006 ほしいもの
「着いたーーーっ!」
「………」「………………」
(着いたわね、やっと)
竜車から降りた俺たちを待ち受けていたのは、検問所の前に出来ていた行列だった。
これにより俺たち一行は待たされることになり、検問官の質疑応答をエンリィが必死にクリアしたところ、辺境入りは予定時刻よりも若干遅れることとなった。
そういう事もあって、律儀に並んでたエンリィには一先ずベンチにて休息を取ってもらうことにしたのだ。
これは俺とピーナツ、二人の提案だ。珍しく意見が一致したが、そりゃそうだ。
エンリィは足を震わせながら時間がもったいないと主張してきたが、こちらの説得に応じてくれた。
これもせっかくのお出かけを満足してもらうためだ、と。
彼女にしては妙に頑なさが無いと思ったが、自分自身でも疲れは実感していたんだろう。
今は持参してきたおやつを頬張って幸せな顔を浮かべてる。……そのおやつにも、どうやら蜂蜜が練りこまれてるみたいだが。
ちなみにベンチでくつろいでいるのはエンリィと俺の二人だけ。
ピーナツは鴉ということがやはりよろしくないようで、検問は突破したものの街の中では人々の冷ややかな視線を受け自ら場を離れた。
自分よりもエンリィがそういう視線に晒されるのを嫌っての行動なのはもう分かりきってる。
さてさて、またも手持無沙汰になってしまったため、本日何度目かの周囲の観察をしてみる。
辺境 セレニテス。
人の流れは時刻がお昼時なのもあってか、飲食の提供をしている屋台に集中し始めた。
良い匂いはもちろん、鉄板で油が跳ねる音が聞こえてくる。熱気に包まれてきた祭り会場の中で俺も自然と心が踊ってくる。
こんな時お金を持っていれば、エンリィに何か買ってあげたいわけだが生憎それは許されない。
そもそも普通、猫が律儀に列に並んで注文をするなんてあるわけない、出来ない。
盛況な屋台を見回しながらふと気づく。
エンリィは俺をもてなすと言っていたが、どこかの屋台に連れ出そうとしていたのだろうか?
「もてなす」なんて言うぐらいだから、ここの辺境について知っていることは多いはずだし。
少なくとも飲食店ではないのは分かる。動物の死骸を使っている魂獣に食事は不要だからな。
無理にでも食べようとすると、魂獣として機能させている魂のリソースを消化のために割いてしまうため不調が出てしまうらしい。
当然それは俺たちの「親」であるエンリィも分かっている。
だとすれば、エンリィが俺を連れていきたい場所とは―――
(何処だと思う?)
(急に何よ?)
速攻でその答えをクロエに求めてしまう。実に情けない。
どうやら自分の頭では、こんな事ですら答えを得るには至らないらしい。思考の停止はもはや俺のお家芸みたくなっている。
俺が過去に何か発言したのかもしれないが完全に忘れてしまっている。ならば、もう彼女に頼るほかない。
(エンリィが俺を連れてきたい居場所ってどこなんだろ、って)
(そういうこと……。あのね、教えてあげてもいいけどその前に)
おぉ! さすが頼れるクロエ先生だ!
けど、その前に……? なんだ?
(何か質問がある時はきちんと頭で言語化してくれないと、いまいち伝わりづらいのよ。同じ肉体を共有していても、その活動の主導権はあなたに有るんだから)
(あぁ、なるほど)
(そう、そういう感じで。頼むわよ)
確か同じようなことをあの≪世界≫で話された気もする。
クソ、どうも記憶が曖昧だな……。
この黒猫ボディに、より定着しているのが俺の魂でなぜか元の持ち主だったはずのクロエが付属品みたいになっている。
現状クロエの存在は、俺からすれば会話が成立してしまう別人格って評価になる。もちろんこの評価は正しくない。彼女はちゃんと自己を持つ、俺の相棒で運命共同体だ。
(教えてくれ。どこだと思う?)
(話してた事からの推測にはなるけど……それは覚えていないの?)
