好奇心とは
「それで、魔王のお城はどこにあるのかしら?」
はじまりの町のメインゲートで爽やか青年・サンと合流後、歩きだして間も無く、氷命は周囲をキョロキョロと見渡しながら問うた。
「見渡しても、さすがにこんなのどかな場所には無かばい」
豪快に笑いながら、サンは答える。
この男に、そういえば僕はお姫様抱っこをされたのだったか。寒気がする。『勇者伝説』を読破している故に、サンの出自を知っている僕は、なんとも言えない気持ちで表情を曇らせた。
その身こそ武器、と豪語する彼は、勇者一行の中でも随一の力自慢を発揮する。気性は大変穏やかで仲間思い。何かとマリーの恋愛の相談相手として選ばれたりするのだが、サン自体恋愛経験者であるわけではなく、作中ではそんな恋愛初心者であるサンとマリーの寸劇も、また面白いところである。
しかしサンには、実は彼自身知らない事実があったりする。
彼は、魔王の息子なのだ。
人間離れした怪力はそこからきている。物語終盤で語られるこの事実は、優しい心を持つ彼を絶望のどん底へと突き落とすことになる。それまで人間として生きてきて、打倒魔王を志した手前、まさかのその魔王が実の父親ともなれば。その衝撃は筆舌に尽くしがたいものだろう。図りしえぬ葛藤の末、サンは勇者とマリーとの思い出をバネとし、魔王討伐を改めて決意していく。
僕はそれを知っている以上、このまま旅を続けていくことに少し抵抗が無いわけではない。実際に顔を合わせた回数は、当たり前だがこれで2回目という初対面同然の関係だが、勇者とサンは昔からの友人であり、物語を読みまくった僕としても、赤の他人として割り切るには少々情が湧きすぎている。
登場人物の過去が物語の進行と比例して浮き彫りになり、そこから拗れ、また修復していく人間関係の描写がまた、「勇者伝説」の良さを表している。
こうして旅立ちのシーンに立つと、本を開いたあの期待感を思い出す。自分がそれをなぞらなければならないという使命感や不安感があるものの、やはりこの冒頭部分というのは否応なしに身が引き締まる気持ちを想起させてくれる。
「少し、顔色が良くなりましたね」
ふと隣を歩くマリーが、そっと耳元で囁いた。
香水なんて文化があったのかは知らないけど、氷命とは違った甘さのある香りが鼻をくすぐり、思わず息を呑んでしまった。
「……そんなに良くない顔してました?」
「はい。絶望の淵に立たされているかの様でした」
「それはまあ……マリー、さんは、恐ろしくないんですか? これから魔王と戦うことになるなんて」
「勿論、恐怖心が無いと言えば、嘘になるでしょう。しかし……」
マリーは言葉を切り、視線をサンと氷命に向ける。
あちらこちらに興味を示す氷命を献身的に面倒を見るサン。正直よくイラつかないものだと感心してしまう。
「不思議と、どうにかなると思ってしまっている私がいるのです」
「……マジか」
作中、とにかく理屈で固めた思考をしがちなマリーが、まさかそんなふわっとした結論を出していることに、僕は驚きを隠せなかった。これも氷命の設定改竄ーーーと仮に呼ばせてもらおうーーーの影響か。それとも……氷命の纏う気性が、そう思わせているのか。
「確証が欲しくならないんですか?」
「ッ! ……ふふ、やはり優さんには敵いません」
「確証を」が口癖のマリーの言葉を出すと、マリーは優しく微笑んだ。知っているから言ってみただけなのだが、どうやらマリーは僕のことを買い被ってくれたようだ。
「大丈夫です。強いて言うなら、このメンバーで旅に出た、そのことが確証です」
「なんとも……光栄です」
搾り出すように、それだけ答える。
僕には魔法の知識も人並み以上の力も無い。ましてや設定を変えるなんてイカれたチート能力があるわけでもない。あまりにも場違いすぎる。逆に言えば、よくある小説の主人公としては適正かもしれない。
