こういう後輩、欲しかったなぁという話②
最初はヤンデレっぽい子の話を書こうと思っていたのに、どうしてこうなった。
世の中には二通りの男がいる。
おっぱいが好きな男と、おっぱいが大好きな男だ。
もしかしたら、おっぱいが嫌いでたまらないという人がいるかもしれない。例えば、父親をおっぱいで亡くした、とか。でも、多分父親もおっぱいで死ぬなら本望だったはずだ。だからおっぱいを憎むのはやめてほしい。乳親……いや、父親もそんなことを望んではいない。
ちなみに、僕は後者に属する。
心地よいピアノの旋律で目を覚ました。
アラームを切り、時刻を見ると六時二分。閉めきったカーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
ベッドから起き出して顔を洗った。五月と言えど東北と呼ばれる地域の朝は冷える。
シャワーを浴びながら、今の気分について考える。つまり、このゴールデンウィークの最終日の朝に聞くべき音楽について。
といっても、僕が持っているレコードは数少ない。たったの四枚だ。でも、今のところはそれで十分だった。
シャワーを浴び終わって制服に身を包んだ後、棚からレコードを一枚取り出した。ターンテーブルに乗せる。しばらくすると、目覚ましにしているのと同じ、美しいピアノ演奏が流れ始めた。
それを聞きながら、二枚の食パンをトースターに入れ、二人分のお湯を沸かし、二人前のスクランブルエッグを作った。
そろそろかな、と思ったとき、呼び鈴が鳴った。
小窓から見ると、予想通りの人物が扉の向こうに立っていた。
「おはよう、双葉さん」
「お、おはようございます」
おずおずと挨拶をした彼女を家に招き入れ、食卓に座らせた。今日も八十デニールのタイツが美しい。
「砂糖は二つでよかったよね」
「は、はい」
コーヒーを淹れ終わると同時にトーストも出来上がった。
トーストを半分に切り、スクランブルエッグを盛った皿にのせ、食卓に運んだ。
「いただきます」
「……いただきます」
僕が手を合わせると彼女も手を合わせた。
ピアノの旋律を背景に、僕らは黙々と食事を続けた。
僕がコーヒーを飲んで一息しても、彼女はまだ半分も食べ終わっていなかった。僕は諸々の食器を洗い、歯を磨き、そして再び食卓に戻った。彼女はようやく食べ終わり、うつむきがちにコーヒーを飲んでいた。
「おかわり、いる?」
「い、大丈夫です」
「そう」
僕は本題を切り出すタイミングを窺っていた。これまでの数十分、優雅な朝食にかこつけて先送りにしてきた問題に、いよいよ手を伸ばす時がやってきたのだ。
「その、双葉さん」
「は、はい」
彼女は驚いたのか背筋を伸ばした。普段は快活な彼女が肩を縮こまらせているのは新鮮な光景だった。
いや、そんなことを考えている場合じゃない。僕は単刀直入に話しかけた。
「僕のことストーカーしているって本当?」
彼女の顔がみるみる間に赤くなっていく。
「いえ、その、何というか、誤解と言うか」
「でも昨日自分で言ってたじゃないか」
「そうなんですけど、でも、ちょっと違うっていうか」
ふむ。どうやら彼女なりに事情があるらしい。僕はそれを聞いてみることにした。幸いにも今日は休日で、時刻はまだ七時三十分を過ぎたところだ。時間はたっぷりとある。
そもそも事の始まりは昨夜にある。
ごく端的に言うと、深夜に帰宅したところ電気が点いており、中に部活の後輩である双葉さんがいた、ということになる。
「何してるの?双葉さん」
「ひええ」
「どっからそんな声が出たの?」
奇声を発しながら、彼女はベッドの上の布団に頭を突っ込んだ。
なにやら探し回っていたようで、部屋の中はものが散乱していた。
「えっと、警察を」
「それだけは、それだけは」
泣きながら懇願する彼女に、僕は仕方なくスマートフォンを下げた。
