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この世界を全力でッ!  作者: ニコ
8/12

ありふれた登校風景、学校生活……ではない何か

「悪さはしないと、さっき話したばかりだろう!!」

 よく通る凛とした叱責の言葉が、まだ朝の閑静な住宅地に響き渡る。

「あら、悪さなんてしてないわ。眠いって言ってたから、起こしてあげようとしただけよ」

 反対に無邪気極まる声色が、叱責の声を軽く流す。

「起こすにしても、方法はいくらでもあるだろう……何故クラッカーを鳴らすッ!? 何故玩具が詰め込まれているッ!!? そもそも何故そんなものを、今から学校に行くというのに所持しているッ!!!?」

「ワタシの宝物を詰めてみたのよ。ほら、このクマさんのヌイグルミなんて、とっても可愛いわ!」

「可愛いかどうかは問題ではないんだ、百合乃。それを所持していることと、それを人に向けて撃つことに問題があると言っている」

「ワタシは可愛いものや楽しいものを見ると目が覚めるわ。きっとユウだって、これで目が覚めたはずよ!」

「だから、そういうことを言っているわけではッ……」

 よく創作物では、女の子に囲まれながら登校する男主人公が登場するものだ。見る度に、なんて羨ま……贅沢な状況だろうと、思うものであった。

 思うもので、『あった』。

 いざ体験してみると、さて全くこの状況を堪能しようとする下心が一切が湧いてこない。姦しい、ただそれだけ。

「えっと……大、丈夫ですか、お兄さん」

 僕の頭から垂れる夥しい量のカラーテープを丁寧に摘まみ取りながら、悠歌は心配そうな声を漏らす。

 大丈夫、と返すのが兄としての威厳だろうか。

 そんな似合わない虚勢を張る姿を想像しつつ、僕はただただ、苦笑とも呆笑とも取れる表情を浮かべるしかなかった。

 どうしてこのような状況に陥っているのか。

 昨晩貴蕎と話をし、今日は幼馴染みと一緒に登校する、という定番イベントを設けた。悠歌にそれを伝えると、嬉しいのか恥ずかしいのか不満なのか、なんとも微妙な表情を作りつつも、一緒に行きたいという返事をいただいた。

 それだけのイベントの予定だったのだが。

 朝、登校時間。インターホンが鳴ったので貴蕎の迎えかと玄関を開けるとーーー

『ユウ、一緒に学校に行きましょうッ!』

 大層晴れやかに破顔する百合乃 氷命さん、その人が仁王立ちしていたのだ。

 あの時の僕の表情は、他人から如何程滑稽に映っただろうか。

 少なくとも、表情の変化が乏しい悠歌ですら、それこそ目が点となり固まってしまったのだから。あの悠歌の表情はヒジョーにレアだぞ、などと、今更ながら脳裏に焼き付く妹の顔を思い返しては薄ら笑いを浮かべてしまう気持ちの悪い僕である。頭からカラーテープを垂らしながら。

「……お兄さん、今大変邪なことを考えてますね」

 じっとりとした視線が突き刺さるのを感じ、僕は何のことやらと明後日の方向を見るしかなく。本当のことを言って、誰も得することなどない話だ。

 とにかく、それ以降もてんやわんやだ。

 唖然とする僕と悠歌、満面の笑みを浮かべる氷命。そこへやって来た、本来氷命のポジションに填まるはずだった我らが生徒会長、神奈毬 貴蕎さん。

 ばっちり規則正しく着用された制服と、歩みに合わせながらポニーテールで結ばれた銀色の髪を靡かせ、膝下まで下ろされた学校指定のスカートに身を包み。本日も生徒の模範となるべく素晴らしい身嗜みでご登場してくださった。

 僕の姿を確認した貴蕎はその薄く整った頬をピンク色に染め、しかしすぐさま氷命を視認した瞬間、顔から感情の色を消し去り、ただ標的を捉えた殺戮マシーンのような冷酷な瞳で獲物に近づいていた。