しかし悲しいことに、当事者になってみると途方もなく惨めな気持ちになってくる。周りの光が強すぎて、僕のような蝋燭の火は存在意義すら謎になる。
世の主人公って、こんな気持ちなんだろうな。こんな、なんともやるせない、自己肯定感を抱くことすら難解な立場なんだろうな。
悠歌と響姫ちゃんを助けるという大義があるとはいえ、はてさてモチベーションはガツガツ下がってしまうのは如何なものか。
「ま、なるようにするだけか」
小さく独りごちる。
物事、なるようになる。行程の差異でもたらされる変化もまた、なるべくしてなった結果だ。
僕はそう思う。そう思うようになった。どんなに嬉しいことも、怒れることも、悲しいことも、楽しいことも、須く。
そう思うと、今の現状だって受け入れられる。非日常に巻き込まれていくことも、あまりに荷が重い役を課せられることにも。
「今の優さんは」
「え?」
一人決意を固めていると、真剣味のある声色でマリーは僕を見た。
「今の優さんは、私の知る優さんと少々違います」
「ッ!?」
気付かない方がおかしいのだが、今思うとこれはマズイ状況なのではないか。勇者一行として旅をする以上、それまで培われてきた人間関係は重要すぎる。その根底が崩れてしまうと、もはや魔王討伐どころか旅の存続すら危うい。
何か誤魔化す手はないか、そんなことを考えていると、またマリーは優しく微笑んだ。
「何か事情があるのでしょう。私は、優さんの力になりたいです。私の事情を知った上で受け入れてくれた優さんを、今度は私が支えたいのです。だから、いつでも。いつでも、私を……た、頼り無いなら、サン君にも、頼ってくださいね!」
「ぁ……ありがとう」
終盤羞恥が勝ってしまい早口になってしまうマリーを見て、すっと僕の頭が冷静さを取り戻した。
そして思う。メチャクチャ展開早いな、と。
マリーの勇者に対する好感度が最序盤にしてカンストしている気がする。作中では、マリーがここまで勇者に心を寄せて語りかけるのは後半以降だったはず。
これも設定が無理矢理改竄されてしまったが故の影響だろうか。この時点でこの人間関係。最後にはどうなってしまうのか……自分の身に降りかかると考えると、恐怖しか感じない。
「隣町まで歩いて2日もかかるのね。大変じゃないかしら?」
そんな僕の不安を他所に、僕らの前を歩く氷命の暢気な声が耳に入る。
「商業用の馬車がたまにはじまりの町に来よるけど、次の予定は1週間も後ばい。魔王の手がいつまた伸ばされるか分からん、そぎゃんまで待つわけにもいかんけん」
「もう少し楽な移動手段が欲しいわね」
「百合乃さん」
氷命の言葉に嫌な予感がし、僕は氷命に声を掛けつつ、耳元に顔を近づけた。
「今、自転車かタクシーでも出そうとしませんでしたか? 設定弄って」
「あら、よく分かったわね。もしかしてユウはエスパーさん?」
「エスパーではないですけど……。あんまり設定を弄って欲しくないと思って」
「どうして?」
純粋な疑問として、氷命は本当に解っていない表情で首を傾げた。
僕はマリーの異常な好感度の高さを思い出しつつ、言葉を選んで答える。
「設定改竄することで、物語にメチャクチャ影響が出てくるからです。現に物語終盤で表現されることが、既に今、表立ってしまっています」
「それは……何かいけないことなのかしら?」
「え?」
ニコッと微笑む氷命の疑問に、思わず間の抜けた声が出てしまう。
「つまり、この後何が起きるか分からないということなのよね?」
「そうです。だから、対策も立てられないから……」
「それはとても素敵なことじゃない!」
笑顔を満開にし、氷命は両手を広げて素晴らしさをアピールする。
