小動物令嬢の華麗なる恋愛
転生侯爵令嬢は乙女ゲームをモブとして見守りたい!~箱推ししてるモブなのに、総愛されとかどういうことですか~ https://ncode.syosetu.com/n7879gr/
に出てくるフィリィの恋の話です。
一途わんこ。
フィリィ・ラ・ファルファッラ、六歳。ファルファッラ伯爵家の次女で、小柄な体にストロベリーブロンドの髪が波打つ、イルフカンナ王国の貴族令嬢。
一つ違いの姉が一人いて、イルフカンナ王国では長子相続が基本なので、姉が家を継ぐことになっている。
とはいえ、フィリィも姉もまだ、一桁の年齢なので、そんなことより今日のおやつとか、次に買って貰えるドレスのことの方が大事だ。
作法の練習や学問の講義は、少なくともフィリィには、あまり楽しいとは思えなかった。姉は、姉だからなのかフィリィよりは真面目だ。たぶん。
それでも両親が用意した家庭教師は根気強く、時に厳しく、けれどできた時にはそれは盛大に褒めそやして、フィリィに付き合ってくれた。フィリィも褒められるのは嫌いではなかったし、家庭教師との仲も悪くなかったので、別に不真面目というわけでもない。強いて言えば、それより面白いと思うことが、他にたくさんあっただけ、だ。
ある晴れた日。父は母と姉と自分を連れて、町外れの騎士団の演練場へ向かった。
現ファルファッラ伯爵であるフィリィの父は、領地もあるが主に城の文官として勤めている。今日は、その仕事を兼ねて騎士団の大規模演習を見学することになっていた。
仕事、といっても、大規模演習は言わば騎士団の広報の一環で、一般市民も抽選で見学ができるようなものだ。家族連れの貴族文官も多く集まる、そんな場所である。
そこで、フィリィは、運命の出会いを果たした。
いや、出会ってさえいない。
フィリィ・ラ・ファルファッラ六歳は、演練場で木剣を振るう一人の新人騎士に目が釘付けになった。
彼女は、運命の人を、勝手に見つけたのだった。
「おとうさま」
じいとその人を見つめたまま、フィリィは父の袖を引いた。
「なんだい、フィリィ」
「あちらの、あの方」
指をさすのは失礼だと習ったけれども、指でなければ指し示せなかったので、恐る恐るという感じでフィリィはその『運命の人』を指差した。
遠目には、よくいる金髪の若者の一人だ。けれどその動きは鋭く、その一団の中で飛び抜けて美しく強く見えた。
父はオペラグラスで指さされたほうを見て、それから、ああ、とうなずいた。
「今年の新人の、確か……フォルバレイ、だったかな。平民ながら王立学園の騎士専科を優秀な成績で卒業して、騎士団からの指名推選で入団したから、名前は知っているよ」
父は人事給与の担当部署なので知っていたのだが、フィリィにはそれは別に必要なかった。大事なのは彼の名前だ。
「ふぉるばれい、しゃま」
舌っ足らずにフィリィは呟く。なんて素敵な名前だろう。
隣で、父が、えっ、とつぶやいていることなど耳にも入らない。
フィリィ・ラ・ファルファッラ(6歳)は、その日、運命に出会ってしまった。
それから、フィリィはその運命の騎士に釣り合うために邁進した。
同じ頃引き合わされた、双子のお付きのオパールとショコラッテにも相談した。
「お嬢様の可愛さに、きっとその方もすぐメロメロですとも」
とオパールが言えば、
「ひとまず女の色香、作法などを磨かれてはいかがでしょうか」
とショコラッテが続き、その二人の言葉にフィリィは強く頷いた。
確かに、あの素敵な素敵なフォルバレイ様の隣にいるならば、きれいで強くて賢い人が良いに決まっている。自分がそうなるしか無い、である。フィリィはとても素直だった。貴族令嬢としては少し心配になるほどに。なので、オパールとショコラッテが過保護になっていくのも、まあ、仕方のないことだったのだ。
それ以来、今までよりは真面目に――それでも他の楽しいことはとても気になりながら――フィリィは令嬢教育に励んだ。加えて、フォルバレイが平民ということを覚えていたので、オパールとショコラッテから度々屋敷を連れ出してもらったり、厨房に入れてもらって、庶民の――主婦の仕事も、並行して勉強していった。流石に洗濯は手伝わせてもらえなかったけれども、物干しと片付けはだいぶうまくなったと、フィリィは自負している。