(あいにく………)
(日頃の緊張感が欠けてる証拠よ、まったく……。小娘が地下の温室であなたに訊いた内容だと――)
クロエが問いに答えようとしている時だった。
俺はこちらに接近してくる人の気配を感じ取った。クロエもどうやら気づいたようで、一度話を中断してくれた。
ちらりとエンリィの様子を窺ってみる。すでにおやつは食べ終わり、水で喉の渇きを癒してるところだ。森の中を流れる川で汲み取っただけあって、やはり澄んでるんだろうか。随分と美味しそうに飲んでいる。
ともかく、近づいてくる気配には微塵も気づいてないことは分かった。
もしもこちらに接触してくるなら、それはあまり快いものではない。
魂獣かどうか疑われる行動はしていないので、そういう用件ではない事は確か。
悪い方向に考えるなら、幼女を狙った誘拐。だが、こんな白昼堂々と人気のある所で実行はしないだろう。路地裏に連れて行こうにも、ウォルさんからしっかりと言いつけられたエンリィはそれに応じないはずだ。
こちらを親とはぐれた迷子だと思い善意で助けようとしてくれている場合の対処法もエンリィは教えられている。いつになく真面目に教えを乞うてたエンリィから、この祭りを楽しむための本気具合が分かったのを思い出す。
そうこうして近づいてきたのはエプロン姿の女性。背恰好は高く、上を見上げれば短く整えられた蒼い髪に眼鏡を持ち上げた小さな顔が見えた。知的な仕事人というよりも、エネルギッシュなオーラを放つアクティブなお姉さん、人によればお母さんとも感じる印象だ。
その人物は妙にキラキラとした目で俺と目線を合わせるように屈んできた。
「ねぇねぇっ! この子あなたの飼い猫? 触ってもいいかな!?」
「あ、えっとぉ……」
なるほど。目的は俺か。
このお姉さん、見た目通りわんぱくの者らしい。
周りの目線も気にせず、好奇心のままにひた走る。そんな人物とみた。
エンリィは対応に困っている様子。外の人間とあまり関わってこなかったようで、ちゃんと人見知りの態度になっている。それに、女性の興味が俺にあるわけで自分の勝手で触る許可を出すことをためらっているんだろう。
彼女の心中が参っているのは想像に及ばず。ここは俺が助けてやらねば。
ベンチの上を這う様にしてエプロンお姉さんに近づいていく。そして、相手の顔を窺うように見上げつつ、もみもみもみ。……いやベンチに置いた腕をな。何もセクシャルなことはしていない。
ともかく。小さな前足を使って、且つ上目遣いでもみもみとしている愛らしい姿を見せてやれば。
「~~~っ!! キュンすぎでしょ、こんなん!」
案の定、こちらの方に食いついてくれた。顔を蕩けさせながら、ふはぁ、と息を吐き洩らしちゃっている。正直危ない人物に見える。
俺の方から関わる姿勢を見せることで、エンリィも許可を出せるとふんでくれたろう。
「えと、さわって、いいよ」
「本当に!? ありがと!」
そう言うや否や、ゆっくりと俺の方に手を伸ばし、顎の辺りを指先でふにゃ、ふにゃふにゃ、ふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃ………
(はっ!?)
なんだ。一体どうしたんだ、俺は!
確か撫でられて、自然と瞼が落ち…………。
おかしいぞ……そこから先の記憶が無い。
ま、まさかこれが!
(夢中というやつか!?)
(……あなた、今かなり気持ち悪いわよ。顔といい、言葉使いといい)
(顔はウソだろ。鏡でもなきゃ見えないはずだ)
(あら、そうかしら。身体の方も脱力しきって)
(……………)
(よだれ垂れてるわよ)
何ィ!?