「つまり、このご本のストーリーを知っているユウでも、次にどんな展開が起きるか想像がつかないということでしょう? 勿論ワタシも、設定を変えているだけだから、ストーリーがどんな形に変わるかなんて分からないわ! でもそれこそご本を初めて開いたときの、ドキドキした気持ちと同じだと思うわ♪ どんなことが起きるか分からないーーーそれはきっと、とても素敵なことなのよ♪」
どこまでもブレない氷命に、僕は反論する言葉を失っていた。
正直、ただ本を読むことと、その物語を体験するとでは訳が違う。こちらは命を賭けてるくらいなんだから、安全牌があることに間違いなんてあろうはずがない。
そして僕らの目的は魔王を討伐すること、「勇者伝説」を元の形に戻すこと、そして悠歌と響姫ちゃんを救出すること。それらの解決策が一つに繋がっている故に、こうしてやる気を奮起しているわけだ。
しかし、そうこう理解しながらも僕が反論できなかったのは、果たして如何様な理由があるだろうか。
いや、あるだろうか、なんて自問する必要すら無いかもしれない。その答えを、僕は既に持っている。ただ、それを認めたくないだけ。自分の行為が偽善振ったものに変換されてしまうのが怖いだけなのだ。
「……やっぱり、乗り物は止めましょう。折角だから、この世界をじっくり見ながら進みたいですから」
建前と本音が入り交じった回答を、僕は導きだした。
その言葉に納得がいったのか、氷命は「それも素敵ね♪」と言い、僕から視線を外してまた先頭を歩きだした。
その何不自由無い、金糸の長髪を揺らす小柄な背中を見ながら、僕は少しだけ、胸の奥にチクリと刺す痛みを感じた。
『今日はここで野宿にしましょう』
はじまりの町から旅立ち、最初の夜を迎えていた。マリーの言葉から野宿が決定したが、さてここではなまじ文明人な僕には、勿論野宿の経験なんて無い。本で聞き齧った程度の知識はあるが、やはり百聞は一見に如かずとはよく言ったものだと、テキパキと作業をこなしてしまうマリーとサンの姿を眺めながら思わされたのだった。
ほとんど僕と氷命は手伝うことができずに作業は終わってしまった。正直申し訳ない。まあ、作業といっても薪を集めたり、夜営地の整備だったりと、それほど仕事量もないものではあったけど。それでも目の前でせかせかと動く人を前に、何もできずにいたあの時間は、おそろしく罪悪感に駈られるものだ。氷命は終始オリジナルのキャンプの歌を歌っていただけだが、ここまで厚顔になれる気がしない。ぶっちゃけその図太い神経が羨ましくもある。
そんなこんな、虫の囀ずる声と焚き火で弾ける木片の音だけをBGMにして、夜の帳は静かに、深々と下りていった。
パチパチと弾ける焚き火を見ていると、不思議とノスタルジックな気持ちになってしまうのは何故だろう。そもそも焚き火を囲う経験すら、僕の人生において片手で数えられるくらいにしかないのに。
いやでも……おそらく寂しいからだろう。
僕は、両膝を抱えて周りを見る。
就寝時、見張りが必要性だとサンが言った。一時間交代で、一人ずつ順々に。今後もこのような夜の明かし方をしていくことになるのだろう。
あの一人でも姦しい氷命ですら、微笑を浮かべながらスヤスヤ寝ている。おそらくこの世界に来てから、初めてここまで静かな時間を過ごしていると思う。
僕はいつの間にか、じっと氷命の寝顔を眺めていた。
氷命は……アリスだ。かの有名な「不思議の国のアリス」、その主人公。好奇心旺盛、故に不思議な国に迷い混んだ先で出会う珍事に奔走するお話。原作は諺や訓話が数多く組み込まれ、その独特な言い回しが作中の「不思議さ」を強調している。
アリスは、そんな不思議に満ちた本の世界からやってきたのだ。正直、本の中の方が好奇心をそそられるものが溢れているようか気がするのだが……氷命の好奇心は、それすらも物足りないと判断してしまったのだろう。だからこそ本の世界から飛び出してきた。好奇心に駈られて。
「……ホント、飛び出してるよ。考え方が」
