008 黒猫 立つ
今までに比べて随分長くなってしまった………。
読了のほど、何卒よろしくお願いします……。
屋敷の庭の一画に設営された芝生。
その上に寝転び、空を眺める。
それがワタシの日課。
日課というだけあって毎日欠かさず行っている。
そして、それが意味するのは―――
「やっぱりここね、お姉さま」
「…………ハイドロ。またか」
――このように剣の稽古を放り出しているというわけだ。世俗ではこの事を「サボリ」と呼ぶらしい。
前はワタシを呼び戻す係はもっといたんだが、今ではハイドロだけになったな。
ハイドロ・ソードハンド。
ワタシの妹ではあるが、同じ日に生まれた双子だ。とは言え似ているのは顔立ちぐらいで、髪色もワタシが明るい黄、彼女は空みたいな青で全く違う。
通常、生まれてきた時刻が早い方が兄姉になるらしい。
でもワタシは姉と扱われるのは苦手だ。
特にハイドロには呼び捨てあうぐらい気さくに付き合いたい。
「お姉さまって呼び方は止めてくれ。これからは名前で呼び合おう」
「名前……つまり、お姉さまのことはフレディア、と?」
「そういう事になるな」
「ちょっと堅くありません?」
「お姉さまよりはるかにマシだ。というか今のは、ワタシの名前が堅いって意味じゃないよな」
「違います。というかお姉さまは堅いというより、もっとちゃらんぽらんな………」
そして自分の発言に何か気づいたらしく、その先を言うのを止めた。
ワタシとしてはその先を聞きたいんだが。一体誰がちゃらんぽらんだって?
「堅いのなら、あだ名をつけてくれ」
「あだ名……省略して『フィア』みたいな?」
ふむ。フィア、か。
悪くないな。
「よし、今度からワタシのことはフィアと呼ぶように」
「勘弁してください……」
「恥ずかしがり屋だな~」
そんなやり取りを続けた後、ハイドロは何かを思い出したような反応を見せた。
「そうでした! ワタクシは稽古に連れ戻しにきたのでした!」
む。気づいてしまったか。
のらりくらりと会話を続けてサボろうとしたのだが、無理のある作戦だったか。
「さ、行きますよ!」
「分かったよ。今日はこのまま戻ってやるよ」
「次からも、そうしてください」
「だから一つだけ聞かせてくれ。なぜ最近になって稽古に熱が入りだしたんだ?」
体を起こしながらワタシは問う。考えられる理由があるにはある。
だが、本人の口からちゃんと聞いておきたい。そういう言葉にした意思疎通は大事だとある人から教わったのだ。
「それはもちろん! ワタクシの夢が出来たからです!」
「ぜひ教えてほしい」
「分かりました。ワタクシの夢は剣姫になることです。先日そのお姿を拝見した時に決めました」
やはりか……。生まれて5年でずいぶん立派な目標だと思う。
剣姫。「聖国」を護る聖剣に選ばれし女性の光輪人。
四本の聖剣に、四人の剣姫。
その全員が同じ年齢であり、出自は聖国守護四家からと決まっている。
ワタシたちソードハンド家もその一家なので、次世代の剣姫はワタシ達の中から選ばれる。
「それで剣の稽古ね……。でも、聖剣に選ばれなかったらどうしようもないだろ? どういう基準で選ばれるのか分からないんだし」
「確かにそうですけど、ここで剣の腕を磨くのはきっとワタクシの為になります。それに、もしも選ばれた時にその聖剣を上手く扱えなかったらガッカリしちゃうと思うんで」
「別に聖剣に意思があるわけじゃ……」
…………いや、そういう事じゃないんだよな。
ハイドロの決意はかなり強固だ。
ワタシと正反対だな、本当に。
…本当に。
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「失礼します。フレディア・ソードハンド参上しました」
「鍵は開いている。入ってこい」
そう声を掛けられたのでワタシは執務室の扉を引く。
他と比べ年季が入った扉のため、動かすとぎこちない音が響く。
当主が執務をする部屋なだけあって、家具や私物はほとんど無い。
書類を納めている棚や、鎧や武具が壁に面して設置されているくらい。
だからこそ部屋の装飾に目が行きやすくなり、そしてその雰囲気に心を落ち着かせられる。
室内にはただ一人。
光射す大窓の前に鎮座する大柄の男。
この屋敷の当主、ワタシの父だ。
「それで。どういった用件でしょうか。本日で10歳になったワタシたちのお祝いでもしてくれるんですかね?」
