第二話 王子様
(あなたはわたしの王子様なの)
繰り返す愛らしい声。
忘れようとして、忘れられぬ過去。
【王子様】
執務室の隣には、客用の応接室が設置されており、シークとユマはそこに通された。
セイは確かに軽く、と言ったはずなのに、次から次へと運ばれてくる食事にやや不審を抱きながら、それでも2日も何も食べずにいた二人には、そんなご馳走を前にして待っていられるわけもなく、丁寧に手を合わせてがつがつと食べ始めたのだった。
それを終始笑顔で見守るセイには気付かずに。
「えー、そういうわけで、だ。用件を話してもいいかな?」
食事を一通り終えて、最後のお茶をシークが口にした頃。
セイが慇懃無礼にそう問いかけた。
テーブルの上にちょこんと座り、お茶菓子のクッキーを頬ばりながら、こくこく、とユマがうなずく。
「これは、どうしてもシークに、との依頼なんだ」
「ほぉ。俺宛て? そりゃまた酔狂なやつもいたもんだな」
「依頼主は、カルセリオ聖王国」
「カルセリオ?! あの穏やかで有名な宗教国が、なんで俺なんかに!」
カルセリオ聖王国。
中央大陸の北に位置し、主神ヴァル・ディークの一神教を国教とする王国。
首都はスプランディード。主な産業は農業。
つつましく穏やかに暮らしているはずのその国からの依頼とくれば、変な勘ぐりをしないではいられない。
「実は、カルセリオは3つの国に面している。それぐらい知ってるだろう?」
「ああ。軍事国家ミリテール、自治都市フウル、海道国家ポレーロ。 だろ?」
「そうだ。どれも大きいとはいえない。だが、ミリテールが最近不穏な動きを見せている」
そう呟いたセイの眼鏡の奥の瞳が、怜悧な刃物の輝きを見せた。
シークはため息をつき、椅子の背にもたれかかる。
「で?」
「ミリテールはどうやら、カルセリオへの侵攻を計画しているらしい」
「それを中止させろってか? 俺にそんな細かいことが出来ると思ってんのかよ?!」
「まぁ話は最後まで聞け。それを知ったカルセリオは、人質を送ることでその話を回避しようとしてるんだ」
人質、という言葉にシークは眉をひそめた。
「誰が行くんだ」
「現在の聖王ヴィクトール=カルセリオの妻である聖王妃リマ=カルセリオさ」
「聖王妃? ちょっと待て、それって確か主神神殿の聖巫女姫であったリマ姫のことか?」
「そうだ。だから、今回のお前への依頼は彼女を無事ミリテールまで送り届けることなんだ」
セイは淡々と言葉を紡ぎ、シークは押し黙った。
「なんで、俺なんかに」
「リマ様とは面識があるんだろう?」
「ある。けど、それは何の関係もねぇだろ」
「先方はお前がドゥーアの血族であることを知っているんだ、シーク・ドゥーア」
滅多に呼ばれることの無い、シークが毛嫌いをしているフルネームを敢えて呼ぶことでセイは彼に注意を呼びかける。
「今まで、カルセリオは幾度となく周辺の国に攻め込まれようとしたことがある」
「ああ。カルセリオは古い国だからな。大陸一の歴史があるだろう」
「だが、そのたび【奇蹟】が起きて、侵攻しようとした国は滅びているんだ」
ティーカップを手にして、冷めてしまった紅茶を口にしながらシークは次を促す。
「……だから?」
「今回は、数えで7度目ということになるそうだ。侵攻を防ぐために、聖王妃自ら人質に赴くことが」
「今までの侵攻も、そう、だったのか?」
「ああ。ギルド内の歴史書を洗いざらい読んだ。禁書も含めてね」
「お前、そういうのを職権乱用っていうんだぞ? 知ってるか?」
「それはいい。それは関係ないんだ、シーク。その国が必ず滅びているということが問題なんだ。跡形もなく」
「跡形も?」
「ミリテールの前にあった国家は、やはり同じ理由で消滅している。俺は、その理由が知りたい」
セイはまっすぐにシークを見た。その目は決して揺らがない。
この男はこの都市の外に出ることを許されてはいない。
その代わりにさまざまな特権を得ることを許され、数多の情報を統括しているのだ。
「生き残りはいないのか?」
「かろうじて息のあった人間も、皆気が触れていたそうだ。天罰が、天罰が、と繰り返すのみになっていたらしい」
「お前の好奇心で、命を落とすかもしれない俺のことも考えろよ」
