第9話 はじめて
放課後、俺は本屋にいた。ジュンク堂みたいな巨大な店ではなく、個人がやっているような、そう『街の本屋さん』を想像してもらうといいだろう。
ちなみに客として来ているわけではない。今日からこの店でアルバイトを始める。俺は両親から離れて一人暮らし、小遣いくらいは自分で稼ごうという算段だ。制服代わりに身につけている青エプロンも真新しく、ノリがパリッときいている。
何事も最初が肝心だ。俺は自分ができる限りの明るい笑顔と、はっきりした声で店長に挨拶する。
「今日からお世話になります、浦島俊明です! どうぞよろしくお願いします!」
「はいはい、よろしくね。いや〜、なかなか新しい子が決まらなかったから嬉しいよ。分からないことがあったら気軽に聞いてね」
店長は初老の、いかにも温和そうな男性だった。怖い人だったらどうしようかと思っていたので、安心した。
「じゃあまずはレジから覚えて貰おうかな」
「はいっ」
レジに入り、店長から一通り説明を受ける。ふむふむ、まずは本の裏側にあるバーコードをスキャナーで読み取る。そしてレジが開いたらお釣りを出す、と。
そして意外と面倒なのがブックカバーだ。お客さんにいちいち必要か聞かなくちゃいけないし、本のサイズによって使い分けなくてはいけない。知らなかったのだが、早川文庫の普通の文庫本よりサイズが少し大きいそうだ。きちんと見ないと間違えちゃいそうだな。
「うん、だいたい理解できたようだね。若い子は飲み込みが早くて助かるなぁ」
「ありがとうございます!」
「じゃあ早速、次のお客さんから1人でやってみようか」
「えっ! だ、大丈夫かな?」
「大丈夫、大丈夫。しばらく私も横で見ているからね」
「わ、わかりました。やってみます」
改めて店内を見回してみる。個人商店のため、あまり広くはない。教室くらいの面積といえばわかりやすいだろうか。そんな狭い空間の中に漫画雑誌に始まり、果ては医学書まで置かれていると言うのだから驚きだ。
お客さんはーー意外と多い。10人くらいいるみたいだ。店の場所が駅前と言うのもあるが、時間帯が夕方なのも影響しているのだろう。
と、店長に肩を叩かれた。
「浦島君、あそこに怪しいお客さんがいるよ」
「えっ、どこですか?」
「あっ、隠れちゃった。あの中央の本棚の影だね」
「まさか、万引き犯……とか?」
「そうかもしれないね。さっきからずーっとこちらをチラチラ見ていたし」
夕方ニュースの中だけの出来事だと思っていたことが、実際目の前で起きるなんて! 俺は軽いショックを受けた。
「こう言うことって結構起きるんですか?」
「まあね、悲しいことだけど。ちょっと確認しにいかないと。バイト初日に悪いんだけど、手伝って貰っていいかな?」
「は、はい」
「逃げられないように、挟み撃ちにしよう。私は右側から行くから君は左から周ってくれ」
店長の指示通り、本棚の間をぬうようにして進んでいく。気分はまるでアサシンだ。そしてついに、万引き犯を追い詰める!
ーーが。
「えっ、スバル?」
万引き犯、もとい怪しい客はなんとスバルであった!
スバルはいたずらっ子みたいに舌をペロリと出すと、
「見つかっちゃった☆」
◇
「「すいませんでしたっ」」
スバルと2人で店長に頭を下げる。
「なんだ。2人は友達だったんだね。もう紛らわしいことはしちゃダメだぞ」
「はい」
珍しくしおらしいスバル。俺は思わず大声で、
「なんで来たんだよ!来るなって言っただろ」
「だって……トシがちゃんと働けているか心配だったんだもん」
「お前は俺のお母さんかっ!」
店長が笑い始めた。
「あはは、2人は仲がいいんだね。もしかして付き合っているの?」
「えっ、それは、そのーー」
やっぱりそう見えちゃうか〜。俺は羞恥心と嬉しさで口籠る。
しかしスバルはキッパリと、
「違いますよ〜ボクたちはただの親友です。ね、トシ?」
「……あ、うん」
なぜか落ち込む俺。
最近やっぱり変だ。スバルはただの親友なのにーー。
店長はそんな俺の背中をバンバンと叩きはじめた。
「はは、なかなか道は長そうだけど頑張れよ」
「い、痛っ。店長、だからそんなんじゃないですって」
「はっはっは、若いっていいねえ」
全然話を聞いてくれない……。この店長さん、結構変な人なのかも。
と、いつまでも遊んでるわけにはいかないよな。
「ほら、スバル。俺がちゃんと仕事していることはわかっただろ。早く帰れよ」
「えーー、もう少しいいじゃん」
「ダメだ。他のお客様に迷惑だろ」
「えーと、それなら……これ買います!」
スバルは近くにあった漫画雑誌を手に取った。
「これでボクもお客さんだよ。ほら、早く売ってよ」
「そうは言われても……」
すると店長は、
「ちょうどいいじゃないか。さっき教えたレジ打ち、1人でやってみよう」
「えー、そんないきなり!」
「何事も経験だよ」
店長に押しれられるように、レジカウンターへ入る。するとスバルがレジ台に漫画雑誌を差し出した。
「じゃあお願いしまーす」
いくら相手がスバルといってもレジ打ちはこれが初めて、俺の心臓はドラムのように激しく鳴り始めた。
まずスキャナーでバーコードを読み込んでーーあっ! 緊張でスキャナーを床に落としてしまった。
「す、すいません!」
「大丈夫、大丈夫! ゆっくりでいいよ!」
失敗したというのに、スバルはとても優しくてーー。そのせいだろうか、妙に安心して、後は何の問題もなくレジ打ちすることができた。
最後は商品を袋に入れて、と。
「ありがとうございました!」
「うん、完璧だね!」
店長も笑顔だ。俺はほっと胸を撫で下ろす。
「はぁ、ありがとうスバル。おかげで初めてのレジ打ちうまくできたよ」
「えー、そうだったの? 上手だったから全然初めてには見えなかったよ。でもそっかーー、初めてだったのか」
そこでスバルは真っ白な歯をニッと見せて笑うと、
「トシの初めてはボクが貰っちゃった〜」
その瞬間、店内が騒ついた。もちろん俺の顔も真っ赤だ。
「ス、スバ、スバル! そういうことは大声で言うのやめてくれよ」
「なんでー? トシは初めてだったんでしょ? 本当のことを言って何が悪いんだよぉ」
「ああっ、だからやめてくれって! て、店長! 店長もなんとか言って下さいよぉ」
しかし店長は神妙な顔で、
「そうか2人はもうそんな仲だったのか……。最近の子は進んでいるんだな」
「店長ォーー!!」
こうして俺のバイト初日は散々な結果になったのだった。