6チート目:真っ暗闇の中ですか? 不安です。
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邸宅入り口を塞ぐ屈強なガードマンをやり過ごすのは、セレナにしてみれば容易かった。彼らに魔法のイロハがないことは彼女は一件で見抜いていた。先ほどセレナは歩いて邸宅を横切ったとき、彼らガードマンに対して、魔力による牽制を行った。
つまり自らに内在する魔力を放出しぶつけたのだ。さりとてそれは微量であり、人体に影響ないが、魔術師はそれを本能的に忌避する。何故なら他人の魔力に干渉するというのは、多く魔法のトリガーになっているからだ。
しかし彼らはその放出魔力に対し反応を見せなかった。これはもう凄まじい辣腕の、偽ることに長けた魔術師か、それともただのでくの坊か、二つに一つなのである。そしてセレナは彼らを後者と読んだ。となれば、彼女の腕からしたら好き放題に侵入できる。彼女は光の屈折現象を応用した魔法をセレナを含めた周囲に発動して、彼女やユウヤの存在を偽装。その上で魔法で邸宅を囲む金属柵を歪曲させ堂々と侵入した。
邸宅内部は薄暗い。長く続く廊下は宵闇に蝕まれており、頼りになるのはぽつりぽつりと灯る小さなランプが放つ淡いオレンジの輝きだけ。
セレナたちは侵入してからセレナ一人とシャロンとユウヤとの二手に分かれた。これは地形をよく知る相手に奇襲を受けた際に、一網打尽にされる可能性を踏んでの戦力分割だ。
なまじ、連携も取れないような即席のチームワークに頼るよりも、個々の力を最大限に発揮できるようにした方が良いというセレナの考案である。
この暗さ。既に夜にも入ろうという時間帯であることはもちろんだが、光源が最小にまであえて抑えられているのだろう。
だが安易に魔法を使用することは避けなければならない。魔法の発動は言うなればのろしを炊くようなものだ。
よもや家の中に一人も用心棒になる人間がいないとは思えない。それに腕利きのセレナから、確かに呆気にとられていたとはいえ、鞄を盗んだ人間がいるのも事実。あの人物がいるのなら、邸内で魔法を発動することで間違いなく気取られる。
むしろこの暗さはその不便を嫌った侵入者を炙り出すためのものだと考えるのが自然だ。そしてそこから繋げて考えると、その厳戒態勢に至っているこの現状というのはセレナないしいずれかからの襲撃に備えていたということなのだろうか。
可能な限り見つからないように静かに鞄を回収して撤収したい。勇んで乗り込んできたとはいえ、セレナは戦闘がしたいわけではない。むしろ是非ともそれを避けたいくらいの思いなのだ。
だがあの鞄が果たしてどこに置かれているか。それを邸内の人間に知られないまま探すというのは至難である。
結局の所、ここにいる誰かを捕まえて吐かせる――つまり戦闘することが現実的か。いずれにせよ気が重くなること請け合いである。
とりあえずセレナは怪しい場所としていくつか目算を付けた。まず持って行かれた物の価値を敵は知っていたという前提から考えて、例えば無造作に放って置いたりはしないだろうし、厳重に保管するだろう。
となれば、金庫などの隠し場所がある部屋だろうが怪しいと目星が付く。
だったら特にこの邸宅の持ち主たる人物の部屋などが一番に気になるところ。
いずれにせよ邸内の見取り図などを持っているわけではないので、当てずっぽうになるのは間違いないが。
慎重に捜索を続ける彼女は、ようやくここはと手応えを感じる一室を見つける。
そこはこの豪奢な邸宅の中でも、とりわけ瀟洒な雰囲気を醸す執務室であった。
奥には桃花心木で作られた堂々の存在感を示す執務机。応接用の黒いソファーに背の低い硝子製の机、複雑な模様を作るカーペット。数々の小物が並べられている棚。
いずれもその持ち主の羽振りの良さを表している品々だ。おそらくこここそ、ドゥルオファミリーのドン、マト・ドゥルオの部屋なのでは。
そうセレナが察したことも自然であった。然らば、ここを探ればあるいは。と、そんな期待を胸に抱くが同時に、彼女は警戒心をより高めていた。
この部屋からはっきりと、葉巻の残り香を感じたからだ。これはつい最近までこの部屋に誰かがいたことを証明している。
静かに、だが急いで彼女は捜索を始めた。
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誂えたような暗闇と、人一人もいないような凍り付くような静穏に俺も流石に心臓が苦しくなる不安を覚えていた。
セレナと別れた俺たちは、彼女が侵入を試みた西側の廊下とは反対。東側にあった使用人たちが利用する勝手口のところからこの屋敷に飛び込んだ。
まるで俺たちを招くように鍵が開いていたのは、何かの偶然かそれとも誰かの意図的なものなのだろうか。
だがそれについてろくに考えを巡らしている暇もない。俺たちはこそこそと忍び込み、そしてこのお屋敷の雰囲気にしっかり呑まれていたというわけだ。
これだけデカい屋敷ともなると、やはり厨房も大きい。やはり独特の西洋風な雰囲気がここにもある。黒い竈や、壁に掛けられたフライパンなどの調理器類。鍋などは銅光沢を僅かに放っている。だがそんな物珍しい景色も今の俺の頭には入らない。
常夜灯のような小さな光を信じてゆっくりと足音を殺しながら歩いて行く。
時々、俺は振り返ってシャロンの方を見た。この静けさと空気のせいで彼女から目を離している隙に消えてしまいそうな、そんな恐怖があったのだ。
それを何度か繰り返していると、彼女も同じく不安そうだったのだが、その時だけは優しげに笑顔を作って俺の手を取って、そしてその柔らかく温かい手で握ってくれた。すると一気に俺の中から恐怖心や焦燥などが取り除かれたような気がした。
ありがとう、そう唇の動きだけで伝えるとシャロンは嬉しそうにして頷いてくれた。
程なくして厨房を抜ける。すると先の長い廊下に出た。やはりここもおどろおどろしい闇を湛えている。壁にかかった明かりだけが人魂のように浮かんでいる。まさしくギャングと呼ばれる者が潜むに相応しい景色だ。
それに怯むような気持ちもあるにはあったが、俺の手のひらに感じる温もりがそれを打ち消してくれる。
何としてでも、守る。
それだけを一心にして、俺たちは進み始めた。だが、程なくしてこの屋敷自体が一斉に震えるくらいの激しい振動が響き渡る。
何かは分からない。でも、もうそれは既に始まっている。この衝撃は、そう推察するに十分すぎる証拠だった。