あと、その行動力も。常人では理解できない先を進んでいる。良くも悪くも。いや、進んでいるというよりは、飛び抜けているだけか。頭だけじゃなく、身体全体を乗り出している。そんなイメージだ。
頭の中で、走行中のバスの窓から上半身を乗り出す氷命の姿が浮かぶ。大変危険なのでお止めいただきたい。迷惑かけるのは、外を走る他の車、そして一緒にバスの中にいる我々。つまり、氷命以外の人たち。
見方を変えると、ただ自分勝手でワガママで、人の話は聞いているのかいないのかも判然としないし。
でも、と。それを否定したがっている自分がいる。
氷命の味方をしたいとか正義感とかではなく、なんとなく。
この考え方が氷命の設定改竄によるものなのだとしたら、相当強かだと思うけど。まあ、氷命に限ってそれは邪推だろう。
よく分からない。氷命のことも、それに引きずられる僕自身のことも。
氷命から目線を外し、焚き火を見る。少し火が弱まっているだろうか。これもよく分からないから、一応薪を足しておく。
木の水分と油でパチパチと弾ける火花をボンヤリと見る。
そういえば、この旅はどのくらい時間を要するのだろうか。作中には具体的な描写はあまりなかった気がする。少なくとも1ヶ月やそこらで終わる旅ではないのは明らかだ。まさか数年単位、ということはあるまい。
「この世界から出たら、外は全く違う風景になってました、なんて。……笑えないよ」
浦島太郎か。でも、その可能性も零ではない。
とは言え、たとえどれだけの月日が掛かろうとも、悠歌は絶対に助けなくてはならない。それが僕の役目だ。僕が、僕に決めた役目だ。
「……捕らぬ狸の何とやら、だけどね」
一人、苦笑する。
その時、もぞりと焚き火を挟んだ向かい側で眠る影が動く。静かな寝息を立てるマリーだ。寝返りをうつ彼女を見ると、やはり僕の中で別人の顔が重なる。
幼馴染みである貴蕎。僕の……恩人だ。
もしかしたら、もう会えないかもしれないのか。そう考えると、心にグサリと来るものがある。まだ恩返しができていないのに。
そんなことを考えていると、僕の意識はうつらうつらと揺れ始めていた。
いけない、見張りが居眠りなんて。まだ交代には時間がある、はず。次の当番は誰だったか。
とにかく頭を動かして、意識を取り持とうとしてみる。が、慣れぬ環境と、おそらく気付かないうちに溜まっている諸々の疲労が、睡魔と仲良く手を繋いでワルツを踊りだしてしまう。
立って、少しでも眠気を払おう。もしかしたら寝ているマリーやサンを起こしてしまうかもしれないけど、背に腹は代えられない。
そう思いながらも、体は動いてくれない。
ゆっくり、ゆっくり、瞼が下りてくる。視界の黒が広がっていく。頭は動いているのに、体が言うことを聞いてくれない。
ごめんなさい。
誰に言うでもなく。パチパチと弾ける焚き火をBGMに、僕は意識を手放した。
「……、……」
体が揺れている。いや、揺らされている。肩に誰かの手が乗っている感覚がある。
誰? もう少し寝させてほしいんだけど。
口に出せたかは定かではない言葉を唱えながら、意図的に夢の中へ行こうと試みる。
「……きて……れ……、お願……」
しかし、語りかけてくる主は一切手を引いてくれない。その声に僕はボンヤリと、懐かしさを感じていた。
「優、起きてくれないか! お願いだから!」
しつこくすがり付く声に必死さを感じ、また唐突に覚醒を始めた僕の頭に思い浮かぶ「見張り」の三文字に気付き、僕は弾けるように目を開いた。
「ご、ごめんなさいッ!」
反射的に謝罪の言葉が飛び出す。
その言葉を投げ掛けられた、おそらく僕を揺すっていた人物は、「ひぅっ!」と聞いたこともない可愛らしい声で後ずさった。
「……え」
周囲を見渡し、そして後ずさった人物を見て、僕は思わず声を溢した。
寝る時にも脱がない、全身を覆うマントを身に付けている。マリーの平時の服装だ。
