や風力発電所は、それそのものを使って発電するだけ。
僕の見立てでは、
もっと人に関係する何かがあるんじゃないかと思うんだけど・・・。」
「なんだか小難しい話になってきたわね。
わたしにはよくわからないけれど、まあいいわ。
あなたがそういうのなら、いってみましょう。」
そうして、その男女は坂道を駆け上がり、
町がある盆地を見下ろす高台にある風力発電所までやってきた。
町を見下ろすようにして大きな風車が建っているのが見えたから、
道に迷うようなことはなかった。
目の前の大きな風車は、その身に風を受けて悠然と回っている。
しかしそれよりも、その男女の目を引くものがそこにはあった。
「あれ・・・何?」
大きな風車の近くには、
染みだらけの木材で作られた門のようなものがあって、
門の上には、鈍く光る金属の刃が吊り上げられていた。
「まさかこれ、ギロチン・・・か?
どうしてこんなところにギロチンが。」
その若い男が、信じられないといった様子で呟く。
それも無理もないこと。
なにせ目の前には、
古い西洋の文献で見かけるような、
大きなギロチン断頭台が置かれていたのだから。
横では、その若い女がギロチンを見上げて息を呑んでいる。
その若い男が取りなすように声を上げた。
「き、きっと何かのイベントで用意された模型だろう。」
「・・・そうかしら。
だってこのギロチン、ずいぶんと古びていて、
まるで何度も使われたみたい。」
その若い女が言う通り、
そのギロチンは使い込まれたように古びていて、
刃の部分には赤黒い染みすらついているように見えるのだった。
その若い男が、
ギロチンから目を離せずにいる若い女の肩を抱くようにして、
風車の建物の方へ連れて行こうとする。
「ほら、あっちへ行こう。
風車の上に登って、町の景色を見るんだろう?」
「そう・・・そうよね。」
その若い男が呆然とする若い女の肩を抱いて、
その男女は風車の建物の中へと入っていった。
その男女が風車の建物の中に入ると、
中には長い螺旋階段がそびえ立っていた。
風車の上に登るには、この螺旋階段を登るしかないようだ。
町の観光に来たはずだったのに、
ギロチンなどという物騒なものを見つけてしまったショックから、
その男女は言葉少なげに黙々と螺旋階段を登っていく。
他に人の姿はなく、螺旋階段には、
その男女の足音と息切れの音だけが響いている。
そうして長い螺旋階段を登ることしばらく、
ようやく外に出られる出口を見つけた。
日の光あふれる外に出ると、途端に強い風に吹き付けられた。
外は風車の建物をぐるりと一周するようにせり出した足場に、
手すりが設えられたベランダのような構造になっていた。
風車が設置されているだけあって、建物の外は風が強く吹き付ける。
その男女は手を取り合って、そのベランダのような場所を歩いていった。
周囲の風景に目をやるが、山と木々で覆われていて遠くは見えない。
町の風景を見るには、
どうやら建物の逆側にまわる必要があるようだ。
その男女は吹き付ける風に逆らって、一歩一歩踏みしめるように歩いていく。
そうして建物の向こう側へいってみると、
盆地の窪みにある町がやっと一望できたのだった。
「あっちを見てくれ。町の風景がよく見える。」
重くなった気持ちを振り払うように、
その若い男が努めて明るく話しかける。
しかし、その若い女の顔色は冴えない。
「そうね、町の景色が綺麗だわ。
でも、何か変じゃない?
あの模様は何かしら。」
言われるまでもなく、その若い男も気がついていた。
風車の上から見下ろす町の風景に、何か模様がついている。
日の光の具合なのか、遠くに見える町の風景に大きな影がさしている。
影は縦に長い縞模様になっていて、
それはまるで牢屋に下ろされた鉄格子のように思えた。
そう感じていたのは、その若い女も同じだったようで、
その男女は見事なはずの景色を前に表情を曇らせていた。
すると、不意に背後からしわがれた声が投げかけられた。
「・・・あんたたち、見てしまったね。」
その男女が驚いて振り返ると、そこには一人の老婆がいた。
顔に見覚えがある。
それは、その男女がこの町にきて最初に話をした老婆だった。
老婆がどうやってあの階段を登ってきたのだろう。
しかし、それよりも先に聞かねばならないことがある。
「おばあさん、見てしまったって何をですか?