思わず口元を拭う。けれど特に濡れた形跡もない。
しまった、だまされた……。
そして今更にして気づいたが、俺はエプロンのお姉さんの太ももの上に乗せられていた。
いかんいかん、あまりの心地よさに意識が回っていなかった。
「おろ、起きたのかな?」
「むぅ。わたしがやった時はこんなに気持ちよさそうにしなかったのに……。グレーテルお姉ちゃん、上手いね」
「なっはっは! だてに21年も生きてないからねぇ! とは言え目を開けたってことはそろそろ止め時かな」
グレーテルと呼ばれたその女性は、そう言うと俺に乗せていた手を名残惜しそうにどけた。
こちらも同じ気持ちだ。
あの神の手による技術、またいつか堪能したいものだ。
「ねぇ、ウチすぐそこでバイトしてるんだけどさ、寄っていかない?」
「バイト?」
「要は手伝いってこと。お店としては雑貨屋になるのかな。珍しいもの、結構あるよ」
雑貨屋か。俺としても興味はあるが、果たして猫との入店を許可されるだろうか。
ピーナツにも説明するべきなんだろうし。
「えと……そこっていろんなものがあるの?」
「だね。食器に時計に、アクセに本……」
グレーテルが例を挙げていると、パッと顔を輝かせたエンリィ。
その内の一つに反応したのは間違いない。
「行ってみたい! レンもいっしょでいい?」
「う~ん。その持ってる籠に入ってくれてたら何とか?」
「任せて! 大丈夫だよね、レン!」
とんとん拍子に雑貨屋に行くことが決まってしまった。
正直微妙なところだ。向かった先で何かに巻き込まれるなんて事もあり得る。
声を出していい状況なら、止めるのが正しそうに思える。ピーナツなら多分そうする。
でも、俺はそうしない事に決めた。
そもそも、今回の遠征はエンリィと俺が楽しむための物だ。
店がどういった雰囲気なのか実際見てみないと分からないが、多少冒険してみたいと思ってしまう。
もちろん危険性が残るのは分かっている。
ただその点はグレーテルの存在が安心材料になってくるように思える。
見たところ彼女が何か企んで誘導してるわけでも無さそうだ。
この面倒見の良さは、根っからのものだと俺は見た。
俺はゆっくりとバスケットの中へ潜り込んだ。
ひょこっと顔を出した時、ちらりと遠方の家の屋根に目を向けた。
訝しそうにこちらを見ている鴉と目があう。
相変わらず俺への信頼は低いだろうが、今回は信じてほしい。
そういう思いを含め、見つめ返す事にした。
「それじゃ、しゅっぱーーつ!」
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向かった先の雑貨屋はこじんまりとした店装だった。
かといって決して暗いわけでなく、ちょっとした喫茶でもやってるんじゃないかぐらいには温かみが感じられた。
入店した際、店主の老婆は俺を見ると渋い顔をしたがグレーテルが間に入り、結果割れ物が並んでいるエリアには入らせないことで許諾を勝ち獲れた。
見たところ客足は少なく、従業員もグレーテル以外には一人しかいない。
しかも姿勢にやる気を感じられず、壁にもたれ掛かって上の空といったご様子。
「何か見てみたい物ってある?」
「えっとね、本がほしいんだ。どんなのがあるか見せて!」
なるほど、本に惹かれたのか。
いくつか絵本は持っていたしな。品揃え的にそういうジャンルもあるだろう。
というわけでエンリィと俺は、本が平積みされている区画へと案内された。
本の数は少なく、一冊ごとに紐で縛られておりどういった内容かは題名と表紙で判断するしかなさそうだ。
「ここで取り扱ってるのは学校で使うような参考書だったりするから、エンリィちゃんにはまだ早いかもね」
「それでもいいよ! 読むのはわたしだけじゃないしね」
「なるほどね。お父さんお母さんとかかな」
「ん~………まあ、そうかな」
(ね、何の目的でこの辺境に足を運んだか。もう分かるでしょ)
(あぁ……やっと、な)
絵本よりも教養書が良いと。そういう要望をしたんだった。
ったく、すぐ忘れるくらいの発言だったんだが、すぐに行動に移してくれたのか。
申し訳なさよりも、嬉しさの方が強い。これは、後でちゃんとお礼を言わなきゃだ。
「けど…………」
「そうなんだよね。ごめんね」
ん?
俺が感動に浸っている間に、何やら雲行きが怪しくなっているようだ。
(どうしたんだ?)
(値札を見て気づいたんでしょ。子供のお小遣いじゃ、ここにある本はどれも難しそうね)
何ッ!?
そうか。物価についてはエンリィも詳しくないからな。
……残念だ。ここは諦めて、別の店でも探すしかないな。
「他に本を売ってる店なんて無かったはずだけど………」
な、何ッ!?