そうして月日は少したち、フィリィ12歳のとき。
彼女は初めて、フォルバレイと名を名乗り合う機会を得た。
というのも、また父の騎士団演習視察についていったからだった。ちなみに、彼女は6歳以来、機会があれば毎回付いていっている。父であるファルファッラ伯爵はそろそろその理由を察し始めているのだが、愛しい娘に可愛らしい笑顔で「ありがとうお父様」と言われてしまうのに負け続け、家族連れも可能な大規模演習の際はほぼ毎回連れて行くことになってしまった。
そして今回である。
フォルバレイは入団六年目にして、とある魔獣討伐の功績から叙勲の上、騎士爵を与えられていた。その直後、最初の大規模演習である。令嬢、特に下位貴族の年頃の令嬢たちが、熱い視線を向けている。
六年前よりも精悍になった顔立ち。色黒な褐色肌はこの国では少し珍しいけれど、少なすぎるものでもない。金というより陽光のような白さも持つ彼の髪色には、むしろ濃い肌がよく映えた。
見学に来ている令嬢の中では高位だったこと、叙勲された騎士に父が顔合わせに回ったために、フィリィは、他の令嬢たちの誰よりも先に、彼の前に立つことが出来たのだった。
「はじめまして、フォルバレイ殿。私は、ファルファッラ伯爵ピカルディ。此度の叙勲と叙爵、おめでとう。結構な昇進だね」
「ありがとうございます、ファルファッラ伯爵。エーフェス……ラ・フォルバレイ、と申します。身に余る栄誉をいただき、気を引き締めるばかりです。今後も精進いたします」
「うん、頼もしいことだ。君なら近衛も狙えると私は思うよ。イングラム王子殿下やアストラナガン王子殿下の護衛はこれからますます精鋭を引き込むだろうからね。精進して欲しいな」
「もちろんです。ありがとうございます」
父と愛しい彼の業務的なやり取りに、フィリィは少しつまらない。けれど、耳にした彼の声は、訓練のときに聞こえる声よりも柔らかく、優しい人なのだと感じさせるものだった。
フィリィはうっとりと彼――エーフェスを見つめている。一通りの挨拶を終えた父は、そんな娘を見て一つ咳払いをした。
「フィリィ、『こちら』が、エーフェス・ラ・フォルバレイ騎士爵だ。フォルバレイ殿、これが私の二番目の娘のフィリィと申します。見ての通りまだ子供で、どうにも『騎士の皆様』に憧れがあるようでしてな、連れて行けと聞かなかったのです」
その口ぶりに、フィリィは少し頬を膨らませて、それから、エーフェスの前であることをはっと思い出してから、取り繕うようにおすましした。
「ひどいわ、お父様。わたしは、『皆様』じゃなくて、『フォルバレイ様』に会いたくて付いてきております。そんなふうにご本人の前でおっしゃらないで」
いつもより年上っぽい口ぶりを意識して。
父に答えてからフィリィは背筋を伸ばし、一度、エーフェスに淑女の礼をした。身を正してから、うっとりしそうになるのをこらえて、微笑む。
「はじめまして、フィリィ・ラ・ファルファッラと申します。お会いできて光栄です、フォルバレイ様」
お澄ましして、凛とした年上っぽさを目指したものの、顔を上げて正面で見つめたエーフェスに、フィリィはもうとろけるように、花開くように、薄く頬染めて、潤んだ眼差しで、うっとりと甘く香るように微笑んだ。嬉しくて嬉しくて仕方ない、というのが、目に見えてわかる。双子の侍女に言わせれば、しっぽがはちきれんばかりに揺れているのが見える、と口にしたことだろう。
はじめましてと言いながら、そんな表情を見せるフィリィに、エーフェスは目を丸くする。
自分よりはずっと幼い彼女が、どうして自分にそんな顔を見せるのか不思議で仕方がなかった。
その表情に気づいて、フィリィはにこにこと答えた。
「わたし、六年前、フォルバレイ様が騎士になられたあとの最初の演習にも、連れてきてもらっていました。初めて連れてきてもらったから、とても良く覚えています。広場の片隅で、ひときわ強くて、ひときわ綺麗に戦っておられる方が居て、父に聞いたんです。あの方はどなたですかって。それ以来、わたし、フォルバレイ様ただ一人を追いかけて、応援しています」
