21歳の金田悠介
こんにちは、閲覧して頂きありがとうございます。初投稿です。むしろ小説など書いたことありません笑
自身が日頃感じている気持ちを文章という媒体で表現してみたいと考え投稿に至りました。
休みの間に定期的に更新していこうと思っていますので、読んでいただけると非常に嬉しいです。
俗に言うなろう系とは違いますが楽しんで頂けたら幸いです。
1、 21歳の金田悠介
「色即是空って知ってる?」
薄まったレモンサワーの入ったグラスを持って美麗は言った。
「仏教用語だろ?意味は覚えてないけど」
「そうそう。なんかね、例えばその時計あるでしょ?時計って分解して針とか歯車とかのバラバラの状態になったらさ、もう時計ってわかんないじゃん?なんかそういうことらしいよ。」
悠介は今日が21歳の誕生日だった。銀の縁に黒の文字盤の時計は美麗からのプレゼントだった。前々から欲しがっていたことを覚えていてくれていた、そんな彼女の思いやりを感じていたのか、無機質な様子の時計になぜか悠介は微かな暖かさを感じた。
「いや、もらったばっかでバラバラにしないで。てか、そういうことってどういうことだよ。」
「つまりね、時計自体には実態がないの。バラバラのパーツの集まりのことを時計とは言わないでしょ?そこに時計の実態はないわけじゃない?だからぁ世の中の物事には全部実体がないんだって。本質は無なんだよ。」
「無なんだよ、って。なんか嫌なことでもあった?」
突然おかしな話をする彼女を怪訝に感じた。少し飲みすぎたのだろうか、テーブルの角の空いたグラスをみながら悠介は思った。
「授業で習っただけだよ。でもね、その続きがあって。」
「その話はもういいや。てか、本当ありがとうこれ。マジで嬉しい。試験に持っていく時計もなかったし。」
「嫌なこと思い出させないでよ。やっぱりあったわ嫌なこと。はあ本当嫌になっちゃうわ。あーそろそろ帰んないと、明日も午前中からテストあるわ。」
人形のような顔を悲痛に歪ませながら美麗はぼやいた。
「じゃあ店出るか。」
店の代金を払って外に出ると、11時半をまわっているというのに街は昼間のように明るかった。汚れた蒸し暑い空気が体にまとわりついてくる。昨晩一夜漬けした疲労もあって悠介の体は錨のように重かった。重い錨をアスファルトから引っ張り上げて、スクランブル交差点を渡り、美麗と別れた。
「今日はありがとう。時計本当嬉しいよ。」
「喜んでくれてよかった。休みめっちゃ楽しみだけど、とりあえずテスト頑張ろ。おやすみ。」
彼女の後ろ姿が甘い残り香と共に消えていった。駅前の人だかりは終電前ということもあって、海のようだった。彼女の姿が水平線から見えなくなるまで、悠介は美玲を見ていた。今夜の思い出に浸りながら汚れた空気を肩で押しのけ彼は帰路についた。薄汚れたコンビニの隅で派手な身なりの男が悪臭を放ちながら横たわっている。少し乾いた黄色い物体を枕にしている。自らの吐瀉物だろう。そんな姿を見て悠介は自らの糞で汚れたまま横たわる牛を思い浮かべ、男は人としての尊厳を損なっていると思った。彼は考える、人間を人間たらしめるのは汚れを恥じて、悔い改め、雪ぎ、自らを整えることだと。綿菓子のような甘い20分前の記憶は最早消し飛んだ。悠介は男を避けるように小走りで歩き、家の前の階段を昇り、荒い仕草で自宅の鍵を開けた。
帰宅してから悠介が洗濯物を取り込むとシミの落ちきっていないシャツがあった。
「はぁ。捨てるか。」
悠介は汚れたままのシャツを見て辟易した。ベッドに衣服を放り投げ、ベランダでタバコに火を点けていつもより長く煙を吸い込んだ。いつもよりもいくらか辛く感じた。自分の狭い部屋を窓越しに眺めながらもうひと吸いした。タバコを吸い終えてベッドに腰掛けると、ふと彼女が別れ際に言った言葉を思い出した。
「実体はない、か。」
腕時計を眺めながら彼はつぶやき、少し物悲しさを感じて彼はそのまま寝転んだ。明日は試験はない、今日はこのまま寝てしまおう。ほんの僅かに自暴自棄になって悠介は部屋の明かりを消した。
