5チート目:え、こんなに長い設定なんですか?
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暗い室内は厳かな冷気に満ちていた。外からの光は一切遮断され、隔離された空間はまるで世界から切り離されているかのように静謐だ。
部屋には二人の男がいた。
一人の男は立ったまま、執務机の方を向いている。年齢は二十代後半という具合だろうか。茶髪を後ろに流し、黒いジャケットを羽織っている。その表情には薄ら笑いが浮かんでおり、軽薄な一面を連想させる。しかし同時に数々の経験を裏付けるような印象深い、鋭い眼光が宿っている。
「例の物は?」
そう問いかけたのは執務机の椅子に座っている男である。彼は齢70はあろうかという年月を感じさせる深い皺の入った顔をしていた。
貴族用の部屋着に身を包んだこの人物は、話しながらも大儀そうにマッチをこすり葉巻に火を付けていた。
「恙なく」
その答えを聞くと、老人――このクーデアリアの裏を支配する王マト・ドゥルオは葉巻の煙をじっくりと味わった後、答える。
「そうか。大義だったな」
それに苦笑したのは眼前に立つ、そのマトの息子。つまりはポルミア・ドゥルオである。
「いえいえ。しかし例の物、手強い魔術師が運搬しているという話でしたが、実際は小さい子供が運んでいましたよ。全くあの方も人が悪い」
「万事上手くいったのならそれで良い」
マトはその報告にもさして興味を感じていない様子だった。老いも極まり、彼は平坦な日々に感情の起伏を覚えることが久しくなかった。
隣国から移民してきてギャングファミリーを立ち上げるための時間は波乱に満ちており、充実と達成感に溢れていた。だが今はもはや王国の有力者と結託し、安定しながらも年老いていくだけの人生だ。これの何処に生の喜びを見いだせるだろうか。
しかしファミリーの為にはこの椅子に無為に座り続け、長らえ続けなければならないというのだから二律背反だ。
「しかしあの方はこれをどのように扱うつもりなんですかね」
「そのようなこと、我々は知る必要も無い」
マト特有の機微を感じさせない冷ややかな声音が暗い室内に小さく響く。
「そうですね、……父さん」
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ドゥルオファミリーと言えばギャングであり闇組織である。しかしその邸宅というのは案外、堂々と街の真ん中にそびえ立っていた。
その外見の印象は、俺の現代日本社会の基準から照らし合わせてもかなりの豪邸と感じさせた。建坪も大きく、広い庭に加え、門扉にはガードマンなのだろういかめしい男たちが二人並び、無駄口一つ叩かずじっと侍っている。
おそらく高級住宅地なのだろうと想像させる立地に存在し、どこを見回しても立派な家ばかり。王城にもほど近く、その細部の意匠に至るまで目に見える距離だ。
俺たちはとりあえずの確認ということだけで三人、ちらちらと視線をやりながらもそこを歩き過ごした。
そしてしばらくドゥルオの邸宅から離れたあと、先頭を行くセレナが道すがらのちょうどよさげな袋小路に入り込んで行き、それに俺とシャロンも追いついた。
「で、どうするんだよ」
「もちろん行きます。それも真正面から」
「それは……ヤバいんじゃ?」
こちらの世界に来てから色々あって、現実感が喪失しているのだろうか。あまり緊張感は感じないのだが、にしたってギャングの居城にたったの三人で突撃するなんてあまりにも常識外れ……。いやいやギャングの住まいに突っ込むことがそもそも常識はずれすぎるからな。
「私には時間がないんです。出るかどうかも分からない妙案を探って無駄な時間を過ごすより真正面からさっさと突撃するのが利口なんです」
俺にはとてもそうは思えないのだが。流石に何か上手い手があるんじゃないだろうかと思うが、セレナの強気な口ぶりに俺は何も言えなくなってしまっていた。
一方でシャロンはと言えば、あの邸宅の雰囲気にすっかり呑まれてしまっていて動揺しているのか喋りもしない。
「でも剛胆ばかりが勇猛ではありません。あるべきところは慎重に。何せ敵は【Magic inhibition】まで使ってきたんですから」
「【Magic inhibition】?」
「Bクラスの阻害魔法です。相手の魔法発動を打ち消すという代物です」
まあよく分からないが、カードゲームとかでよくある打ち消し呪文みたいなもんなんだろうか。しかしそう言って強調するくらいなのだから強力というか、練度の高い魔法なのだろう。
考えている最中にも、セレナは自身の杖を取り出し、ぶつぶつと呟いている。そして一区切り終えると、その身体の周囲が柔らかく輝き、彼女の周りに小さな光の玉が浮かんだ。
「それでセレナは何をしてるんだよ」
俺が訊ねると、セレナはきょとんとした後、答えた。
「スタックを作ってるんです」
「スタック?」
またまた飛び出た意味不明な用語に俺が小首を傾げると、割り込んできたのはさっきまで黙りこくって俺たちのやり取りを見ていたシャロンだった。
「あの、私が説明しても良いですか?」
「いいですよ。私は詠唱しているので」
そしてセレナは再びぶつぶつ小言を呟き始めた。
「じゃあ……こほん。スタックというのは瞬間効果型魔法を記憶領域に載せることをいいます」