しかし服装はマリーでも、その顔はマリーではない。少し西洋風の顔立ちをしていたマリーとは違う、日本人に限り無く近い顔をしている。
恐ろしく僕の知人に似ている。具体的には僕の幼馴染みに似ている。更に限定するならば、神奈毬 貴蕎に瓜二つ。
居眠りの前に貴蕎を思い浮かべていたからか。それがマリーの顔の骨格を変えてしまったのか。なんという能力、恐ろしすぎて二の句が継げない。
「……優、現実逃避をするのは後にしてくれないかな」
貴蕎のそっくりさんは、呆れと安堵を混ぜたような声色で眉を寄せた。
「優は現実逃避、言い換えるなら妄想に耽る時に、目を半開きにする癖があるよね。前に言ったことはなかったかな」
「……いつかに、貴蕎に言われたことがあったと思う」
「うん、だよね。目付きが悪く見えるから止めた方が良いと助言をしたはずなんだけど。見るに、どうやらその助言は活かされていないようだ」
言いながら、わざとらしくそっくりさんは肩を竦める。若干オーバーに身振りを加えることで、意思を伝えやすくしているのだと、貴蕎はいつかだかに言っていた気がする。
しかし、本当に貴蕎よく似ている。どうしてマリーの格好をしているのかは疑問だが。
僕は視線を、先程マリーが寝ていた場所に移す。
そこには、誰も寝ていなかった。
目が点になるとは、このことだろうか。他のメンバーに目をやる。しかしサンと氷命は変わらずぐっすりと寝ている。
僕は目の前にいる貴蕎にひどく似ている方を改めて見る。
「……貴蕎」
「うん? 何だい?」
「…………貴蕎?」
「だから、何だい?」
「……」
ここにいるはずのない幼馴染みの名前を連呼する度に、目の前の人物もその名前に反応してくれる。
ーーー妄想もここまで具現化されると、現実との区別がつかなくなるんだなぁ。
「……また現実逃避しているね。ボクとしても現実逃避したいくらいに、頭がぐちゃぐちゃなんだけれど」
顔も声も仕草も、コピペしたかのように同じ。
そろそろ現実を受け入れなくてはいけないのか。まだ僕の妄想、もしくは夢という線で誤魔化したい気持ちがあるのに。
「失礼」
「え?」
僕は一言断りを入れ、おもむろに貴蕎っぽい人に手を伸ばす。その手を頭に乗せ、何気無く撫でてみる。
この感覚……めっちゃ「ぽい」。
「ゆ、優?」
神妙な顔で頭を撫で撫で。貴蕎の頭を撫でているかのようだ。あの手入れの通りきった黒髪の質は、なかなか他では無いだろう。そう思っていたのに、今触れている髪はそれとタメを張れる。というか、同じな気がしてならない。
ーーーそうか、もう受け入れるくらいしか選択肢は無いんだな。
そう、ゆっくりと心の中で覚悟を決め、何故だか顔を真っ赤に染めて黙ってしまっている「マリーのコスプレをした幼馴染み」を、改めて見る。
「どういうことだ」
「それはボクのセリフなのだけれどねッ!」
結構真面目に言ったつもりだった僕を、貴蕎本人は赤面チョップと共にツッコむのだった。
「つまりここは本の中、『勇者伝説』の世界、ということで間違いはないということか。それで、その原因は……百合乃 氷命である、と」
氷命の名前を、憎悪に満ちた声色で貴蕎は唱えた。
貴蕎が「勇者伝説」の中にいる。
信じられない事実を受け入れざるを得ない状況であったが、思いの外僕はすぐに冷静さを取り戻すことができていた。超展開を経験し、抗体ができているという要因もあるだろうが、一番は当の貴蕎が割りと冷静であってくれたからだろう。
でも思い返してみると、居眠りをしていた僕を起こすとき、相当慌てふためいていた気がするが、気のせいだっただろうか。
「キキョウも一緒に冒険に行きたくて来てしまったのよね♪」
「それは違うと何度もッ……」
一先ず寝ていた氷命を叩き起こし、サンのみをその場に置いて、夜営地から少し離れた場所で僕らは情報共有を行っていた。ここまで魔物らしい魔物はいなかったし、火も焚いているし、実は魔王の息子だし。まあサンは放置でも大丈夫だろう、という至極勝手な判断だった。
