1チート目・これが新しい物語ですか?
気付くと俺は真っ白な世界にいた。
何も無い空間。とても濃密な乳白色の霧に包まれた世界。殺人的なまでに真っ白な無の世界。ここにあるのは俺の輪郭だけ。
正直、前後の記憶が曖昧だ。高校へ行って、クソつまらない授業を受けて。最低の気分で、ぼっちで、カスみたいな時間を過ごして。
それで帰り道――あれ、俺はどうしたんだったけ。思い出せない。
というか、ここは夢の世界なんだろうか。
だったら俺の自由に作り替えられたりとか出来ないだろうか?
どうも夢の中にも明晰夢ってのがあるらしい。要するに見ている本人が夢と自覚している夢。全部脳内のことだから自分の思うとおりに世界を作り替えられる。
ああ、そうだなあ。夢の世界っていうならやっぱりそうだな。
チートでハーレムなあのラノベの世界に飛び込みたいもんだなあ。
一度で良いから、あんな感じの可愛い女の子にたち囲まれて手をつないだり、キスしたり……さ。そういうのやってみたかったよ。
まあ、もう諦め半分だからさ。せめて別の世界でって、そんな馬鹿げた希望があったり無かったりで。
「へえ。本当にそんな世界に行きたいの?」
唐突に声が響く。誰か分からない、知らない声だ。頭の中に直接響いてきたような気もする。女の声なのか、男の声なのか分からない、中性的な響きのある妙な声。
「まあ、君の考えも分からないでも無いけどさ。それで異世界で物語みたいに最強でやりたいって?」
まあ夢の中のことだ。細々したことを考えたってしょうがない。俺は素直に質問に答えてやった。
「そりゃあね。……こんなつまんない世界じゃなくて、モンスターとかエルフとかがいるようなファンタジーの世界で無双してさ。それで女の子にきゃあきゃあ言われてみたいもんだよ。誰でもそう思ってるよ」
偽りない俺の気持ちを述べると、その天の声はしばらく黙った。そして。
「ふうん。そう? そういうもんなのかな?」
「そりゃそうだよ。日本の高校生の99%はそう思ってるね。断言できる」
誰とも知らない相手と適当に会話できるのは、顔が見えていないからか、それともここが何処とも知れぬような夢の世界だからか。
「へえ。いいもんなのかな。ああいうのって。でも、いいよ。それならやってみなよ。ボクが連れて行ってあげるから」
「は? 連れてってくれるって、おいおい……本気かよ」
妙な展開になって、しかし鳥肌が立った。だってこういうのこそ、異世界転生物語の王道の導入だ。いつものヤツじゃないか。
そして次第に視界が明るく白に染まっていき、その輝きは激しさを増す。
やがて目を開けられないほどになってから、今度は一気に暗くなる。何も見えない暗闇の中、不安を覚えながら待っていると、喧噪が聞こえ始めた。
徐々に視界が取り戻されていく。
この匂い、どこかで食事でも作っているのだろうか。甘い生地を焼いているような匂いと、ものすごい人通りの音もする。
あ――
間違いない。
獣耳の男が目の前を歩いて行く。現代では考えられないような奇抜な麻の服装。馬の蹄の音が聞こえ、屋台で呼び込みをやっている声は何語か判別も付かないような言葉。馬車が道の中央をゆっくりと走っていく。幌の中に積んであるのは山盛りのリンゴ。すり切れた石畳。長く続く道の先には大きな城。
ここは、間違いない。
夢にまで見た、異世界!!
歓喜で鳥肌が立つ。だけど結局こういう場所に来て問題になるのは、自分がどれだけの力を持っているかだ。
だって奇跡的に異世界へ来られても、何の特殊技能も無かったら、それこそ現代よりずっと悲惨だと思うんだけど。
不意に目の前に白い文字が浮かび上がる。それは俺にしか見えていない文字らしい。
『you can make it』
と、そう記されていた。激励の意味だろう。何だよそれ、と思いつつまずは現状確認。服装は学校の制服だった。青いシャツに黒のズボン。道理で周囲から奇異の目線で見られるわけだ。
しかしそんなことも気にならないくらいに俺は興奮していた。
さあさっさとイベント起きろ! そこで今の俺の実力具合を確かめてやる。俺はそう意気込んでいた。
本当に能力があるのかどうかというのは不安があるが、あの何か訳の分からないヤツの言い分からすると、俺は……。
そのとき、近くの路地裏の辺りから悲鳴が聞こえた。女の子の声だ。
俺は早速人混みをかき分けながらそこへ辿り着く。
すると建物の隙間、薄暗闇の中、ナイフをちらつかせている男が三人と、そして壁際に追い詰められているのは栗色の髪の美少女。
白雪のように白い肌に、ほのかにピンク色の頬と唇。睫毛は長く、瞳はつぶら。現実世界化なら、目にしただけでその日がラッキーな気分になるような超が付く美少女だ。
完璧なお待ちかねの構図に俺、大興奮。どうも現実感が離れてしまっていて、ナイフだのなんだのに全然怯えが生まれない。
「いい加減いいだろ、シャロン。今日こそ飯くらい付き合えよ」
真ん中のリーダー格の男が下卑た声でそう言う。
「何度言われても嫌な物は嫌です!」
「おいおい、状況を考えて話せよ? なぁ……?」
そうやって言うと、更に手持ちのナイフを撫でて脅しをかけている。うーん、まだかなあと俺は思う。
「飯だけでいいんだよ。別にその先は頼んでないだろ?」
「それでも、お断りします」