部屋の中にワタシと父以外に誰もいないようなので、言葉使いは砕いていいだろう。
にしても、呼び出した用件が気になる。
自分の娘との交流なんて普段からしてこなかったわけだから、世間話をしようという訳ではない。そんな雰囲気でもなさそうだ。
「祝いの品は各自の部屋に届けさせた。確認してないなら使用人に聞きなさい」
「…………………」
「……まぁいい。座れ。どれくらい話が長くなるか、いまのところ未定だ」
「つまりワタシ次第ということですか。まるで査問ですね」
ソファに座るように促されたものの、ワタシは腰を下ろさなかった。
そのまま着席している父の前まで移動した。
「大丈夫です。立ったままでも受け答えは出来ますので。そこまでヤワじゃありません」
「そうか。ハイドロと違って、お前が鍛錬に励む姿は見かけないと報告にあったが」
全くその通り。
剣姫になると決めてからずっと修練し続けているハイドロ。彼女に対する称賛はよく聞く。
ワタシの場合は放任されており、言ってしまえば期待されていないのだ。
「お前に関しては将来がどうなっているか、まるで分からない。自分では何か考えているのか」
「いえ特には」
「………お前のことだから薄々勘付いていると思うが、この国で生まれ育った以上はその人生を国に還元しなければならない。それが聖国人の在り方だ」
(おや?)
説明を吐き捨てるかのようにする父は珍しいな。
まるでその運命を忌々しく思っているかのような……。
「それは、つまりワタシが家を継げと」
「あぁ。剣姫になってしまえば、それが叶わないからな」
剣姫になると家名を捨てなければならない。もちろん名前だけではなく、家族との関わりは出来なくなるし、記録として残されるのは出自のみ。そして残りの生涯を、聖国に奉げることになる。
父が娘との関わりを深くしないのは、これが理由なんじゃないかと時々思う。………自分の思い込みかもしれず、妙に照れくさくて訊いたことは無いが。
「ワタシがその席に座っている姿は想像できませんね。自分で言うのもなんですが正直無理があると思います」
「私も想像できん。他の者も同じ意見だろう」
「……耳の痛い話です」
「周りがそう思うのは仕方がないだろう。見えるところでのお前しか見ていないわけだからな」
そう言うと席から立ち上がる。
「まるで自分は違う、みたいな言い方ですね」
「そうだ。私の考えは別だ」
言い終えた瞬間、ワタシと父はほぼ同時に地を蹴った。
一方は今立っている地点からの離脱。もう一方は壁に掛けられていた剣を抜き、そのまま振り抜くために。
剣を取らせないことも考えたが、相手に近づく事による危険が高いので諦めた。
さて、どうしたものか……。
「耄碌にはまだ早いですよ」
返答はナシ。どうやら、まだ真意を見せない腹積もりらしい。
こちらへの攻撃に危害を加えようという意識は感じられないので、そのまま斬り捨てられることは無さそうだ。
真面目に相手をするのは億劫だが、逃げる隙は与えてくれそうにない。
さっさと終わらせよう。
飾られている武具は相手の後方にあるのだが、そこまで取りに行く必要はない。
ワタシは執務室の出入口の扉に向けて動き出す。
当然、逃がす気の無い父は反応してきた。直ぐに反応し、構えていた剣を斜め下から振り上げようとしてくる。まっすぐと、最短でワタシのもとに届かせる気だ。
こちらの誘いに乗ってくれた。ワタシは扉に向かう動きを中断し、方向を転換。
姿勢を低くし、剣を持つ相手の方へと駆ける。
そのまっすぐ過ぎる振りを、体のわずかな傾きで躱しながら上着の内ポケットに手を入れる。
取り出したのは折りたたみ式のナイフ。
悪意ある相手の場合はこのまま脚を狙い機動力を潰すつもりだったが、今回は別のプランで行く。
握りしめた柄に淡く光る線が浮かび上がる。
ワタシの聖脈を同期させたことで、このナイフは真価を発揮する。
ロックが外れることで剣身は伸び、瞬く間に長剣へと変形した。
切先を修正。狙いは相手の剣の鍔部分。
向こうの連撃よりも先にこちらの一手が届く。
真っ直ぐな刺突。程なくしてカランと軽い音を立て剣が落ちた。
「満足ですか?」
突きの構えを解くと同時に長剣をナイフに戻す。
まだ続けるとしても、この間合いでなら対処は可能だ。
「見事だな。私が贈った品をさっそく扱えるとは」
「それで? どういう意図でこんな真似を?」
「確認の為だ」
確認?