「……お前は死なない。今までもそうだったように。そうだろう? 【不死身の傭兵】」
フルネームの次に呼ばれるのが嫌いな二つ名を口に出されて、シークは本当に心底嫌そうな顔をした。
「……俺は不死身じゃない」
「だが現実にどんな依頼を受けても、成否はどうあれ生きて帰ってきただろう?」
「たまたま、だ。たまたま、運がよかっただけだ」
かちゃん、とティーカップをソーサーの上に置くと、シークは立ち上がった。
「受けてくれるんだろう?」
セイが問いかけると、嫌そうな顔をしたままシークは答える。
「嫌だ」
「そうか。それは残念だな」
「え? いいの? シーク」
小さな手のひらをぱんぱんっとはたいて、ふわりと浮き上がったユマはシークの傍に舞い上がる。
「そんな依頼は受けたくない」
「そうか。じゃあ、この食事代はお前へのツケだな」
にっこり。
セイが笑みを浮かべた。
シークはあからさまな驚きの表情をする。
「はぁっ?! なんだって?!」
「だから、この食事代はツケだ」
「俺が金がないのを知っててそういうこと言うのか、お前は!」
「問題ない。ちょっと危険だけど割りのいい仕事を請ければいいだけだろ? そうだな。例えば……ミリテールの傭兵募集とか、どうだ?」
「……で、このカルセリオの依頼を受ければ、どうなんだ」
「仕事が決まった祝いで、俺の奢り」
さらににっこり。
ユマは困惑した表情で、セイとシークの顔を見比べる。
額に手を当てたシークは「主なる神よ」と呟いた。
「だから、あいつの甘い話には乗りたくなかったんだよ」
「でも飢え死にするよりいいんじゃない?」
ちょっぴり同情の表情を浮かべるユマに、シークは大きくため息をつく。
「まあ、な」
「明日には出発するの?」
「ああ。早い方がいいらしい。とりあえず防寒用のローブぐらい買ってった方がいいな」
紅葉の落ち葉が散り始めるのを見つめながら、シークが呟く。
「歩き?」
「いや、カルセリオまでは馬で行く。前金も少しもらえたから、今日はとりあえず準備をして明日の朝に出よう」
「はぁい」
その夜。
シークは夢を見た。
幼い頃の自分の夢だった。
里の長に連れられて、主神神殿を訪れたときの夢だ。
(シーク)
きらきらと輝く美しい黄金の髪をしていた。
(シーク)
淡い菫色の瞳と、白い肌の少女。
姫巫女の印である純白の白い布に金色の縁取りがされた巫女服がとてもよく
似合っていた。
(わたし、ヴィーのおよめさんになるの)
よくよく考えてみれば、ヴィーとはヴィクトールの愛称だ。
もうその頃から、彼女は聖王の花嫁となることを決められていたのだ。
(でも、シークはわたしの王子さまなのよ)
ころころと鈴の転がるような音色で笑っていた。
可愛らしい少女。
まだ、7歳になるかならないかの頃だ。
あれから、もう10年になる。
きっと、美しい大人の女性になっているに違いない。
(どうして俺が王子さまなの?)
問う自分もまた幼い。
10になったばかりで、世間といえば里しかなかった。
神殿は珍しいものばかりだった。
(ないしょ。ないしょよ。おしえられないわ)
愛らしい微笑みに全部ごまかされてしまったけれど。
今なら、教えてもらえるのだろうか。
窓から差し込む太陽の光で、シークは目を覚ました。
身体を起こし窓を見上げ、空を見つめる。
晴れ渡る空の色は、彼女に初めて出会ったときにも似ている。
「……太陽女神の加護がありますように」
小さく聖句を口にして、ベッドから降りた。
別に信心深いというわけでもない。
ただ、幼い頃からの習慣が抜けないだけだ。
神を信じていないわけでもなかったが、神がいつでも助けてくれるとは思っていない。
ただ、それだけだ。
着替えを済ませ、旅支度を整える。
それから、ベッドの脇にいるユマを起こした。
「おい」
「んん~、あと、もうちょっとぉ」
「……置いてくぞ」
「ふぇ? え? うそっ! シーク、なんでそんなに早いのっ!」
「だから朝出るっつっただろ」
「なんで仕事となるとそんなに違うのよ~! いつもは立場が逆なのに~!」
あたふたとするユマを笑いながら、手洗い用のカップをテーブルの上に置いた。
信じられない、を繰り返すユマを横目にして、シークは空を見上げていた。
(シーク)
可愛い、やさしい、声を思い出す。
再会は間近に迫っていた。