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「コンサートホール」  作者: 史部 次郎
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第一楽章(拍動の早さで、厳粛に。葬列のように)

トランペットを吹きたいと思ったのは、東京観光最後の日に父と後楽園球場へ行ったときだったか、それとも公民館でアニメ映画を観たときだったか。

 そのいずれもが貴重な体験だったが、きっかけは後者だろう。

 同じラッパでも、酔っ払ったオッサン達を鼓舞するため、必死の形相でライトスタンドに立ち並ぶ青年達よりも、天から舞い降りた少女を助け、世界を救った作業帽の少年の方が格好いい。ラッパが吹けると、俺にもそんな出会いがあるかもしれないと思った。

 翌年の春、先生からクラブを選べと言われた。小学三年になると、必ずいずれかのクラブ活動に参加しなくてはならない。そうして、子供達は放課後の自由な時間を少しずつ失っていく。自分は音楽クラブを選んだ。

 故郷の仙台は野球もサッカーも盛んだった。友達のうち幾人かは、リトルリーグの帽子を被って登校し、また幾人かはサッカークラブのTシャツで登校した。彼らは学校でも野球やサッカーのクラブを選んだ。二年後に政令都市となる仙台市の教育予算は潤沢だったらしく、専用のトランペットを貸与された。

 同学年の男子で音楽クラブを選んだのは、他には齋木だけだった。

 その齋木も自分も、昼休みや土曜の午後はサッカーボールは追いかけたこともあるし、ファールかホームランかを巡っての大喧嘩に巻き込まれたこともある。

 夏には広瀬川に泳ぎ、クラスの女子の浴衣姿を冷やかした七夕祭りもあった。

 今夜、そのふるさとが失われるかもしれない。

 胸が締め付けられる。

「おかけになった電話は現在…」

 リハーサルの合間に、携帯電話や公衆電話で両親や幼なじみを呼び出すのだが、帰ってくる声は一つだけだった。 

 そんな中、仕事とはいえ、葬送をモチーフにしたこのフレーズを吹かなくてはならない。プロの演奏家とはそういうものだった。


 自分が吹くのは長調のファンファーレではない。短調で進行するレクイエムである。レクイエムとは鎮魂歌の名の通り、失われる命を悼み、鎮めるものとなるはず。

 だが、マーラーはドラムやティンパニー、シンバルを加えた。ともすると、死が華々しく、雄々しい価値を有するかのごとく。

 なるほど、革命や抑圧からの解放といった大義を掲げ、多くの人命を費消してきた人類史の中では、葬送曲の中にもそんな価値を提示するものがある。

 そこで問いたい。そのように死を単純化し正当化して良いのだろうかと。死に直面している今夜だからこそ、そう思う。

 死を単純化する体制は幾度も勃興を繰り返し、悲劇を生み出してきた。

 死を単純化することと同じくらい、単純化した図式を当てはめて敵を見つけ出し、その敵と戦う自分たちに酔いしれ、倒れた同胞の死の価値を高め、打倒した敵の死を貶めてきた。

「私はどこに行っても歓迎されない」

 この曲を世に送り出したグスタフ・マーラーは、自分がユダヤ人である事をそう評したという。

 マーラーがこの世を去って二〇年と少し、同じオーストリアに生きた邪悪なる天才が、「ユダヤ人こそ諸悪の根源であり、絶滅すべきである」と書き始めた。獄中で。それは死をファンファーレで賞揚する体制のバイブルとなり、彼が築いた体制の下でマーラーの音楽は徹底して弾圧された。

