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第五話 告白

 言わなければいいと思っていた。

 告げなければいいと思っていた。

 それだけの、こと。







            【告白】





 【霧の森】と呼ばれる場所に足を踏み込んで、3日目。

 異変が起きた。

「……狙われているのは、端に天幕を張った奴等からか」

「そのようです。5人、死者が出た、と」

 聖王妃の天幕を訪れたシークは、ひどく神妙な面持ちで聖王妃(ギメル)リマの話を聞いていた。

「ふむ」

 不穏な空気が立ち込め始めていた。

 天幕を張る人間の内、端に近い者たちから、何者かに襲われ始めたのだ。

「遺体の様子からするに、獣に食い殺されたのではないかと」

「魔獣、か。そりゃ厄介だな」

 リマがぽつりぽつりと話すのを、シークは淡々と相槌を打つ。

 ユマは怯えきった顔をして、リマとシークを交互に見た。

「ねえ」

 震える声でそう呼びかけると、二人が同時にユマを振り返る。

「どうした?」

「どうなさいました? ユマちゃん」

「ねえ、二人とも、怖くないの?」

 魔獣が現れるのだという、この森は。

 鬱蒼と木々が生い茂り、濃い霧の立ち込めるこの場所は、惨劇の舞台に相応しい趣をしている。

 ユマは余計なことばかり考えてしまって、それで余計に怖くなってしまっていたのだ。

「大丈夫ですよ、ユマちゃん」

 ふわりとリマがユマを抱えて、にっこりと笑う。

「シークがちゃあんとわたくしたちを守ってくれますから。ね、シーク」

「まぁな。それが仕事だ」

「リマはシークを信用してるの?」

「違いますわ、ユマちゃん」

 真面目な顔をして、リマが続ける。

「わたくしはシークを信頼してますの。とっても、ね」





 天幕の中から、シークとユマが連れ立って出てきたときにはもう、空では月が中天に差し掛かろうとしていた。

「リマって変わってる」

「そうか? あんなもんじゃねぇの」

「巫女っていうから、もっと怖がりかな、とか思ったんだけど、案外肝が据わってるっていうか」

「あー。リマはな、聖地巡礼の旅をしたことがあるんだ。四柱の精霊神の所縁の土地を、自らの足で巡る旅さ。俺も同行したんだが、あれはなかなか厳しく辛いもんだったな。魔獣も出たし」

「そう、なんだ」

 巫女というからには世俗から隔絶されて生活をしているものだとばかり思っていたユマは、驚いて目をぱちくりとさせた。

 シークは少し物思いに耽っていたが、ふと神妙な面持ちになって、ユマを見た。

「な、ユマ」

「何?」

「お前、リマの傍から離れるなよ」

「え?」

「俺一人で守れるのは、せいぜい一人だ。お前とリマ、二人が離れてたら守りきれん。一緒にいろよ」

 その言葉は、ユマにとってとても嬉しい言葉だったが、同時に不安を呼ぶ言葉でもあった。

「だ、だいじょぶ、でしょ? だって、こんなに、警護の人とか、いるんだし」

 びくびくとした調子でユマが問いかけると、シークは苦虫を噛み潰したような顔をして、そっぽを向く。

 それから、どこか吐き捨てるような口調で、こう言った。

「旅の間で、何が怖いってな、魔獣なんかじゃねぇんだよ。怖いのは、人間の方だ」

 それはどういう意味? とユマが問いかけるより先に、シークはすたすたとあらぬ方向へ歩いていってしまった。

 ぽつんと残されたユマは、それがどういう意味なのかを一生懸命考えてみたのだが、結局答えは見つかりそうになかった。 





 警護の人間は、僅かずつ少なくなっていた。

 すでに10人足らずになった面々を見て、シークはため息をつく。

(逃げた奴が半分、殺された奴が半分、てとこか)

 しかし、と考える。

 【霧の森】は確かに魔獣が住んでいてもおかしくない雰囲気ではあるが、ミリテールとカルセリオをつなぐ場所。商人とて通る道であるというのに、この事態は明らかに異常に思えた。

(誰かの意図が絡んでるのか?)

 そう考えた矢先。

 シークの目の前に、黒い大きな影が躍り出た。





「魔獣が現れました!」

 その叫びに、リマは白い法衣服の胸元へ、ユマを招き入れる。

 すでにそうなることを予期していたかのように、動きづらいドレスなどではなく、凛々しささえ感じさせるような法衣服とブーツに身を包んでいたリマは馬車の中で立ち上がった。

