4 ツンデレな彼女
今回はとても長いです!
トラベルケースに日用品を入れてから絵の具を包んだ風呂敷を突っ込み、ケースを施錠する。持ち運ぶ肩掛けバッグには対話用の液晶タブレット端末とスマートフォン、財布にハンカチタオルを入れる。
もう少しで島へ着く。
私を預かってくれるというとんだお人好しはどんな人間なのだろう。期待半分呆れ半分の美味しくも思えない私の気持ちはハーフアンドハーフ。
部屋の液晶画面に到着を知らせる文面が表示され、荷台に持ち運びが面倒な重いものを乗せてタグを付け退室。
今日は陽射しが強い、焼けたくないな。
そんなことを思いつつ廊下を歩く。
外に見えるのは太陽に照らされキラキラと光る海面と点々とする島々。パンフレットによると島によってサブテーマが異なるらしく飽きが来ないことで話題にもなったらしい。
(……暇があれば)
私を預かってくれるそのお人好しさんに近いうちに連れて行ってもらおう。
心を弾ませながら、意気揚々に階段を降りる。
白い光が私の足元を照らし包み始めていた。
白い光が視界から消えた時、持っていたネームタグと預かる人間を確認していた。
「えっ」(は?)
『「はぁ〜〜〜〜っ!?」』
互いの誤認識による闘いが始まった。
***
「長月 秋羅って、男かと思ってた」
悠一の開口一言目は預かる人間の性別が男と思っていたこと。対する彼女は。
『ゆう、って単略されてたからてっきり女の人かと思っていたけど!渡されたメモを確認したら、あなた男の人で円谷 悠一って言うのね……』
カバンからタブレット端末を取り出し、少し時間が経ってから文面を悠一に突き付ける。
「えっと、もしかして」
『そのもしかしてです。聞こえませんけど……何か?』
予想外な展開に戸惑う彼に対し、頭に血が上りおかんむりの状態の彼女は喧嘩腰の文面を打ち出した。
「俺の言葉は、わかる?」
『タブレット端末があるから難しい時以外は口唇術があるので、ご心配なく←』
彼女は勝ち誇った顔をする。
悠一は調子がなんだか狂う、と言いたげな表情を浮かべつつ次の質問を投げた。
「なんて呼べばいいんだ。秋羅……“ちゃん”?」
彼女の目をまじまじと見なければよかった、と悠一は後悔するも一歩遅かった。突如沸点まで上り詰めた怒りで顔面は白くなってからタブレット端末を持つ両手がわなわなと震えている。しばらくするとタブレット端末に触れる手が早くなり。
『“ちゃん”付けするなんて!
まさかとは思わなかったけど、貴方って女たらしだったのね。最低っ』
「なっ」
傍から見れば男が一方的に話しているように見えるだろうが、よくよく見てみれば彼女はタブレットを用いて彼と【口喧嘩】をしている。男が一方的に責められる構図ではあったが、まくし立てられると思わなかったこともあり彼女の怒りは烈火していく。
「はいは〜いっ」
両者の肩を抱くように仲裁に入ったのは悠一にとって予想外の人間だった。
「てっ、店長!?なんでここにいるんすか」
悠一はバツの悪そうな表情を浮かべ、秋羅は誰だこの人。と言った顔をした。
「“ふうふけんか”の続きは人の少ない私の《クララ・ベル》で」
と、不敵な笑みを浮かべて二人を珈琲の香るワゴン車の後部座席に押し込み彼女の大きな荷物を荷台スペースに丁寧に乗せてから発進させた。
簡単な構図だ、2人は悠一が勤務する珈琲店の店長に拉致されたのだった。
彼の勤務する珈琲喫茶店の最奥。
表には【只今☆小休憩中】というチャラけた札をドアノブに引っ掛けられ、先にいた常連客でさえ追い出されて若干涙目でコーヒーカップを持って外で飲む人には申し訳なく思った。
店の厨房を仕切るシェフの葉山さんは頭にタオルをかぶったままで、雑用係の光は盆を胸に抱え、デザートを準備していた瑞稀さんの指先には溶かしたチョコレートがこびりついている。どうやら作業途中で緊急招集されたらしい。
本当に申し訳ないと悠一は思った。
有給申請を出したはずなのに店にいる俺と面白くないと言いたげな新参者の秋羅。クララ・ベルの主である店長は新しい玩具を見つけたと言わんばかりの目で見つめ、その他6つの眼がテーブルを挟んで二人を注視していた 。
「そんで、そんで!なぁに〜?悠一とその子は“恋人同士”なの??」
ただでさえ折り合いの悪い俺と秋羅の間にイナズマが走り抜ける音がした後、タブレットに指を滑らしてから光に画面を掲示した。
『誰が!こんなチャラ男と!!』
「え?違うの」