七月の夜空は暗く、重く、憂鬱になる程蒸し暑かった。
試験は存外うまくいった。悠介は開放感を満喫しながらコーヒーをすすっていた。アパートの部屋は狭かったが、文句を言う両親はいない。自分は恵まれていると感じながら、親の脛をかじって過ごす都会での一人の昼下がりに悠介は小さな罪悪感を感じていた。
「お盆は実家帰らないとな、正月から帰ってないし。」
悠介はあまり夏が好きではなかった。大学の夏休みは飽きるほどに長い。そんな休みを有効に使おうと最初は思えど、自堕落な日々を毎年過ごしてしまっていた。そんな自分が不甲斐ないし充実した時間を過ごしたいと思う自分もいれば、最後のモラトリアムである今を存分に無駄遣いしたい自分もいた。夏の暑さは日を増すごとに強まっていた。耳をつんざくような蝉の鳴き声も合間ってまさに外は灼熱地獄であった。
「年々熱くなってるよなあ、温暖化やべえよ。」
愚痴を吐きながら視線を棚にずらすとふと美麗からもらった腕時計が目に入った。先ほどまでのジメジメした思いはすぐに消え、悠介は来たる美麗と行く花火大会に想いを馳せた。人混みはあまり好きな方ではなかったが、彼女と眺める花火は格別であろうと悠介は待ち望んでいた。
悠介は大学に入学して以来まともに勉学には打ち込んでこなかった。入学以前、勉強はできた方ではあった。大学受験は流れ作業のようにこなしそれなりの学校に進学した。親や親戚は大いに喜んでくれたし、地元の知り合いらも彼の成功を喜んでくれた。しかしながら進学は彼に現実を突きつけた。自分は何を成し得たいのか、何を成せるのか。自らが歩んでいる道がどこに向かっているのか、それが山の頂上なのか、そもそもどこかに向かっているのか、彼は進学して初めてそのような問題に直面した。敷かれたレールの上で歪んだ自尊心を肥やしていたのだ。今までは轍は一つだった。ところがどうだろう、その先は足跡が無限に広がっていた。地図すら自らで選び取らねばならない。道標を失った彼は停滞し、その場を彷徨った。1年間をそのような葛藤で費やした後も彼は餌を与えられた家畜のように、親の仕送りにすがり惰眠を貪っていた。いや、むしろ家畜以下であるかもしれない。そんな自身の現状に彼は心底失望していた。彼は畜生であったが、高潔な精神を持ってもいたし、事実高潔な人間でもあった。畜生と聖人君子が金田悠介の心臓を支点にシーソーゲームをしているのである。だが彼は人生に絶望している訳ではなかった。容姿も良い方であったし、交友関係も多くはないが彼自身は満足していた。友人と酒を酌み交わしたり、旅をしたり、恋人と愛し合ったり、興味の赴くままに課外活動を行った。振る舞いは愚かであったとしても、実際彼は瞬間瞬間を楽しんでいた。しかしながらそんな自身に怒りを覚える瞬間も存在した。美麗と出会ったのは入学してすぐのサークルの新歓コンパであった。端整な容姿と清楚な雰囲気が咲いたばかりの桔梗の花ような女性であった。両親は医者であって、彼女も医者の道を強く志し励んでいた。そんな実直で強いアレキサンドロスのような野心とエネルギーにもまた、彼は強く惹かれていた。彼女の眼前には石畳でできた頑強な道ができているのだ。美麗は美麗で彼の姿に自分にはない自由を感じていた。彼女が自身を強く慕ってくれていると悠介は確信していたし、そんな彼女のためにも自身を確立せねばならないと言う責任や焦燥感も感じていた。
ガシャンと大きな音を立ててマグカップがテーブルから落下した。床にコーヒーと破片が飛び散った。
「あー最悪だよもう。お気に入りだったのにもう使えねえじゃん。」
悠介はウンザリしながら割れてしまったマグカップを拾い集めて、溢れたコーヒーをぬぐった。その時ふと脳裏に美玲の言った言葉がよぎった
「色即是空」
割れたマグカップは今や割れた陶器の破片でしかなかった。集めた破片を見て、悠介は一瞬妙な胸騒ぎがしたが、あまり考えないことにした。