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空想歴史学  作者: 少佐
世界観
3/3

帝国史の変遷

挿絵(By みてみん)

図:帝国版図 中央に聖山ツンバーバ火山


神話帝国文明(文明の萌芽)

紀元前2000年からダーズ朝までの考古学的には立証されていないが存在したとされる時代。万物の創造の期間から人類誕生、六人の部族王とその大公列伝、そして最後にダーズ一世が国を建国するまでの期間を指す。


ダーズ朝(帝国の始まり)

紀元前848年に史上初めて帝国を統一。ダーズ1世(聖王・神祖)は聖山を中心とした四島を征服し、聖山の守護者となった。神学者ケルトクらを中心に火山教を確立し、皇帝の王権神授説を正当化した。官僚制や宗教会議、聖灰政策などの歴代王朝の基盤を作った。


レジティマサルク朝(噴火の試練)

紀元前720年、ダーズ朝皇帝から王位を簒奪したレジティマサルク1世(愚王)は、歴史上唯一の皇族以外から皇帝になった人物になった。しかし国民に広く信仰されていた火山教によって、国王への忠誠心は低く内政は混乱。それに追い打ちをかけるように紀元前699年に聖山が噴火し、帝国は内乱が勃発し、混乱期に入った。


コミウン・アルン・ハーレンド三国王朝(戦国時代)

帝国が三つの国に分断し、それぞれダーズ朝の子孫であるコミウン・ダーズ、レジティマサルク3世、ハーレンド島のドズガ王の三国が独自の政府を立てた。コミウン王国はアルン王国と戦争をしていたが、聖山噴火の被害が比較的軽かった為、西方火山教という独自の宗教が誕生した。アルン王国のレジティマサルク3世は皇帝の地位をコミウン王国に譲り、アルマン朝が誕生した。


アルマン朝(宗教帝国としての再統一)

アルマン朝が紀元前390年に建国し、かつてのダーズ朝の領土を占領した。第23回宗教会議の中で西方火山教への懲罰宣言がなされた。紀元前368年にアルマン朝はハーレンド王国と戦争を開始した(アルマンダーズ戦争)。紀元前365年の聖灰決戦によってハーレンド王国は滅亡した。


アッファブ朝(聖灰政策の拡大)

紀元前72年にアルマン朝の後継者が不在だったため、宗教会議により外戚のネーズが皇帝に即位。ネーズダーズ1世(聖王・父祖)は農地改革を促進した。レーテル国からのサツマイモが伝来し、食料生産力が増大した。内政が安定したので四島以外の島への進出を行い、聖灰政策の戦略的意義が強調されるようになった。


キーン十王国(内乱期)

285年に聖山が噴火し、アッファブ朝が滅亡した。地方豪族キーンによる勢力争いが行われた。その中でも軍事力を強化していったのは、コッレカ島のププリア王国だった。帝国史上初、アポルーエ大陸との貿易を始めたププリア王国はオルトガサス王国と交流したことが、のちの帝国の外交政策に影響を与えた。


ププリア朝(聖灰政策と対外戦争)

361年にコッレカ島からアルマンダーズ島に遷都したププリア2世は、大陸側に領土を求めた。更なる人口増加による食料需要を解消するためと、内戦による混乱を恐れた宗教会議が皇帝への権力強化を求めた結果である。379年に中央半島へ征服を開始し、391年の北半島の征服までの「大陸大侵略(聖灰帰依)」が起こった。さらにヒンド半島の東側港町をめぐりオルト哲学帝国と戦争(第一次オルガブルム戦争)に勝利し、オルト哲学帝国の占領地だった都市をニューダーズと改名した。第163回宗教会議によってアフリ大陸にも聖灰が積もったとして650年に侵略を開始した。しかしこの軍事費が財政に負担をかけたことにより、内政が悪化していく。


大粛清(政教分離の模索)

宗教会議の権威が高まる一方で、宮宰のレァ・ケプンは聖灰政策の大転回を模索した。アフリ大陸の土地は放棄し、神学者の影響力を抑えるために、新たに身分を問わない国家試験による官僚組織ドピュッシーを設立した。しかし宗教会議との対立もあり、政局は不安定化した。結果レァは神学者の大粛正ショグンを行った。


レァ朝(領土損失)

