011 お稽古
この異世界に転生してから絶望した瞬間ってのはあった。
エンリィの家の外に初めて連れ出された時だ。
森の中を闊歩する魔獣という存在を目の当たりにして、オレは自宅警備員として自分より小さな子供の世話になろうと本気で思った。
ものの数日でまさか更新することになるとは……。
湧き上がる歓声。興奮のあまり立ち上がる観客。
ものの数分で3人が脱落したにもかかわらず、物足りなさを感じさせない闘いを見られたからかもしれない。
そんな熱狂の中心に立っていてもオレの心中は冷静だ。
理由は明白。
目の前に立つ規格外。少しでも意識を外すことは許されない。
完全に標的にされた。何が琴線に触れたのか知らないが、こちらを次の標的として狙いを定めている。
残っているもう一人を巻き込んで乱戦に持ち込もうにも、それが叶う前に全身をタコ殴りにされそうだ。
一番厄介なのは相手が結託し2対1の状況に持ち込まれることだが、背中を見せてしまう行動を相手も安易には選ばないだろう。いや、そうなったとしてもフレディアなら乗り切ってしまうかもな。
一騎打ちを制するしかないか。
覚悟を決め、勝利への糸口を探す。
オレの現在の獲得点は2点。グメルの得点は0点なのは分かるが、フレディアに関しては不明だ。
見たところ場外で倒れているアプールはいくつか装甲を残したまま。どうやら全ての点を得ているわけではないみたいだ。
そして残存するオレの装甲は胸と両腕部分のみ。他二人は無傷………。
(残り時間10分を切ったわよ)
クロエの忠告が入った。
不利な自分に嘆いてばかりではいられない。
このまま時間が経てば、獲得点の多い彼女の勝利が決まる。
仕掛けるなら、こちらから。
一撃もらえば即戦闘不能。勝利条件はフレディアの敗退。
立ち向かってみるか。自分の持てる全てを使って。
膠着を破る。
最短で相手の懐へと飛び込む。挑戦者が心がけるべきは、とにかく攻手を切らさない事。
そう考え、相手の腿を突く。
―――否
「意気は良いが、まっすぐ過ぎるな」
少ない所作でかわしながら、まるでこちらを嗜めるようにそう溢す。
続けて攻撃を食らわせようと棍棒を振るう。同時に相手の姿を視界に捉えるよう身体の向きを変える。
分かっていたように簡単に後退されて、振るった棍棒は空を切った。一挙一動、全てを読み切った動き。
「分かりやすく、散らかってる。ワタシの優位はそれじゃ揺るがないぞ」
「くっ!」
その後も何度もこちらから攻め手はみたものの、有効打に繋がりはしなかった。どれも最低限の動きで躱す、あるいは棍棒で流された。
この間、フレディアはオレを攻撃しようとしなかった。オレを倒そうという気概が感じられなかった。
ま、その点はとりあえず置いといて。
こちらの攻撃は精度、速度ともに良好。決して生半可な攻撃では無いはずだが、こうも簡単に外されるとは。
しかも随分と余裕を持ってらっしゃる。都度アドバイスをよこすくらいに。
戦闘ではなく稽古とでも認識してるのか? 笑えない話だ。
……待てよ。稽古か。
相対している女性が微笑を浮かべる様を見るに、この稽古をフレディアは楽しんでいるように思える。
だが、オレが知っている彼女は稽古なんてものにそれほど執着してなかった。サボって抜け出したりしてたし。強い相手に惹かれるバトルジャンキーって性格でもない。
彼女が意識を向けているのは、オレであってオレじゃない。
稽古を楽しむ要因が、その内容ではなく誰と行っているか、にあるなら。
そんな存在は知る限り1人しかいない。
実妹とオレに繋がりがあると見てるのか。
………そりゃ腰を上げる気にもなる、か。
(残り時間もうすぐ5分切るわよ。まだ何も成果を得られてないわけだけど、どうする? 人生、諦めも肝心よ)
(お前は応援したいのか、心を折りたいのかどっちなんだ……)
戦況を変えるためにも、ここは一つ賭けに出るか。背に腹は代えられない。
リスクとリターンは表裏一体って言うしな。
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「なあ、レディ・フランベ。ちょっといいか」
目の前の男、レンジャーは気さくに話しかけてきた。
余裕の表れか。それとも現況が分かってないのか。
ワタシとしては決着を急ぐ必要はないと判断し、相手に言葉を返す。
