第七話 好き
溢れる。
零れ落ちる。
想いが、ある。
【好き】
深く深い森の中。
磁石と地図と己の感を頼りにひたすら歩いた。
食糧はすぐに尽きてしまった。
まぁ、あの騒ぎの中で、幾ばくかでも持ち出せたこと自体が幸運であったのだから、仕方ないといえば仕方ない。
シークが見つけた食用のきのこや草葉、そういったものを調理して飢えをしのいだ。
幸いにも調味料は少し持っていたし、シークがいる限り火には困らなかったからだ。
シークとユマに関しては、シークの採ってきた動物の肉も食べたが、リマはそういったものは一切口にしなかった。
「何で?」
疑問符だらけでユマが問うと、リマより先にシークが口を開いた。
「穢れる、からさ」
「ケガレ?」
「他の存在の血や肉は、知らず人の身体に影響を及ぼすの。殺された恨みや、無念。そういった負の感情を身体に溜めやすくなってしまうのよ。そういうのを、穢れと呼ぶの」
リマが言葉を選んでそう分かりやすく説明すると、小さく切り分けてもらった肉を口にしようとしていたユマは動きを止めた。
「そう、なんだ」
それに気付いたシークが喉の奥で笑いを噛み殺す。
「何よ、シーク!」
「いや、普通の人間は問題ねぇんだよ。だから安心して食いな」
「? 普通の?」
「神官や巫女にだけ関係があるんだ。身体に穢れがある人間は聖性を失い魔性を惹きつけやすい。そうなるとお務めとかに問題が生じてくっから、神官や巫女は血や肉は取ることは少ねぇんだ」
「でも、シークは? シークだって神官なんでしょ?」
「あー、俺は」
ばつが悪そうにばりばりと髪を掻きむしりながら言いづらそうにしているシークをちらりと見て、リマが笑う。
「シークはね、戒律を破ってるの。ダメだって言われてるのにね」
「えーっ」
「うるせぇなぁ。だってお前、肉とか魚とかの方がうまいだろ?! そんな葉っぱとかばっか、食ってられるかっつーの」
「昔もよく盗み食いして怒られてたわよね」
「あ、そなんだ」
「うるせっつの」
ぷい、とそっぽを向いてしまったシークに、リマとユマは顔を見合わせて笑った。
本当に、ただ穏やかに日々は過ぎていた。
ずっと、続けば、いいのに。
叶わないことも、知っていたのに。
リマは生まれた時に神託があったのだという。
ごくごく普通の家に産まれたと聞かされたが、それとて定かではない。
リマは両親を知らない。
物心ついた時にはすでに大神神殿の中央に据えられており、大勢の人間に傅かれていた。
中央神殿の最高司祭である【太陽女神の娘】ミラと、
【月神の息子】シドゥが、父母代わりでもあった。
陽気で明るい性格をしたミラと、物静かで無口なシドゥは、まるで太陽と月のようであったけれど、どちらも本当の娘のようにリマを大事にしてくれた。
けれど、心はとても空虚であった。
巫女姫として大切にされる半面、リマをリマとして見てくれる人間は少なかったからだ。
せいぜい、前述のミラとシドゥくらいで、他には誰も居なかったのだ。
誰も居なかった。
誰も。
ひとりでぽつんと寂しく、日々を過ごしていた。
世界が変わったのは、リマが5つになった年だ。
7歳までは神のうち、と言われ、その聖性を高めるために聖地巡礼の旅に出ることになった年。
一人の少年が、神官の認可を受けるべく中央神殿へやって来たのだ。
彼は暗い紅の髪と、澄んだ青空の瞳、そして浅黒い肌をしていた。
(ドゥーアの末裔だな)
ぼそり、とシドゥが呟いたので、小さなリマは問い返した。それは何か、と。
(緋焔女神の血筋だ。珍しい)
炎の女神の末裔だと言われた少年は、どこか刃物のような印象を受けた。間違って、周りを傷つけてしまうような。
けれど、話してみたら、違った。
話しかけてみたら、全然、違ったのだ。
ミラによく似ていた。
人を傷つけるかと思ったその炎は、リマの凍えた心を溶かしてくれた。
優しい、あたたかい、炎だった。
2年。
一緒にいられた時間は、それだけだったけれど。
リマにとっては、すべてだった。
ただ、それだけが、
わたしの支えでした。
ただ、ただ、それだけが。
「あと、1日半ってところだな」
地図を見ながら、シークが呟いた。
うとうとし始めたユマを寝かしつけていたリマは、シークの隣にすとんと腰を下ろした。
「……そう」
「何だ。嬉しくないのか」
静かに、静かに、夜が更けていく。
もう、時間がないことも、よく分かっていた。
少し困ったような笑みをして、リマは小さく、打ち明けた。
「シーク」
「ん?」
「聖王が、あなたを護衛にと選んだのは、偶然じゃないの」
「え?」
「あたしが、どうしても、あなたじゃないと駄目だと言ったの。ドゥーアの末裔という名まで出して」
驚いて、シークが顔を上げて振り返る。
赤々とした焚き火の炎に照らされて、リマの髪は鮮やかな橙色に見える。
瞳は、冴え冴えとした蒼。
凛とした、決意を秘めた、瞳。
「ずっと、言いたかった」
シークの心臓が早鐘を打つ。
期待してはいけないと思う反面、とても、期待している。
「ずっと、言いたかったの。シーク」
まばたきを幾度かして、覚悟を決めたような表情をしたリマは、泣きそうな笑顔をした。
「ずっと、ずっと、あなたが好きだったの」
溢れ出す。
零れ落ちる。
告げてはいけないと、分かっていたはずなのに。
どうしても、止められない。
そんな想いが、あるのだ。