「夜なのに優の家に明かりが無かったから。連絡を入れても優も悠歌も出ないとくれば、心配だってするに決まっているだろう」
貴蕎と僕の家は真隣だ。昔から窓を開けて内緒話をしたりなんかもしていたもので。いつからだったか、そんなことをやらなくなってしまったけど。
僕の家に人の気配が無く、連絡も繋がらない。そして僕の友人である葛哉に連絡を入れると、なんと響姫ちゃんが行方不明というではないか。
警察への連絡は未だ行ってはいないらしい。騒ぎを拡大したくないという理由が最たるものだが、それも時間の問題だと言う。
「それで私も独自で探していたら、近くの雑木林の入り口に優の自転車が立て掛けられているのを見掛けて。懐中電灯片手に雑木林に入ってみたら……」
「猫さんの図書館に行き着いた、と」
僕は貴蕎を巻き込んでしまったことへの罪悪感を抱きつつ、諦めにも似た溜め息を吐いた。
しかし今の貴蕎の言葉に、少し引っ掛かる所がある。
「僕の自転車、立て掛けてあったの? 雑木林のどこに?」
「入り口付近に一際大きな木があっただろう。そこにもたれさせるように」
記憶が正しければ、僕は自転車を草むらの中に隠すように横たわらせてきたはず。誰かが見つけて、直してしまったのだろうか。それのせいで貴蕎が図書館へ辿り着く切っ掛けとなってしまったのだから、なんともタイミングの悪い。
「そもそもあの図書館はなんだい? 司書の女性は気だるそうにしながら、要領の得ないことばかり言う。ボクが戸惑っているのを見て楽しんでいる、というくらいしか、正直解らなかったよ」
百聞は一見に如かず、と、強制的に貴蕎はこの世界に飛ばされたのだと。あの猫さんのことだから、それくらいの強行はやってしまいそうだ。
「キキョウはとても、ユウを見つけたいと思っていたのね」
貴蕎の話を聞き、また訳の分からないことを氷命は言い出す。
「そ、それはそうだとも。幼馴染みなのだから、心配するに決まっている」
「ええ、その通りね。それも、スッゴく心配していたのよね♪」
さっきから、やけに「凄く」を強調してくる。
「あの図書館はね、行きたくても行ける場所ではないのよ。あの図書館に行ける人は、強い好奇心が必要になるの」
「こ、好奇心?」
「出ました、好奇心。貴蕎、今後も頻出する用語だと思うから、今のうちに受け入れておくといいよ」
「え? うん? よく分からないけれど……」
「それでは百合乃センセイ、続きをどうぞ」
「あは♪ じゃあセンセーのお話をよく聞いてちょうだい!」
僕のセンセイ呼びに謎のスイッチが入ったようで、氷命はどこから取り出したのか分からない線の細いメガネをサッと装着した。
「猫さんの図書館は、沢山の好奇心が集まっているわ。それらは皆、ご本の姿で形作られているの。ユウが猫さんの図書館に来られたのも、ユウの中の好奇心を、図書館が引き寄せたから……って、これはユウには説明したわね」
本は好奇心の塊。それを無数に内包する図書館という場所。大きくなった好奇心(図書館)は、別の小さな好奇心(ヒトの中の好奇心)を引き寄せるようになっていくのだという。
「ボクが優を探していたのは、別に好奇心などではないのだけれど。それこそ、純粋に心配してただけで」
「い~え、キキョウは好奇心を持っていたはずよ。それも小さな好奇心じゃなくて、図書館に引き寄せられてしまうくらい、大きな好奇心を持って」
「そう言われてもね……」
困ったように、貴蕎は眉を寄せる。その表情に僕はどこか違和感を覚えて、何気無く口を挟んだ。
「貴蕎、僕を探すときに他に何か考え事をしていなかった?」
「へッ!? な、何をだい? 普通に探していただけだったよッ……」
「うん、最早隠す気もないってくらいの狼狽っぷりだね」
「狼狽えてなんていない、いつも優と接するときはこうだろう、そうだろう」