光はタブレット端末で伝えられるとは思ってもなかった&ほんの冗談でからかったつもりが秋羅の機嫌を損ねるとは考えていなかったらしく、やっちゃったなぁ……というお調子者ならではの謝罪の雰囲気を出していた。
「光。なんでも物事は見切り発車はいけないと私は何度言ったのかな」
「うぅ」
瑞稀さんは肘をつきながらチョコレートのついていない指先で光のピン留めによって大きくさらされた額をデコピンすると小さな星が散った。
「あうぅ……っ」
「光は少し黙っていような」
と、葉山さんはカウンターの奥から現在巷で流行っているらしいクロワッサンドーナツを取り出してから光の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「わーい♪ドーナツだ、僕はしばらく黙りますぅ」
「ふっ、単純なやつ」
「だからこそ、扱いやすいんでしょ」
この構成は瑞稀さんと葉山さんが光の親のようだ。
「脱線し過ぎたわね、話を戻そう」
店長はそんな三人のやり取りを眺めつつもこちらに話を振ろうとしていた。
「そんで、なぜ港で喧嘩していたのよ」
まず、なぜ確認会話が喧嘩に発展した経緯を説明することになった。
「……お互いの認知に差異が発生した」
「思い違い、勘違いってところか」
俺と秋羅は静かに頷くと店長はふぅ、とため息をついてから彼女の持論が展開された。
「確かになぁ、ここ近年は中性的な名前が増えてきたせいもあるんだろうけど……呼び捨てが良くないと思っての配慮であったのはよくわかったが喧嘩はよくないね?二人とも」
「はい」
「彼女のことは道中に聞いたところで、療養を理由にこの島に来たのだよね」
『その通りです』
タブレットで秋羅は答える。
「療養って、言っても種類はマチマチだ。
……そこで悠一。ここのところ働き詰めだったからしばらくお前に休暇をやる。だから彼女を島の端という端まで案内してやれ」
「はっ?」
薄くも形の美しい唇が不気味に歪んだ。
「良いだろう?せっかくのチャンスだ。
さっさと関係修復して仲良くなってからまた顔を出せ、これは店長命令だよ」
笑顔で言うことかよ、店長。と悠一は言いたくなった。職権乱用というワードという悪いものがチラチラと顔を出していることにため息をつきたくなっていた。
「しばらくってどれくらいだ」
彼は長期休暇は取ったことがなかったため、ものは試しと店長に問うてみればその口から出てくるのはまた破天荒な返事だった。
「一ヶ月半くらいあればだいぶ仲良くなれるだろ、行ってこい」
「は?」
店長、俺の耳はおかしくないすか?と問いただしたくなる。一ヶ月半だと。本気で一ヶ月半も仕事が無いって大丈夫なのか。急遽ご隠居様突入のお知らせを雇い主から手渡されたところで。
「達者でな、アデュー」
なんだかんだ尊敬する人間でもある店長を本気で投げ飛ばしたいと思ったのは今回が初めてだった。
***
自宅に着いた頃には日が沈みかけていた。
店を出てから、二人で大型スーパーに寄り普段は一人で買い物というスタイルではなく“誰かと一緒”という慣れない感覚と葛藤しつつ2人分の食材を買ってきた。
「秋羅は自分の部屋に行って荷物を整理してくるといい。階段を上がってすぐの角部屋にネームプレート掛けたからわかると思う」
遠い昔に留学生を迎える建物にいた経験がこんなところで役立つなんか思わなかったが、ネームプレートがあった方が分かりやすいな。
キッチンに立ち、野菜を適当なサイズに切り鍋に放り込んでいく。ホールトマトの缶詰めと野菜ジュースを入れて蓋をしてから振り向くとそこに秋羅が立っていた。
「うおっ」
『脅かせてごめん、荷物の片付けて部屋を出たら美味しそうな匂いがしたから』
歯切れの悪い文章がタブレットに映っている。
「……案外、素直なんだな」
『なによ』
「拗ねるなよ、初対面から今に至る言動を比較してみたら驚くだろ」
秋羅は少し考える素振りをしてから『それもそうね。』と目をそらしつつはにかんでいるように見えた。
『そういえば、今夜はどんな料理?』
「ラタトゥイユだ。夏野菜も最後に向かって秋に近付いているから美味しく食べれるのは今だけだ」
ラタトゥイユ、と聞いた瞬間に秋羅の瞳がキラキラと輝いているのに気づいた。
「ラタトゥイユ、好きなのか」
素早いフリック入力でこちらに掲示。
『うん!少し塩の効いたマッシュポテトとガーリックトーストがあるとなお最高!』