キラキラと輝く笑顔に、エーフェスは目を細める。こんなふうに『純粋に』好意を向けられたのは久しぶりで、心が洗われるようだった。特に爵位を得てからは、年頃もあってか『強い騎士の爵位持ち』であることだけを目的にしたような令嬢が平民、貴族問わずにやってくるようになっていたので、エーフェスにとって、欲目なく、ただ自分を見つめてくれた少女――フィリィは新鮮に映った。
何より、まだ幼かった頃から応援していた、と言われて、気分を良くしない騎士は居ない。少し堅物だと仲間に言われるエーフェスであっても、それは例に漏れなかった。
だから、エーフェスは久しぶりに、掛け値なく心から、彼女に笑って頷いた。
「ありがとうございます、フィリィお嬢様。これからも応援いただけるよう、強い騎士となるべく精進いたします。私の剣に誓って」
剣に誓って、というのは、騎士にとって最大級の誓言だ。フィリィだってそれは知っている。
だから、応援してもらえるように精進する、と剣に誓ってもらえるなら、それはもうフィリィにとっては何よりの贈り物だった。思わず涙が溢れるほどだ。
急にポロポロと涙をこぼし始めたフィリィに、父とエーフェスはぎょっとして慌て出す。けれどフィリぃはひっく、と一度しゃくりを上げてから、手提げからハンカチーフを取り出して、涙を抑えた。その顔は、涙で目元を赤らめたためか、かえってうっとりと微笑むようだ。
「取り乱して申し訳ありません。フォルバレイ様のお言葉が嬉しくて、感極まってしまいました。ありがとうございます、フォルバレイ様。わたしも、フォルバレイ様に恥ずかしくない淑女になれるようがんばります」
そこは、「フォルバレイ様の頑張りに恥ずかしくない」にするところだろう、と父は思ったが時既に遅し。響いた言葉だけを考えれば、隣に立つに恥ずかしくない、になり、隣に立ちたい=恋人になりたいと言っているようなものだ。これを騎士爵が断っても断らなくても爵位の上で色々しがらみが出てしまうだろう。
父は苦笑しながらフィリィの頭を――この年頃の娘にするには少し乱暴に大げさに――撫でてみせた。
「まだ幼いのに一端のことを言うものではない。フォルバレイ殿、子供の戯言だ。気にしないでくれたまえ」
子供の戯言、と言われて、フィリィは抗議の声をあげようとしたけれど、父が視線で制してきたので、口をつぐんだ。流石にそれはわかったし、これ以上言ってはいけないのだと理解した。
それからまた父とエーフェスは二言三言話してから、エーフェスとフィリィたちは別れた。
帰りの馬車で、父は重くため息を吐く。
「フィリィ、お前――」
お説教を口にしようとした父の言葉を遮って、フィリィは力強く宣言した。
「お父様、わたし、フォルバレイ様に嫁ぎます」
今まさにそれをたしなめようとしていた父は、また深く深くため息を吐いた。この子犬は、結局どこまでも最短距離を一直線なのだ。
結局。
その後学園に上がるまで、フィリィは折に触れて騎士団の演習へ見学に行った。顔見知りの騎士も何人か出来て、父も少し諦め始め、二人の侍女を連れてなら、父と一緒じゃなくても騎士団の演習へ行くことを許してくれた。
もちろん、毎回エーフェスと話せるわけではないが、知り合いの騎士や女性騎士経由で差し入れを渡せるようにもなったし――とはいえ、皆さんでお召し上がりください、としか言えないが――、たまに手紙も、送り送られるようになった。基本的に律儀なエーフェスは、フィリィが手紙を書けば必ず返してくれるのだ。貴族のマナーとしてそれが正しいかは、別として。けれども、エーフェスから手紙が始まることはない。フィリィも、それは仕方のないことだと思っている。
なにせ、年の差が大きい。エーフェスにしてみれば、贔屓にしてくれる令嬢の一人、程度のものだろう。フィリィも、それはわかっている。分かっていても、諦められるものではない。
だって、これは運命なのだ。フィリィにとって。
この運命が、エーフェスにとっても運命であってほしいけれど、それは、叶わないかもしれない。
この恋は運命だ。叶っても、叶わなくても、絶対に、忘れられない恋になる。その確信が、フィリィにはあった。
学園に上がると、今までのように頻繁には演習にいけなくなった。
その頃には、エーフェスは王子たちの護衛にも呼ばれるようになっていて、学園視察に来た王太子の護衛として付いてきたときは、思わずフィリィは舞い上がってしまった。
とてもとても嬉しくて、そのことを手紙に書いた。