俺の希望的観測は即座に打ちのめされた。
うん……こればかりは仕方ないよな。
でもいいんだ。俺のために色々と動いてくれた事実に満足している。
「本のねだんの半分も持ってないや。ねぇねぇ、ここにある本のほかにないの?」
「………う~ん」
「おねがい、します! どうしてもほしいの!」
買えないことが分かってもエンリィは食い下がっていた。
そんな姿を見せられても状況は変化しないだろう。グレーテルも困ってるし、何とかして諦めさせよう。
そう考えていた時だった。状況が動いたのは。
「嬢ちゃん。どうしても本が欲しいってのかい」
「店長……」
先ほどこちらを渋った顔で見てきた女主人が、座ったまま上体だけ向けて聞いてきた。
少し騒ぎすぎたか。だとしても怒らないでほしいが。
「ごめんなさい。でも、どうしてもほしいんだ。あげたい人がいるから」
「か~~っ! こんな健気な嬢ちゃんにそう思わせてるなんて悪い奴だね、そいつぁ! この場に居たら説教してるとこだい、まったく!」
………この場に居るんだが。そして、怒られるのはどうやら俺だったみたいだ。
「でも、どうするんです? まさか値下げするとか」
「いやそりゃ駄目だね。勝手に変えたら多方から文句が殺到しちまうからね。あたいの一存じゃ無理さ。でも、非売の品なら話は別さ」
おっ、何やら風向きが変わったのを感じる。
それはエンリィも同じだったらしい。
「もしかして、ゆずってくれたり……!」
「いやいや悪いけど、ただで譲るなんて美味しい話じゃないさ。扱いが難しくて非買なだけで価値はそれなりにある代物だからね」
「でも条件次第ではってことですよね。かなり譲歩してくれるじゃないですか。どうしたんです急に?」
「ふん、年甲斐もなく心打たれちまったのかね」
そう漏らすと、机の引き出しから一冊の本を取り出して見せてきた。
その本の表紙には文字などが一切書かれてなく、赤を下地に金に輝く装飾が施されていた。
間違いなく他とは異質に感じられる。
「あと少ししたら決闘会ってのが始まるんだがね。その景品としてこいつを差し出してもいいさね」
「けっとー、かい?」
新しく聞く言葉だ。どういう意味かは何となく伝わるが。
「決闘会ってのはこの祭りの催しでね。確かいろんな店が戦士と景品を選出して、それぞれ競い合うって内容だったような」
「そうしてただ一人勝ち残った戦士とそいつを選出した店が、持ち寄られた景品を総獲りできるのさ」
その後、詳しく説明されたことを簡潔にまとめると。
まず、店が戦士のスポンサーになる。そして景品となるものを時間までに、受付に出場料として差し出す。
それから決闘を行っていき、ただ一人の勝者を決める。勝者となった戦士とそのスポンサーに集められた景品が全てそのまま贈られる。
それが決闘会らしい。
「でも、受付するには景品の他にも戦士だったり、お金も必要ですよ」
「お金ならわたし、持ってるの全部出します!」
「ようし、よく言ったお嬢ちゃん。それと足りない額はあたしらで払うよ」
「え」
それって給料減額じゃ……。
そのセリフが聞こえてたんだろう。壁にもたれてた従業員が怒気を隠そうとせずに、こちらを睨んでるのが見えた。
「ははっ、冗談だよ。その代わりに戦士として出場してもらおうかね」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。ウチ、闘いのたの字も知らない女ですよ。いくら何でも無理ありますって」
「だったら急いで駆けずり回って頼んできな。言っとくけどもう時間に余裕は無いからね」
そう言ってお金の入った小包と本をグレーテルに渡してきた。
深くため息を吐きながらそれを受け取ると、エンリィの方をちらりと見た。
「しょうがない。ウチも首ツッコんだわけだし、最後まで面倒見ますか! 行こ!」
「はい! あ、このにもつ見ててください。おねがいです!」
「あいよぉ。気をつけてな」
こうして、本を手に入れるための戦いの火蓋が切って落とされたのだった。
と、駆けていく二人の後姿を見送りながら心の中で呟いてみた。
遠くから監視していた鴉 (あの黒猫、帰ったらしばき倒そう)