 敵を殺したことは天晴れ見事なり。敵と戦って死んだことも天晴れ見事なり。そんなファンファーレが世界を席巻した。

 そんな時代のマエストロとなったその男の名を、アドルフ・ヒトラーという。

 不遇だったマーラーがウィーンでようやく国立歌劇場の総監督として成功した時期、食費を切り詰めてまでしてヒトラーがそこに通っていたという。

 芸術家を志した青年がどうして、史上最悪の体制を一代で築けたのか。歴史は今もって答えを示せないままである。だが、芸術を愛する者が、そういうことを為しえてしまった事実は覆せない。きっと人類には、そういうことをしてしまう闇の側面、病理的な遺伝子があったのだろう。

 とするならもちろん、その病理的な遺伝子は自分たちの民族にも受け継がれているはずである。

 例えば、このホールの近くにある亀戸警察署では、大正の大震災の際、社会主義者一〇名が刺殺された。実行したのは、国民を守るはずの習志野騎兵第一三連隊である。

 その外では、朝鮮人達が虐殺された。規模も残虐さも桁違いであった。実行したのは、「朝鮮人ではない」被災した住民達だった。

 公権力が行使された亀戸の事件とは異なり、住民による住民の虐殺については、記録がとられていない。自分も、歯科医院の待合室でたまたま手に取ったマンガ「日本沈没」を読むまで知らないままでいた。

 こんにちでもなお、日本人は韓国・朝鮮人や中国人を嫌っている。民族のルーツが重なっているのというのに。神代の昔から行き来があったというのに。

 決して、限られた人々の特殊な感情ではない。ネット掲示板を見たことのある者なら、たちまち了解するだろう。

「僕は別に気にしていないよ」

 とコンサートマスターは言うが、そうだろうか。彼の父祖や同胞が、東京でどんな扱いを受けてきたか、自分が知った事実だけでも恐ろしくなるというのに。

 自分のふるさとでは、大正の大震災のようなことは絶対に起きていないと信じたい。

 信じたいという願い自体、確信が保てなくなっていること。

 今夜を無事越えられるのか、それすら分からないなかでは仕方のないことなのか。

 大地と同様、自分も揺らぐ。

 

 一通り葬送の調べが進行すると、バイオリンやビオラが、懐深く調和のとれた世界を奏でていく。葬送曲で送り出される人生が、そうであったというかのごとく。

 にもかかわらず、彼ら弦楽器パートは自分が吹く葬送の主題に対しては、不協和を差し挟む。死とは単純化できないと説諭するかのごとく。

「生者にとって、死とはその瞬間まで不可解なものであり続ける」

 それが、マーラーより託されたメッセージなのだと思う。

 今夜、故郷の仙台では、多くの人々がその瞬間を越えて逝ってしまった。誰もが必ず経験することなのに、誰も、その経験を残された者に伝えることができない。だから人類は死の定義を確立できない。できることは想像すること。不可解な中にも解を見いだそうともがくこと。死を意識しつつ、生きていくこと。

 確かに、意識を失い経験を全て失うという点で、死は恐怖である。

 恐怖に直面するとき、人の脳細胞は神経伝達物質を生成し、心臓の拍動リズムがアップする。襲い来る津波から逃れるため、ほとんどの人は、そんな生理学的な営みを尽くしたことだろう。生き続けるために。

 一方で、死は、人を痛みや苦悩、煩悶から解き放つ。その点で、死は安らぎである。

 脳が安らぐならば、拍動のリズムもまた穏やかになる。津波から逃れきれないと分かったとき、安らぎという死を受け容れていった人がいないと誰が言えようか。

 死の評価を巡っていつも人は揺らぐ。恐怖と安らぎとの間で。だから、この曲もテンポを上げたり緩めたりを繰り返す。死に直面して拍動のリズムが揺らぐように。

 その拍動もやがて止むときが来る。同時に脳の活動が止まり、その人の精神世界は失われる。それが事象としての死である。

 営みを終えた故人は棺に納められ、別れが済むと窓が閉じられる。

 マーラーは、人の拍動が止まり棺の窓が閉じられる瞬間を、打楽器ではなく、弦楽器のピツツィカート弦を指で弾かせて表現した。


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