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静寂の生彩  作者: 百瀬ゆかり
10/14

9 恋に恋し落ちるもの

今回も長い上に一部の方が不快と思われる可能性を含んだ描写をしています。読む時は気をつけてください。スクロールをして飛ばすという選択肢があることを忘れないでください。

「……んんっ」


眠気眼を擦りながら端末に内蔵されてる時計を見てみると朝九時になっていた。だいぶ寝ていたと思う。


簡易式台所に悠一の姿は無かったから朝ごはんを買いに行ったのかもしれないけど、誰もいない部屋ってやっぱり空っぽに感じて寂しく思う。


カウンターに目をやると蓋されたコップ。

端からティーパックの紙の部分がチラチラと揺れている。蓋を取ってみるといい香り。

色もそれなりに出ているようで朝飲むには最適で悠一がセンスがいいのがよくわかる。非常に悔しい。


当たり前になったポジション────私は横長のソファーの真ん中を陣取るのが好きだが生憎外出中は極力控えている、いやたま〜に無意識にやってしまいそうになるけどちゃんと理性で抑えてますよ!


紅茶を口に含むと、芳醇な香りが口に広がったあとに鼻から抜ける時にも同じ甘さ。それがふわふわと漂う感覚で微睡みとは違う心地よさが意識を刺激する。テレビを電源を入れると巷で流行る最新トレンドを紹介する番組が大体的にやっていた。


それはほんの違和感。

いつものように字幕文章を読むだけだったのに普段とは違う情報がつらつらと頭の中に入ってきた。



「音が…音が……聞こえて、る」



それは失った過去でも十分に聞こえた音量。

これなら、私は。私は、帰れるんだ。




────私は 帰りたい?




そんな気持ちが心の奥底から溢れてくる。

島に来る前は毎日が鬱々としていて何をやってもつまらなく感じて、もう終わりなのかもしれないとまで思い詰めていた。でも。


この島に来てからぶっきらぼうだけどちゃんと面倒を見てくれる悠一に出会って、なんだかんだ突っぱねる癖に私をめちゃくちゃ心配して。私は幼子なのか。


でも、最近は目を合わせるとドキドキする。

今までになかった心の高揚感。

目に飛び込む色が鮮明で世界がビビットカラーになってしまったかと疑うくらいに。



私の世界は色付いてしまった。

悠一が側にいるだけで気落ちしていた出来事がちっぽけに感じることも増えていった。



この気持ちはきっと、【魔法】だ。

一時的な遊びにもよく似た夢のひととき。


それでもいい。私は彼が好き。

この気持ちは素直に伝えなくたっていい。

心の整理がついた時に彼に手紙を書いて過去を伝えればいいだけのこと、私は“セカイ”を創りたい。


〜♪


外から音楽が聞こえてくる。

誘われるがままに私は下駄箱から靴を取り出し部屋を出ていくことにした。




しばらく歩いた。視界の端に群青によく似た海を見てからだいぶ進んだと思う。足場はゴツゴツとした岩に変化し次第に岩の表面が苔で覆われる比率が高くなってきた時に、音の正体が明らかになった。


「なんだ、ラジオか」


不法投棄のように乱雑に放置されたラジオから大音量で流れていたのはアトリエに流していた名もしらぬ誰かが紡いだ会えなくなった恋人に宛てたラブソングだった。



「懐かしいな」



そういいながら、スイッチを切った。

その時、背筋がブワッと今まで感じたことのない底知れぬ恐怖が向けられているのに気づいた。


「ひぃさしぶりぃ〜?鶏ガラさぁん」


聞こえるようになってから初めて聞いた生身の声がこれだと思った瞬間に、全身の血液が引いていくのがわかる。


「はっ、は……っ」


声が出せない。なんで出せないの。

後ずさりをした時に湿った苔を運悪く踏んでしまい尻餅をついてしまう。


「その様子だとぉ、耳。聞こえるようになったのかなぁ?かなぁ??」


ニタニタと薄笑いを浮かべながらじりじりと距離を詰めてくる。それと同時に浅黒い手が首に伸びてきた。逃げようにも背に当たるのは太い樹木で足に力が入らないばかりに容易くも確実に気管を狙って絡み付いてくる。