シャロンと呼ばれた子はナイフによる脅迫も物怖じしなかった。そういう強い性格はちょっと苦手なんだがなあ。でも可愛いし、現実世界では話しかけることさえ出来ないような高嶺の花だ。もちろん不足は無い。
「ちっ、しゃあねぇなあ。俺としても穏便に済ませたいとこだったんだがな。その綺麗な肌がちっとばかし傷物になっても恨むなよ」
そう言いながら男がナイフを構える。そしてシャロンが恐怖に思わず目を閉じた瞬間。
「ぉ、おい、何やってるんだよ!」
と言ってやった。いつもの癖で少しどもったけどな。すると三人はそれぞれ振り返り、俺の姿を見て、一様に訝った。
「何だあ、その格好は。……何にしても、こっちの商売の邪魔をしてくれンなよ、ガキ」
しかし明確な敵意を向けられて、いよいよ俺は正気に戻ってきた。つまりやべぇって感じてきて、普通にビビっていた。しかしここまで来てすごすご引き下がれもしない。女の子は可愛いし。
「そ、その人、嫌がってるだろ! 離してやれよ!」
「はぁ」
そんなため息と共に取り巻きだった一人がこちらへ近づいてくる。ヤバい、殴られる。そう感じた瞬間、心臓の鼓動が一気にうるさくなる。
恐怖心は強かった。だが、相手の動きがえらく緩慢に見えたのだ。
そして。
気付いたら、相手の男が倒れていた。
自分でも小首をかしげる。分からない。分からなかったが、でも目の前の男は倒れ込んで伸びている。そして俺は相手の男の手首の辺りを掴んでいる。
これは状況から察するに、相手を投げたということなのだろうか。
俺もあっけにとられていたが、残りの二人も目が点になっている。
「お前は下がってろ。俺がやる」
そう言って出てきたのは、リーダーの男だ。無精髭を蓄えた悪人面のヤツ。その手には先ほどから脅しに使っていたナイフがちらついている。普通なら恐れる場面だ、ここは。
「五年前の東西戦争でガチで殺し合ったんだ。こんなガキ屁でもねえよ」
「ダメ! 殺されちゃう、逃げて!」
シャロンはそう言う物の、俺は正直まるで負ける気がしなかった。
やはり敵の動きがかなりスローに見えたからだ。いざ戦闘をするという段になって、相手の動きがコマ送りのように遅れ始めていた。これじゃあどんだけスゴイナイフ使いだろうが、当たりっこないのだ。
突きがくる。手元から真っ直ぐ。狙いも丸わかり。大体胸元。軌道も読め読め。
スゴイ上手い格ゲーのプレイヤーはこんな感じの気分でいつもプレイしているんだろうか。そんなよそ事を考えながらでも、あっさりとその手首を掴むことが出来た。
そして自然と次にすべき行動が分かる。俺は相手の膝の辺りをローファーで蹴ってやった。するとすぐに男は跪く。
「嘘だろ、何で俺がこんなやつに」
男は悲壮な声でそう語る。ちょっと可哀想な気もした。
「もう、その帰ったら?」
「ク……クソがぁぁぁああ!」
俺の一言に男はぶち切れた様子で立ち上がる。でもやっぱりノロノロだ。渾身の左フックを躱し、軽いフットワークで相手の顔面に一発入れる。拳が痛い。
しかし俺のこの動き、以前見たボクシングの試合そっくりな気がするのは俺の勘違いだろうか。分からない。
男は血を吹きながら崩れ落ちる。
残っていた一人はそのリーダー格の男に肩を貸しながら、そのまま足早に去って行った。もう一人は路地裏に残されたままだがすっかり伸びている。
こいつもなかなか不憫なヤツだ。
そして壁際からシャロンが走って俺のもとへと近づいてくる。そして彼女は言う。
「あの、すごく助かりました。ありがとうございます。……私はシャロン・ルトゥルーです。あなたのお名前は?」
「お、俺は伊藤裕也、です」
やはりこんな美人と話していると、こっちが緊張してくる。
「イト・ウユウヤ?」
なじみの無いようなタイプの名前なんだろう。シャロンは小首をかしげていた。ありがちなクダリだなあと思いつつ俺は訂正する。
「いやいやいや、裕也。ユウヤ。と伊藤」
「ユウヤさん? 不思議なお名前なんですね……。いえ、そんなことより。あの人たちはこの町でも有名なギャングの一員なんです。こんなことになったら、必ず報復されますよ」
シャロンはひどく不安そうな表情を浮かべている。そんな変化を見ると、俺はどうにもその恐怖を癒やしてやりたくなった。
「い、いいよ。大丈夫、大丈夫だから」
流石に百人とかそういうレベルの人数で襲われたらヤバいかもしれないし、もっと強い武器で来られたらマズイかもしれないが、とりあえず俺はそう言った。
まずはシャロンの不安を取り除いてあげることが最優先だと思ったからだ。
「でも……」
「ちゃんと、その、君も守ってあげる、からさ」
こんな言葉を言える勇気は一体俺のどこから出てきたのだろう。この世界での解放感か、勝利の余韻からか。何にしても、その言葉は上手く効いたのだろう。
「あの、私……嬉しいです」
シャロンは顔を真っ赤に染めていた。そして上目遣いになって俺に問いかける。
「じゃあ、しばらく一緒にいてもらってもいいですか?」
「う、うん」
俺がそう答えると、二人で暗くて狭い裏路地を抜けた。隣を歩くシャロンからはまるで花のような甘い匂いがして頭がクラクラする。当然、生まれて初めてだ。こんな美少女の隣を歩くのも、そんな子に頼られるのも。
これが夢の続きだって言うのならそれでもいい。でも、せめてもう少しだけ醒めないでいてくれ。もう少しだけこの続きを、先を見させて欲しい。
この最高の世界の――。