「おはようございます、百合乃 氷命さん」

「あら、おはようキキョウ。朝からこんなに知り合いに出会えるなんて、今日はハッピーな一日になりそうね♪」

「そうだね、すこぶるハッピーデイになることだろう。ボクは今、小躍りしたくなる気持ちを抑えることに必死だよ」

「そんなにワクワクしてるのねッ! アナタのことは『物事を固く考えてしまうあんまり面白くないヒト』だと思ってたけど、そんなことはなかったのね!」

「そうなんだ、そういう評価だったんだね、へー……。でも、その評価が覆ったのなら良かった、と思っても良いのかな」

「勿論よッ! キキョウはワタシやユウと似た者同士ね♪」

「似た者同士か、ははは。……ははは!」

 帰りたい。いや、まだ玄関から出ていないので、正しくはこの場から離れたい。何故だろう、会話が成り立っているようで成り立っていないような違和感と言うか。一方は軽いゴムボールでキャッチボールを楽しんでいるのに、方や相手はキャッチしたボールを捨ててバズーカ砲を撃ち込んでいるかのような。しかも、撃たれている方はそれをバズーカ砲弾と認識すらせずに軽くキャッチしては、新たなゴムボールを投げている。もっと正確に言うのなら、ゴムボールを投げているつもりで、実は知らない間に毬栗を投げているのだが、その事実にすら気付いていない、そんな会話。

「お、お兄さん、貴蕎さんが私の知る貴蕎さんじゃない気がします」

「そうかな、僕にはそんな風には見えないよアハハ」

「お兄さん!? なんで白目で笑っているんですか!? 現実を見てください!」

「できるか! 朝から幼馴染みのイカれた姿を見て何が楽しいッ!?」

 幼馴染みや美少女に囲まれながらの登校にしたって、もっと色々あるだろう。少なくとも、僕は王道で良い。むしろ王道で行かせてくれ。何も憂い無く、ただひたすらハーレム状態でエンディングを迎える、良いじゃないかそれで。自分が体験するなら、もうそれ以外の選択肢は無くていい。

 いやしかし、考えを変えてみると、ここで流される主人公でいなければ良いだけの話ではないか。そう、ヒロイン同士の絡みにここぞとばかりにメスを入れる……僕ならできる!

「あんたら、取り敢えず人ん家の前で騒ぐのは止めてもらってーーー」

「優はボクが騒いでいると言うのか!? 昨日百合乃から受けっぱなしになっていた鬱憤は、『まあ優が久し振りに朝の登校に誘ってくれたし、それに免じて大人しく消化しておくとしようかな』と呑み込んだというのに……さて早速迎えに行こうかなと見てみれば何だこれはッ! どうして災厄がそこに居るッ!? どうして私の計画に十中八九支障を来すであろう存在が優の家の前にいるッ!? しかも先約の私を差し置いて先に朝一の優のご対面してるだなんて、もう……もうッッ!!」

「あ、はい、すみませんでした」

 何故僕は謝っているのだろう、そんなことすら些細な事項な気がして、自然と謝罪の言葉が溢れていた。いや本当に、何故僕は謝っているのか。

 ツッコミ所がそこかしこに点在する貴蕎のセリフにすらまともに反応できそうにない。成る程、創作物の主人公も、これでは間に入ることなどできようもない。

 最早乾いた笑いすら浮かばない。

「キキョウは本当に朝から元気ね。元気なことは良いことだわ! 楽しいことがきっと……ううん、楽しいことの方からお迎えに来てくれるわねッ!」

「うん、百合乃さんはもうちょっと状況把握を頑張ろうか」

 こっちはこっちで、ニコニコしながらツッコミ所だらけの発言を繰り出してくれる。僕を中心に美少女が集まり、尚疎外。いや、離れたがっているのは僕なのだが。

「~~~ッ、あ、あのッ!!」

 なるようにしかならん、そんな捨て鉢的な気持ちになっていたとき、不意に声を上げたのは、予想外にも僕の後ろで隠れるように立っていた悠歌だった。

「あら、アナタは初めましてね。ワタシは百合乃 氷命よ、よろしくね!」

「あ……藤杉 悠歌です……」

 おそらく勢いで乗り切ろうとしたのだろう、悠歌の努力は虚しく。怒涛の氷命の前では、悠歌の声など暴風の中の蝋燭程度の儚さだ。

 というか、『私は○○、よろしくね』なんてテンプレート台詞を、実際に口にする人を見掛けることになろうとは。あんなのは小説の中だけにしか存在しない台詞だと思い込んでいた。