「私が先だったのに」


ギリギリと気管を親指二つで圧迫しながらコレは急に何を言い出したのだろう。


「いち様のことを見つけたのはハナ、いち様のことを長く遠くから見ていたのもハナ。それに一番いち様のことを知っていたのはハナ!いち様のことが一番大好きなのはハナだけだったはずのにぃ!!」






──お前が横から奪っていたんだ。






呪うかのような言葉。


うらみ。さかうらみ。あこがれ。ねたみ。そねみ。しっと。しきよく。ゆうえつかん。とくべつ。すうこう。



どの言葉でも補うことのできない目の前のドロドロとしたものはその全てを溶かしているのだろうと、恐怖に震える身体よりも頭はクリアにそれも冷静に働いている。



「だぁ〜かぁ〜らぁ〜?」



ギリギリと緩んでいた手のひらに再び力が込められて親指二つは気管の左右を圧迫するように力が込めてくる。相手の手首を掴むがそれは相手を煽る結果とになったらしくさらに首に力が込められて酸素が頭に回らなくなっていく。





「消えて。消えて。消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えて消えてきえてきえてきえてきえてきえてきえてきえてきえてきえてきえてきえてきえてきえてキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロキエロ!!!!!」






首に絡まるものが取れたと思った時に感じたのは今までにない、いやそれこそ夢の中でしか体験しえない大きく長い浮遊感。






「あはは、あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは──────っ」






背中に強い衝撃、痛みによって視界はブラックアウトするものの最後まで聴こえたのは一つの感情で狂った女の勝ち誇ったと言わんばかりの嘲笑だった。



***



すぐにフロントの方に向かい、秋羅を見かけていないか確かめた後に駐在のところへ駆け込んでも見かけたという情報は得られなかった。


どこに行ったんだ。

今までこんなことしなかったじゃないか。


最後の選択肢。それは──窓から出たとしたら。

窓が開いていただけという先入観を取り払った結果がもたらすものは、窓から外へ出ていったこととなる。


足跡が伸びている。森の方へ。嵐が近い。防水性に優れたフード付きパーカーを取り出し2枚着込む。1枚は喉が締まらない程度に紐を結び、もう1枚は完全にフードをしまいこんでチャックを閉めた。足も防水性のあるツルツルとした3本線の入ったジャージ。


靴は伸縮性の高いものにした方が良さそうだ。

バックから取り出し履き替える。

その中からタオルケット、懐中電灯と小さな救急セットを取り出しまとめた袋をTシャツの上に巻く。


準備が整ったところでエクシトゥス島の駐在さんが部屋に訪れた。


「失礼するよ」


「はい、どうぞ」


太めだが、どこか厳しい風貌の中年男性が英国紳士がやるような挨拶をしてきた。


「少しばかり街に出て彼女のことを見かけた人がいるか確かめたが、あんなに可愛らしいお嬢さんを見ていたら確実に覚えていると言ってくる人が多かったよ」


「つまりは……見かけなかったってことですね」


慰めているつもりなのだろうか。

でも、とてもむなしい。


「残るは、現地の隠れスポットと言っている場所しかありえないだろう」


現地の隠れスポット。


「どんな結果であれ、見つかったらうんと抱きしめてやれ」


どんな結果であれ?


「駄目だ、そんなこと。彼女は、彼女は……俺の大切な人から信頼されて預かった人なんです……だから、だからっ」


“生きた状態”で見つけたいんです。


「……嵐が来る前に救出ができれば生存だってありえる、君も無理しない程度で探すのに手伝って欲しい」


肩をやわらかく叩かれる。

半泣き気味の俺を慰めている姿は亡き父の残像と重なると、胸の奥が締め付けられる感覚が襲ってくる。


「いいかい、これはちょっと特殊な電話だ。これならば大抵の場所にいても連絡が出来る。わかったね」


ズシリと重たい。大切な機器のせいかジーンズのベルトをかける部分にベルトフックをひっかけられた。


「よし、行ってこい。我々も援護する」


駐在さんの朗らかな顔は……嗚呼。父も生きていればこの人と同じくらいの年齢でこんな風に生きてくれたのだろうか。二度と会えない父に想いを馳せながら、今は失いたくない彼女を探すために俺は砂地を強く蹴りあげる。