少々目立つ立ち回りをしたからな。ここから注目を避けるのはどう頑張っても難しい。
ワタシ個人としてもこの男に興味がある。
「どうした。注意を逸らそうというなら無駄だぞ」
「ここまで打ち合ったんだ、分かってる。そうじゃなくて確認したいことがある」
「奇遇だな。ワタシもだ」
別の男と競り合っていた際に見せたあの動き。
思い起こされるのは聖国での記憶。
肉を切らず、衝撃を落とし込み骨を砕く。絶妙な加減を要求される振りのため、それを可能にする動きの姿勢には特に気を付けなければならない。
制約のかかった動きをスムーズに働かせる際には癖のようなものが少なからず生まれる。
人によって差はあるが大抵は流派、つまりその技を伝授した師から癖も受け継がれてしまう。
動きの癖はソードハンドのそれだった。
彼が家の者ましてや聖国出身者である可能性はまずない。そもそも鎖国制度によって閉じられた聖国からそう簡単に出られる訳がない。追手の可能性も考えたが、それにしては人選が甘い気がする。
国外の人間で且つソードハンド家の者。
思い当たるのは1人だけ。
海に落ちてから行方知れずになっているワタシの妹。
ハイドロだ。
もしかすると彼から妹の在処を辿れるかもしれない。
そんな期待感に柄を握る手に力が入る。
「お前が闘いで手を抜いてるのは分かる。まるで、オレを稽古してるみたいにな」
「ほぅ……」
「勝負をつける気なら、とっくについてるはずだもん。なのにこっちの攻撃は避けるばかり。正直ありがたいけどな」
感謝(?)した後、彼はわざとらしく棍棒を正眼に構えた。さて、どういう意図だ?
「馬鹿らしい提案するけどさ、こっから制限時間まで稽古ってつもりで構えてくれないか」
「――――――」
ニヤリといたずらっ子な笑みを浮かべてそう言い放った。
「……つまり今まで通り、ワタシに攻めるな、と要求しているのか?」
「このまま何もしなくてもお前は勝てるしさ、そもそも景品とか名声とか興味ないだろ? でも、オレは勝ちたい。絶対に景品が欲しいんだ。そういう状況で、そっちが勝手に稽古のつもりで手抜いてくれるんだ。ならオレはそれに乗っかる。悪くないだろ?」
「ハハッ――」
思わず笑ってしまった。
ズルいというか生意気というか。ともかく、でたらめだな。
戦う者らしからぬ意見だが、ワタシの気分は悪くない。
なぜかその清々しさに親近感すら覚えてしまう。
「ま、所詮口約束だ。無理のある提案だし、反撃されたからって文句は言わない」
「フフッ……分かった。こちらからは攻撃しない。ただ一つ条件を付ける。この大会が終わってから少し話させてもらいたい」
「終わってから話、か……」
「?」
「いや、問題ない。それぐらいで提案を呑んでもらえるなんて儲けもんだ」
レンジャーは少し悩んだそぶりをしたが、一度頷いて了承した。
「じゃあ、――――」
彼の気配が変わった。
一見して何かが劇的に変わったわけではないのに自然と警戒が上がる感覚。
聖国でも何人かと対峙した際に味わったものと同じ。
けれど一体なんだ。別段彼が強くなったわけでもなさそうなのだが。
言うなれば、直感。ワタシの直感が働いた。
これから起こす彼の行動に心を大きく揺さぶられるのではという懸念。
そして、すぐに答えが出た。
「いくぞ―――フィア」
そう呼んだ。
かつてハイドロが思いつき、ワタシに提案してきたあだ名を。
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姿勢を低くし、さっきの攻防より脚力を使って接近する。
ようやく隙らしい瞬間を見せた。
ここは見逃せない。
確か幼少の時、堅苦しいと言われた名前を省略してあだ名にしようとしたんだったか。
彼女に対してフィアと呼んだ者は誰もいない。あの実妹も結局口にはしてなかった。
正体を隠しているフレディア…フィアには悪いが動揺を誘わせてもらう。
こちらの存在に疑問を抱かせてしまっただろう。約束した話し合いで何を聞かれるか、不安だ。
(はぁぁぁぁあああああ………………)
思い切りため息を吐いて不満を顕わにしているのが1名いる。
先んじて言っておこう。スミマセン。
(まったく、何してるんだか……くれぐれも魂獣のことはバレないようにしなさいよ。絶対よ、絶対!)