 僕が謎の感動を受けている最中も、氷命から悠歌への言葉ラッシュは止まらない。いい加減悠歌の目が回りだし、さて救出しようかと思い立ったときだった。

「そういえば……アナタの名字はフジスギだったわね。ということは、アナタはもしかしてユウの妹さんなのね!? 名前も『ユウ』と『ユウカ』でそっくりね!」

「あ……」

「……ん」

 純粋無垢な氷命の言葉。何もおかしな発言ではなく、だからか、突然のそれに、僕と悠歌は言葉を詰まらせてしまった。

 ピシッと、時間が一時停止したような錯覚に陥る。

「優、そろそろ時間も押してきてしまった。そろそろ行こうか。ほら、悠歌も」

 しかし間を作ること無く、するりと貴蕎は僕らへ近づくと、肩を優しく叩いた。

「ホントだ。余裕を持って家を出たというのに、随分なロスを費やしてしまったようだね」

「いや……すまない」

 慣れた物言いで、僕は事の原因の一端である貴蕎を嗜める。同時に感謝の気持ちも添えて。伝わったかどうかはさておき。

「……?」

 僕らのやり取りに、氷命はよく解らないわと言いたげに首を傾げる。それは純粋な好奇心のようだが、生憎と僕にもおいそれと話したくない話題というものの一つや二つはあるのだ。

「さて、それじゃあ行こうか。……百合乃さんも、行こう」

 既に家主のいない我が家に挨拶をし、僕は玄関に鍵を掛けると、門扉に立て掛けてある自転車を引いて歩きだした。僕の両サイドを貴蕎と悠歌が異様なスピーディーに陣取った気がしたが、おそらく気のせいだろう。

 とにもかくにも出発の時点でガヤガヤと騒がしく、また登校しながらも氷命があちらこちらに興味を向けては貴蕎が嗜め、それを僕と悠歌がなんとも言えない笑みで誤魔化し。僕が欠伸を溢そうものならキラリと氷命のファイアオパールの瞳が光ったかと思うと、顔面から特大クラッカーを射出されたり。

 氷命がコロコロと笑ったりピョンピョコ飛び跳ねる度に、カチューシャに着いた水琴鈴が優しい音を散らす。自転車のタイヤが回る音、地面を踏み締める足音、今日は風は無いが、目を閉じれば今にも風を感じられそうな気がして。

 願った形ではないものの、僕は今、とても充実した時を体験しているのではないだろうか。そう、今ほどに学生生活を謳歌している時間はない、そう豪語できてしまえるほどに。

 ほら、こうして歩きながら、僕の頭に野花を挿してはケラケラ笑う氷命ですら、慣れてしまえば可愛いものだ。いや、氷命は黙って静かにしていれば大層な美少女なのだから、そもそも可愛い部類に入る存在だけれども。

 何事も順応が大事だ。昨日の夢だか現だか分からないとんでも体験だって、こうした日常の中に自分を埋もれさせてしまえば、何て事のない些末な出来事だったのだ。

 僕はこの日常を謳歌したい。この日常の中で生き、そして眠りにつけたら、もうそれだけで良い。ありがとう平穏、ビバ平和。




 学校に着いてしまえばいつも通りの時間が流れる。

 そんな中、3限目の数学の授業を終え、僅かな休憩時間をどう過ごそうかと思案に耽っていると、不意に教室の出入り口から僕を呼ぶ声がクラス内に響いた。そこには居心地悪そうにする悠歌と、腕を猛烈な勢いでブンブン振る悠歌の友人の姿があり、僕を呼んだのはどうやらその友人ちゃんの方だった。

「ごめんなさいお呼び立てしてしまって。ウチのバカはいますか?」

 友人ちゃんの快活そうな見た目から、爽やかに罵倒が漏れる。

「あ~……多分トイレかな。授業中首元にじんわり汗かきながらモゾモゾしてたし」

「小学生じゃあるまいし……恥ずかしいったらない……」

 顔に手を当てながら、友人ちゃんはガックシと肩を落とす。そういえば、この子もなかなかにオーバーリアクションなところがある。悠歌の僕に対するオーバーリアクションと比較するに、性格が正反対な悠歌と友人関係になっているのも、ある意味同族的な匂いを嗅ぎ付けている故だろうか。