まだ消えてないわずかに残る小さな足跡をたどるように。



***



「……うぅ、ぁあ」


視界がひらける。

頭上に広がるのは深い深い緑だけ。

痛みから来るうめき声、私はまだ生きているようだ。背中がとても痛い。体を横たえてみるが若干痺れていること以外に心配が無いことが救いだった。


「……雨が降りそう」


気絶していた間に天気は機嫌を損ねたのか湿った空気が肌にまとわりついてきた。


「足首は……捻ったみたいね」


右足首が真っ赤に腫れ上がり、靴という型からはみ出す食パンみたくパンパンに膨れ上がっていた。


「これは……うん、応急措置すらも怪しいレベルのものね」


苦笑、皮肉めいた自分に対しての嘲笑。

今まで独りでできたことができなくなっていることに対する怒り、これはひどいものだ。島にいる間にグズグズに誰かに溶かされてしまったのかもしれないな。


どこか安全な洞穴を探そう。

雨風をしのげる深すぎない穴が必要だ。

ズギズギと痛む右足を浮かせ、左足と両手を使って移動するしか方法はなかった。





罠のように群生する苔と足場の悪い川岸に悪戦苦闘を強いられつつも、腕がしびれかかった頃にタイミングに恵まれたのか深すぎない洞穴を見つけた。もう体が言うことをきかない。

痛む体を横たわらせ、体を少しだけ丸めた。その直後に雷鳴の轟きと激しい閃光が近辺を襲い始めた。


「悠一……」


怖いよ、早く迎えに来て。

そう願いつつも、歯を食い縛り、祈るように手を強く握るも耐えきれぬ痛みの嵐に脂汗が全身から噴き出し始める。




このまま死んだらどうしよう。

前は死んだ両親の元へ行きたいから早く死にたいとばかり思っていたけど、今は嫌だ。




────悠一に会いたい。

私の名前を呼ぶ悠一の声が聞きたい。

悠一に叱られたい、ここにいてもいいって言って欲しい。



悠一、ゆういち、ゆーいち……。



目尻からこぼれそうになる涙は今までよりも熱く、まるで目の裏が焼かれているように錯覚するくらいに悲しくて悲しくて。








とても、恋しい。




***



剥げた苔の岩がある。

秋羅はここを登っていったのか?

ロッククライミングを思わす獣道をたどっているとトランシーバーからノイズが走り始めた。


『あーあー。こちら境。悠、応答せよ』


「あーあー。こちら、悠。現在彼女が通過したらしき獣道を詮索中。この上はおそらく翠の間かと思われます」


『あーあー。こちら、境。

そこは迷い人に答えを導く場所とされている場所だからありえるかもしれない、今すぐ別ルートから人を数人派遣する。現地到着次第彼らと合流せよ』


「────りょうかい」


通話を切る。

翠の間、そこは答えを導く最終審判の場所。


間に合うか?いや、間に合わせるんだ。

大事なひとがこれ以上いなくなるのはもうたくさんだ。


機器をしまい、再びロッククライミングを繰り返す。こりゃあ翌日は全身筋肉痛決定間逃れないかな?