「こ、ここ」
「ここ?」
「先輩の家だったんですね!なんていう奇遇!あ、ごめんなさい、嘘、嘘です知ってました。お願いですから、本当のこと言いますから警察だけは」
後輩の女の子の全力の土下座を見てしまった。僕の中でいけない何かが目覚めてしまいそうだったので、慌てて体を起こしてもらった。
「どうしてこんなことを」
「その、実は私、先輩のこと、ストーキング的なことをしていて」
「ふむ」
わりに衝撃的な告白だった。人は見かけによらないとはこのことだ。
続きを聞きたい気持ちに駆られながらも、時刻は一二時を回ろうとしていた。堪えがたい睡魔がすぐそこまで来ていた。
「明日、朝七時前にまた来てくれる?」
「え?」
「いや、聞いておいて申し訳ないんだけど、眠くて仕方がないんだ」
「そ、そうですよね。先輩いつも十一時には眠られてますし」
さらっと怖いことを言う。
「じゃあ、また明日」
彼女を追い出して、部屋の片づけをして、シャワーを浴びて、寝た。
そして今に至る。
「ガチじゃないんです」
彼女はそう言った。彼女はストーカーガチ勢ではないらしい。
「最初は好奇心だったんです。先輩の家ってどこなんだろうって」
彼女はコーヒーカップを両手で持ち、黒い水面を見つめていた。
「放課後、気付かれないように着いていくのが、だんだんと楽しくなってきたんです。あ、雨の日はこの方向から帰るんだ、とか、どうせ何も買わないのにレコードショップに頻繁に寄るのとか。そういうのが見えてくると、もっと知りたいってなるんです」
何だか雲行きが怪しくなってきた。
「すると、先輩は何時に寝るんだろう、とか、どんなものを食べてるんだろう、といったことも気になり始めまして」
「普通に聞くのじゃダメだったの?」
「分かってないですね。相手が、まさかそこまで知られていないだろうと思っていることを知っていることに意味があるんですよ」
ダメ出しまでされてしまった。
「ちょっと待って、君は僕に対して好意は抱いているんだよね?」
「?何言ってるんですか?そんな訳ないじゃないですか」
「さっき顔を赤くしたじゃないか」
「プライベートな趣味の話ですよ、恥ずかしいじゃないですか」
僕のプライベートについても同じだけの配慮をしてほしい。
「じゃあ、単なる知的好奇心のために僕を付け回していた」
「そうなりますね」
つまり、彼女はストーキングエンジョイ勢、ということだろうか。意味が分からない。
話を続けますね、と彼女は言った。僕はもうかなりげんなりしていたが、仕方なく肯いた。
「先日、先輩が『おっぱい大魔神』であることが判明しましたよね?」
「多少事実とは異なる部分もあるけど」
男は誰しもおっぱい大魔神だ。僕だけが特別じゃない。
「その時、思ったんです。『もしかして、先輩の家にも、いわゆる巨乳もののえっちなやつがあるのだろうか』と。一度気になると、もういてもたってもいられなくなりまして」
「それで、侵入して家探ししていたと」
「そうです」
力強く肯いた彼女に、僕は何も言えなくなった。
「先輩はいつも十一時には眠られているので、てっきり昨夜は帰宅しないと判断したのですが、どうも読み間違えましたね。先輩にはまだまだ研究の余地が残されています」
「……」
消耗が激しい。『ストーキングされている』=『僕に好意を持っている』という考え方が安直だと学べたのは大きな収穫だろうか。
しかし、まさか現代社会に生きていて生態学的研究の対象になるとは思いもよらなかった。
「それで、その……先輩?」
「……なにかな」
「これからも、先輩のこと、研究してもいいですか?」
「……好きにしてくれ」
くそ、はにかむ笑顔が可愛い。
憂鬱な気分とは裏腹に、それなりの高揚感を覚えながら、僕はこの後の休日の過ごし方に思いを馳せた。