「あのバカ、お弁当を忘れていきやがりまして。いらないのかな、とも思ったんですけど、お昼の時間になって泣きつかれても嫌なので」

 そう悪態つきつつ、友人ちゃんは可愛らしくランチョンマットで包装されたお弁当をこちらに向ける。

 因みに、友人ちゃんの言う『あのバカ』というのは、僕の悪友ーーー白裏(しらうち) 葛哉(くずや)のこと。友人ちゃんは葛哉の一つ下の妹にあたる子で、悠歌からは『ひめちゃん』と呼ばれていたが……さて、本名は何だっただろうか。

「そういうことなら、僕が葛哉に渡しておくよ。ついでに、何か孝行するようにも言っとく」

「ホントですか、ありがとうございます! でも、あのバカから孝行はちょっと遠慮したいかな……裏がある気がしてならないから」

「……他人が言うのもなんだけど、もうちょい兄に優しくしても、バチは当たらないと思うよ?」

「……アニ?」

 『なんだその言葉は。初めて聞いたぞ』、とでも言いたげな声色で、ひめちゃんは訝しげな表情を作った。

「お兄さん、世の中をもっと見た方がいいですよ。『兄』と呼べるような人種は、きっとほんの一握りしか存在しないんです。そしてウチの家には、残念ながらそんな人種はいません」

「そこまで言っちゃうか」

「いるのは肥溜めの中から這い出てきた寄生虫にも劣る害悪物質です」

「そこまで言っちゃうか!?」

 どこまで自分の兄が嫌いなんだ、この子は。

 確かに僕の知る葛哉はそこまで褒められるようなタイプではないけれど、少なくとも良いところだって……………………………………………………ある、ぞ?

「そこで黙られると、俺の立つ瀬が無いんだが」

 ひめちゃんの言葉に口を閉ざしてしまった僕の背後から、ダルそうな野郎の声が届いた。

「来たな、肥溜め」

「今のは『来たな』と肥溜めの『汚な』を掛けた言葉遊びか、我が愚妹よ? ハッキリ言ってくだらんぞ」

「そのままトイレで流されれば良かったのに」

 僕を挟んで、トイレ帰りの葛哉とひめちゃんが罵り合う。僕の立場、朝からこんなのばっかりか。

「で、何用だよ?」

「あんたが忘れてったお弁当。『わざわざ』ウチが届けに来てあげたの」

「あれ、忘れてったっけ? そうか、でかしたぞ」

 引ったくるように、葛哉はひめちゃんの手から弁当箱を奪うと、ひめちゃんの頭をバシバシと叩いた。

「痛いでしょうが!」

「兄からの感謝の頭ポンポンだ、素直に受け取っとけ」

「縮むわッ!」

 フシャーッ、と。まるで猫のように怒りを露にするひめちゃんを他所に、葛哉は僕を見やった。

「優もサンキューな、コイツの相手してもらって。俺の肛門括約筋がバーストモードに突入し始めたもんでな。授業終了と同時に世界レベルのスタートダッシュと極め込んじまった」

「うん、ホントにいらない情報ありがとう。妹ちゃんから好かれてない原因の一端が垣間見れるな」

「止せやい、感謝なんて水臭いぜ」

「このバカ……脳ミソまでトイレに流してきたんじゃないの」

「……ヒメ、俺でも傷付くことってあるんだぞ?」

「ごめん、元から流すようなものなんて詰まってなかったね」

「傷付くぞッ!?」

 仲が良いのか悪いのか。やれやれ、と大きく溜め息を吐いていると、くいくい、と僕の制服の裾を引っ張る感覚。

 見ると、これでもかと縮こまっている悠歌が、僕の制服を指先で摘まんでいた。

 というか、悠歌の存在を忘れていた。ごめん。

「あの、お兄さんに伝言があって」

「伝言? 誰から?」

「貴蕎さん。さっき階段ですれ違って。『お昼、一緒にどうか』って」

「ほぉ、貴蕎が。生徒会の仕事の目処が立ってるのかな。まあ、向こうから誘ってきてるんだから、良いんじゃないかな。それで伝言ってことは、そこに僕も同席しても良い、ということ?」