まだまだ続く深緑の森。

鬱蒼とした木々の色は赤や橙色が混ざり始めていたのを確認するとどこか秋めいているように感じた。


「……うぅぅ、あぁぁあ」


嫌な予感とはある程度は的中するわけで。

ストーカー女はボロボロのラジカセを大事そうに抱えている姿はどこか不気味だ。アレは気がふれていると言った方が正しいのだろうか。


「うっ、ぁ、いちさまぁ♡」


崩壊した気持ち悪い笑み。

俺を見つけるなり腕に抱いたラジカセを無造作に地に投げると今度はヒモで引きずりながら幼児のように四足歩行でじりじりと詰めてきた。


「いちさまぁ♡ハナを誉めてぇ?」


歯が溶けるような甘え声。完全に逝ってる目だ。

陶酔しきった危ない雰囲気がある。


「は?」


「いちさまぁの横にいた目障りな毒蜂をハナがぁ、懸命に駆除したんですよぉ?」


毒蜂?駆除? まさか。


「はぁい♡ハナはぁある仮説に基づいてぇ毒蜂を誘き出してぇ……確実に落としました。自力で脱出するなんて不可能な翠の奈落の底へな!!!」


白目を剥いて、口調が崩壊する。

声音も甘ったるいものから凄みを帯びた空気を震わせる、亡者の声が。


「いちさまぁ♡誉めてぇ?苦戦したけどちゃあんと駆除を完遂したハナを誉めてぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?ねぇ?」


肩を突き飛ばされ、後頭部に鋭い痛み。

イカれたストーカー女は俺の胸部に頭を乗せると恍惚そうな表情を浮かべて、人間らしさの欠片すら捨てた気持ちの悪いものしか残ってなかった。


「……降りろ」


「えぇ!!なんですかぁ?ハナはぁ、いちさまぁから御褒美が欲しいだけなのにぃ……イケずぅな、いちさまもす・て・き♡」


脳しんとうが起きているのか体に力が入らない、くそ。なんでだ、早く動け!


冷たい指が頬を伝う。

ドロりと欲に塗れた闇にも近い瞳は、ただの恐怖対象にしかなりえないものを存在させていた。


「な……に、をするつもりだ」


「いちさまぁからハナにチューして欲しいのにして下さらないならハナからしちゃおうと思いましてぇ……きゃっ♡ハナってば大胆♡♡」


反吐が出るくらいに甘ったるい。

背けたくとも細い指は次は首に絡まり始めて想像もつかないくらいに力は強く気管を確実に責めてくる。


「いちさまぁは……ハナだけのもの♡」


我慢の針が振り切れた音がした。

不安と恐怖に支配された脳は恐ろしい程にクリアになっていき、真っ先に行動したのは。


今まで以上の激しい脳の揺れ。

──限界点を越えた俺がしたこととは馬乗りしてきたストーカー女に華麗なる頭突きを与えたのだった。


「いっ、たぁ〜い……ぐずっ」


腹筋にものすごく力を入れたせいかものすごく負担がかかって若干痙攣気味だ。


「いちさまぁ、なんでぇ?なんでぇ?ハナ、ハナはただ……うぅう」


「おい!何が起きているんだ!!」


カッパに身を包んだ搜索隊の方々がナイスタイミングで現れてくれた。


「助けてください!体が動かないのをいいことにコイツが襲ってきて!!」


搜索隊の人が半べそかいている少女がまさかストーカーだとは思っても見なかったのだろう。


「前に聞いたストーカーってコイツのことだったのか!さぁ、離れろ」


搜索隊の一人が無気力感に苛まれているストーカー女を引き剥がしてくれたおかげでようやく身を起こすことができた。


「なんでぇ?なんでぇ?ハナは……ハナは……ふぇぇぇぇぇん、毒蜂を駆除しただけなのになんで振り向いてくれないのぉおぉぉお」


予想外の暴れように搜索隊の人の手からストーカー女は逃げ出して、一目散に飛んできて俺を崖っぷちから奈落の底へ突き飛ばした!?


「ハナだけのいちさまぁは恥ずかしがり屋さんでどこかへ隠れてしまったのねぇ?ハナがちゃあんと見つけてあげます……お前なんかハナのいちさまぁじゃねぇ!──毒蜂とともに死んでしまぇえぇぇ!!」


石に生えた苔は滑りやすい原因。

それで踏ん張ろうとすればゴムの部分が苔に滑って落ちるということか。秋羅は、こいつに誘い込まれてまんまと突き飛ばされてしまったのか。全く馬鹿だなぁ……。


ぐるぐると宙を旋回する体を極力丸めて痛める箇所を最小限に抑える。この際、電話は使い物にならない可能性を見積もらないもならないな……。


そんなことを考えている矢先に再び、首に強い衝撃。こればっかりは防ぎようもなく意識はあっさりと飛んでしまった。

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