「貴蕎今更だけどね、いつものその態度は、多分世の『普通』とはかけ離れていると思うよ」
十中八九、僕を探す過程で貴蕎は何か考え事をしていたようだ。まあ、何を考えていたのかは知らないけど、そこを根掘り葉掘り詮索しても栓なきことだろう。
「ユウとキキョウは、やっぱり仲が良いのね♪ ユウはワタシのこと、お名前で呼んではくれないもの」
「え」
氷命は寂しそうというよりも、少し残念そうに表情を陰らせた。まさかこんな表情をされるとは。いつも明るく振る舞っている氷命を見ていたせいか、その表情の変化は僕の心にザクッと衝撃を刺し込んできた。
「え、えっと、貴蕎とは幼馴染みで友達だから、名前呼びを昔からしていたのもあって」
動揺からか、上手く言葉が見つけられなかった。別にやましいことはないのだが、いざ言われると無性に誤魔化してしまいたくなってしまう。
「でも、呼び方は人それぞれだわ。呼びやすい呼び方の方が、きっと仲良くなれるもの♪」
そんな僕の様子に気づいているのかいないのか、言葉を遮るように氷命は繋げた。どこまでもゴーイングマイウェイ。良くも悪くも。
「……とにかく、貴蕎がここに来てしまったことは変えようがないわけだし、このまま悠歌と響姫ちゃんを助けに行きたいわけだけど」
そこで言葉を区切り、僕は貴蕎を見る。頭をガシガシと掻き、これから問う内容のくだらなさに、少し嫌気がさす。
「貴蕎は、魔法を使うことができる?」
「優、創作物が好きなのは知っているが、現実と空想を混同してしまうのは如何かと思うよ」
「いや、そんなぐうの音も出ないような正論を求めてるわけじゃなくてさ……」
予想通りの反応が返ってくる。確かに僕の言葉はあまりに可哀想な奴の発言だけれども。言葉が足りなかったのは否定しないが、ちょっと……傷付く。
「貴蕎はこの『勇者伝説』において、『マリー』という魔法使いの役目を負っているはず。その証拠に、貴蕎の登場と同時に、マリーの存在が無くなってしまったから」
「……つまり、ボクは勇者パーティーの一員で、『マリー』という魔法使いをロールプレイングいなくてはいけない、ということかい? だから魔法が使えるか、というわけか……」
話が早くて助かるところだが、貴蕎は納得がいった風に頷くと、すぐに僕に向き直った。
「優、分かっているとは思うけれど、ボクは魔法を使うなどという体験をしたことは無い」
「うん」
「知識も無い」
「……うん」
「つまり……そういうことだね」
「詰みッ!!」
詰んでます、この冒険ッ! 戦力が三人中二人欠け、残りの一人は脳筋役だなんて。別にサンを軽んじるわけではないけど、これはもう無理なのではないかなッ!?
「あら、やってみないと分からないじゃない」
僕と貴蕎が同じ結論に達して意気消沈する中、何でも無さ気に氷命は言った。
「百合乃さん、この世界は剣や槍みたいな物理的な攻撃以外にも、魔法という超常現象が存在するんです。勇者は剣を振るうけど、その役を担う僕は真剣を扱う経験なんてありません。同様に、魔法を使ったことの無い貴蕎も言わずもがな」
「魔法を使えない魔法使い……いや、魔法使いなどと名乗ることすらおこがましいことこの上ない。ボクはそこら辺にいる村娘と何も変わらない戦力さ」
「確かに剣も魔法も使えないかもしれないわ。でも、それが無いといけない理由はどこにあるのかしら? それ以外の戦い方だって、きっとあるはずだわ」
「そんな描写は『勇者伝説』の中にはーーー」
「無いなら書き足せば良いのよ!」
笑顔で、氷命は言い切った。突拍子の無さすぎる意見のように感じたが、ふと僕は、猫さんに見せられた「勇者伝説」ーーーいや、氷命の力で設定を書き換えられた「歪な勇者伝説」の内容を思い出す。
何も書かれていなかった。白紙のページがただあっただけ。
