↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

第九話 キス

 どうして、離れなければいけないのだろう。

 どうして、傍に居れないのだろう。

 どうして、







            【キス】





 森を抜けたその先は、平坦な道が続いていた。

 途中途中、村があったが、すべてもぬけの殻になっていた。

「……戦が始まると知って逃げたか」

 からからと転がってきた、桶をこつんと蹴飛ばして、シークが辺りを見る。

 鎧戸も窓も、扉すら開け放してあり、人の気配は一切しない。

「……今の首都に残っているのは、君主ゲオルグを崇拝する軍人たちだけと聞いてるわ」

「なるほどな」

 ユマはリマの肩の上に居たのだが、怖くなってぎゅっとリマに抱きつく。

 リマはそれに気付いて、優しくユマの頭を撫でた。

「大丈夫よ、ユマちゃん」

 本当はリマの方が怖いと思うのに、優しく微笑みを浮かべてくれるリマにユマは泣きそうになっていた。





 しばらく歩くと、そこには小高い丘があった。

 登ってみれば高い城壁に囲まれたミリテール首都ゲインが一望出来る。

「……追手ももう来ねぇな」

「そうね」

 どこか歯切れの悪い話し方をするシークとは対象的に、あの夜からリマはどこか晴れ晴れとした顔をしている。

 もう、決めてしまった人間の表情だ、とシークは思う。

 攫えたらいい。

 何処か、遠くに。

 攫って、しまえたら。

「リマ」

「なぁに?」

「逃げねぇか、一緒に」

 言われて、きょとんとした顔をした。

 まったくの予想外だったのだろう。

 リマは、それから悪戯っ子を宥めるような、仕方ないわね、といったような顔をして微笑んだ。

「そうね」

「リマ」

 ユマが驚いてリマを見る。

 そっと、ユマを自分の肩から下ろすと、シークに手渡した。

「そう出来たら、いいのに」

「リマ、今なら出来る。今しかチャンスはないんだ」

 言い募るシークにリマは首を横に振った。

 そして困ったようなあの笑顔をして、シークの肩に手を置く。

「リ」

 シークの言葉は、それ以上形を成さなかった。

 リマがその薄桃色の柔らかな唇をシークの唇に押し付けたからだ。

 ただ、触れて離れた。

 ほんの一秒にも満たない、キス。

(リマ)

 声が出なかった。

 驚くシークからリマがゆっくりと離れる。

 指の一本さえ動かせない。

 シークが驚愕の表情を浮かべて見つめると、リマは腰をかがめてシークの周囲に円を描くように聖石を置いていった。

 そして立ち上がると、今までにない微笑を浮かべてシークを見つめる。

「麻痺の呪よ。大丈夫。一刻もしたら解けるわ」

(リマ、どうして)

「一緒に逃げられたらいいのにね。でも、きっと追手がかかるわ。カルセリオも滅びる。私には、出来ない」

(リマ……)

 一緒に麻痺の呪を受けたユマが顔を上げた状態で動きを止めている。

「神託を受けたの。聖王妃(ギメル)として、カルセリオに行く日」

(リマ、呪を解け)

「お前は、恋をして、命を落とす、と」

 リマの微笑を浮かべた瞳から、一筋涙がこぼれた。

「信じたくはなかった。きっと、聖王(レシュ)を愛して、命を落とすのだと思っていた。でも、違ったね」

(リマ)

「嬉しかったよ、シーク。ありがとう」

 そして、リマが背を向ける。

「さよなら」

 そのまま、歩き出した。

 それを止めたくても、シークには身体の動かすことが出来ない。

 まるで頑強な鎖にがんじがらめに巻かれてしまったかのように、動くことが出来ない。

(リマ!!!)

 シークは何か出来ることがないか、と頭を巡らす。

 そして強く、強く、頭の中で念じた。

(精霊よ)

 ざわ、と大気が震える。

 足元の草たちさえざわめく。

 その気配にユマさえ身震いした。

(同胞(はらから)よ。答えよ。汝が眼を我に与え、我の望むものを映し出せ! 【精霊の眼(エーテリック・アイズ)】!!!)

 呪文とは、言葉にしなくてはならない、というものではない。

 通常魔導士や神官たちは呪文や聖句によって魔法を起こすと思われているが、それは間違いである。

 呪文や聖句を口に出す必要は本来ない。

 ただ、頭の中で強く念じ、具現化することで、魔法は発動するのだ。

 故に言葉にするということは、魔法を具象化するために発露を促すためのスイッチとも言える。

 神や真名において、と口にするときは、より強い力の具象を求めるときだけなのだ。

 そして今、シークはその力によって、風の精霊の眼を借り、リマの足取りを追跡していた。

 首都は、思ったよりもひどいことになっていた。

 正門から王城の中まで、ぎっしりと兵たちが詰めている。

 リマはその間を歩いていく。

 通った端から、その後ろをついて兵士たちが退路を塞ぎ、ただ、前へとしか歩けなくしていく様が見えた。

(リマ!)

