第8話 まわし飲みはレモン味
放課後の校庭は、運動部の生徒でいっぱいだ。いつもなら帰路を急ぐ帰宅部の俺だが、今日は足を止め校庭を見回す。
何を探しているかって? それはなーー。
トラックを駆け抜ける1人の女子生徒に目が止まる。風にたなびくショートヘアー、お日様にこんがり焼かれた肌、走る度にたわわに揺れるおっぱい。
そう、俺の大親友の亀山スバル!
スバルは陸上部の部員だ。今日はそんな彼女の応援をしにきたというわけ。
……とはいえ部活の邪魔をするわけにはいかないので、こうして遠くから見守っているだけなのだけど。頑張れ、スバル!
その時、あることに気が付いた。俺以外にもスバルを見つめている男子生徒がいる。
ある者はボールを拾う手を止め、ある者は帰宅に急ぐ足を止め、またある者は校舎の窓から身を乗り出してーー。
薄々感じていたのだが、スバルはかなりモテるようだ。顔が可愛いのはもちろん、スタイルも抜群だからな。
そう考えたら、無性にイライラしてきた。スバルのことは一番俺がよくわかっているんだぞ!
「トシーー!」
はっと我に帰る。スバルが手を振りながら、こちらへ駆けてくるではないか!
「応援に来てくれたんだねっ! ありがとう!」
「まあ、そうだけど。俺が見ているってよく気が付いたな」
「実はね〜、今まで黙っていたんだけど、ボクには特殊能力があるんだよ」
「特殊能力? 初めて聞いたんだが」
「だって初めて言うもん」
スバルはいたずらっぽい笑みを浮かべると、
「ボクはね、どんなに離れていても、たくさん人がいても、トシのことならすぐに見つけることができるんだ」
ズキューン!
心臓が撃ち抜かれるような衝撃が走る。そこまでスバルは俺のことをーー。
動揺していることをバレたくない俺はわざとそっけなく、返事をする。
「へ、へえ、そうなのか」
「そんなことより、休憩時間になったんだ。喉乾いたから飲み物買いに行くから付き合ってよ」
「ああ、いいぞ」
俺たちは校舎の片隅にある自販機まで歩いてきた。
「なあスバル。ジュース奢ってやるよ」
「えっ、いいの?」
「バイト始めたから余裕あるんだよ。それに頑張っているスバルへのご褒美だ」
「やったー!」
俺が自販機にお金を入れ、スバルがボタンを押す。選んだ飲み物は、10年前スバルが好んで飲んでいたものと一緒だった。
俺は懐かしさに思わず声を上げる。
「スバル、まだこのレモンサイダー好きなのか!」
「うん! 色々飲んでみたけど、やっぱりこれが一番美味しいんだよね」
スバルは腰に手を当てると、缶ジュースをぐびぐびと飲み始めた。飲む度に動く喉仏が妙に色っぽく、俺は思わず見惚れていまう。
しばらくするとスバルは缶から口を離し、プハッと大きく息を吐く。
「ふぅ、美味しかった。はい」
スバルに缶を手渡された。缶は少し重く、中身が3分の1くらい残っているようだった。
「もういらないから、残りはトシにあげるね」
「えっ! 別に俺は……」
「またまたぁ。トシが物欲しそうに見ていたの、知ってるんだからな」
ドキっとする。しかし幸いなことにスバルは勘違いしているようだ。見惚れていたことをバレたくないので、話を合わせる。
「ああ、そうなんだよ! なんだか美味しそうだな、と思ってさ」
「やっぱり〜。ほら、飲みなよ」
「じゃあいただきま……」
口を付ける寸前で、手を止める。これって……間接キスじゃないか?
「どうしたの? 飲まないの?」
そう言うスバルの唇はレモンサイダーで少し湿っており、いつもより艶々していた。
俺は缶の飲み口を見る。……あの唇がここに触れたんだよな。そう考えたら、妙にドキドキしてーー。
「もしかして、ボクの飲みかけがイヤなの?」
「えっ、いやいや、そんなことはないよ」
「なら早く飲んでよ」
スバルの瞳が訝しげに俺を見ている。まずい、これ以上悩んでいたらスバルを傷付けてしまう。早く飲まないと。でも間接キスになってしまうし……。
いやいや、俺とスバルは友達だろ。友達同士だったら、間接キスではなく、まわし飲みになるのでは? そうだ、そうだ! これは『まわし飲み』だ。何も後ろめたいことはないんだ!
覚悟を決めた俺は、缶を口元に持っていくーー。
ガツン!
後頭部に鈍い衝撃が走った。
「痛っ!」
「大丈夫、トシ?」
「大丈夫だけど……。一体何が起こったんだ?」
「サッカーボールが飛んで来て、トシの頭にぶつかったんだよ。全く危ないよね。えいっ!」
スバルがサッカーボールを蹴り返す。
さて、気を取直して間接キ……じゃなかったまわし飲みをーーって、あ。
俺の右手の中にあったはずの缶は、哀れ地面に転がっていた。頭にボールがぶつかった衝撃で落としてしまったらしい。
「あーあ、落としちゃったね」
しかし俺はほっと一安心。『まわし飲み』はハードルが高かったから、良かった。まあ、ちょっとだけ残念だけど。
しかし緊張したせいか喉が乾いた。俺は自販機でコーラを購入し、一口飲む。うん、やっぱり美味しいな。
ーーと、スバルの視線を感じた。
「……なんだよ」
「コーラも美味しそうだね。一口頂戴」
「だ、駄目だよ」
「えー、いいじゃん。一口だけ! 一口だけいいでしょ?」
「駄目なものは駄目!」
「けちー」
頰を膨らませるスバル。
ちょっと可哀想だが、まわし飲みだけは許すわけにはいかない。
「スキありっ!」
「あっ!」
スバルに缶を奪われてしまう。俺が止める間もなく、スバルと缶とは口づけをしてしまったのだった。