「お。わかってるじゃないか」
別行動していた時に買った袋を秋羅の前でお披露目をする。焼けてから少し時間が立っているがこの辺で一番味がいいと評判高いフランスパンだ。
『え?作ってくれるの!!』
「あぁ。今夜は特別だ。少しずつでいいから仲良くしていこうな」
そう言った瞬間に秋羅の顔は熟れた林檎のように真っ赤になってから『ばっ、ばかじゃないの……!』と液晶画面をこちらに向けてタブレットを耳まで真っ赤になった顔を隠された。
まだ【馬鹿】と書かれてなかったからそこのところは可愛いと思い、許すことにした。
「このあとマッシュポテトも作るから出来るまで時間かかる。その間に風呂にでも入ってくるといい。湯も沸かしてあるしタオルは出てるからそれ使って」
秋羅は静かに頷くと、着替えを取りに行ったのか階段の方からパタパタと登る音がした。
「……ははっ」
しばらくの生活は賑やかになりそう、だと思うと心が弾んだのは何故なのだろう。
フランスパンを切りつつ、なぜそのような思考にたどり着くのか原因を自問自答を繰り返し探ってもはっきりとした答えはでてこなかった。
***
はじめての晩餐がおわり、久々の白ワインを飲みほろ酔い状態の俺はソファに持たれつつ冷蔵庫にきんきんに冷やした水出しコーヒーで頭をクールダウンさせていた。
キャスケットで気づかなかったが、中に長い髪の毛を三つ編みにして仕舞っていたとは思わなかった。風呂上がりでタオルドライしつつ出てきた彼女は初対面の時より無機質な部分が削ぎ落とされて愛らしい少女らしさが出していたからだった。
(流石に動揺した)
ちゃんとした上着を着て、足も露出を抑えないとここじゃ風邪を引くぞ?某国のリゾート地の天候に酷似しているから心配でもあった。
そう伝えると秋羅は若干不機嫌な顔になっていたが『悠一がそこまで言うなら、従う』と答えたのちに『私、薄手のものしか持ってきていないのだけど……どうすればいい?』と上目遣いで聞いてきた。
「俺のでいいなら貸す。ちょっと待ってろ」
予想外の事態。つか、着れるか?
俺のを着たら確実にワンピースのようになってしまわないか?クローゼットから適当に出してからリビングに戻ると秋羅は長めのジャージに履き替えていた。
(おかえり〜)
あ、こいつ。少し酔っているな。
初遭遇した時よりも頬が緩んだ顔で相棒のタブレットをローテーブルに置きっぱなしにして、パクパクと唇を動かしていた。
「着てみろ」
(袖が長そうだから……手伝って?)
「は?」
(お願い)
「…………はぁっ、わかったよ」
秋羅と対面するように膝を折り左腕から袖を通してから右腕も同じようにして、ファスナーを鎖骨付近まで上げた。これはお守りか?
「これで良し」
やっぱり、サイズは大きいらしい。
桜色の小さな指先が見え隠れしている、なんか年の離れた妹や従姉妹、姪っ子とかを世話するとこんな感じなのだろうか。
(あったかいね〜)
「俺からしたらまだまだ薄いがな」
酔っているせいか、秋羅の刺々しい言動は形を潜め、それを埋めるかのように真っ直ぐな返事を次から次へと紡いでくる。
(それにオーバーサイズのジャージ、はじめて)
「ふっ!?」
コマの様にくるくると目の前で回っている。
「よろけるぞ、止まれ」
そんな心配をよそに秋羅は(大丈夫〜)と返事をした瞬間に案の定フラリ、とよろけた。咄嗟に抱き上げる形を取った後に彼女の方を見ればさっきよりもさらに赤面していた。
「きゃっ」
「危ないだろ、今日はもう寝るぞ」
急に近くなったせいか、自分が使っているシャンプーとは違う爽やかだがどこか甘い匂いが鼻腔をくすぐる。簡単に持ち上がる少女は暴れることなく腕の中で大人しく抱かれている。彼女は甘え足りない大きなこどもにも見えなかった。
階段を一段一段、登って行く間に細い腕は首に回されて熱い体温が自分にも伝染してくる。半開きになっていた扉を肩で開き、寝具へ転がす。
おやすみ、と伝える頃には寝落ちしていた。
スーッと寝息が聞こえる。酒の力が緊張した彼女を心身ともに解してくれたのだろう。
「……せんせ、い」
初めて聴いた彼女の声にぞわりと鳥肌が立った。
どんな夢を見ているのかはわからない。
でも、幸せな夢では無さそうだ。
すると睫毛の隙間から涙が流れ始め、しゃくりを上げていた。こめかみ部分を撫でるとスリスリともっと撫でろと要求されているようにも思えた。
「……良い夢を」
そう言って部屋を去るしかなかった。