 呼んでも、シークの声は届かない。

 届くわけがない。

 それでも、呼ばずにはいられなかった。

 今のリマは、死刑囚と何ら変わりがないのだ。

「ようこそ、聖王妃(ギメル)殿」

 玉座におさまった男を見上げて、リマは凛と佇んでいる。

 広い謁見の広間もまた、兵士たちで埋め尽くされていた。

「……ゲオルグ陛下」

「何だね」

「何故、カルセリオを必要とされるのですか」

「見たら分かるだろう。我が国は滅亡に瀕している。民はおらず、残ったのは兵士ばかりだ」

「だから、カルセリオを必要とするのですか」

「そうだ」

「無理な税を民に課し、その金を軍にだけ注ぎ込んだ結果だとしてもですか」

「黙れ! 小娘め!」

 男が片手をあげる。

 リマは冷めた眼で男を見ている。

(やめろ!)

 シークは必死で叫んだ。

 届かないのに。

 身体から発せられる覇気が輝きをなし、ユマは驚く暇もなく、気を失った。

「やれ」

 それでも、動揺はやはりあった。

 兵士の中でも信心を忘れられぬものたちが多かった。

 だから、最初の一人は本当におぼつかない足取りで、リマにぶつかったのだ。

「リマ!」

 シークの口から言葉が発せられた。

 身体の麻痺はまだ取れない。

 それでも言葉が使えるようになっただけましだった。

 リマは、その兵士の方を悲しげな瞳で見つめる。

 兵士がよろよろと退ける。

 その手には、血に塗れた短剣。

 リマの白い法衣服のわき腹には、赤い染みが広がり始めていた。

「やめろ!」

 また一人、兵士がリマにぶつかる。

 してしまった罪の重さに、よろよろと兵士が後退る。

 その手には、血に塗れた短剣。

 またリマの白い法衣服に、赤い染みが増えた。

「やめろぉっ!」

 シークの血の叫びは届かない。

 兵士たちの凶刃は次々とリマに襲い掛かる。

 リマは、抵抗しない。

 ただ、されるがままになっている。

 何故なら聖女は、他を害する術を持たない。

 持っては、ならない。

 太陽女神の巫女は特別なのだ。彼女は生と破壊を司る女神に仕えるが故に、攻撃魔法すら得手とする。

「……よ」

 ぎり、と唇を噛みしめる。

 血を吐くような苦しみとは、このことかと、正に思う。

「緋焔女神と、我が真実の名、アヴィアトゥール=グルワァヒンドゥーアの名において!」

 シークは両親を知らない。

 だから、一族の名として使うのは、ドゥーアという仮初の名であった。

 けれど本当は知っている。

 魂の本質、血の一滴が、知っているのだ。

 自分の母が、誰であるのかを。

 暗い紅色の髪が、燃え立つ赤に染まり、空の蒼の瞳が、血の赤に変わる。

 魔法を発動しようとした、そのときだった。

(ケテル)

 ぱりん、と足元の聖石が砕けた。

 同時に、シークの耳に小さな悲鳴が届いた。

 正確には、シークが眼を借りた、精霊の耳に。

 もう一度精霊の視点に戻れば、悲鳴を上げたのは【天使】だと分かった。

 リマに凶刃が襲い掛かるたび、その悲鳴は強くなっていく。

 現れる【天使】の数も、増えてゆく。

「……まさか」

(コクマ、ビナー、ケセド)

 ぱりん、ぱりん、ぱりん、と聖石が砕けてゆく。

 足元に描かれた魔法陣の本当の姿が露になってゆく。

(ゲプラー、ティファレト、ネツァク、ホド、イェソド)

 力ある言葉は、聖石に込められた、リマの願い。

 本当は自らの身に何が起こるのかさえ、彼女は知っていたのかもしれない。

(マルクト)

 最後の聖石がぱりん、と砕けた時。

 リマの身体がそこに崩れ落ちたのが分かった。

「リマあぁぁっっっ!!」

 結界が黄金の色に染まる。

 彼女の色だ、と意識の端でシークは思う。

(完全防御守護結界「セフィロト」発動!!!)

 その輝きがシークと、そして気を失ったユマを包み込むと同時に、【天使】たちの慟哭が折り重なった。

 悲しみ。

 強い、強い、悲しみの声。

「「「「「アアアアアアアアアアアアァァァァァァァァッッッ!!!!!」」」」」

 通常の人間には感知出来ないであろう波動を持って、聖女を喪う悲しみに【天使】たちが吼えた。

「……【天使たちの(エンジェルズ・)慟哭(ハウリング)】……」

 伝説としてしか伝わっていないその様を、シークは風の精霊を通して目にしていた。

 有機物は砕け散り、光の粉となって浄化される。

 無機物もまた砕け散り、ただの瓦礫と成り果てる。

 ほんの一瞬の出来事だった。

 残ったのは、ただの廃墟。

 結界は術者を失ったことで消え失せた。

 かくん、と膝を折り、シークはそこに座り込む。

 すでに怒りは過ぎ去り、髪も眼も元通りの色を取り戻していた。

 何が起きたか、理解出来なかった。

 否や。

 理解したくなかった。

 喪ってしまった。

 亡くして、しまった。

 信じたくなどなかった。

 鼻の奥がつんとして、後から後から熱いものが込み上げてくる。

 シークは声を上げて泣いた。

 何も出来なかった自分の無力に。

 ただ、泣くことしか、出来なかった。





 永遠に近い一秒。

 ただ、触れて離れたそのキスは。

 たった一度きりの、夢のようだった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。