ワタシの実力を案じてってことか?
落とした剣を拾い、元の場所へ戻しながら父は語る。
「私の攻撃の予想、咄嗟の回避、その後の立ち回り、これらには私以外の教官も高く評価を付けるはずだ。これで聖剣でも持てばこの国の戦力で最強の一角を担えるようになるだろう」
「聖剣を持てば、なんて軽く言うのは控えてください。ハイドロの前では特に」
よく分からないこの話し合いに、いい加減ため息が漏れ始める。
先程から父は何を言いたいのだろうか。
さっきはワタシに家を継げと言いながら、今度はまるでワタシが剣姫になるかのような夢物語を語ってくる。
「話によると聖剣というのは、もうすでに持ち手を選んでいるそうだ」
「そんな確証の無い話を――」
「死んだお前の母が残した話だ」
………初耳だ。
ワタシの母、ハイドロと同じく剣姫になろうと努力したが聖剣には選ばれずソードハンド家を継いだ人物だ。努力の方向も鍛錬のみならず、聖剣に関する知識も求めていったそうなのでワタシが知らない事もあるのかもしれないが……。
それよりも気になるのは、
もうすでに持ち手を選んでいる?
その一言を今までのやり取りと勝手に繋げてしまう。父の真意が見え始める。
「聖剣とは選ばれた光輪人の身に直接宿る神器。そうすることで持ち主の身体は振るうに値する肉体へと変化していく。手にした時点で、その力を存分に発揮させるために」
「鍛錬に励まずともこの能力の高さ。確かに見事だ」
「そこで問おう。お前自身、薄々勘付いているのではないか?」
「自らの内に在る異質な感覚に。だとしたら、それは――――」
ワタシは何も語らずに部屋を出た。
近いうち訪れる未来に対し、言い知れぬ不安を抱えたまま……。
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「祝いましょう。新たなる剣姫の誕生を。彼女らに『神皇』からの祝福あれ」
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「お聞…………た? ハイドロ………………ンド家………追放が決ま………ですって」
「お決め……………は旦那様です。それに訂正…………すと、『聖国』からの追放…………す」
「それ……………死じゃ……………!?」
「や…り剣姫になれなかった事によるものでしょうか」
「致し方ないでしょう。期待を裏切ったのは事実ですし」
「それに剣姫にはフレディア様が選ばれましたしね!」
「ですね! 彼女はソードハンド家が誇る………………………………、」
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暗い 重い 動き悪い
どこだ 口 開ける 息 苦しい 何か 入ってくる
閉じる ハイドロ 瞼 重い ハイドロ
もがけ ない
ハイ、ドロ………………………………
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「お世話になりました」
「本当に大丈夫かい? そりゃ出会った時より元気になったのは間違いないけどさ」
「うむ。婆さんの言い分も尤もじゃ。どこか行く当てはあるのかい?」
当て、か。
あんなことになった以上は聖国には戻れない。
もしかするとワタシに向け刺客を差し向けている可能性だってある。
剣姫を一人欠いている状況だ。目的のためならどんな手段も使ってくるだろう。
命の恩人を巻き込みたくない。早い内にここから去るのが得策だ。
「そうとう思い詰めとるの。ワシらに何か遠慮しとるんなら……」
「いえ! そんなことは決して。心配させてしまい申し訳ないです」
「ふむ………。確かにそうみたいじゃな。とすれば、自分を見つめなおすための旅といったところかい?」
まったくすごい御仁だ。
海辺に倒れていた見ず知らずのワタシとは少しの時間しか過ごしていないはずなのだがな。
ワタシがどれほど未熟であるのか、この数日で痛感してきた。
学べることはまだまだある。
何とかして刺客を撒きつつ、旅を続けたい。
そして、この地のどこかできっと生きているハイドロを探す。
それがワタシの生きる目的だ。
「ええ。そう思い至れたのはあなた方と過ごしたおかげです。本当にありがとうございます」
「私たちもとても満ち溢れた時間を過ごせたわ。こちらこそ感謝してるわ」
「何か困ったり行き詰った時にはいつでも帰ってきていいぞ。老い先短いワシらじゃから、その時出迎えられるかは分からんがな」
コラッとお爺さんが怒られている。それを言うならワタシも似たようなものだが、その事は言わないでおく。