それから、おそらく、学園を卒業したら、誰か良い殿方に嫁ぐだろうということ。こうしてお手紙を送るのもあと数回だろうということを。
フィリィは、絶対にエーフェスに、憧れのフォルバレイ様に嫁ぎたい。けれども、それが許されない立場であることも理解している。もし、エーフェスが応えてくれるのならば、爵位とか令嬢とか学園生活とか全部なげうってもいいと思っている。ショコラッテたちと泥水を啜る訓練だってしたし、食べられる野草も覚えた。まだ手が皹るというのはなったことはないけれど、それだって耐えて見せる。だけれど、応えてもらえないのなら、きちんと、この想いにケリを付けて、きちんと、令嬢として生きなければいけないとも思うのだ。
だから。
フィリィは。
最初で最後の恋だから。
夏休みの前の手紙に書いた。これを最後にしようと思って。
夏休みで、家に帰れば、きっとそろそろ婚約のことを言われるだろうと思って。
素直に、気持ちを書いた。
貴方に会えると嬉しいです。貴方に会えないと寂しいです。
たとえ実らなかったとしても、貴方がわたしにくれた心の種が、芽吹き花開いたことをお伝えしたいと思います。
貴方が好きです。貴方を思うと、世界がキラキラと輝いて、毎日がウキウキと楽しくて、なんだってできる気持ちになります。
洗濯も覚えました。泥水を安全に飲む方法も、野草の食べ方も。野うさぎはまだ捌けませんが、さばけるようになりたいと思います。革の鞣し方は先に習いました。
貴方が好きです。大好きです。私の心をもらってください。私の心を返してください。
数日あとに届いた手紙には。
返せません、と書いてあった。
エーフェス・ラ・フォルバレイは、別に幼女趣味でも年下趣味でもない。本音を言えばグラマラスな体型の、いわゆる女性らしい体型の少し年上が好みだ。
ただ。
見学可能な演習に毎回やってくる、貴族の少女。他の令嬢たちは目当てがいないとなるとすぐに帰っていったり、その相手がなびかないとなると来なくなる、あるいは、臭いだの埃っぽいだのと文句を口にすることが多い中、彼女は毎回一番にやってきて、一番最後に帰っていく。最初は父親の伯爵とともに来ていたけれども、やがて侍女を二人ともなって三人だけで来るようになった。
そう。
そういうことに気付ける程度に、エーフェスは彼女を目で追っている己に、その日、気づいた。
差し入れられる焼き菓子の味がどんどん良くなっていくこととか。
届けられる手紙の中で、彼女の筆跡を探してしまうとか。
彼女の手紙にだけは、律儀に返事を返し続けてしまうとか。
「令嬢は、自分でお菓子を焼くんだろうか」
「焼かねえだろ、普通」
一緒に食べる程度に仲の良い同僚に、問えば、そう答えが帰ってくる。
「そうだよな」
と頷く。
「あれだろ、お前を贔屓にしてるピンク髪の嬢ちゃん」
「…………」
「図星で黙るの良くないぞ」
「僕はそんな」
「少なくとも、あの子にとってお前は特別だよ」
「そうかな」
「そうだろうさ」
「そうか」
そんなやり取りをしてしばらくしたあと、夏の前。
彼女からの手紙には、彼女の告白が書かれていた。
そして。
心を返してくれと、そう書かれていて。
エーフェスは混乱した。
――いや、受け取ってもいないし渡されてもいないものを返せと言われても困る。貴族令嬢的な詩的表現だとするなら、彼女にしては珍しい言い回しだ。
実用主義に偏りがちなエーフェスも、それはわかる。彼女の文面からは、いつも素直で真っ直ぐな彼女の心根が見て取れたから。
その彼女が、こんな回りくどい言い方をしてくるなら、答えは一つだ。
彼女は、エーフェスから離れようとしている。
そう理解した瞬間、エーフェスはその手紙を握りしめていた。
握りしめていたことに気づいて、慌てて手を開こうとして、だいぶ力を込めていたことに気づく。
ゆっくりと息を吐いて、それから、一本ずつ指を開く。それほど力を込めていた。
――手遅れだ。
エーフェスは自覚する。
彼女が笑って、嬉しそうにころころと声を上げているのが。真っ直ぐな目で見つめられるのが。真心の込められた手紙を己だけがもらえることが。
己だけのものでなくなることに、どうやら耐えられそうにない。
だから、エーフェスは手紙を書いた。
心は返せません。
どうか、体ごと、私のものになってください。