もしかして、風車の下にあったもののことですか。」
その若い男の戸惑うような言葉に、
老婆は柔和そうな笑みを浮かべたままで話しはじめた。
「ああ、下のあれかい?
あれはギロチンさ。
あんたたちも、映画やなんかで見たことがあるだろう。
この風車は、風を切り裂き、日の光を引き裂く。
だからここには、人の首を切り落とすギロチンが置いてあるのさ。
この町にも悪さをする奴はいてね。
その始末も、町の中ですべて解決しているんだよ。
向こうの太陽光発電所には火葬場もあるから、
後の始末もこの町の中でちゃんとしている。
これが自給自足ってやつさね。
たまには、町の外から依頼があってギロチンを使うこともある。
町にとっては貴重な収入源だよ。」
ギロチンは今も実際に使われている。
そう聞かされて、その男女は身震いした。
あんなに柔和そうに見えていた老婆が、今は恐ろしいものに見えてくる。
たまらず、その若い男が口を挟んだ。
「そんな、そんなのって!
だってこの町は、人と自然がともに生活しているって・・・」
「ああ、そうだよ。
だから、自然を守るために、悪い人をギロチンにかけるんじゃないか。
たった一つしか無い自然と、たくさんいる人と、
どっちが大事だと思ってるんだい。」
価値観が違う。
その男女は老婆の返事を聞いて、そのことを思い知らされた。
千円札に一円の価値も見いだせない人とは、
お金を使ったやり取りなどできるはずもない。
この町の人たちは、そういう人たちなのだ。
それを悟ったその若い男が、その若い女の腕を引いて立ち去ろうとする。
「僕たち、これで失礼します。
さあ、行こう。ここから出るんだ。」
そうして脇を通り抜けようとするその男女を、
老婆は特に引き留めようとはしない。
ただ言葉を投げかけるだけだった。
「あんたたち、この町から出ようとしても無駄だよ。
ここから町の様子を見たらのなら、わかっただろう?
あの日の光と影の縞模様は牢獄の檻。
この町は、太陽の光と影が作り出す牢獄の中にあるんだ。
知らなかったかもしれないけど、この町の名前は牢獄町。
その名の通り、入ったら外に出ることは出来ない場所なんだ。
信じられないのなら、試してみるといい。
どうやっても町に戻ってきてしまうからね。
これからはこの町の住民同士、仲良くしようじゃないか。」
そんな老婆の言葉を背中に浴びながら、
その男女は風車の建物の中に戻って、螺旋階段を降りていった。
それからその男女は、
乗ってきたマウンテンバイクで町の外へ出ることを試みた。
しかし、どうしても町から外に出ることはできなかった。
山の中の森に何度入っても、いつの間にか町へと戻ってきてしまう。
そうしている間に日が沈んで夜になって、
真っ暗な森の中は危険な場所に変貌する。
暗い森は視界が悪いだけではなく、危険な動物の気配も漂う。
あれだけやさしかった町の人たちが、
町の外へ出る手伝いをして欲しいとお願いすると、
途端に頑固になって、どうしても首を縦に振ってくれなくなる。
何度も脱出を試みては失敗し、そのたびに夜を明かし、
やがて町の外に出ようとすることに疲れたその男女は、
諦めてこの牢獄町に居を構えることにしたのだった。
そんなことがあって、
その男女は牢獄町の虜囚となった。
その後、その男女が牢獄町から出ることができたのは、
牢獄町で何千回もの日の出と日の入りを迎え、
その男女の間に子供が生まれ、成長し、
その子供が、
町の周囲の森に繁殖していた有毒な植物を、
森ごと焼き払った後のことだった。
終わり。
地震や何やと自然の驚異に晒されることが多いので、
自然と人間の関係を使って話を作りました。
牢獄町の人たちが牢獄のように町に囚われて、
外に出ることができなかったのは、
町に掛かる影が檻のように見えるという盲信と、
周囲に繁殖する有毒な植物のせいでした。
人が思い込みから逃れるのは案外難しい、という例として、
この設定を話に入れることにしました。
お読み頂きありがとうございました。