「ではそろそろ出立します。持たせてもらったお弁当は道中いただきます」
「それと、あの事お願いね」
「はい。セレニテスという辺境にいるお孫さんへの伝言ですね。それぐらいは任せてください」
お世話になった者として最後のお手伝いだ。
張り切らせてもらう。
「では行ってまいります。願わくば、またいつか」
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なぜか決闘会という催しに参加することになってしまった。
お孫さんは精肉店で住み込みで働いていた。
老夫婦のお二人は魚を好んで食べていたが、どうやらお孫さんは肉のほうが好みだったらしく実家で漁を手伝うよりそういった仕事に就きたかったらしい。
その際に何も言わずに家を飛び出したらしく、後から手紙で知ったお二人はその行動に呆れつつ心配していた。
そんな中で流れ着いたワタシを保護してくれたそうだ。本当に彼らには頭が上がらない。
伝言を伝える最中にそうして二人への感謝を述べていたからだろうか。
孫の彼女はワタシに頼みごとをしてきた。
いま辺境は祭りで盛り上がっており、中でもこの決闘会が大きな見世物になるんだとか。
それに是非とも参加してほしいと。
何やらどうしても欲しい景品があるらしく、こちらが参加した暁には肉料理のご馳走を奢ると言った。取引先の有名な料理店が出張でこちらに来ているらしいのだ。
出来れば用事を終えたら目立たぬ内に場を去ろうと考えていたが、あの方たちの世話になった身。孫である彼女に恩義は無くとも最後まで付き合おうと決めた。
………まぁ対価の肉料理が魅力的だったというのも理由ではあるが……。
ただ外部の者も入れる状況下だ。ワタシを狙う追手が潜んでいる可能性はあるだろう。
目立つわけにはいかない。既に聖術で髪色を変えたり、目立たない顔立ちに仕立てたりしているが闘いの中で正体がばれる危険もある。
彼女には悪いが、加減もさせてもらう。
もっとも向こうも駄目元で頼んでいるみたいなので上手く誤魔化せるだろう。
まだ時間があるので屋台を遠くから見ながら辺境の中をうろつく。人混みはなるべく避けて進んでいると何やら揉め事が起こっている場所へ来てしまった。
人も集まってきておりこちらとしては不味い状況だ。
ひとまず離れようとしたところで、ふと騒ぎの中心に目が向いた。
まだ小さな子供が男に向け意を唱えている。
その力強い主張にワタシは足を止めていた。
同時に懐かしい記憶が呼び起こされてくる。
強い決意を固めて奮闘してきた彼女の姿。
それを遠目ながら見守っていたあの時間が好きだった。
情景が重なって映る。
男は聞く耳を持たずに幼子にまで手を出そうとしている。
守らなければ。ワタシが、今度こそ。
「やっと届いた」
グイっと手を引かれる。
構わず進む。頼む、行かせてくれ。
「ダメよ。お願い。止まって」
先ほどよりも強い力で引かれる。
振りほどこうとするが、懸命にしがみつかれる。
「呑まれちゃダメ! お願い、戻ってきて!」
いい加減邪魔だ。
引きはがそうと掴んで離さない正体を確かめようとそちらに顔を向ける。
黒いワンピースを着た少女だ。
長い黒髪の上には猫の耳が生えている。
そして、こちらを見上げる眼にはうっすらと涙が浮かんでいた。
なぜだろう。彼女にどこか懐かしさを感じる。
「貴方がいないと、私……また…………」
涙が頬を伝った。
少女だけでなくワタシまでも涙を流している。
あれ……………ワタシ?…………………………????????
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―――――――――――――――――――――――ぁ。
(しっかり! 惚けてる場合じゃないわよ!)
――――――――――そ、だ。
―――ワタシ、じゃない。 オレはレン…ゲート。
そうだ。オレはレンゲートだ。
(悪ぃ。サンキュ、クロエ。もう大丈夫だ。オレは今までどうしてた?)
自分の体を確認。
うん、黒猫の姿だ。
てっきり女性の姿になっているのかと思ってしまったが。
……………なんでそう思ったんだ?
どうも記憶がおぼろげだな。
(まさかここまで深く同調するとはね。反応がなくなった貴方に焦って何度も呼びかけたのよ。無事戻ってきたみたいで安心したわ)
(………悪い。心配かけたな)
(えっ! いや別に、心配というか何というか! そのっ!…………)
ま、何で心配をかけたのかまるで分かってないから、そこまで悪いとは思ってないんだけどな。はっはっはっ!