「リ、リマぁ」

 怯えるユマに微笑みかけて、杖と中くらいの手荷物を手に取ると、馬車の扉を蹴り開けた。

 あまりといえば、あまりのリマの所作にユマが口をあんぐりと開けていると、

「外に出るわよ、ユマちゃん。馬車は標的になりやすいの」

 と、ぽーんと外に飛び降りていた。

 すでに馬車は停止していた。

 血塗られた御者台を見て、リマは冥福の祈りを小さく口ずさむ。

「ごめんなさい。今は、時間がない」

 略的な祈りをささげた後、リマはシークの元へと駆け出していた。





「なんだ、こいつは」

 黒い犬の姿をした、その魔物を目の前にして、シークが唸る。

 犬とはいっても、熊ほどの大きさをした巨大なものだ。俗にヘル・ハウンドと呼ばれる、多頭魔犬の一種である。

「なんで、こんなのが」

 ヘル・ハウンドが吐き出す毒の息を避けながら、シークは走る。

(うっかりしてたな、リマと離れすぎた)

 背に負っていた大剣を鞘から抜き払い、構えながら振り返る。

(さて、どうする)

「シーク!」

 そこで聞き覚えのある声がしたので、シークは眉間に皺を寄せた。

(タイミング最悪だな)

 前に見えるそれを牽制しながら、後ろへと下がる。

「リマ」

「これは、一体」

 魔物の姿を見て取って、リマが顔をしかめた。

「お前、防御守護結界張れるよな」

「うん」

「自分とユマだけ守れ。他の人間は気にするな」

 防御守護結界は、強い力を持つ守りの結界のひとつだが、欠点がある。

 ひとつは中のものしか守れない、ふたつめはただ隔たりを作る壁のようなものなので、外で起きる事柄には干渉出来ない、みっつめは中で起きる事柄には何の効力もないことなのである。