つい昨日クロエから教わった注意事項を思いきり無視してしまった形にはなるが致し方ない――
(……………………)
――としてもらおう。
クロエの苦言を流しつつ、距離を縮めていく。
元々オレより身長が高いフィアに対し低姿勢で向かえば、仮に反撃されても掻い潜れる気はする。
「ふっ!」
当然回避しようとするフィア。
それに対し、負けじとオレはさらに加速。
先に到達するべく今までよりいっそう強く踏み込む。
しかし。
このまま真っ直ぐ向かうだけでは今までと同じ結果になるだけだ。それが分かってても他の案が思いつかない。
一つ言えるのはこの機会を逃がせないのは確かだという事。
今回は卑怯かもしれないが―――
(そこで『かもしれない』なんて濁してしまうのが残念ね)
……一瞬の動揺でわずかに隙を生み出せたものの、オレの稚拙な技術ではフィアの装甲を破るまでには至らない。何かしらの対応をされてチャンスの芽を摘まれる。
オレの技が全て読まれるのは動きの質の低さの他に、どれもがフィアの想定の範囲内であるからだ。馴染みある動きを繰り返してしまうから稽古という認識にさせてしまう。
取るべき行動は絞られてくる。
相手の得意な打ち合いで勝負はせず、相手の予想外で攻める。予想外……例えば何だ?
(無駄が出来てしまうんなら、そもそも振りも突きもしない方が有効なんじゃない?)
………振りも突きも要らない、か。なら…こうするのは? アリ、だろうか?
一つの案を思いついてみたが、実行の為には相手の懐へいち早く辿り着かなければ。
さぁ、スピード勝負だ。
力が分散しないよう一点に集中させ強く蹴りだす。足の力だけでは追いつけないかもしれない。
背骨をしならせ全身を押し出すように前に跳びだす。
勢いの増した跳躍が後退するフィアの速度を上回っていく。
瞬く間に相手の領域内に侵入していく。
自分の動きのキレが格段に上がったのを実感。相手もその事は分かっているだろう。
それでも落ち着いた様子のフィアを見て改めて理解する。
これまでと同じ手を使わなくて良かった。
よし、仕上げに入ろう。
ルール上、棍棒での攻撃しか許されてないんだよな。
言い換えれば棍棒が絡むのであれば、どういった攻撃でも了承されるのでは?
右手を柄から離し、片手で握った棍棒を右腕にピタリと添える。
勢いのままフィアの胴に飛び込まんとするオレの身体。右腕からかますタックルは、しかしフィアの体との間に棍棒を挟むことで徒手禁止のルール違反にはならないのではなかろうか。
かなり強引な力技にはなるが、オレに考えられた精一杯の抵抗だ。
(博打すぎるけどね……)
(うっせぇ、よ!)
「はあっ!!」
全身を使っての体当たり。
フィアは反応し当然これに対処しようとした。棍棒を持ち上げようとして
「っ!」
一瞬動きが止まる。
あくまで反撃をしないよう心がけるつもりか。随分と律儀だ。
だが、そのラグは大きい。
オレが秘密のあだ名を呼ぶことで意識が散漫してなければ、もっとスムーズに回避行動に移れただろう。
闘技場の中央付近で衝突が起こる。
右腕にやがて訪れる衝撃。
遅れてやって来た痺れを感じオレは悟る。命中はした、と。
結果だけ言えば。
渾身の体当たりはしっかりと受け止められた。
寸前で体勢を整え、オレの勢いをしっかりと殺した上で真正面から挑まれた。
体術で流されなかったのは幸運だ。
ただ真正面から直接受け止められたものだから、こちらに跳ね返ってくる衝撃が予想より大きかった。
その証拠に、突っ込んだ右腕にあった装甲はボロボロと崩れてしまった。今も痺れが残っているため棍棒を振り回せるまで、しばし時間がかかりそうだ。
「流石だな。タックルはちょっと無理があったか」
「………………」
フィアは黙ったまま。
ダメージはほぼ無いはずなので、別の事について考えているのだろう。秘密を知るオレの詮索だったりと。
それは結構なのだが、解決せねばならない事項がある。
状況はそのまま。進展していないのであって。
オレはフィアに受け止められたまま。
ようは絶賛抱擁中というわけだ。
さっきまで緊迫した中で決死の策を遂行してたのに、ほのかに甘く香る柔らかな感触に包まれていると気持ちは随分と落ち着いてきた。
このまま身を任せて眠ってしまいそうな安心感だ……。
(ふざけてる場合じゃないでしょうが!)