「う、うん……」

 ギクッとした表情で、首肯をする悠歌。意図が読めないその反応に首を傾げていると、僕らの間に横からぐいっとひめちゃんが顔を近づけてくる。その表情はやけにニヤついている。

「同席『しても良い』ねぇ……」

「な、何?」

「いや~、私にはそんな風には聞こえなかったんだけど。まあ、悠歌がそう言うなら、そうだったのかもね!」

「~~~!」

「……?」

 さっぱり状況が読めないが、取り敢えず僕は昼食の席にお呼ばれした、ということでいいのだろう。一先ずそれについては承諾しておく。

「じゃあ、僕はお言葉に甘えさせてもらうことにするよ」

「おい相棒。幼馴染みとは言え、そんなことが許されると思ってんのか?」

「葛哉も一緒に参加する?」

「ふっ、女の子と一緒の空間は寂しいぞ、ってかい、このシャイボーイめ……。仕方無い、親友のよしみとしてこの俺も参加してしんぜよう」

「これが自分の身内ってだけで嫌になるんですけど」

「んだよ、文句ばっかりだなこの愚妹は。お前も悠歌ちゃんを見習って、少しは『慎み』というものを学んだらどうだ」

「あんたは晩夏の蝉を見習ったら?」

「それは暗に死ねと言ってるのか?」

「死ね」

「直球ッ!」

「いい加減コントは他所でやってくんないかな」

 一々こうも脱線されては、休み時間が幾らあっても足りやしない。

「もう……ごめんなさいお兄さん。このバカのお目付け役として、ウチも参加して良いですか?」

「ん、勿論構わないよ」

 これは想定外に大所帯になってしまいそうだ。まあ食事の席で賑やかなことは悪ではないだろうし。

 そう楽観しながら、密かにお昼を楽しみにしている自分がいた。普段は葛哉と一つの机を共有しつつお弁当を食べているのだが、たまにはこんな昼食もありだ。

 そんなことを考えていると、4限の授業が始まる合図を報せる予鈴が鳴り響いた。思いの外、話し込んでしまったようだ。

「大変、もうこんな時間。それじゃあ、授業が終わったら迎えに来ますッ!」

「えっと……じゃあ、お兄さん、また後で」

「うん、ありがとう」

 律儀にペコリと、妹達は一礼すると、そそくさと自分の教室のある階下へと早足で歩いて行った。

 振り返ると、興味など失せたとばかりに、葛哉は既に自分の席に着いていた。

 教室の中が次の授業に向けてざわつくのを聞きながら、しかし何故か不意に。

 その光景に途方もない不安感に駈られた。

 特別何もおかしなものはないのに、それこそがおかしいような、そんな違和感。

 ガラッと、勢いよく教室の扉が開かれ、英語の教師が入室してくる。

 慌てて僕は自分の席に着くと、英語の教科書を鞄から取り出しながら、首を傾げる。

 ありふれた日常のはずなのに、どこかズレてしまっている気がしてならない。普段とは違う、昼食の約束をしたからだろうか。あまりのワクワクに、日常をそれと判断できないくらいに、僕は浮かれてしまっているのだろうか。

 いや、おそらくそうなのだろう。実際、楽しみだから。

 僕と一線を引き気味の悠歌、それとは真逆な性格のひめちゃん。悪友の葛哉と、いつもは生徒会の仕事ですれ違うことも少ない幼馴染みの貴蕎。かつて類を見ない程に豪華なメンツでのお昼休みなのだ。……僕にとっては、豪華なのだ。

 どんな会話が飛び交うのか……いや、きっと何気無く、とりとめもない話が出るだけだろうけど、それでも違う環境で、違うメンバーで、囲む食卓でなされる会話なのだから、フツーのことでも新鮮に感じられるだろう。

 ちょっと気持ちの悪い、装飾しすぎかもしれないこの後の出来事を妄想しつつ、今は授業に集中しようと姿勢を正したところで、授業開始を告げる本鈴が鳴った。

 さあ、頑張ってこの時間を乗り切ろう。

 決心し、僕は教科書を開いた。

 本鈴の中、そこに潜むかのように、ウキウキとした水琴鈴の音が混じっていたことに、僕が気付くこともなく。

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