無いなら書き足せば良い。実際に筆を走らせるとか、キーボードをカタカタするとか、そういう作業的なものではなく。僕らが旅の中で紡いでいけば良い。そもそも最初から物語など無いのだから、僕らの行動一つ一つが、物語となるのだ。
「いや、そう言うと凄まじく責任重大なのではないかな」
世界的に認められている「勇者伝説」を駄作にするか、優秀作とするか、それは僕らの言動にかかっているわけなのだから。
「もっと楽に考えても良いと思うわ! 折角物語を作れるのだもの、楽しくやらなきゃモッタイナイわ♪」
「うん、内容が命を賭けるものでなければ、僕も素直に楽しめるのかもしれないですけどね」
「そこなのだけれど、一つ確認してもいいかい?」
うんざりと僕が肩を落としていると、貴蕎は凛とした表情で人差し指を口に当てていた。貴蕎が考え事をするときの癖だ。
「この世界『歪な勇者伝説』は、中身は全て白紙となっているんだよね?」
「ん、確かそのはず。全ページしっかり見たわけじゃないけど」
「全ページが白紙であると仮定して、物語の本筋が『勇者一行が魔王討伐の旅をする』というもので変わらずあるとして」
貴蕎は一度言葉を区切り、僕にそっと向き直る。
「道中の旅筋、魔王対峙、そして討伐までの行程を、ばっさりカットしてしまうことも可能なのではないかな?」
「……うん?」
氷命に続き、貴蕎まで突拍子の無いことを言ってくれる。
つまり、物語の起承転結のうち、承・転、そして結の大部分をカットするということか。それはもはや物語として中身が無さすぎる、駄作以下のものを作り上げてしまわないだろうか。
「優はもっと視野を広くして物事を見るべきだ。第一に、ボクらの目的は悠歌と響姫の救出。そして『勇者伝説』という作品は、世の中にありとあらゆる翻訳や解釈を加えて広められている。ボクらがいるこの世界は、そんなごまんと存在する『勇者伝説』の一つでしかないんだ。なら、物語を本来の形に戻すことに固執することは、本末転倒と言わざるを得ない」
「……それも、そうだね」
言われ、僕の中でストンと納得が落ちた。物語を完結までもっていくことは、決して本来のストーリー通りをなぞることとはイコールではない。僕らの目的が悠歌と響姫ちゃんの救出であるならば、それは尚更だ。
異常事態の中、少しでも冷静に物事を考えようとしていたつもりだったが。先入観や必要の無い拘りを、どうやら僕は抱えてしまっていたようだ。
それと同時に、僕は猫さんの言葉を思い出した。
『あの子を、満足させて、あげてほしい』
あの子ーーー氷命は、どうして本来の自分の世界である『不思議の国のアリス』から出てきたのか。それはきっと、彼女の有り余る好奇心が、一つの本の中だけでは満たされなかったからだ。
氷命は、いつも「楽しい」を探していた。それは必ずしも、他人の「楽しい」と同質のものではないけど。自分が楽しいと思えるものを、純粋に探し、見つけ。それだけに飽きたらず、それを他人にも共有しようとする。それが、氷命にとっての好奇心なのだろう。
本を読み終わったとき、僕はいつも夢見心地の中でさ迷っている。心が本を閉じた後でも、僕の心は本の中に取り残されている。読み終えた物語を空想し、僕の中で新しい物語を作り上げていくような、生暖かくて、とても優しい時間。
氷命は求めている。それはおそらく、僕が求めているものと同じものを。
「……百合乃さん」
僕は真っ直ぐ、氷命を見る。「何かしら?」と、ファイアオパールの双眸が僕に向く。夜で、月や星の明かりも極僅かなはずなのに、その瞳はとても透き通ったように美しい。じんわりと、僕の胸が熱くなるのを感じながら、意を決して言葉を繋げる。
「この世界ーーー『勇者伝説』を、面白おかしく楽しんでみませんか?」
少しだけ、沈黙が続く。そしてシャランと、氷命の水琴鈴が儚く鳴く。
氷命はニンマリと、特大の笑みを浮かべていた。