わぁ、黒猫さんが怒っている。
仕方ない。別にふざけているつもりはなかったが気持ちを切り替えよう。
「……えっと、沈黙してるとこ悪いけどさ。そろそろ離れないか? 密着したままなのもどうかと……」
「…………あぁ…」
空返事ではあるが抱擁を緩めてくれた。互いに離れ改めて相対する。
オレはそこで策の成果を確認した。
フィアの胸部分の装甲。
密接していた棍棒の箇所からポロポロと破片が零れ、やがて装甲は崩れ落ちた。
これで5点は手に入った。
しかし、ここまでだろうか……。
(ちなみに、残り時間は?)
(もう間もなく1分を過ぎるわ。ちなみに観客は不満そうにしてるわよ)
そうか。
…………悔しいな。
実力が伴ってないのは分かってたけど。
(………仕方ないことよ。テストでいえば赤点は回避してるとは思うけど?)
慰め、ありがとう。
対面したフィアの表情を窺う。
不満そうな面持ちだ。いや、顔だけでなく全身からそんなオーラが出てる気もする。
残り時間もわずか。
ここは腹を括って、大会後に本を譲ってもらう交渉について―――
ッピーーーーーーーー……
(ん? 笛………?)
(聞こえたわね)
甲高く、か細い音。
弱く吹かれたホイッスルみたいな……?
なぜそんな音が? 終了の合図ではないのは司会席を見れば分かる。
観客席の方を見渡しても、誰も気にせずこちらに野次を飛ばしている。
フィアはどうだろうか?
そう思い前を向く。
「メ、シ……」
「―――」
フィアのすぐ背後。
人型の影がいつの間にか接近していた。
今まで動きを見せなかったのに。
いや、そんな事は今更だ。
フィア越しに見える顔に光が射し、はっきり見えるようになる。
そう、問題なのは、ソイツが決してヒトには不可能なくらいの大きな口を開けてフィアの肩に迫って――
咄嗟にフィアを押しのけようと飛び掛かる。
しかし先の攻防で酷使して若干震えてしまっている足を思ったように動かせなかった。
何とか横に押しやりはしたが、立ち位置をオレと交代する形になる結果になった。
その束の間。
――――ゴリゴリゴリッ、メキッ!!!
何かが、砕ける音が聞こえる。
二種類の質感の違う音。
前者は装甲がひび割れながら粉々になる音。
後、者は…………
「~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ、ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!」
言葉にならない叫び。
チカチカと点滅する風景。
熱を帯びたように熱くなった左腕を襲う挟痛と刺痛。
「ア”ア”ッ、…ハアッ……ハッ、ヅッ!……ア”ガアァ!!!」
(レン! しっかりしなさい! 意識を手放しちゃダメ! しっかり!!)
焦りで呼吸もままならない。
痛み続ける左腕。そこに見えるのは頭。
その頭はオレの腕を食いちぎらんとばかりにギチギチと噛みついている。
男の顎を伝って赤黒い血がボタボタと流れ出ている。かなりグロテスクだ。
「離、れろ!!」
フィアが噛みつく男の首元に手刀を放ったことでオレの腕が解放される。
助かった。あと少しで腰が抜け後ろに崩れ落ちるところだった。
とはいえ、もう、立ってられない………。
力が抜けるようにその場にへたり込む。
会場は興奮半分、パニック半分だった。
何かのパフォーマンスとでも思っているのか?
司会席の慌て具合から、緊急事態ってことを判断してほしいんだが……。
「レン!」
客席の方から名前を呼ばれていた。
この幼い声。該当するのは…1人だな。
だが…動くのがもう…億劫だ。
もう限界だ。気絶しそう。いや、したい。
このまま……
(せめて止血…あぁでもこの服は脱げない仕組みだし……どうしたら……! レン、意識を手放したら駄目! もうひと踏ん張りしなさい!)
………………………………悪いな。そんなに心配かけてしまって。
でも……瞼が……重い。
フィアと噛みつき男、
2人が競り合っている場面を薄目で眺めながら、オレは意識をu…………………………