(…………………チッ)
って、そんな場合じゃない。
エンリィに協力してくれる戦士探しだ。
クロエ、次の指示をくれ。
(……後で覚えておきなさいよ。次は人目を避けるためにも路地裏に向かって)
人の目に触れちゃいけないことをするのか。
ま、危ないことではないのだろう。
クロエはこれで結構オレに気遣ってくれてる。
オレと一心同体なのだから当たり前なのかもしれないが。
何にしても良い相棒だ。
お礼として俺も何かしてあげたいところだが。
何に喜ぶのか分からないな。
今度それとなく聞き出してみるか。いやオレの話術だとすぐに察しそうだ。
色々と悩んでいるうちに路地裏に到着。
人の目どころか猫の目も無いな。
(で、どうすればいい?)
(……………)
(クロエ?)
(! そっ、そうね。じゃあ貴方は人の姿を頭の中に浮かべて。可能ならそれが自分だと意識しながら)
(要するに人間だった頃の自分の姿か? でもどんな感じだったか憶えてないぞ)
(どちらかと言えば、こうなりたいっていう想像かしら。大丈夫、どんな姿になっても笑わないから)
笑ってしまった時の対策をすでに立てられてしまった。
それに、どんな姿になっても?
怪しさはどんどん膨れ上がっていくが、ともかくやってみよう。
集中しやすいように目をつむる。
こうなりたい…なりたい……特に願望が湧かないから思い浮かばない。思ったより難しいな。
基本的なことから考えてみよう。
性別は男。体格は太りすぎず、痩せすぎず。筋肉はよく分からない。
顔は………悪そうに見えなければ何でも良いか。ふとフィアの顔が過ぎる。女性ではあるんだが、綺麗だったな。
異世界の着こなしは知らないので、日本で見た服装を思い浮かべよう。男っぽい服装か。フード、パーカー、ジャージ、ジーンズ……オレにファッションを求めてはダメだということが分かった。
後は………………。
(なあ、クロエもういい…)
「か?」
やべっ、思わず声が出てしまった。
それだけ衝撃の大きい出来事が起きている。
先ほどとは少しだけ違う風景。
視点が高い。
足に流れる力の入れ具合が違う。
どてっとお尻が地面に着く。
尻もちというやつだ。
少しばかり沈黙してしまった。
異世界に来てもう驚くことはそんなに無いだろうと思っていた矢先にこれだ。
(どう? 驚いた?)
(そりゃそうだよ。だって、これって、お前………)
目線を下げれば、ある。
無様に尻もちをついているオレの下半身が。
これ以上後ろに倒れないようにと手をついて支えている上半身が。
ヒトの身体だ。
「これが、オレ?」
ゆっくりと立ち上がり、両の掌を確認。いつのまにか赤色の指抜きグローブを嵌めている。
そのまま何度か開閉を行う。
思い通りに動かせる。どこか懐かしいと思ってしまう不思議な感覚。
「けど、一体どうしてこんな事が? クロエ、お前何か……」
(ちょっと、私の名前を易く口から出さないで。出さないにしても今の貴方、上の空で独り言話す不審者よ)
おっと、いけない。
人の通りが無い路地裏だからといって迂闊だった。反省して気を引き締め直さないと。
(貴方が嵌めていた赤い手袋。あのちびっ娘は分かってないみたいだけど魔術装具よ)
(魔術、装具? 急に聞きなれない単語だな)
(つまり魔力を通すだけで特定の魔術を行使する道具のこと。貴方の想像に合わせて肉体が変化していったのは、この手袋によるもの。なかなか珍しい一品なのに、あの娘は価値を分かってるのかしらね)
魔術。
あんまり実感が湧かないまま経験したな。
まぁオレにはそんな芸当出来ないから無理もないんだけどさ。
(使った魔力っていうのは、オレの中にある物か?)
(そうね……。その話はまた後でしてあげるから、作戦の続きよ。といっても後は簡単よ)
クロエは一度切ってから最後の工程を語る。
(ちびっ娘のもとに行って、交渉してきなさい。自分が戦士として出場するって)
……………………ん?
(えっと、出場ってのは……何に?)
(バカなの? 当然、決闘会よ)
………………バカはお前じゃなくて?
待ちぼうけをくらっている鴉(……いつまで待たせる気だ……っっ!!)