「でもっ!」

「いいから言う通りにしろよ! そんでここから動くな! 絶対だぞ!」

 シークはそのまま、目の前の敵に向かって駆け出していく。

 残されたリマは、杖を握りしめてその背中を見送ることしか出来なかった。





【焔よ】

 呟きながら、シークが駆ける。

【母なる我が女神よ、我が願い聞き届けよ】

 ぼそぼそとした詠唱はやがて力を持つものへと移り変わる。

【我が真名において、命ずる】

 上段に構えていた大剣が、赤い輝きを帯びた。

【炎竜の牙よ、我が剣に宿れ! 炎竜(サラマンダー)付与(エンチャント)!!】

 輝きは炎に変わり、シークの持つ大剣は炎に包まれた。

 若干引く様を見せたヘル・ハウンドだったが、すぐにシークへと突っ込んで

くる。

「こりゃ、まず間違いねぇな」

 ぼそ、と誰に言うでもなく呟くと、シークは高く跳躍して頭上の木の枝に

手を伸ばし、突っ込んできたそれをやり過ごす。

「まったく、報酬もうちょっとつりあげりゃよかったな」

 文句を言いながら、すぐに方向転換してきたヘル・ハウンドを睨みつけた。

「まぁこのうさはお前で晴らさせてもらうとするさ! かかってきやがれ!」





 ぎゅうっと、杖を握りしめていたリマを、呼ぶ声がした。

「……さ、ま……聖王妃、さま……」

 途切れ途切れの声に、リマはゆっくりと振り返る。

 そこには傷だらけで倒れている、女性がいた。

「警護に志願した者ね」

 顔に見覚えがあったのか、リマは近づくと女性の傍で膝を折る。

「今は回復魔法を唱えている時間がないわ。ごめんなさい。もう少し我慢してね。シークが、来てくれるまで」

 きん、と甲高い音がした。

 まるでガラスと金属を打ち合わせたような音だった。

 ユマが驚いてリマを見つめると、リマは真剣な表情で杖を握り祈りを捧げていた。

【父にして母なる大神よ、我に力を】

 だん、と勢いをつけて、杖を地面に突き刺す。

「防御守護結界、発動!!!」

 くるん、とリマと女性を含めたその場所に、円く魔法陣が描かれ、薄い光のカーテンがその壁として現れた。

「あんまり長くは持たない……シーク、はやく……」

 剣戟の音がする方を見つめるリマは、気付かなかった。

 女性が不穏な輝きを、その目に宿すのを。





「あー、ちっきしょー」

 走り回りながら、じわじわと相手にダメージを与えているシークは愚痴をこぼす。

「ったく。水の力場の方が強ぇんだな。最悪」

 ちり、と心の奥が音を立てる。

「面倒くせぇことはでっきれぇなんだよなぁ」

 それは炎の燃え盛る音だ。

 本当は敵に対峙したときからずっと、暴発したくてたまらない衝動に駆られている。

「リマ、ちゃんと結界張ったんだろうな」

 ちらりとその方向を見れば、薄い光の柱が見えた。

「……よし。じゃあ、とどめといくか」

 吼えるヘル・ハウンドに向かって真正面から向かっていくと、その眉間に炎を纏った大剣を突き刺した。

【焔よ。我が母なる女神よ、我が真名においてその力を】

【炎の眷属、我が召喚に従いて此へ集え! 逆巻き、荒れ狂う嵐たれ!!】

 ぶぁっと大剣の炎が膨れ上がる。

 その赤をとらえて、シークの瞳もまた赤く見えた。

【紅蓮の炎よ、焼き尽くせ! 緋焔嵐(フレイムストーム)!!!】

 そして巻き起こった炎の嵐は、ヘル・ハウンドだけでなくシークさえ巻き込んで辺り一帯を紅蓮の炎に包みこんだのだった。





 それよりも少しだけ時はさかのぼる。





 ひゅっという息を呑んだ音で、ユマは異常に気付いた。

 見上げれば、リマの喉元にナイフが突きつけられている。

「悪く思わないでね、聖王妃(ギメル)様」

 傷だらけで息も絶え絶え、というのは演技であったらしい女は、不敵な笑みを浮かべていた。

「何故?」

「私の依頼主が、あんたがミリテールに辿り着くのは困ると言っているの。だからよ」

 きゅ、とリマが唇を噛んだ。

 その歯がゆさが伝わって、ユマは身じろぎも出来ずに上を見上げるだけだ。

「それじゃあ、終わりにしましょうね」

 女の手が、ナイフを動かそうとする。

 ユマは咄嗟に、リマの胸元から飛び出していた。

「だめぇっ!!」

 そのまま、女の手に飛びついて、その指先に思いきり噛み付く。

「なっ!?」

 そんな場所に小妖精がいたなどとは思ってもみなかった女が怯んだ一瞬の隙を、リマは見逃さなかった。

「防御守護結界、解除!」

 しゅん、と音がして、結界が消え失せる。

 リマは必死で女を引き剥がし突き飛ばすと、もう一度杖を突き立てて叫んだ。

「防御守護結界、再発動!!!」

 ぎゅん、とさっきよりも速いスピードで魔法陣が描かれ、リマとユマだけを包み込む。

「くそおぉぉっ!!!」

 叫んだ女が結界に触れようとしたその時、赤い赤い炎が、一帯を一瞬にして舐め尽した。

 咄嗟に手を伸ばしたリマは、ユマの目をふさぐ。

「……シーク……」

 祈るようにその名を呼んで、リマは、泣いていた。





 森の一部を焼き尽くして、炎はあっという間に消えた。

 元々魔法で炎の要素を凝縮したに過ぎないものであったから、消えるのは本当に早かった。

「……リマ」

 ユマを抱きしめて俯いているリマの前に立ったシークは、小さく呼びかける。

 その声に顔を上げたリマは、袖で顔を拭い立ち上がった。

「防御守護結界、解除」

 ぽつり、とそう言うと、結界は消える。

 ふらふらとした足取りで2、3歩歩くと、ぽすんとシークにぶつかった。

「リマ」

「……あたし、また、守れなかった」

「リマ、服が汚れる」

「……あたし、また、守れ、なかっ」

 肩を震わせて泣くリマを見つめながら、シークはためらいがちに手を伸ばした。

 そっと、その肩を抱いてやる。

 リマはそのまま、堰を切ったように泣き出した。





「知ってたんだな」

 3人だけになってしまった。

 もう、他に生き残りはいない。

 3人きりの野営で、ぽつりとシークが呟くとリマは泣き腫らした目でこくりと頷いた。

「あれは、使役魔獣だ。魔獣使いに使役されて、俺たちを襲ったってところか」

「……ミリテールは、どうしても、戦を起こす気なの」

 リマの口調が違うので、ユマが驚いて振り仰ぐ。

 それに気付いたリマは無理なのが見え見えの笑顔で微笑んだ。

「あれはね、お芝居なの、ユマ。ほんとのあたしは、こんなに弱いの。聖王妃(ギメル)様になんて、向かない、ただの、女の子なの」

「リマ……」

「一生懸命ね、頑張ろうって思ってたの。神殿に居た頃も、そうだった。だから、ほんとのあたしを知ってる人は、ほんとに少ないのよ」

「リマ、ミリテールの内情について、知ってるのか?」

「ううん。あたしが知ってるのは、ミリテールがどうしても、あたしが辿り着けないようにしたがってることしか知らないわ。それを理由に、カルセリオに攻め込もうとしてることしか」

「……人質なんてもんじゃねぇな」

 ぼそりとシークが言う。

 その目に怒りの炎が滾るのを察知して、ユマは怯えるように声をかける。

「シーク」

「どうせ辿り着いたところで、辿り着いてねぇことにして、戦を仕掛けるだろうさ」

「……そうかも知れないわ」

「ねぇ、リマ、一緒に逃げようよ」

 不意にユマがそんなことを言い出した。

 リマは驚いた顔をした後、とても嬉しそうに微笑を浮かべる。

「ありがとう、ユマ。でもね、だめなの。あたしは、あたしの務めを果たさなくちゃ」

「そんなのっ」

「自分が自分の務めを果たせないことも、カルセリオが滅びるのも嫌なの。あたし、我が儘なのよ」

 苦しそうなその笑顔に、ユマはもうかける言葉が見つからなかった。

 仕方ないのでシークを見ると、彼も自分と同じような顔をしていることに気付く。

 リマの決心は固いのだ。

 それは、今の告白にすべて込められている。

「生贄だな、まさしく」

 シークが苦々しげに呟く。

 リマは苦しそうな笑みを浮かべたままだった。






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