幼少だった皇帝からレァが皇位を譲る受け、715年レァ朝が始まった。しかし万世一系の神聖な皇位を侵害したとして、旧ププリア朝を擁護する臣下と神学者が造反。軍隊の半数が統制不可能となったため、大陸植民地の現地人の反乱を抑えることが不可能となった。オルト哲学帝国との戦争(第二次オルガブルム戦争)で敗北し、ニューダーズを奪われる。743年に中央半島にある植民地が帝国に反旗を翻し(逆侵略)、746年にレァ朝を滅ぼした。


ファイニアント朝(大陸民族による帝国支配)

のちに反乱軍の首領だったファイニアント将軍が747年皇位に即位した。史上初の非ブルグムドーマ人君主に対して、宗教会議は最後まで抵抗した(シンセ島の戦い)。独自の宗教会議を設立し(評議会)、ブルグムドーマ人にのみ選ばれた民だという教義を否定、聖山の前には皆平等だという「普遍火山教」を国教にした。ドピュッシー官僚組織とササレント人貴族による中央集権化の強化に努めた。聖山の噴火や諸外国の侵略も受けたが、1768年に滅亡するまでの約1000年間存在していた。


初頭期(国土回復運動)

大陸国家を支配し、742年に四島を占領、更に西南侵略を開始した。そして478年にシンセ島を陥落させたことによって、ププリア朝時代の領土を取り返した。


最盛期(偉大な支配)

レーテル大陸の国家への干渉戦争を開始する。905年にはヨクアム・チー国を滅ぼし、1074年にキリーム半島をレーテル共和国から支配権が移った。1127年に聖山が噴火したが、ファイニアント4世による対処でこの困難を回避。火山教を開放的な宗教へと変貌させ、世界中の文化を吸収、「聖山の前の平等」という理念が国家の安定につながった。しかしササレント人貴族による国費の浪費や対外植民地の維持の為に軍事費などで財政が悪化していった。


衰退期(半植民地化)

1167年に帝国の支配を受けたレーテル共和国が帝政に以降(反動帝国化)。1208年にキリーム半島を奪還され、遂には北帝国海に面している島を支配される。普遍火山教が皇帝の王権神授説を弱めた結果、1310年にレーテル第一帝国が擁立したオウトロメーア朝が建国した。1510年にはエスル王国が東帝国海に面している島を占領し、ラムヌーク朝が建国した。少数民族であったササレント人がブルグムドーマ人を支配していたことや、外国からの支配にブルグムドーマ人内でのナショナリズムが高揚しはじめた。


イードゥ朝(王政復古と民族至上主義)

下級貴族に落とされていたダーズ皇室は1582年に「王政復古」を宣言。ブルグムドーマ人によるブルグムドーマ帝国を目指した。1600年にファイニアント王朝とササレント人貴族を大陸に追放。イードゥ朝が建国した。普遍火山教を勅令で異端とし、宗教会議を復活させた。


四王朝時代(近代化と軍国化)

追放した大陸王朝とイードゥ朝、傀儡帝国であるオウトロメーア朝とラムヌーク朝による四王朝時代に突入した。1829年からの「開国」によってシャプルル協商国の支援を受けたイードゥ朝は重工業生産にシフトしていった。神学者の影響力を排除し、哲学国との妥協が国内産業や科学技術を飛躍させた。1768年に大陸に進出し、ホランドの戦いの勝利後、ファイニアント25世を処刑した。


ルヌイ朝(帝国統一)

世界最大の人口が農業から重工業までのすべての産業の発展に貢献した。イードゥ朝が実質シャプルル協商の傀儡国家になっていることから、イードゥ朝のモシア4世の弟ルヌイ・イードゥがクーデターを起こす(王朝事変)。帝国全土に武装蜂起を促し、帝国植民地が不安定化していった。ルヌイ1世が建国したルヌイ朝は1855年にラムヌーク朝を併合、1864年にオウトロメーア朝が降伏し、併合した。1893年にレーテル第二帝政との「神聖戦争」で勝利し、帝政を崩壊させ、フロポルト3世を捕虜にした。


トルパナド朝(五大国)

レーテル帝国が戦争で敗北した後、1902年ヴレニー率いる「会議」が政権を掌握。集権的独裁国家となったレーテル会議国とはアポルーエ大陸やテズオス大陸で広がっているアーキス哲学圏への対抗として1922年に「神聖同盟」を結んだ。普遍火山教徒やササレント人を迫害し、絶対王政国家として存在している。


追記

20181229 帝国の画像を変更。地形の名前をメインにした。神聖四島の地形を変更。不自然な形を是正。

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