その小難しい用語はほとんど聞き取れなかったが、俺はとりあえず相づちを打った。
「まず魔法には三種類の型があるんです。瞬間効果型は一度消費したら消えてしまう魔法。さっきの【Fire】などがそうです」
「他は?」
「他には潜在型、常在型があります。潜在型は発動しているけど効果が無い状態が継続されて、トリガーとなる現象や魔法攻撃に応じて展開されるんです。そして常在型は常に発動し続けて効力を発揮するという魔法です」
「へえ、なるほどな」
だが不思議な物で全く分からなかったように思えたシャロンの解説だが、徐々に頭の中に用語や意味がなじみ始める。
頭の中が異様に冴えているようなおかしな感覚があった。
「そして魔法というのは強力な物になってくると詠唱が必要になります。でも戦いなどその手間が割けないとき、あらかじめ詠唱しておいて、発動手前の状態に置いておくんです。これをスタックというんですね」
解説が一区切りついたところで、今度は詠唱を止めたセレナが割り込んだ。
「シャロン偉いです。とても正確な説明でした。あと少し付け加えると、スタックに載せられる魔法の数は限られていることなんかがあります。大体5~6回が限度で、しかもこんな風に」
「浮いてるな」
さっき見たときから浮遊する光の玉が増えている。見る限りセレナの周りには四つ浮遊していた。
「スタックされた魔法は可視化されます。だから相手に警戒されます。故にここに魔法戦の駆け引き、その精髄があるといっても良いでしょう」
「へえ……奥深いんだな」
考え方としてはリボルバー銃の弾丸みたいなものだろうか。これは俺が咄嗟に考えただけの例だが、さりとて例えとして大きく外れているようにも思わない。
「まあ私は強い魔法をバンバンぶつけるだけなんですけどね」
「おいおい……」
その身も蓋もないような台詞に俺が呆れている中、セレナはようやくスタック作業を終えたようで、俺たちに向き直る。
「さてとじゃあ行きましょうか、あの得体の知れないところに」
「ああ、……うん」
俺はあっさりと頷いてしまう。自分でもその淀みのなさに心中、驚いていた。
ここまで付いてきているなら当然とも思えるが、しかし立ち止まる、襲撃を止めるならここが最後の機会ではある。
でも俺はセレナに付いていくことをあっさり決断した。前は中学生にカツアゲされても反抗できなかったような俺がだ。やはりその変化は異様というか、異常だ。でも正直なことを言うと、あまり負ける気はしない。例えどんな危険な敵が向かってこようと、その全てを返り討ちに出来る。そんな気がしているのだ。
俺は振り返ると、後ろでうつむき加減で俺たちを見つめるシャロンに声をかける。
「じゃあ、シャロンは待ってて」
これは俺の傲慢なのかもしれない。しかしこの場でシャロンを巻き込むことに何の意味もないのは明らかだ。
だからこその言葉だったが、シャロンはそれに決然として反意を見せた。
「……そう言われると思ってました。でも嫌です」
その一言に対し、反論を述べたのは俺ではなくセレナだった。
「グランドマーセナリーのユウヤはいいです。でもあなたはまだ学生ですらない女の子です」
言われてから気付いたわけでもないだろうが、シャロンはより弱々しくなって肩を落とした。
「私の見立てからしてあなたはすごく魔法の才能があります。伸びしろを感じました。でもだからこそ、あなたは付いてきてはいけない」
小さな身体のセレナが、自分を四十だと言い張ったときはとても信じ切れなかった。でも今聞いている、この不思議と説得力のある語調からは確かに過ごしてきた時間の長さを感じられた。
だがそんなセレナの話を受けてもシャロンは力強く、それを否定した。
「仰ることはすごく分かります。でも元はと言えば、ユウヤさんを巻き込んでしまったのは私なんです。そんな私が一人で、安全に待つなんてしたくないんです」
彼女の目には涙が僅かに浮かんでいた。確かに元を辿れば、シャロンを暴漢から助けたことが全部の始まりだ。そこから考えると確かに彼女が発端なんだと言える。少なくともシャロンがいなければ俺はこの邸宅に踏み込むなんて考えもしなかったろう。でも、そんなことに責任感を覚えるかどうかというのはまた別問題だ。
現実世界のスケールで考えるなら、これはさっき知り合ったばかりの友達がヤクザの家に飛び込もうとしていて、それに付き合うかどうかみたいな話だろう。
俺なら絶対に断る。絶対に付いていかない。
でもシャロンは、俺の絶対に選ばないだろう選択肢を取ろうとしている。
強い子なんだなと思う。ますます好きになってしまう。
「痛い、酷い目に遭わされるかもしれない。最悪死ぬかもしれないんですよ」
「分かってます。でもそれは二人も同じで、……だから私は嫌なんです」
はっきりとセレナの目を見据えて語るシャロンのその姿に、もうこれ以上、言い争うのは無駄だと思った。
「それなら一緒に行こう」
絶対にシャロンを守る。口には出さねど、俺は心の中でそう誓った。また俺と同じようにその決意を認めたのだろうセレナも不承気味にだが頷いた。
「……分かりました。あまり時間もないですしね。なら三人で行きましょう」
「お願いします」
そして俺とシャロンとが今、歩き出そうとしたとき、セレナが声をかけて俺を立ち止まらせる。
「あと最後にですが、これを渡しておきます」